「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、一風変わった居酒屋を営む長渕剛ファンの小林さんにお話を伺った。何が変わっているかというと、クリーニング店で金土の夜のみ居酒屋を営業しているのだ。30年以上も「心の支え」になってきたという長渕剛ファンの熱い思いとは?
――昼間はクリーニング店で、金曜・土曜の夜だけ居酒屋というユニークなお店を営業されていますが、マスターが大の長渕剛ファンだという噂を聞きました。なぜクリーニング店で居酒屋をやろうと?
私は普段は鳶職の仕事をしているのですが、料理が好きで以前から居酒屋をやりたかったんです。そしたらクリーニング店を経営している妻が、「ここでやってみれば?」と言うので、50歳を機にやり始めたんです。
――お店には長渕剛の似顔絵やグッズが飾られていますが、長渕ファンが来ることもあるのですか?
ネットで見て来る人もいます。現役自衛隊の長渕ファンの子が訪ねてくれて、同じ長渕ファンとして仲良くなったんですが、それから10回くらい来てくれてますね。もともと長渕ファンではなかった常連のお客さんを武道館に連れて行ったところ、涙を流して感動して、それからファンになった人もいます。ちなみに妻も私の影響で長渕ファンになったんですよ(笑)。
――いつ頃からファンになられたんですか?
実は昔の長渕は、フォークシンガーくらいにしか思ってなくて聴いていなかったんです。新潟で鳶の仕事をしていた20代半ばの頃、職場の後輩が「ぜひ聴いてみてほしい」と長渕の曲を勧めてきたんです。そしたら私が思っていたフォークのイメージとはまったく違って、すごく心に響いてきた。詩に言霊が宿っているように感じましたね。その翌年に新潟で長渕のライブを観てから本格的にファンになりました。
――昔の長渕剛はか細いフォークシンガーというイメージでしたけど、TVドラマ『とんぼ』(1988年放映)で人情肌のヤクザ役を演じてから、一気にイメージが変わりましたね。
当時は新潟で滅多にライブに行けなかったので、テレビドラマをかじりついて見てました(笑)。私の場合、ドラマの役柄も長渕剛という一人の人間として見てました。ヤクザの役柄でしたけど、どこか人間愛を感じるというか、弱い者を助けようとするところが好きでしたね。
――弟分役の哀川翔が「アニキ」と呼んでいたこともあって、長渕剛をアニキとして慕うファンも多いと思います。小林さんもアニキのように感じている?
私はちょっと違うんですよ。おこがましい言い方になりますけど、同じ時代を生きる“同士”のように感じています。年齢は関係なく、オレとおまえは同じ思いを持った仲間だぞっていう気持ちです。
――長渕剛は音楽に留まらず、俳優をやったり、書画で個展を開いたり、本当に多才な人ですよね。
実は長渕ファンになる前は、少年時代からずっと矢沢ファンだったんですよ。私が思うに長渕剛と矢沢永吉の違いは、永ちゃんは純粋に音楽を追求するアーティストなんですよ。でも、長渕にとって歌はひとつの表現方法であって、彼は音楽だけのアーティストではない気がするんです。だから俳優もやれば書画もやるんですよね。
――矢沢ファンは「永ちゃん一筋」という人が多いので、珍しいパターンですね(笑)。両者の違いでいうと、矢沢永吉は基本的に自分で詩を書きませんが、長渕剛は自分で詩を書いて、怒りや哀しみ、劣等感といった負の感情をさらけ出すという違いがありますよね。
すべてさらけ出してますよね。怒りや哀しみをぶつけてくるんだけど、最終的にそれがやさしさになるのが長渕の歌の魅力なんです。生きる力を与えてくれるというか、挫折しそうになったとき、「長渕が頑張ってるんだからオレも頑張ろう」という原動力になっていますね。
――長渕剛の「とんぼ」という曲に「死にたいくらいに憧れた花の都、大東京」という歌詞がありますが、やはり小林さんも東京に憧れがあって上京されたのですか?
それは特になかったですけど、私が上京したのは35歳のときで、しいて言うなら、人生を変えてみたかった。それと、東京で鳶の技術をもっと高めたいという気持ちがありましたね。長渕剛には失礼ですけど、私も何のアテもなく身ひとつで17万円だけ握りしめて上京したわけですから、なんとなく生き方が似てるような気がするんです(笑)。
――小林さんは90年代末に上京されたわけですが、90年代の長渕剛は、体調不良でツアーをほとんどキャンセルしたり、不倫報道や逮捕騒動など、人生のどん底を経験してますよね。それから肉体改造をして復活を遂げたわけですが、ファンとしてはどんな思いで見てましたか?
このまま終わる人間じゃないと信じて、見守っている感じでしたね。彼がよく言ってるのは、「どん底のときは、一回しゃがみ込んで、そこから飛べ!」ってことなんです。その方がより高く飛べますよね。肉体改造をして復活したときは、やってくれたな!ってうれしかった。2002年に横浜スタジアムで野外ライブをやったとき、長渕が桜島でオールナイトコンサートをやると宣言したんです。そのステージをやり切るために肉体改造に取り組んだんですよね。
――長渕剛は酒も煙草も飲まず、身体を鍛え上げて本当にストイックです。やはりファンも影響を受けて身体を鍛えたりするんでしょうか?
鍛えている人は多いですね。実は私もいっとき鍛えていて、2階がホームジムになっています。最初は長渕の影響で始めたんですけど、やっぱり年を追うごとに足腰が弱ってくるので、今のうちから筋力を付けておこうという意味合いに変わってきましたね。
――矢沢ファンの場合、カラースーツやタオル投げといった定番の応援スタイルがありますが、長渕ファンの応援にも定番はあるんでしょうか?
男性ファンはほぼほぼタンクトップです。私も長渕の影響でよくタンクトップを着ます。あとは髪型もちょっと真似てます(笑)。やっぱりファンはその対象に近づこうとするものなんですよね。応援では、「勇次」という曲でクラッカーを鳴らすことが恒例になっています。桜島のオールナイトコンサートのときも一斉に鳴らしましたね。
――鹿児島の桜島で開催されたオールナイトコンサートに行かれたんですね。オールナイトというと、応援する側も体力がいりますよね。
20時半くらいから朝6時くらいまでライブをやるんです。静かなラブソングのときに寝ちゃう人もいるんですけど、私は眠くなるどころか、長渕がステージに登場した瞬間から泣いちゃって、夜通し泣きっぱなしでした(笑)。その間、ずっと拳を突き上げているわけだから、もちろん疲れますよ。でも、終わったときは「まだまだ足りないよ! ぶっ倒れるまでやってほしい」という感じでしたね(笑)。
――2015年の富士山麓オールナイトコンサートにも行かれたそうですが、2004年の桜島から11年が経ち、小林さんも50代に突入したわけですが、体力面はどうでしたか?
体力的には、鍛えていたこともあってまだまだ変わらないです(笑)。富士山のときは、前日までずっと雨で天候が危ぶまれていたんですけど、長渕が「富士山から朝日を引きずり出すぞ」って言ってたら、本当に晴れたんですよ! 太陽が昇る瞬間の感動ときたらものすごかった。人生で一番記憶に残る朝日で、本当にファンで良かったなあと思いましたね。
――長渕剛は現在63歳ですが、身体を鍛えていることもあって、まったく衰えを感じさせません。あと20年くらいは歌い続けそうですよね。
彼はステージをやり切るために身体を鍛えてますから、まだまだイケますよ! むしろ、これから何をやらかしてくれるんだろう?っていう期待しかない。またオールナイトをやってほしいですね(笑)。もちろん私も身体を鍛えて着いて行きます。筋トレは最近休んでますけど、鳶の仕事で20代の子と同じ重さの物を持ったりして、できる限り体力的な努力はしているつもりです。ファン歴50年になったときは、もっと筋肉ムキムキになってるかもしれませんよ(笑)。
――30年以上のファンから見て、昔と比べると長渕の魅力は変わってきましたか?
器がどんどん大きくなっていきましたね。曲にしても発言にしても、昔は怒りのほうが強かったですけど、今は長渕剛がみんなを抱きしめるような温かい曲が多くなりましたね。
――そうした長渕剛の変化に感化されて、小林さんにも変化はありますか?
「すごく丸くなった」ってよく言われます(笑)。昔の私は、よく怒ったり怒鳴ったりしていて、今とは目つきがまったく違っていました。自分としては、やさしさの裏返しでそうした感情の出し方になっていたんですけど、それだと単に自分の感情をぶつけているだけで、相手には何も伝わらない。そうではなく、やさしい静かな口調で自分の気持ちを伝えなきゃいけない。そのことに気づかせてくれたのが長渕剛で、やっぱり彼の影響は大きいですよね。
――ところで、先ほどから長渕剛について語るたびに目に涙を浮かべていらっしゃいますが、それはどんな感情なんでしょうか?
長渕のことを思っただけで泣けてくるんです(泣笑)。こういう感情になるのは、私の人生の中で祖父と彼だけですね。それくらい想いが強いです。
――あらためて、小林さんにとって長渕剛とはどういった存在ですか?
同士であり、戦友であり、親友であり――。実際に彼と話したことがあるわけでもないのに、なんとなく彼の気持ちがわかっているつもりなんです。これは私の想像ですけど、彼ほど弱い人間はいないと思う。その裏返しで強く生きているんだと思うんです。私もまったく一緒で、素直に自分を見つめてみると、本当はすごく弱い人間で、その裏返しで熱い人間であろうとしているんですよね。
――現在55歳でまだまだ先は長いですが、長渕ファンとしてこれからは?
彼が辞めるまで、私はずっとファンです。たとえ辞めたとしても、ずっと心の中でファンであり続けると思う。嫌いになる要素がまったく見つからない(笑)。
――居酒屋もずっと続けていくつもりですか?
続けます。自分が辞めようと思ったときが定年ですからね。私の夢は、カウンターでお酒を作りながら立往生することなんですよ(笑)。私も命がけで一生をまっとうするから、長渕剛も頑張ってほしい! 彼にはそう伝えたいですね。
神奈川県横浜市神奈川区台町7-7
最寄り駅:横浜駅より徒歩約7分
営業時間:金曜・土曜日の18:00~23:00
☎080-6774-2030
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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