インタビュアーが伝えたい「親が死ぬ前にやっておけばよかった10のこと」<聞いておけばよかった編>

19年前に父を、3年前に母を亡くしました。
父は肺がんの末期と診断されてから、わずか半年後に他界。64年の生涯を閉じました。

私は父が亡くなるまでの半年間、東京から実家の茨城に帰り、最後のひとときをともに過ごしましたが、それでも「あれをしておけばよかった、これもしておけばよかった」と、思い出すたびに後悔の念にかられます。今ではさすがに悲しみは癒えたものの、亡くなって3年間は喪失感や悔いもあって、父の使っていた茶碗や箸を見るだけで突然涙があふれてしまう……そんな苦しい毎日を送っていました。

父のことがあったので、母に対してはなるべく悔いのないように接してきましたが、やはり心残りはあるものですね。母は脳梗塞から認知症を発症し、81歳で亡くなるまでの5、6年はほとんど会話が通じない状態だったので、進行する前のまだ意思疎通ができるうちに「もっと話をしておけばよかった」と、そのことが悔やまれます。

これから、父母の死を経験して感じた「親が死ぬ前にやっておけばよかった10のこと」を2回に渡ってお届けします。前編では、「親と一緒にやっておけばよかったこと」や「親に聞いておけばよかったこと」5つについて、リアルなエピソードとともに綴っていきます。

このエピソードの中には、私自身が人々の仕事観や人生ストーリーを取材する「インタビュアー」だからこそ感じる、独特の観点も含まれています。その点も踏まえて、お読みいただけたらと思います。それでは、早速どうぞ。

<親と一緒にやっておけばよかったこと>

1.親の生き生きした写真をもっとたくさん撮っておけばよかった

父の末期がんが判明する前。まだ元気だった20数年前は、スマホのように素早く綺麗に写真が撮れるツールがなかったため、気軽に家族のショットや日常のワンシーンを撮影する習慣がありませんでした。それにお盆やお正月に帰省した時に、わざわざデジカメを取り出して親と一緒に写真を撮るかというと、そんな気恥ずかしいことはしません(笑)。必然的に、私が大人になってからの家族写真は、数えるほどしか残っていませんでした。

困ったのは、父が亡くなった直後に遺影用の写真を探した時です。「これだ!」と思えるものがなく、やけに若い頃の写真を遺影にする羽目になってしまいました。

たった一枚だけ、実家で姉の長女(私にとっての姪)の誕生日会をした時に家族全員で写真を撮ったことがありました。それは父が亡くなる3週間前のことです。全身ががんにむしばまれ、身体は痩せ細り、明らかに顔色も悪い状態でした。パジャマ姿の、力ない父のほほえみが痛々しくて、私はその写真を今でもまともに見ることができません。

見ると悲しくなるような写真は撮るものじゃないですね。それでも大切な思い出だから、捨てるわけにもいかず、今も実家のアルバムの隅に眠ったままです。父がもっと元気な時にたくさん写真を撮っておけばよかった。もっと生き生きした瞬間をとらえて残してあげたかった。それが、私が今も悔やんでいることの一つです。

2.親が元気なうちに一緒に旅をして思い出をつくりたかった

子どもの頃、ドライブが好きな父の車で、よく旅に行きました。日光、那須塩原、会津若松……地元の茨城から金沢まで丸一日かけて、旅をしたことが家族との最も楽しい記憶です。

父が末期がんとわかって、最初の3カ月間は父もスタスタ歩けていたし、病院まで自分で車を運転して通院していました。その時私は、「また家族で旅行に行きたいな」と、ふとアイデアが湧きました。というのも、いつも病院と家の往復ばかりで、もしこのまま死んでしまったら、家族との最後の楽しいひとときや思い出が少なく、味気ないなと思ってしまったからです。それに私が大人になってから、一度も家族と旅行に行っていなかったから……。

(左)は無邪気な小学生時代の家族旅行の写真。(右)は中学生の頃、家族4人で金沢に行った時の写真です。父は一人で10数時間も運転して疲れ切っていますが、兼六園や武家屋敷を誰よりも楽しんでいました

でも私は、この病気を治そうと本気で頑張っていた父に「旅行に行こうよ」と誘うことはできませんでした。このタイミングで誘ったら、なんだか「最後の思い出をつくる」みたいに受け取られて、傷つけるんじゃないかと勘ぐってしまったからです。本人は、おそらく自分の死が近いことを薄々わかっていたけれど、それを認めたくなくて、最後まで生きることを強く望んでいるように見えました。死を受け入れていない人に「思い出づくり」を匂わすのは、残酷ではないかと感じてしまったんです。

父のがんが発覚する前、私は26、7歳で、自分の仕事や遊びにばかり夢中で親と一緒に過ごす時間なんて、どうでもいいと思っていました。どうせ、まだまだこの先も長く生きるとタカをくくっていましたから。でも、家族が死ぬかもしれないような重篤な病気にかかってしまうと、いろんな意味で「容易に旅には誘えない」ということがよくわかりました。やっぱり親が元気なうちに、病気が見つかる前に家族みんなで旅の思い出をつくりたかったな、というのが正直な想いです。

<親から聞いておけばよかったこと>

3.親がどんな人生を歩んできたか? 話を聞いておけばよかった

父が亡くなった時のこと。告別式が終わった後も連日多くの人が弔問に訪れ、「お父さんは子どもの頃、ガキ大将でやんちゃだったんだよ」とか、「太っ腹でいつもおごってくれた。面倒見のいい人だったよ」と思い出を語ってくれました。父の知られざる一面をいろんな人から聞くうちに、私は父がどんな人生を生きてきたのか? 実は何もわかっていないんだな……と、しみじみ感じました。

父母は戦争を経験しています。終戦の時に父は11歳、母は9歳でした。2人とも長男、長女だったことから、きっと弟や妹たちの面倒を見たり、家族のために率先して家の手伝いをしたりと人一倍、苦労を背負ってきたんじゃないかと想像します。明日をも知れぬ、過酷な毎日をどう生き抜いてきたのか? そこからどんな風に大人になって、2人は出会い、結婚したのか? ほとんど知らないまま、今に至ります。

父母のこれまで歩んできた人生の道のりについて、少しでも聞く時間を持っていたら、1人の人間として父母のことをもっと深く理解し、誇りにさえ感じられたかもしれません。そして、今後自分が生きていくための力強い支えにもなってくれたと思うのです。

私は25歳の時から、様々な人の仕事観や人生ストーリーを聞くインタビュアーの仕事をしてきました。なのに、一番身近で大切な人の人生についてはまったく聞こうともしませんでした。話す時間はいっぱいあったはずなのに、いつも肝心なところはお互い言わないし、聞きもしない。そんな、遠慮がちな親子関係だったというのもあるかもしれません。

もし生きていたあの頃に戻れるなら、もっと2人と話をしたかった。どんな子ども時代を送っていたの? 何が好きで、何を大事に生きてきたの? 私が生まれてどんな気持ちだった? 答えのない、「問い」ばかりが浮かんでしまいます。

4.自分の名前。なぜ、この名前に決めたのか、理由を聞いておけばよかった

子どもの頃、親に無邪気に聞いたことがあります。「なんで『良子(りょうこ)』という名前にしたの?」と。すると、母から「地元の神社で3つ名前の候補をもらってその中から決めたんだよ」と返事が返ってきました。子どもだけに、おそらくそこで満足しちゃったのでしょう。なぜこの名前に決めたのか、どんな意味を込めているのか、未だ解明できていません。

そのまま名前のことは忘れて大人になり、ある本を手にした時に、「名前にはその人の使命が隠されている」という言葉を目にしました。「そういえば……名前の意味って、結局親に聞かないままだったな」と思い出しましたが、時すでに遅し。聞こうと思っても、父母はこの世にいませんでした。

自分の名前の意味や理由を知らなくても、幸せに生きていけます。知らないからといって、どうってことありません。でも、名前には親が子に託した想いや希望が、きっとたくさん詰まっている。たとえ神社で名付けてもらおうが、祖父母が考えたものだろうが、最終的にこの名前で行こうと決めたのは自分の親です。

生まれて初めての、親から子への贈り物とも言える名前――。その名前に込めた想いをもし知っていたならば、もっと自分の名前を好きになれたかもしれないなって。「なんとなく直感で選んだだけだよ!」という軽い返事であっても、その裏にある親の愛情や自分の誕生のルーツを感じてみたかったです。もうそれを知ることができないのだと思うと、ちょっと切ないです。

5.親の「最後の望みや心の声」を聞いてあげればよかった

父と母は、最後に思い残すことはなかったのだろうか?
今でも、2人が生きていた頃のことを思い出します。

父を看取るまでの半年間、私は実家で一緒に過ごし、少しでもがんが良くなるための治療法を探したり、免疫を上げる食事をつくったりと日常的なサポートをしてきました。でも、その甲斐もなく、がんは進行。身体が思うように動かなくなるにつれ、すぐれない表情でソファに佇む姿をよく見かけるようになりました。

紙の卸売会社を興し、小さいながらも社長を務めていた父は、会社や従業員のことがずっと気がかりだったのでしょう。いつも携帯電話とメモ帳と握りしめ、亡くなる直前まで片時も離しませんでした。弱音を吐かない人でしたから、子どもに「辛い」「苦しい」と胸の内を打ち明けることはないにしても、私のほうから「何か手伝うことはある?」とか、「何か気になることがあったら言ってね」とか、声をかけられたはずです。亡くなる前の2カ月間は一人苦悩を抱え込んでいるように見えましたが、私は自分が受け止められないことが怖くて、何も言わずに静観し続けてしまいました。

母に対しても心残りがあります。
母はすでに父が亡くなる前から認知症を発症していて、自分からあまり意思表示をしないことから、私が勝手に「こうすれば喜ぶんじゃないか」と時々外に連れ出したり、好物のおかずを出したりしていました。

歩行や食事が困難になってくると、自宅で介護するのが難しくなり、特別養護老人ホームに入ってもらうことになりました。ある朝、母に「いいホテルがあるから行ってみようよ」と、迎えに来た施設のワゴンに乗せると、不安げな表情を浮かべながらも、「バイバイ」と私に向かって手を振っていました。母のその姿が今でも目に焼き付いていて、忘れることができません。

それまで「認知症だから、たぶん説明してもわからないだろう。本人に意思を確認しても答えられないだろう」と、はなから会話をするのをあきらめ、なんでも私の一存で進めてしまいました。

私は、一度でも母の望みをちゃんと聞いたことがあるだろうか? 声にならない声に、一度でも耳を傾けたことがあるだろうか? 最後ぐらい、親の心の声に耳を傾けてもよかったんじゃないかって悔いが残るのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんだか親への懺悔のコーナーみたいになってしまいました。
自分の過去の苦い経験がどなたかのお役に立てればと思い、綴らせてもらいました。
後編では、「私自身が親に伝えておけばよかったこと」5つについてお伝えしますので、続けてご覧ください!

【後編の記事はこちら】

2021/08/11

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伯耆原良子
伯耆原良子 インタビュアー、ライター、エッセイスト

日経ホーム出版社(現・日経BP社)にて編集記者を経験した後、2001年に独立。企業のトップから学者、職人、芸能人まで1500人以上に人生ストーリーをインタビュー。働く人の悩みに寄り添いたいと産業カウンセラーやコーチングの資格も取得。12年に渡る、両親の遠距離介護・看取りの経験もある。介護を終え、夫とふたりで、東京・熱海の2拠点ライフを実践中。自分らしい【生き方】と【死に方】を探求して発信。

Twitter@ryoko_monokakinotenote.com/life_essay 伯耆原良子さんの記事をもっとみる

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