
そう遠くない未来にやってくるかもしれない家族の介護。その際に大切なのは「助けを求める練習をしておくこと」だと、実際に認知症の祖母と向き合った経験を持つ作家の岸田奈美さんは語ります。
現在、岸田さんの祖母はグループホーム(認知症対応型共同生活介護施設)で生き生きと生活されていますが、施設入居が決まるまでの間、岸田さんのご家族にとっては大変な時間が続いたといいます。
祖母の施設入居までの出来事を振り返っていただきながら、岸田さんが「家族の介護」について感じたことについて伺いました。

──岸田さんのおばあさまに認知症らしき症状が出始めたのは、7年ほど前だったと拝見しました。当時、岸田さんはご実家から離れて生活されていたんですよね。
岸田:はい。当時はおばあちゃんと私の母、私の弟が神戸の実家に住んでいて、私は大阪で一人暮らしをしていました。実家に帰るのは3週間に一度くらいでしたね。
──最初、おばあさまにどんな変化があったのでしょうか?
岸田:私がおばあちゃんと顔を合わせる機会が少なかったこともあって、おばあちゃんの話は主に母との電話を通じて知る形でした。最初は明らかに様子が変というよりも「ごはんを作るのがちょっと雑になってきたな」くらいだったそうなんです。
一度、母が仕事先から「今晩、家に食べるものある?」とおばあちゃんに連絡したら「ごはん作ったよ」と言われたそうで。それを信じて家に帰ったら、おばあちゃんがきゅうり1本と味噌だけを出してきたらしいんですよ。
でも、それも半分笑い話として聞いてしまっていたというか……。「老いの延長でいろんなことが面倒くさくなってきたのかな」くらいに思っていましたね、当時は。
というのも、うちのおばあちゃんはもともと、感情があまり表に出るタイプではなかったんです。誕生日に何が欲しいかを聞いてもなかなか言ってくれなかったりして。いつも何を考えているかが分かりにくい人ではあったので、家族も特に危機感を抱いていなかったんですよね。
──お母さまはそんなおばあさまの様子に関して、ご家族以外の方に相談されたりはしていなかったんでしょうか?
岸田:まったくしていなかったんです。うちの母は「家族や自分の親に関する泣き言は言っちゃいけない」みたいな責任感がすごく強い人だったので、人に相談せず、どうにか家の中だけで解決しようとしていたみたいです。
でも、そういった状況が4年ほど続いたあとで、母が感染性心内膜炎で倒れてしまって。手術はなんとか無事に終わったものの、2カ月の入院が必要になりました。

実家に祖母と弟が残されている状態になり、私がしばらく神戸の実家へ戻って、家事をしつつ働くことになりました。それをきっかけにおばあちゃんと毎日接するようになって、ようやく私にもいろんなことが見えてきた、という感じでしたね。
おばあちゃんはどうやら、臨機応変な対応が必要になると途端にパニックになってしまうようでした。母が入院して家からいなくなり、代わりに私が家で仕事をしているという大きな変化についてこられなかったみたいで、パニックになることが増えて口論も多くなってしまって。
──岸田さんも日常的におばあさまと接するようになったことで、事態の大きさに気付かれたんですね。
岸田:そうですね……。でも、いわゆる「介護をしている人」って、私の中では家族のおむつを替えたりお風呂に入れたりしているイメージだったんです。それに比べたら、おばあちゃんは一応会話もできるしごはんも食べてくれるから「自分はそんなに苦労していないんだ」と当時は思っていて。
でも今思うと、その頃のおばあちゃんはパニックになって私の仕事や家事の邪魔をしてくることが多かったんですよね。私が日中に家でオンライン会議をしていると「知らない人と話すなんて危ない!」って、後ろからパソコンをバーンと閉じてきたり。
思わずイラっとして「仕事できひんやん!」って怒ってしまうんですけど、おばあちゃん本人は口論したことを忘れてしまうから、その後も同じことが何度も起きて。
そういう意味では、私は身体的な介護はしていなかったんですけど、精神的な面では本当にしんどかったですね。
──その後、ご家族で話し合い、おばあさまに施設入居してもらうことを決められたと伺っています。当時、どのようなことを話し合われたのでしょうか?
岸田:うちの実家ではずっと、母が一人で家のこと全てを担っていました。そんな母が入院することになって今後どうするか考えた時に「私が母の代わりになって家族の面倒を見るのは嫌だ」と強く思ったんです。
当時の私は作家として独立したばかりだったし、そもそも地元が嫌いで実家を離れた面もありました。だからまずは「戦略的一家離散」として、家族全員が家以外にも居場所を作って、私がいなくてもそれぞれ生活ができるようにしよう、と家族会議で話し合いました。

うちにはダウン症の弟がいることもあって、おばあちゃんだけではなく弟の施設入居についても検討しなきゃいけないよね、と数年前から母と話してはいたんです。でも、弟にもおばあちゃんにも申し訳ないし、私たちも寂しいし……とずっと先延ばしにしてしまっていました。
このままでは話が進まないし私たちもつらいと思い、私が地域包括支援センターに足を運び、おばあちゃんの介護についてあらためて話を進めました。
──そこで初めて、おばあさまのことに関して家族以外の人に相談されたんですね。
岸田:はい。最初に地域包括支援センターに相談した時点では「おばあちゃんが何らかのサービスを利用するには要介護認定の調査を受ける必要がある」と言われました。
「要介護認定」の区分や申請の流れなどについては、下記の記事で詳しく解説しています。
要介護認定とは?認定基準や区分、申請~通知の流れ、有効期限までその後で一度目の介護認定調査を受けたのですが、当時の私はパニック状態だったので家の中の状況をうまく説明できず、結局「認知症ではないと思いますよ」と言われ、軽度の「要支援2」という結果になったんです。それで、おばあちゃんには週に2回、デイサービスに通ってもらうことになりました。
「要支援2」の状態や受けられる介護サービスなどについては、下記の記事で詳しく解説しています。
要支援2とは?ケアプラン例や要介護1・要支援1との違いなどを解説おかげで日中は時間ができたんですが、家事を済ませた夜中に私が仕事をしているとおばあちゃんが起きてきてしまうので、結果的にしんどさはあまり変わらなくて。
その1年後に二度目の介護認定調査を受けて「要介護2」と認定されました。ようやくここで「認知症が原因と疑われる問題があり、身の回りの介護が必要な状況」と判断され、認知症対応のグループホームに入居できる状態になったんです。
「要介護2」の状態や受けられる介護サービスなどについては、下記の記事で詳しく解説しています。
要介護2とは?受けられるサービスやもらえるお金、要介護3との違いを解説「グループホーム」の費用や入居条件などについては、下記の記事で詳しく解説しています。
グループホームとは?費用、入居条件、おすすめ入居タイミングをプロが解説──介護において、実際にどれほど助けを必要としているかを周囲に端的に伝えるのは、とても難しいんですね。
岸田:本当にそう思いました。当時の私は30歳で、家族の介護をしている人なんて周りにいなかったので、友達にもそのしんどさを話せなくて。
「家族のことは自分で責任を取らなきゃ」みたいな気持ちが無意識のうちにあったんですけど「助けてもらうためには、伝えるべきことはちゃんと伝えなきゃいけない」と、おばあちゃんの件を通して気付きました。
一度目の認定調査を受ける前、実は「認定が下りるまでに1カ月以上はかかる」と言われていたんです。でもわが家の担当になってくれたケアマネジャーさんにおばあちゃんのことを話している時、ふと私が「おばあちゃん、もう1カ月に1回もお風呂に入ってなくて」って言ったんですよ。その瞬間にケアマネさんの目つきが一気に変わって「それを伝えたらすぐに認定が下りると思います」と言われて。
結果、認定調査も順番待ちと言われていたんですけど、最速で対応してもらえたんです。後で理由を聞いたら「お風呂に入れないというのは自分で衛生状態を保てていないわけだから、命に関わることなんですよ」と教えてもらいました。
でもそんなの、始めは知らないじゃないですか。私も、最初に窓口に行った時点では何を伝えるべきかがまったく分からなかったんですけど、人に相談する回数が増えていくにつれ、だんだんと慣れていく感覚がありました。
だから、漠然と「しんどいんです」と伝えるだけでは足りない。「こういうところがしんどいので、こういうサービスを使いたいです」と自分で伝える必要があるんだなと、そのときに学びました。
──おばあさまがグループホームに入居されたことで、ご本人や家族の気持ちや生活に、どのような変化がありましたか?
岸田:一番驚いたのは、おばあちゃんがすごく穏やかになったことです。
最初にお話ししたように、おばあちゃんはあまり自分の希望や意見を言わない人なので、今入居しているグループホームにお試しで泊まった時も、入りたいのかそうじゃないのかよく分からなかったんですよ。
家族としてはちょっと不安なまま入居してもらうことになったんですが、入居後は「マイペースに過ごせてこっちの方がええわ」と言ってくれているので、私も母も少し肩の力が抜けました。
若い頃のおばあちゃんは、近所の友達を集めて喫茶店でおしゃべりするのが好きな人だったらしいんです。でも、私が高校生の時にお母さんが病気で倒れてからは、住み慣れた大阪から神戸に移り住んで実家の家事を手伝うことになって。近所に知り合いもいない中で、一生懸命頑張ってくれていました。
グループホームにはコーヒータイムがあったりして、社会的にもおばあちゃんが生き生きと暮らせる環境が整っているんですよ。面会に行った時のおばあちゃんは顔色もいいし、前よりも健康になった気がします。

──本当によかったです。おばあさまの施設入居を経て、岸田さんの「介護」に対する考え方に変化はありましたか?
岸田:私はいわゆる身体介護をしていなかったから「自分は介護をしていない」と周りには言ってたんですけど、当時、おばあちゃんを見守り続けていたこと自体が介護だったのかも、と思うようになりました。
ただ、見守る気持ちが相手に伝わるとは限らないし、うまくいくとも限らない。自分が相手のことを思って尽くしても尽くしても全部裏目に出て、いつまでも終わりが見えないというのが、一番つらかったように思います。
──岸田さんのお話を伺っていると、介護において「助けを求める」ことの重要さが伝わってきます。そう遠くないうちに家族の介護が始まるかもしれないという人が「早めに助けを求める」ためには、日頃からどんなことを意識しておくべきだと思いますか?
岸田:まず「困ったときにどこに相談すればいいか」という程度の基礎的な情報は、頭に入れておいた方がいいと思います。
私自身、おばあちゃんの件があるまでは地域包括支援センターという存在を知らなかったので、どこを頼ったらいいかが分かりませんでした。最初に的外れなところに連絡して冷たい対応を受けて心が折れる可能性もあると思うので、地域包括支援センターという、高齢者についての話を聞いてくれる専用窓口があるというのは、ぼんやりとでも知っておいた方がいいと思います。
地域の高齢者のための相談窓口である「地域包括支援センター」については、下記の記事で詳しくレポートしています。
「地域包括支援センター」は何をしてくれるところ? 将来の遠距離介護に備え、不安や疑問をぶつけてみた|tayorini by LIFULL介護その上でやっぱり、大切なのは弱音を吐く練習をしておくことですね。
「困っている」や「助けてほしい」は、自分が思っている3倍くらい大げさに言わないと、周囲の人には実際の困り具合が伝わらないんだと感じました。
普段から困ったことがあったら「これ、困ってるんだよね」「どうしたらいいか悩むんだよね」って、周りの人に言ってみてほしいです。特に、口癖が「大丈夫です」の人ほど、意識してほしいなって。
──たしかに、助けを求め慣れていないと、本当に困ったときに周囲を頼るハードルが上がってしまいそうです。
岸田:人に頼るのって、やればやるほどうまくなっていくんですよ。
私の場合、おばあちゃんの後に弟のグループホーム入居の対応をしたんですけど、そっちはすごくスムーズに話が進んだんです。何を冷静に伝えて、何を感情的に伝えればいいかが分かっていたから。
だから、メモするでも友達に話すでもいいので、気持ちを整理して伝える練習はしておいた方がいいと思います。
──では、いつか訪れるかもしれない介護に向けて、家族間であらかじめ話し合っておくべきことはあると思いますか?
岸田:個人的には、たぶんあらかじめ話すのってなかなか難しいんだろうな、と思うんです。
わが家の場合、母一人で家のことを抱え続けるのが無理になってからようやく家族会議を開きましたが、逆に言えばそうなるまではみんな、胸のうちを明かすことができなかったんですよ。
母がボロボロと泣きながら「家のことは自分一人で抱えないといけないと思っていた」「今でも私はおばあちゃんのことをどう思えばいいのか分からない」と言ってくれたとき、ようやく私も母がどれだけのものを抱えていたかに気付いたんです。
自分だけが荷物を背負うのはやめて、お互いが幸せに生き延びることだけを考えよう。そういう話し合いができたのは、そうしないと誰かが倒れてしまうという極限状態に陥ったからこそでした。だから、嫌でもいつか話すタイミングはくるんじゃないかなと。
──家族の将来について話し合うタイミングは、いつか必要に迫られてやってくると。岸田さんならではのとてもリアルなお話だと感じました。
岸田:大事なのは「大切な人のために自分が我慢すればいい」という思い込みをどれだけ手放せるかだと思います。
岸田家の場合、私たち子どもを守るために母がおばあちゃんのことを一人で担おうとし続けてしまったことで、結果的に福祉につながるのが遅れたんです。私にとっては、母が「娘のために」と我慢をし続けていたことはすごくショックでした。自分だけが我慢をするのは、結局は皆のためにもならないんです。
おばあちゃんの一件を通じて、介護って、親子の関係を逆転させるものなんだなと思いました。
自分を守ってくれる存在だったはずの親が弱った姿を見るのって、本当につらいんですよね。でも、それを乗り越えて「この人にとっての幸せってどんなところにあるんだろう」と考えることで、親子の中にもう一つ新たな関係性が生まれていく。
一人の人間として親と向き合うことでしか乗り越えられない側面が、介護にはあるんだと思います。
取材:構成:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
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