「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
第1回は、30年来の矢沢永吉ファンである工藤さんにお話を聞いた。これまで「永ちゃん一筋」で駆け抜けてきた工藤さんが見すえる、老後とは?
――矢沢永吉ファンというと、80年代に青春時代を過ごした50代半ばの人が多いですが、工藤さんはやや上の世代の64歳です。まずは矢沢永吉を聴くようになったきっかけを教えてください。
私の若い頃はフォークとグループサウンズが主流で、日本にまだロックがなかったんですよね。そこへキャロルが登場して、18歳で初めて聴いて以来、キャロルしか聴かなくなった。革ジャンにリーゼントのスタイルが、つっぱっていてカッコイイ!と思いましたね。
だけど、当時の私はジョニー大倉のほうが好きだったから、キャロル解散後(1975年~)の永ちゃんは聴いてなかったんです。だから、30代半ばまで10年間くらいブランクがあるんですよね。それがあるとき、うちの従業員から永ちゃんのコンサートに誘われて、初めて生で観たのが武道館でした。とにかく観客のノリが熱狂的ですごかったですね。
――それが本格的にファンになるきっかけだったんですか?
本格的にハマったのは、その翌年でした。仕事で愛媛に出張したとき、エアブラシで永ちゃんの絵を描いた石川県ナンバーの車を見かけたんです。ちょうど同じ出口で高速を降りたから、追いかけて話しかけたら、松山市で永ちゃんのコンサートがあるって言うんです。私の仕事場も松山だったから行きたいけど、チケットがない……。そしたらその人がチケットを用意してくれたんですよ。それで、会ったばかりの石川のファンと愛媛のコンサートを観たんです。前年の武道館は永ちゃんコールがすごかったけど、愛媛のコンサートは箱も小さくて、永ちゃんコールもアンコールもなかった。だけど、かえってそれが印象深かったですね。
――矢沢ファンならではの仲間意識を感じさせるエピソードですね。
最初の数年は武道館に行くだけだったんだけど、武道館で知り合った仙台の人と友だちになって、「今度、遊びに来てよ」って言うから仙台公演に行ったら、また違う盛り上がり方をしていてね。それから他にもいろんな地方のコンサートに行ってみたくなったんです。本格的に地方を周るようになったのは、子どもを連れて行くようになった45歳くらいから。ここ10年くらいは、いつも息子の恭紫(きょうし)とツアーを周っていて、「今度は〇県に行ってみよう」って二人で相談して行き先を決めています。
――息子さんも矢沢ファンになられたんですか?
初めて恭紫を連れて行ったのが4歳のときで、その頃は抱っこして観てました(笑)。子どもが4人いて、みんな連れて行ったけど、他の子は途中で行きたくないと言い出した。でも、恭紫だけは嫌だって言わなかったんです。中学生くらいから永ちゃんコールをやるようになって、YAZAWA CLUB(公式ファンクラブ)も入りましたからね。高校卒業後、恭紫がうちの会社で働くようになって、仕事も一緒だし、永ちゃんのコンサートも一緒、家でも一緒だから365日一緒にいますよ(笑)。たまに一人で行くと、みんなから「息子は?」って聞かれます(笑)。
――年間何本くらいコンサートを観るんですか?
平均すると年10本くらいかな。私は名古屋公演と大阪公演を必ず観て、武道館5Daysも5日間全部行くんです。それでまず7本と、その他に3本くらい地方公演に行く。46都道府県で行ってないのは北海道だけです。何回も観て飽きないの?って思われるかもしれないけど、永ちゃんは行く場所によって全部違うんですよ。「今日はイキイキしてるな」とか「今日はノリが悪いな」とか、ファンからすると違いがある。その違いがわかってくると、ますますハマるんです(笑)。
――YAZAWAタオルを集めているそうですが、その都度、タオルを買うわけですか?
武道館限定、ツアー限定、地方限定などデザイン違いがいろいろあって、最低5枚は買わないとダメなんです。ダイアモンドムーン(矢沢永吉グッズの公式ショップ)で面白いデザインを見つけて買ったりもして、数えたことがないけど、タオルだけで200~300枚はあるかな。子どもが4人いて、そのうち3人は大学を卒業させたけど、子どもの養育費や学費の負担よりも私の場合、矢沢貧乏ですよ(笑)。タオル代(1枚5000円)、チケット代、地方遠征費、それからファン仲間との交際費で、毎年100万円以上は使ってるんじゃないかな。
――約30年間に渡ってファンであり続けたわけですが、今の矢沢永吉をどう感じていますか?
30代から50代までの永ちゃんはステージの端から端まで走り回って、歌に合わせて踊りもできた。私は若い頃の永ちゃんの動きに惚れたんですよね。今はそんなに走れないけど、そのかわり声質は今が最高だね。若い頃の永ちゃんもいいけど、私は今のほうが好きです。もうすぐ70歳になるけど、2時間歌い続けるなんてすごいことですよ。現役の永ちゃんを観ることが、私の活力源! 私にとって永ちゃんは若返りの薬みたいなものです(笑)。
――それはやはり、矢沢ファンとして生きがいを持っているから?
それしかないと思いますね! 次の永ちゃんのコンサートに行く目標ができるし、その日は仕事を休むことになるから、その日までに「もっと稼がなきゃ!」って仕事も頑張れる。コンサートやファン仲間の飲み会に行くとなると、服装も気を使うからね。近所に私と同年代の65歳の人がいるんだけど、やっぱり年相応の服装なんですよね。それに比べると、私は服装からして若返ってる(笑)。
――永ちゃんのコンサートに行くことが、工藤さんの健康の秘訣かもしれませんね。
ライブ中は自分の年齢も忘れるからね。不思議なもので、他の所で2時間立ってろって言われたら、ちょっと無理だけど、永ちゃんのコンサートのときだけは立ちっぱなしでも平気なんです。
――工藤さんは矢沢ファンの間で顔が広くて、ファンコミュニティのつなぎ役のようになっているそうですね。どんなふうに交流を広げていったんですか?
友達が増えはじめたのは、実は50代半ばからなんですよ。私は毎年、武道館に5日間いるじゃないですか。武道館の駐車場で顔を見たことがある人と名刺交換をするようになって、翌年もまた駐車場で会ったりしているうちに仲良くなるんです。最近は「〇〇の会場にいましたよね?」って向こうから名刺交換を求められるようになって、この間、名刺を数えてみたら500枚以上ありました(笑)。
――年を重ねるほど孤独になりがちなものですが、矢沢ファンで本当に良かったですね。
良かったどころか、大変すばらしいと思います。60歳のとき、ファン仲間が還暦パーティーを開いてくれたんですけど、いろんな地方から40人以上が集まってくれて、ますます友達が増えたんです。昨日もファン仲間の集いで神戸に行ってきたんだけど、還暦の人が3人いて、「永ちゃんがいなかったらオレたちが知り合うこともなかったんだよな」って話しましたね。還暦を過ぎてからすごく仲良くなった静岡の友達もいて、そいつとはほとんど毎日電話で話してますね(笑)。
――矢沢ファンは飲み会などの交流が活発なんですか?
いつもどこかしらで飲み会をやってますね。私は60歳になってから、関東地域の飲み会は全部行ったんですよ。毎週土曜日は飲み会に参加して、それが3年くらい続いたんだけど、そのうち関西や東北のファンの集まりにも参加するようになって、それでまた友達が増えた。永ちゃんファンは50代半ばの人が一番多いから、どこに行っても私が最年長なんだけど、ファンに年齢は関係ないからね(笑)。一度だけ武道館で70歳のファンに会ったことがあるけど、翌年はいなかったから、毎年来てるファンではやっぱり私が最年長だと思いますね。
――今年、永ちゃんは70歳を迎えるわけですが、初の音楽フェスを主催したり、2019年のツアータイトルが「ROCK MUST GO ON」だったりと、今も変わらず挑戦的です。さらに、7年ぶりのニューアルバム『いつか、その日が来る日まで…』のリリースも発表されました。永ちゃんが歌い続ける限り、ファンのコミュニティも続いていきそうですね。
続くと思いますね。他のアーティストだと、家庭を持つとファンを辞めちゃったりすることが多いけど、永ちゃんは常に新しいものを取り入れようとするから、ずっとファンが付いているんです。これだけ引っ張ってくれるアーティストは、永ちゃんだけですよ。
だけど最近、永ちゃんが引退したらどうしよう……ってよく考えるんです。涙もろくなったのか、考えただけで泣けてきちゃうんですよね。たぶん昔のDVDを見返したりするんだろうけど、きっと、仲間で集まって「永ちゃんの曲を歌おう」ってなると思う。だから、永ちゃんファンの関係は切れないと思いますね。
――あらためて、矢沢ファンという生き方をどう振り返りますか?
これだけは胸を張って言える。悔いなしです! この歳になってまだ友達ができるなんて、永ちゃんのおかげですよね。永ちゃんを追いかけていれば、また新しい友達ができるかもしれないし、永ちゃんファンで最高に良かったと思います(笑)。
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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