「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、78歳の今なお医師として診療を続ける傍ら、『鬼平犯科帳』の原作ファンとして、6冊の鬼平研究本の著書を持つ松本さんにお話を伺いました。2024年に予定されている『鬼平犯科帳』の映画化とテレビ時代劇の前に、原作の世界をじっくり味わってみてはいかが。
――池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』に出てくる神社仏閣や川、堀、橋、坂などを訪ね歩くという著書をお持ちですが、その一方で、78歳の今も泌尿器科の医師として診療しているそうですね。どんな日々を送られているんでしょうか?
58歳で公立病院を退官して、60歳からは春日クリニックと我孫子東邦病院の2カ所で顧問として勤務しているんです。わがままを聞いてもらって平日の午前中だけの診療にしてもらっていて、平日の午後と土日は自由に使えるので、鬼平ゆかりの地を歩き回ることができたんですね。現役時代のようにフルタイムで働いてたら、なかなかこうはいかないですよね。
――『鬼平犯科帳』にハマったきっかけを教えてください。
第26代海上幕僚長の古庄幸一さんという友人がいるんですが、63歳の頃、二人で飲み屋で一杯やっていたわけです。酒の席でこれまでに感動した本の話になったんだけど、私はもともと本を読むのがあまり好きじゃなかった。そしたら古庄さんから池波正太郎の『鬼平犯科帳』を薦められて、「寝ながらにして男のダンディズムとリーダー像が勉強できる」と言うわけです。古庄さん自身が鬼平ファンで、護衛艦に『鬼平犯科帳』全24巻が積んであったそうです。
――63歳から読み始めたわけですか。初めて読んだ『鬼平犯科帳』の感想は?
その古庄氏との飲み会の帰りに本屋に寄って第1巻を開いてみたんですが、第1話「唖の十蔵」の<小野十蔵が、目ざす家の前へ立ったのは、その日も夕暮れになってからである。光照寺という寺の横手に、その小間物屋があった。>という出だしの2行を読んだ瞬間、全身に電気が走りましたね(笑)。それまで長い小説を読んだことがなかったんですけど、波長が合ったというんですかね。
当時は電車通勤をしてましたから、通勤の行き帰りに『鬼平犯科帳』を読むようになって、いったん全24巻を読み終えたんですが、もう一回最初から読んでみようと思って再読したところ、今度は「光照寺という寺は本当に浅草にあるのか?」と気になりはじめたのが、鬼平ゆかりの地を訪ねるきっかけでした。
――一番最初に登場する寺ですよね。実際にあったんですか?
あるにはあったんですけど、「光照院」という寺だったんですね。だけど池波さんの小説には「光照寺」と書いてある。副住職に聞いてみたところ由緒書を見せてくれて、そこには元禄5年(1692年)当時、すでに「光照院」となっていました。そこで疑問がわいて、江戸切絵図で確認してみると「光照寺」となっている。
つまり誤字なんですね。江戸時代の地図っていうのは、いい加減といえばいい加減なもので、けっこう字が間違っていたりするんですよ。池波さんは古地図を元に小説を書いてますから、そのまま「光照寺」と書いたんでしょうね。
――それから地名を確認する視点で読むようになったわけですか。
そうです。全24巻・全135話には神社、寺、川、坂など膨大な数の地名が出てくる。よし、一生かかっても全部行ってやろう!と思いましたね。
それから古地図と現代の地図を両方持って都内をぶらぶらしだしたんです。途中からはアプリも使うようになって、現代と江戸の地図を比較しながら歩くわけです。
――現地を歩きながら原作を読むと、読み方に深みが増しそうですね。
3回目に読むとまた新しい発見があって、4回目、5回目と読むたびに発見があるんですよね。自分で歩いたり本を書くために繰り返し読んで、これまでに20~30回は読んでる勘定になるんじゃないかな。だから全135話すべて頭に入ってますよ(笑)。
筋だけ読めば「ああ、面白かった」で終わっちゃいますけど、何度も読んだり現地に行ったりしているうちに『鬼平犯科帳』がより身近になってきて、ますますのめり込みましたね。
――やはり『鬼平犯科帳』に登場した地名を見つけるとうれしいものですか?
そりゃあそうです。たとえば第1話「唖の十蔵」に王子の三本杉橋という橋が出てくる。もちろん今はないんだけど、橋があったことを示す石柱があるんです。ところが、二回行ってもどこにあるのかわからない。実はゴミ集積所になっていて、三回目に行ったときゴミが撤去されていて石柱が見えた。それはもう、あったー!って感激しましたよ(笑)。
そうやって行った所を一つひとつ消していくんですけど、63歳から行きはじめて、全135話に登場した地名を踏破するのに12年かかりましたね。
――やはり『鬼平犯科帳』の世界観に入り込んで歩くわけですか?
なぜ自分はここに来たんだ?と常に考えながら歩いてますね。
『鬼平犯科帳』を巡る旅の本はたくさんあるんですが、ある種の観光ガイドみたいな感じでエリアごとにまとめて紹介されている本が多いんです。それはそれでいいと思うんですけど、私は第1話から第135話まで順番に訪ねて行くことにこだわりたかった。
さっきの三本杉橋の場合だと、長谷川平蔵が「野槌の弥平」という盗賊の盗人宿に討ち入りをかけたときに集合したのがその橋なんですが、物語どおりに王子稲荷から三本杉橋まで歩いてみて、なるほど、と納得して帰るわけです(笑)。
――シリーズ5巻におよぶ『小さな旅 鬼平犯科帳ゆかりの地を訪ねて』はものすごい労作ですが、あらためて、どんなことが大変でしたか?
江戸時代の地名だから今はない場合もあって、場所が見つからないということがよくありましたね。それから困るのが、あるにはあるんだけども、広域の地名だけが書いてある場合ですね。
たとえば「東海道・藤枝に近い下之郷」と書かれているから実際に静岡県藤枝市の下之郷に行ってみるわけですが、田んぼが広がっているだけで何があるわけでもない。もう少し具体的に寺や神社が書かれていれば訪ねられるんだけど、漠然とした地名だけの場合が一番大変ですね。
――漠然と一言だけ書かれた地名でも、とにかく行くんですか?
行きます。1カ所でも省いたら何もかもいい加減になると思ったので、絶対に省かないで行くことに決めてました。
広域の地名でよくあるのが盗人の故郷というパターンで、盗人の通り名や異名が地名から付けられていることが多いんです。たとえば盗賊の故郷として「出羽の高畠」という地名が出てきたら、実際に山形県の高畠まで行きます。行った証拠として江戸時代を想起させる古城の石垣や堀を写真に撮って帰るわけですね。それはもう勘定できないくらい全国各地に行きましたよ。
――鬼平ゆかりの地を目的地にして、ついでに観光や温泉を楽しんだりは?
そんなつもりは毛頭ないです。だから京都を旅しても金閣寺も清水寺も行かずに『鬼平犯科帳』ゆかりの地だけ。たとえば「油小路二条下」と書かれていたら、その住所の所まで行って、駅から真っ直ぐ東京に帰ってくるんです(笑)。
――特に印象深かった鬼平ゆかりの地というと?
全部、印象深かったですけど、倶利伽羅峠(富山県と石川県の県境にある峠)は印象深かったですね。駅からタクシーで倶利伽羅峠の地蔵堂まで行ったんですよね。
――山深い峠道ですよね。タクシーの運転手さんからすると、なんの目的で?という感じじゃないですか。
謎ですよ(笑)。伊賀の奥馬野(三重県)にタクシーで行ったときは、原作では奥馬野に盗賊が盗んだ金を貯めておく盗人宿があることになっているんですが、実際は何もない山奥なんです。
運転手さんに「あの……お客さん、そこへ何しに行くんですか?」と聞かれたけど、私は目的を言わないことにしているから、だんだん口数が少なくなっていきましたね。一度も車とすれ違わないような山道ですから、怪しい奴だと思ったでしょうね。
奥馬野に行った証拠として無人の寺を見つけて写真に撮って、すぐに運転手さんに駅に戻るように言うと、もう黙っちゃいましたよ(笑)。
――江戸歩きに留まらず、川からも『鬼平犯科帳』に出てくるルートを辿ってみようとしたそうですね。すごい執念です。
当時の江戸は水運が発達していて主要交通機関でもあったわけです。だから『鬼平犯科帳』には舟の描写がたくさん出てきます。これだけ出てくるんだから、川から辿ってみたいと思っていたところ、新聞で「日本橋川リバーガイド」養成講座の募集が目に留まって、小論文まで書いて応募したんですよ。
ところが行ってみると、日本橋川の浄化や橋の構造を考えるアカデミックな講座でね。自己紹介のスピーチで<隅田川から日本橋川をさかのぼり、日本橋北詰に舟を着け、夜陰にまぎれて越後屋の前へ>という『鬼平犯科帳』のくだりを話して、「その場所を船から見たら面白い」と言ったんだけど、みんなしーんとしてましたね(苦笑)。
――そこまでするとは! それで目的は叶ったんですか?
結局そのときは叶わなかったんだけど、それから10年後の2019年に実現しました。
日本橋川リバーガイドクラブのメンバーに船のガイドをしている人がいたので、船を1台チャーターして、池波さんがベスト5にあげる「大川の隠居」のコースを川から辿ることができたんです。おそらく鬼平ファンの中でもここまでやった人はいないでしょうから、やった!という気分でしたね。
――あらためて、『鬼平犯科帳』のどんなところに魅力を感じますか?
私が一番好きなのは、文章のリズムです。池波さんの書き方が簡潔でわかりやすくて、非常に読みやすい時代小説なんです。その潔さに惹かれますね。
それと月なみですけど、やはり長谷川平蔵の魅力でしょうね。強くてかっこよくて、地位があって金もある。だけど部下にはやさしくて、下級の人間の実情もわかる。なにしろ長谷川平蔵は若い頃に飲む打つ買うの無頼の日々を送ってきたから、酸いも甘いも噛み分けている。そんなスーパーマンが長谷川平蔵なんですよね。
「寝ながらにしてリーダー像が勉強できる」という話をしましたけど、決断力があって、組織の命令系統が非常にわかりやすいというのも魅力です。今の時代のようにみんなで議論して決めるんじゃなくて、長谷川平蔵が決めたらトップダウンで一気に動く。そういうところが一番好きですね。
――『鬼平犯科帳』は時代劇や漫画にもなっていますが、そちらも楽しまれるんですか?
DVDも全巻持ってますし、漫画も全巻読んでますけど、原作ファンの私からすると別ものという感じで、やっぱり原作あっての時代劇であり劇画ですから、原作に勝るものはないですよ。
――映画化とテレビ時代劇の放映が発表されましたが、期待のほどは?
映画化やドラマ化で何度も繰り返し求められる国民的な時代小説ということでしょうね。松本幸四郎さんはいい役者さんでしょうから、どんな出来栄えの『鬼平犯科帳』になるか楽しみです。また原作との違いをじっくり見てみたい。
あとはテレビや映画からファンになった人が原作を読む再ブームが来てほしいですね。若い人の中から私みたいなマニアックな原作ファンが出てくるかもしれない。できれば私の本も読んで、光照寺にでも行ってみてほしいですね(笑)。
――12年かけて原作の全舞台を踏破したわけですが、今後はどんなふうに『鬼平犯科帳』と付き合っていきたいですか?
ここしばらく『鬼平犯科帳』を読んでなかったんですけど、新ドラマの発表があったとき、もう一回読んでみようと思いましたね。しばらく時間が経ってから読むと、また別の角度から新しい発見があるかもしれない。
実は次の本も書き始めていて、今度はちょっと切り口を変えて『鬼平、京へ行く』という本を作ろうと思ってます。前著で京都には一通り行ってますが、今度はそれをさらに詳しくやろうと思っていて、京都の三条白川橋から奈良県桜井市の大泉まで(約65km)鬼平が歩いたように歩いてみます。多少はきついでしょうけど、これはもう絶対にやり遂げたい。京都の本を作れば、私としては一通りやったなと思える。
あとは松本幸四郎さんが演じる5代目の『鬼平犯科帳』をゆっくり観て、天国で池波正太郎さんに報告するくらいですよ(笑)。
――本日はありがとうございました!
取材・文・撮影=浅野 暁
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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