【ドクターごとう】訪問歯科診療チョー入門⑬|(訪問記)口腔ケアの本当の目的
きれいにすることだけが口腔ケアの目的ではない
ケアマネジャーの古川君から訪問歯科の依頼のファックスが入った。古川君からの依頼状は割とざっくりで、今回も余白多めの依頼状。
と言って情報が少ないわけではない。きっと頭いいんだろうなぁ。今回の依頼は立川正太郎さん(90歳・仮名)の口腔ケアの依頼。
さらに、胃ろうを付けられているが少しでも口から食べられないだろうかという内容だった。日程調整の結果、古川君の依頼状をもらって5日後に立川さんのお宅に訪問することになった。
呼び鈴を鳴らすと「はーい」という女性の声とともに割と早く引き戸が開いた。
「訪問歯科の五島です」
「ありがとうございます。どうぞどうぞ」
と奥様の照子さん。
「あとでね、古川さんも来てくださるって言ってましたよ」
「そうですか」
と言いながら玄関から上がるとすぐ左手に6畳ほどの部屋があり、その奥にベッドがあって正太郎さんが寝ていた。玄関上がって5歩でベッドサイドという距離。目を閉じている正太郎さんの肩を軽く3回ほど叩き、
「こんにちは、立川さん。こんにちは」
と耳元で声をかけた。するとパッと目が開いて驚いたような顔をしてこちら見た。
改めて「初めまして、歯医者の五島です」
と言いながら僕は自分の歯を指差した。正太郎さんは現状を理解していないようだったが、照子さんが追い打ちをかけるように
「歯医者さんよ。歯の先生!」
と大きな声で叫んで正太郎さんは納得した。いや、納得したふりをした。僕が照子さんに、
「今、お口のケアはどうなんですか?」
「そうねぇ。口から食べるわけでもないのでちょっとね」
と目をそらしながら答えた。こちらも準備をして、
「さ、立川さん、ちょっとお口の中を拝見しますよ」
と言って軽く正太郎さんの唇を触った。
唇をさするようにしながら10秒ほどしてゆっくり指を口の中に忍ばせた。すると正太郎さんの口がゆっくり開いた。そこで懐中電灯の灯りを口の中に入れる。
歯は一本も残っておらず入れ歯も入っていなかった。舌が白っぽくなってはいたが、それ以外はそんなに問題になるようなことはなかった。横から照子さんが、
「どうですか、汚れてますか?」
「そんなことないですよ。割ときれいですよ」
と言った時に引き戸が開き、
「こんにちは、古川です」
と言って古川君が登場。玄関から5歩で僕の横まで来た。そしてすぐに、
「先生、どうですか?」
「まぁ、そんなに汚れてはないよ」
「そうですか」
と言って荷物を下ろした。こちらは口腔ケアの準備。口腔ケア用のウェットティッシュを指に巻いて正太郎さんの口の中に入れるとほっぺたを外に伸ばすようにゆっくり動かす。左右のほっぺたが終わると顎の土手の部分をしっかりとこすっていく。その姿を見て照子さんが再び
「汚れてますか?」
こちらは同じように
「そんなことないですよ」
と冷静に対処。刺激をすると割と唾液が出てきていて正太郎さんはたまに「ゴクッ」と飲んでいた。最後にベロもしっかりこすっていく。これで一通り終了。そこで古川君が、
「食べる方はどうですかねぇ。やっぱり無理ですか」
僕は片づけをしながら少し間をおいて、
「いや、大丈夫だと思うよ。今日初めて見せてもらったけど、最初は口腔ケアを何度か続けよう。あと、入れ歯の調整などもしていけば可能性はあると思うよ」
古川君が照子さんの方を見て微笑んだ。その二人に対して、どちらへともなく、
「口腔ケアというのはきれいにすることじゃないんですよ。しっかり刺激をすることで口の動きも良くなるし、飲み込みも良くなるんです。だからきれいだからケアしなくてもいいというもんじゃないんです」
古川君が、
「だからあんなにこすってたんですか」
「そう。あくまでも刺激だから。傷つけないレベルでね。でもその刺激のおかげで唾液が出てきていたし、それをうまく飲んでたのわかった?」
「あぁ」
と二人が声を合わせた。
上下の入れ歯を入れた正太郎さんがゼリーを一口、モグモグ、ゴクッとして照子さんを喜ばせたのはそれから1か月後のことだった。
※この物語は実話をもとにしたフィクションです
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この記事の制作者
著者:五島 朋幸(日本歯科大学附属病院口腔リハビリテーション科臨床准教授、新宿食支援研究会代表)
1991年日本歯科大学歯学部卒。1997年訪問歯科診療に取り組み始める。2003年ふれあい歯科ごとう代表。ラジオ番組「ドクターごとうの熱血訪問クリニック」(全国15局で放送)「ドクターごとうの食べるlabo~たべらぼ~」(FM調布)パーソナリティー。著書に「訪問歯科ドクターごとう1: 歯医者が家にやって来る!?」、「口腔ケア○と×」、「愛は自転車に乗って 歯医者とスルメと情熱と」などがある。