【ドクターごとう】訪問歯科診療チョー入門⑪|(訪問記)自宅でできる歯科診療
ある高齢女性宅での歯科診療
診療室に1枚のファックスが流れてきた。プリントアウトされた紙を取り上げて内容を読む。「これか」と小さくつぶやく。
ケアマネジャーの石橋から訪問歯科診療の依頼書だった。石橋は個人的にも付き合いがあり、先日、地域の会合があった時に口頭で依頼をされていたものだった。
依頼書にあった方は宗田弓子さん(90歳・仮名)。
以前から一人暮らしをされていたのだが、転倒してしまい大腿骨を骨折し入院しておられた。
その後の生活を考えると施設に入所された方がいいと周囲が薦めたが、本人が自宅で過ごすことを選択された方だった。
入院、介護老人保健施設などをまわって自宅に戻られたのは骨折から1年近くたってしまっていた。その間、下の総入れ歯がゆるくなってしまい石橋から訪問歯科の依頼があった。
僕は依頼書の内容を確認するとすぐに宗田さんに電話をかける。
「もしもし、宗田さんのお宅でしょうか。訪問歯科の五島です」
「まぁ、はじめまして。宗田でございます。このたびはよろしくお願いいたします」
「あの、弓子さまの件でご連絡させていただきました…弓子様ですか?」
「はい、宗田弓子でございます」
「失礼しました。さっそくですが一度入れ歯を拝見しに行こうと思うのですが、明日の午後はどうですか」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
翌日午後、弓子さんの自宅前に立っていた。古い一軒家で割と大きな門構え。
呼び鈴を押すと中から「は~い」という声がする。「こんにちは」と言いながら引き戸を開けると上がり框があり、そこから続く廊下の右手にガラス戸があった。
ガラス戸を開けると6畳ほどの部屋がありこちらを向いた形で机と椅子があり、弓子さんはそこに腰掛けていた。
「こんにちは」
と言いながら僕は少し困っていた。床には本や新聞、書類などが足の踏み場がないほど散乱していた。
「先生、大丈夫ですよ、よけて入ってくださいね」
こちらの気持ちは伝わったらしい。仕方ないので荷物が少ないところに足場を求めて一歩一歩進んで弓子さんの元に行く。
「本の量がすごいですねぇ」
「もうこの年じゃあ活字を読むことくらいしか楽しみがないのよ」
僕はかろうじて荷物を置くスペースを見つけ診療バッグを置いた。
「さて、宗田さん、入れ歯がゆるくなったんですって?」
「そうなの。私ね、入院してたんだけど実はその前から下の入れ歯は調子悪かったのよ。でも、一人じゃあ歯医者さんにも行けないし。もうこのままでしょうがないと思っていたのよ」
「そうだったんですね。歯医者も訪問できるんですよ」
「知らなかったわぁ。早くに知っていればお願いしたのに」
僕は準備をしながら
「じゃあ、さっそく入れ歯を拝見しますね。ちょっと入れ歯を見せてください」
というと弓子さんが自分の入れ歯を上下外した。それを受け取ると懐中電灯で弓子さんのお口の中を観察する。上の歯ぐきはきれいだったが下の歯ぐきは白く荒れた状態になっていた。
「宗田さん、痛かったでしょう。これは大変だ」
「もうずっとだからこういうものかと思ってました」
「今日、すぐに修理しますからね」
僕はすぐに修理を始めた。
「歯医者さんはいつ頃から出張してくれるようになったの?」
「結構前ですよ。僕だって20年前からやっていますし」
「何で知らなかったのかしら」
「皆さん、歯医者さんが往診するなんて思わないですから依頼もまだ多くないんですよ。困っておられる方は多いと思うんですけどね。」
「困いっぱいいると思うわよ。どんどん宣伝すればいいじゃないの」
「そうですね。まずは歯医者さんが訪問できることを多くの人に知っていただきたいですね」
そんな話をしながら修理完了。上下の入れ歯を入れてもらうと弓子さんはカチカチ。
「なんかしっかり噛めそうよ!」
と言って歯を見せて笑った。
※この物語は実話をもとにしたフィクションです。
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この記事の制作者
著者:五島 朋幸(日本歯科大学附属病院口腔リハビリテーション科臨床准教授、新宿食支援研究会代表)
1991年日本歯科大学歯学部卒。1997年訪問歯科診療に取り組み始める。2003年ふれあい歯科ごとう代表。ラジオ番組「ドクターごとうの熱血訪問クリニック」(全国15局で放送)「ドクターごとうの食べるlabo~たべらぼ~」(FM調布)パーソナリティー。著書に「訪問歯科ドクターごとう1: 歯医者が家にやって来る!?」、「口腔ケア○と×」、「愛は自転車に乗って 歯医者とスルメと情熱と」などがある。