横浜市青葉区にあるサービス付き高齢者向け住宅「わかたけの杜」を運営する社会福祉法人若竹大寿会の理事長の竹田一雄さんは、大手電機メーカーで働いていた元エンジニアです。
「エンジニアの仕事は楽しく、その仕事を辞める気はなかった」と、話す竹田さん。ではなぜ、介護の世界に入ることになったのか。そして、竹田さんが考える介護の哲学とは? また、「わかたけの杜」が建設されるよりどころとなった都市型CCRC(高齢者が終身まで生活することができる生活共同体)についてもお話を伺いました。
両親の志を助けたい、世界を駆けるエンジニアからの転身
――介護の仕事に就かれたきっかけを教えてください。
元々は、大手電機メーカーにエンジニアとして働いていました。工学で新しい技術を開発すれば、必ず目に見える形で人の生活を豊かにすることができる。そう考えてエンジニアの職に就いたのですが、その14年間は本当に誇らしかったですね。自分が率いたプロジェクトが世界で負けたことがなかったものですから。
あるとき、突然両親に呼び出されたんです。「私たちの財産を、私たちの夢である介護施設を建てるのに使うか。それとも長男であるあなたに自由に使ってもらうか考えている。どちらがいい?」と聞かれました。そのとき私は、「両親のお金なので私はいりませんから、どうぞご自由にお使いください。その代わり私はエンジニアを続け、介護の仕事は継ぎません」と答えたんです。
――介護の仕事は継がないとご両親に宣言されたのに、なぜ業界に踏み入れることになったのですか?
介護の仕事はしないと両親に宣告してから5年経ったときに、町工場を経営していた叔父が急死しまして。息子が知らんぷりのまま、志半ばで亡くなるのは、無念だろうな……と思いました。それで、両親の志を遂げたいという気持ちが生まれました。その後、1993年に両親が建てた特別養護老人ホーム(以下、特養)に事務員として入りました。
今、若竹大寿会には28施設ありますが、2つ目の施設から資金調達も含め、すべて私が建てました。世界で認められたエンジニアだったとしても、私は介護の世界では無資格です。送り迎えのバスの運転手、職員の給料計算、雪かき、現場の介助スタッフ、何でもやりました。それでもやっぱりエンジニアの仕事には未練がありました。
あるとき、空を見上げたら飛行機が飛んでいたんですね。ああ、国境を超えて仕事をしていたけど、私は二度と自分の人生で、仕事で空を飛ぶことはないなと。自分で選んだ道ですが、どこかで昔の仲間に置いていかれている寂しい思いがありました。でもそれと同時に、横浜の片隅で一生を終えたとしても、私が横浜に来たことで、たった一人でも助かったという方がいたら、それでよしとしようとも思いました。それで、この仕事の覚悟を決めました。
当たり前にあると思っていたものが、介護業界には全くなかった
――介護業界に入って、まず何に驚きましたか。
私が介護の世界に入ったのは1993年でしたが、もう暗黒の時代でしたね。介護保険制度導入の7年前でしたし、認知症という言葉もありませんでした。これは本当にひどい誤解なのですが、認知症は感染すると思われていましたし、介護に対する社会の期待は何もありませんでした。介護業界で一番驚いたのが、仕事に目的がないことでした。
もともと介護は医療の補完としてスタートしているので、お世話や付き添いは誰でもできる、質の低い仕事としてみなされていました。私は、かつての自分のように職員にプロとしての誇りと喜びを持たせたいのに、目的を定義できない仕事はプロフェッショナルになりようがないんですよ。
当時どこも導入していなかった人事考課を始めるため、そもそもの介護という仕事の目的の定義が必要でした。国内には前例がなかったので、介護は何を目指すべきかをつかむため、スウェーデン、デンマーク、アメリカの現場を歩き、自立支援を活動目的に定義しました。7年後には、国も介護保険制度で導入します。
――そのほかに元エンジニア目線から見て、介護の世界で気になったことはありましたか?
よく介護のケアプランは「現状維持」が目標にされるじゃないですか。でもエンジニアの感覚からしたら、プロが取り組むのに、現状維持なんてあり得ません。だって皆さん、スマホを機種変更するときに、「やっとウチの会社も他社の昨年の技術に追いついて、同じ値段で出せるようになりました」なんてメーカーから聞いたら、買いますか? 買わないですよね。
昨年と同じ仕事をして、なぜ胸を張ってお給料がもらえるのかということですよ。介護者の物の考え方が変わるとケアが変わって、お年寄りが変わります。なので、私の組織では「改善」を目指してこれを徹底してやると決めたら、とことん取り組むようにしているんです。
――たとえば、どのような取り組みをされたのでしょうか?
あるとき、スタッフのこんな雑談が耳に入りました。「あの人、普段食べられないけど、お寿司だったらペロッと食べられるのよね」と。ならば、人間の欲求が一番出やすい食事を徹底的に変えようと、ホテルのようなバイキング制度を採用しました。もちろんのどに詰まるリスクも伴いますから、お一人おひとりにスタッフが付いて食事誘導をします。
自分の食べたいメニューが少なくとも1つは並んでいるバイキングの品数は30品目だと割り出して、スタッフ総出で提供し続けました。「食べさせられる食事」よりも、本人の意思の元に「食べた感」のある食事を優先しました。その結果、多くの人に食事の向上が起こり、刻み食やソフト食だった方が通常食を召し上がり、元気になられました。
次に取り組んだのが排泄介助です。おむつをはめている方に、「いつからおむつをはめているの? なぜおむつになったの?」と聞くと、ほとんどの方が答えられないんです。病院や施設をたらい回しにされているうちに、いつの間にか介護側の都合でおむつになっていたというケースです。
そこで、10年以上おむつを使い続けている方でも諦めず、おむつはずしの取り組みを行ったところ、その年度に新規入居された常時おむつの方全員から、日中のおむつがとれました。おむつがなければ、生活に意欲的になるのは当然のことです。
わかたけの杜が目指すCCRCとは
――わかたけの杜はサービス付き高齢者向け住宅として、都市型CCRC構想に基づき、2014年に建てられました。このCCRCとはどのようなものでしょうか?
CCRCとは、高齢者が健康なうちにバリアフリー住宅に入居し、継続的なケアを受けながら最期まで過ごすことができる生活共同体のことです。アメリカなどで注目を浴びている構想ですが、日本政府は土地が確保しやすい地方にCCRCを作り、都市の高齢者を移住させることを目指しています。
高齢者が増えて施設がなかなか作れない都市の行政都合と、若い人が都市部に出てしまい、産業が少なくなってしまった地方側の行政要請を合体させたものといえるでしょう。しかし、この政策に、当事者である高齢者の思いが反映されていないことを私は問題視しています。
――では、竹田さんの考えるCCRCというものはどのようなものでしょうか?
私は、成功するCCRCはそれまでの住み慣れた土地や家族友人から車で30分程度で通える場所、すなわち今までの生活圏域、都市部にあるべきだと考えています。事実、アメリカでもっとも上手くいっているCCRCの責任者も、成功する立地条件として同じことを言っています。
「わかたけの杜」はサービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)ですが、同じ敷地内に老人保健施設(以下、老健)のリハリゾート青葉と特養のわかたけ青葉があります。自立から重度まで対応できる施設が敷地内に完備されています。ですから、敷地内に住む方は、一生を終える最期の瞬間まで、安心して暮らしていただけます。
そしてこれらの総合施設群から出て行くサ-ビスが、在宅が維持できる周辺地域の街を造る。私はこのあり方こそが、都市型CCRCが目指すべき姿だと思います。実は、「わかたけの杜」の住人の方で、面白い生活をされている方がいらっしゃいます。ご近所に自宅がありながら、平日は「わかたけの杜」に住んで、週末になるとご自宅に戻られる方がいらっしゃいます。
――それはまたどうしてでしょう?
サ高住のスタッフは、マンションの管理人のような仕事に見えますが、実は一番必要なのが介護力なんです。その方はご自身のお体の心配などもあると思いますから、「わかたけの杜」の安心感を買われて、平日はこちらに住まわれているのだと思います。
「わかたけの杜」のある地域は、人と人とのつながりが極めて希薄な典型的な都会の郊外地域です。昔からの地主さんがいる一方、新しく移り住んできた住民は町内会に入りません。大型マンションの住民はマンションごとに別々の自治会を持ち、人間関係が完結しています。つまり、住民同士がつながりにくい地域なのです。
だからこそ、困ったときは24時間対応のクリニックや訪問介護などもあるCCRCを、気軽に利用していただきたいです。でも利用してくださいというだけでは、地域との人のつながりを保つことはできません。そのため、私たちは地域の活動にも力を入れていて、所轄の警察署の方と振り込め詐欺の講習会を行ったり、スタッフや「わかたけの杜」の住人の方が講演やイベントを企画したりしています。
次の課題は「認知症の方の暮らしを支えるサ高住」
――最後に、現在「わかたけの杜」が解決すべき課題を教えてください。
「わかたけの杜」は個別の住宅ですので、認知症になられても自由に外出できてしまいます。そのため、徘徊をされる認知症の方用のサ高住を作るかどうかで悩んでいます。平屋を円形で作って内側が庭になっていて、中の庭に出るのは自由ですが、外に出る時は必ず事務所の前を通る作りにするとか。どこかの居住スペースをブロックで分けて、徘徊をされる方用のお部屋を作りだすこともできるかもしれない。いろいろ考え方はありますよね。我々がサポート力を上げて、どれだけ皆さんの希望を叶えられる幅を広げられるか。認知症をどう支えるか、ますます腕が試されますね。
(横山由希路+ノオト)
(記事中の内容や施設に関する情報は2017年7月時点の情報です)