捨てずに集め続ければ博物学になる⁉ ラベルや缶など150種を蒐集する庶民文化研究家・町田忍のこだわり

「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。

どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。

そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。

今回は、庶民文化研究家として雑誌の連載やテレビのコメンテーターで活躍する町田忍さんのご自宅にお伺いしました。150種類もの品々を蒐集しているだけあって、そこは昭和レトロな秘密基地といった雰囲気。長年集め続けることで見えてくるものとは?

今回のtayoriniなる人
庶民文化ファン歴62年/町田 忍さん(72歳)
庶民文化ファン歴62年/町田 忍さん(72歳) 1950年東京都目黒区生まれ。
庶民文化研究家、日本銭湯文化協会理事、エッセイスト、コメンテーター、写真家、旅行作家。和光大学人文学部芸術学科に在学中、学芸員の実習で行った国立博物館で博物学に興味を抱く。学生時代は全国各地に鉄道の旅をし、ヒッピーとしてヨーロッパ諸国を放浪。その後、警視庁警察官勤務を経て、クラフト作家となる。32歳から銭湯巡りを始め、全国の銭湯約4000軒を訪ねる。
少年時代からチョコレートのラベルやドリンクの缶を蒐集し、その種類は納豆ラベル、正露丸、ご当地薬、マッチ、蚊取り線香、ポケットティッシュ、エチケット袋など150種類を数える。主な著書に『戦時広告図鑑』、『納豆大全』、『銭湯の謎』、近著に『懐かしの昭和家電百貨』、『町田忍の昭和遺産100』がある。

チョコレートのラベルから始まり、今では150種類もの品々を蒐集

――チョコレートラベル、納豆ラベル、正露丸など150種類を蒐集し、庶民文化研究家を名乗られていますが、その他にも銭湯やホーロー看板の研究など非常にフィールドワークが多岐に渡っていて、どれにテーマを絞って聞けばいいのかわからないくらいです。まずは蒐集についてお聞きできますか?

町田

10歳のときに集め始めたチョコレートのラベルが最初でしたね。一番長く集めていて、数でいうと1万点以上になるけど、多すぎてもうわからないくらい。

――当時はチョコレートが高級品だったから、捨てるに忍びなくて集め始めた感じですか?

町田

超高級品でしたね。普段買ってもらえないから、記念にラベルを取っておいたのが発端です。
このオレンジジュースの缶なんて遠足のときのものだけど、1954年のものだからね。
それまでチョコやジュースがあまりなかったところへ、いろいろな市販品が出てきて珍しかったんです。これまでにない垢ぬけたデザインも新鮮だったんですよね。

――それからどんなふうに蒐集が広がっていったんですか?

町田

1965年から歯磨き粉を集め始めて、1968年からマッチ、1973年から納豆ラベルを集め始めました。納豆ラベルも1万点近くあると思います。
お菓子も板チョコだけでなく、ミルクキャラメルとか須昆布とか、いろいろなものを集めましたね。それから崎陽軒のシュウマイ弁当に入っている醤油入れの「ひょうちゃん」とかね。これも時代ごとにデザインが変わるんですよ。

子供の頃は他の子と同じようにメンコを集めていた。「子供って同じ形の物を昆虫採集の標本みたいに並べたがるじゃないですか。それが僕の原点なんです」と町田さん。

――町田さんの蒐集のスタンスを教えてください。

町田

忘れ去られてしまうもの、変化していくものですね。
基本的に庶民生活におけるあらゆるものを対象にしてます。

――それは、誰かが集めて取っておかないと忘れ去られていく……という思いで?

町田

そうなんです。いい例が、大森貝塚を発見した学者のモースですよ。
彼は江戸末期から明治期の庶民生活の物をいろいろ集めてアメリカ本国に送っているんです。金平糖だとか神棚だとか草履といった日常的なものなんだけど、それらはモースがいなければ残らなかったものなんですよ。
普通の博物館や美術館に保管されているものは、たいがい高価な美術品だから残っているのであって、普通に庶民に使われていた消耗品は、誰も取っておこうとは思わないですよね。
日常的に使われているものほど後世に残らないものなんです。

――なんとなく集めていたのが、次第に「庶民文化を残す」といった使命感を帯びてきたわけですか?

町田

そんな大それた使命感なんて持ってないですよ。
愛しさを感じるというか、自分の思い出として取っておいているだけです。
だから古いものをネットで探して買うようなことはしない。高いお金を出して人から買ったものには、自分の思い出がないからね。僕が集めたものは、自分がこれまで生きてきた日常の中で集めてきたものだから、一つひとつに思い出があるんです。
だから僕はコレクターではないんですよ。

学生時代に買ったニコンFを今も愛用している。「スライド式で大変だし、露出も難しいし、フィルム代でお金もかかる。だけど慣れてるから使い勝手がいいんですよ」と町田さん。

――集めた物を博物学的に研究するようになったきっかけを教えてください。

町田

大学在学中に学芸員の資格を取るために上野の国立博物館の実習に行ったんですよね。そのときに分類学や博物学の手法にヒントを得て、集めたものを時代ごとに整理するようになったんです。

――学生時代は日本各地に鉄道旅をしたり、ヒッピーとしてヨーロッパを放浪したりしていたそうですが、どんな若者でしたか?

町田

僕が学生だった頃は、70年安保闘争の真っただ中で、大学に行ってもロックダウンが多くて授業が中止になってばかりだったから、時間がたっぷり取れたんです。それでアルバイトをしてお金を貯めては旅行していたわけです。鉄道研究会の活動では、北海道から九州まで鉄道の写真を撮りに行っていて、僕の場合、鉄道から写真に入ったんですよね。
ヒッピーは、あの頃ちょうど流行っていたんですよ。
いろいろな大学のサークルに声をかけて150人くらい集めて、みんなで航空会社のチャーター便を使って格安のヨーロッパ旅行をしましたね。アムステルダム着で、2カ月後にパリ発だったんだけど、その2カ月の間に各自が自由に旅をする。物価が安いアフリカに行く人が多かったけど、僕はイタリアやスイスなどヨーロッパの7カ国を回りました。

――そのときに飛行機のエチケット袋を集め始めたそうですね。

町田

お土産の代わりにエチケット袋を持ち帰ったのがきっかけでしたね。
その後、東南アジアを旅したり、アメリカに旅行するたびにいろいろな航空会社のエチケット袋をもらってきたり、海外旅行をした友達からもらったりして集めていきましたね。

学生時代からコーラの缶を集めていたが、あまりに場所を取るため、ほとんどを人に譲ってしまった。今残っているのは、コカコーラとペプシを除く珍しいコーラ限定だ。

銭湯巡りがきっかけで著述業に転身。町のハンターとなる

――その後、警察官になったそうですが、ヒッピーと警察官って真逆のような気がするんです。なぜまた警察官に?

町田

僕の中では真逆でもなかったですけどね。
父親が警察官だったことと、子供の頃にボーイスカウトに入っていて制服が好きだったから、なんとなく警察官の試験を受けてみたら受かったという感じです。
飯田橋の交番勤務だったんだけど、警視総監賞と署長賞をもらうくらい真面目にやってましたよ。1年半しかやってないけどね。

警察官時代の町田さん。蒐集が趣味の警察官なんて、まるで『こち亀』の両さんだ。作者の秋元治氏に取材されたこともあるそうだが、趣味の話ではなく、警察学校の話を聞かれた。

――警察官は定年まで勤め上げる人が多いように思うんですが、なぜ1年半で辞めて、庶民文化研究家になられたんですか?

町田

僕は芸術学科の学生でしたからアクセサリーを作る技術があって、ヒッピー時代に路上でアクセサリーを売ったりしていたんですね。
そのつながりもあって、「目白にクラフト学校ができるから講師として来ないか」と誘われたので、警察官を辞めてクラフト学校の雇われ講師になったわけです。
当時はレザークラフトの作家として、この業界じゃけっこう有名だったんですよ。銀座の和光に作品を卸していたくらいだから。
ところがクラフト学校の運営会社が倒産しちゃったんです。講師の仕事がなくなったので、自宅の2階を使ってクラフト教室を開いたところ、そこの生徒さんが全員来てくれて、それから細々とクラフト教室をやっていたんですよね。

蒐集物の画像をファイリングすることで、いちいち保管場所から引っ張り出さずに確認できる。蒐集物がかぶらないようにするためにも必要なことだろう。

――ヒッピーから警察官、そして今度はクラフト作家。変化に飛んだ人生ですね(笑)。

町田

クラフト教室をやっていたときに銭湯巡りを始めたんですよ。
オーストラリア人の友達が家に遊びに来たので近所の銭湯に連れて行ったところ、「なぜお寺風なんだ?」と彼に聞かれたんだけど、わからなくて答えられなかった。それで銭湯を研究してみようと思って、32歳のときに東京の銭湯を回り始めたんです。
今、東京にある銭湯は400軒くらいだけど、当時は1800軒くらいあったんです。イエローページを写して、地図に銭湯の場所の印を付けて、自転車で東京中の銭湯を回りました。当時はパソコンもスマホもなかったから大変でしたよ。
それが次第に広がって、北海道から沖縄まで4000軒ほどの銭湯を巡りました。
それでわかったのが、宮造りの銭湯は東京にしかないということ。関東大震災の復興期に人々に元気になってもらおうということで宮造りの銭湯を建てたところ、これが大評判になって宮造りの銭湯が次々と東京にできていったわけです。

町田さんが銭湯巡りを始めたとき、全国に18000軒ほどあった銭湯も今や2500軒ほどに激減。つまり4000軒の銭湯巡りをした町田さんの記録を超えることは、もはや不可能なのだ。

――その後、著述業が中心になっていったようですね。

町田

東京の銭湯を400軒くらい回ったところで朝日新聞に小さな記事が載ったんです。それがきっかけで銭湯の写真展をやることになって、銭湯の写真集を出したんです。
それからやたらと銭湯の取材が来るようになって、出版社の人が家に来ると、他にもいろいろな蒐集物があるから「今度はこっちのテーマで書いてくれ」ということになって、40代半ばから執筆の仕事が増えていったんです。

――蒐集物に関する著作のほか、銭湯巡りや街歩きの本も多いですよね。

町田

銭湯巡りや旅が仕事になっていったんですよ。当時は『散歩の達人』や『文藝春秋』でも連載を持っていたからね。
出版社の経費で日本各地に取材に行くと、ついでに自分の研究対象の取材もしちゃうわけ。
たとえば町歩きのついでにホーロー看板を写真に撮ったり、ご当地薬を見つけて薬屋さんに取材したり、むしろ自分が興味あることをメインにしちゃってさ(笑)。

銭湯巡りや町歩きで行った場所は300カ所ほどで、地域やジャンルごとにファイルに整理している。オススメの場所を聞くと「港町」とのこと。なぜなら港町には銭湯が多いからだ。

――蒐集、銭湯巡り、写真、旅行など一見バラバラのもののようですけど、全部つながっているんですね。そういう視点で町歩きをすると、なにげない町が宝の山みたいに見えるんじゃないですか?

町田

僕はよくこう言うんだけど、町のハンターなんですよね。
町をジャングルだとすると、そこに擬態した獲物が隠れていて、それを発見するわけです。

――昭和ハンターですね!

町田

そうそう。ただし僕は昭和レトロなものだけでなく、明治や大正のものも写真に撮るけど、やっぱりどうしても昭和の方が思い入れがある。なにしろ自分が生きてきた時代だし、一番変化があった時代だし、今も町にいっぱい残っているからね。

町で昭和レトロなものを見つけると写真に撮り、当時を思い出しながら写真を絵にして楽しんでいる。雑誌の表紙イラストを描く仕事もしているが、本人曰く「器用貧乏」とのこと。

長年集めていると謎が出てくる。そこに知的遊びがある

――昭和という時代は、急激に日本が豊かになってテレビや自動車が普及し、庶民生活が目まぐるしく変わっていった時代ですよね。

町田

やっぱり何千年という日本の歴史の中でも特別な時代ですよね。
僕が少年時代を過ごした昭和30年代にテレビ、冷蔵庫、洗濯機という三種の神器が登場したわけだけど、パソコンの登場を除いて、今ある変化はこの時代に登場したものの延長線上なんですよ。だから感激度が違いましたよね。
それ以前は江戸時代とあんまり変わらなくて、電話が登場するまで連絡手段は手紙か駅の伝言板くらいしかなかったわけだから。そう考えると本当にすごい時代の変化ですよね。
昭和30年代の中頃からさまざまな新商品が一気に登場したわけだけど、時代のあだ花のように現れては消えていった商品もいっぱいあるわけです。でも、そういう物の中にも歴史がある。
消えていくような物を一貫して集めることも、ひとつの博物学だと思いますね。

旅館の歯磨き粉や櫛などの備品も蒐集している。庶民文化研究としては、こうしたすぐに捨て去られるような消耗品を保存しておくことに意味がありそうだ。

――一貫して集め続けることで、どんなものが見えてくるものですか?

町田

数を集めていくうちに謎が出てくるんです。
たとえば正露丸だったら、なぜ「征露丸」ではなくなったのか?という謎が出てきて、直接、発売元に取材したり、国会図書館に行って昔の新聞を調べたりして、謎を解いていくんです。誰も調べたことがないことを、ひたすら自分で調べるっていう知的遊びなんですよ。
よく会社の社史に商品の成り立ちが書いてあるけど、基本的に僕は社史の情報は疑います。昔書かれた社史の丸写しだったりするし、大手の社史は都合のいいように改ざんされていることがあるからね。
だから独自調査をするわけだけど、これがけっこう面白くて、いろいろ調べましたね。
たとえばグリコキャラメルのランナーのイラストのモデルとなった写真を調べたり、なぜ金鳥の蚊取り線香だけが左巻きなのかを調べたりね。

――これから蒐集してみようという人にアドバイスするとしたら、どんなものを集めるといいと思いますか?

町田

自分の思い出がある身近なもので、安い物を集めるといいでしょうね。
消耗品でデザインが変化するものを集めると面白いと思います。あとはなるべく数が多いもの。あまり出回ってないものを集めても個体数が限られますからね。
そして、買った物の裏にすぐに年代やメーカー名を書いておくことです。同じ種類の物でも時代の変化がすごくありますから、細かいデザインの違いや解説文の違いを見つけるのも面白い。
僕なんて大金持ちが絵画を集めて喜ぶのと同じくらいのレベルで喜びますからね。

蒐集物を種類ごとにケースに入れて保管しているが、とにかく量が多いため大雑把に分けているのだとか。これをきちんと整理するには、100年くらい時間が欲しいそうだ。

――身近なものを集めることで、何気ない日常がちょっと楽しくなりそうですね。

町田

ある意味、茶道の世界みたいなものなんですよ。
いい大人が狭い茶室に集まって、茶器を見てああでもないこうでもないって語り合ったりしていて、よくよく考えてみると茶道ってバカバカしいでしょ。だけど、そこに知的遊びがある。
若い頃、雑誌の文通欄にマッチ箱のラベルを集めていることを書いたら、同じくマッチを集めている青年から連絡があって、彼のアパートに遊びに行ったことがあったんです。そしたら同好の士が何人も夜な夜な集まって、マッチのラベルの微妙な違いについて延々語り合っていたんですよ。それを見て「これは茶道と同じだ」と思いましたね。

――その境地に至るには、長年集め続ける必要がありそうですね。

町田

10年も集めると何かしら商品の変化が出てくるものなので、最低10年は同じ物を集めないと面白味はないですね。
新しいものでも10年後には古いものになるので、けっこう重要なんです。

――長く集め続けるための心がまえを教えてください。

町田

やるぞ!ってあんまり気張っちゃうと続かないですね。
僕の場合、定期的に近所のコンビニやドラッグストアを巡回するくらいで、特別なものだからって遠くまで買いに行くようなことはしないです。
淡々とした感じで無理して集めない。力まないのが一番ですよ。

――それが最大のコツなんでしょうね。本日はありがとうございました!

町田さんの書斎は、昭和レトロな趣味部屋でもある。72歳の今なお原稿執筆やイラスト描き、そして蒐集物の整理など、多忙な日々を送っているのだ。
浅野 暁
浅野 暁 フリーライター

週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。

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