デンゼル・ワシントン―老後に効くハリウッドスターの名言(7)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「日本の若いフィルムメーカーに励ましの言葉として言えることは
 “自分たちの芸術のために、文化のために、闘い続けろ!”ということかな」
――『キネマ旬報』1995年10月上旬号より引用

アメリカ映画の生きる伝説として、
全世代から尊敬される男デンゼル・ワシントン!
その偉大な足跡を振り返る!
 

信頼率100%! デンゼル先生は決して期待を裏切らない!

2020年、5月。アメリカである目撃情報が話題になった。白人警官と黒人男性がトラブルになっていたところに、1人の男が割って入っていたのだ。アメリカといえば銃社会であり、ささいな争いが生死を分ける。高田馬場で泥酔した学生が職質されているのとはワケが違う。

しかし、その仲裁者は両者を厳かな目つきで諭していたのである。事態は収束、最悪の事態は回避された。そして……。Tシャツに短パンというラフな格好、キャップとマスクで顔の半分以上が隠れていたが、その仲裁者が誰であるかは一目瞭然だった。アメリカが誇る名優、デンゼル・ワシントンである。

2020年現在、デンゼルがアメリカで最も尊敬を集める俳優の1人であることは疑いようがない。彼は歴史を切り開いてきた先駆者であり、65歳になった今なお業界の最前線で輝くスターだ。さらにブラック・パンサー役のチャドウィック・ボーズマンに演技の勉強のための金銭的な援助をしていたり、長男のジョン・デヴィッド・ワシントンが主演を務めた『TENET テネット』(2020年)が世界中で大ヒットするなど、若手へのケアも忘れない。

常に自らを高め続け、後進の育成も熱心に行う……それがデンゼルだ。本コラムではこれまで色々なスターを紹介してきたが、教師にしたいスターNo.1は間違いなくデンゼルであろう(スタローンは先生というより兄貴ってタイプだし、トム・クルーズやセガールだと生徒が死にかねないので……)。

今回はデンゼル先生の偉大なキャリアを振り返りながら、彼がスターであり続ける理由を考えていきたい。

【10代~20代】大学中退、しかし謎の予言が……

デンゼル・ワシントンは1954年にニューヨークで生まれた。母は美容院の経営者で、父は2つの教会を受け持つ牧師。必然的に両親不在の時間が多くなり、それなりの「悪ガキ」時代もあったそうだが、やがてスポーツに熱中するようになる。

大学進学を機に、本格的にフットボールやバスケで身を立てようと考えるが、入学先はスポーツの超名門大学だった。若きデンゼル先生は天狗になっていた鼻をブチ折られて、別の道を探すことになる。医者、科学者、ジャーナリスト……目につく全てに手を出すようになり、やがて芸術に辿り着いた。

そして授業の一環としてシャークスピアの『ハムレット』を朗読したが、後の名優とて最初は素人。この朗読は当時の彼に「演劇などには一切関わりたくない」と思わせるほどの大失敗に終わった。心が折れたデンゼル先生は、出席日数が足りずに大学を中退する。

大学をドロップアウトしたデンゼル先生は、実家の美容院を手伝いながら、ぼんやりとした日々を送る。しかし、そんなモラトリアムな日常で事件が起きた。ある時、美容院にルース・グリーンなる女性客がやってきて、彼女はデンゼル先生を見るなり、こう言ったという。「紙を持ってきてちょうだい」なんでもルースは予言があるというのだ。

普通なら「ちょっとなに言ってるか分からない」となりそうだが、そこはさすがのデンゼル先生。素直に紙とペンを手渡した。するとルースはおもむろに3つの予言を書いた。

「将来、僕(デンゼル)は数百万人を相手に喋るだろう」「世界中を旅するだろう」「何か意義ある転身をするだろう」……ルースが何者かは不明だが、ともかくこの予言は的中する。

挫折を味わったデンゼル先生だったが、その後にも子ども向けの舞台に立っていた。すると周囲から俳優活動に打ち込むべきとの声がかかり、再びデンゼル先生はやる気を取り戻し、本格的に演劇を学ぶために大学へ再入学。デンゼル先生は学生演劇に打ち込み、やがて教授から舞台関係者への推薦状を書いてもらうまでに成長するのだった。

しかも、その推薦状には、こう記されていたという。「もしこの青年を育てるほどの才能がきみにないなら、彼を受け入れないでほしい」何とも挑戦的な文面だ。こんな推薦のされ方をして、当のデンゼル先生もビックリしたそうだが、この手紙が彼の人生を決定的に変えた。

「ほんの22歳かそこらの僕をこんなに買ってくれるなんて。それほど自分のことを信じてくれる人がいるとは……(中略)僕はありがたく感じた。自分が恵まれているということにも気づいた。『僕ってそんなに凄いんだ!』っていうよりも、彼の後押しが僕の心に火をともしてくたからだ」推薦状を引っ提げて舞台に立ったデンゼル先生は、以後、舞台からテレビ、テレビから映画へと着実に活躍の幅を広げていく。

そして30を超える頃には『遠い夜明け』(1987年)でアカデミー賞助演男優賞候補になり、『グローリー』(1989年)では遂に同助演男優賞を受賞。俳優として大成功を収める。しかし、デンゼルはさらに高みを目指した。

【30~40代】デンゼル先生、怒涛の日々

俳優というのは、イメージ商売でもある。1度ブレイクしてしまうと、同じような企画と役柄が舞い込んでくるものだ。その道を極めるのも1つの人生だが、デンゼル先生は変化を取った。

誠実な役柄を演じていたデンゼル先生だが、90年代になると、意図的にそのイメージを破壊する作品に挑戦し始める。決定的な転機となったのは実在の黒人解放運動家マルコムXの伝記映画、その名も『マルコムX』(1992年)だ。

マルコムXは過激な思想/活動で知られており、1965年に暗殺されるまで犯罪、投獄、裏切りと、波乱の生涯を送った人物だ。何を隠そう演じたデンゼル先生本人も「黒人の間でも危険な人物とみなされていた」と振り返っている。

また監督のスパイク・リーもアグレッシブな人物だった。元々マルコムX伝は別の監督で企画が動いていたが、噂を聞きつけたリーが「マルコムXは、黒人にとって最も大事なヒーローだ」と反対運動を展開、遂に監督権をもぎ取ったのだ。昨今でも政治的な映画は何かと敬遠されがちだが、『マルコムX』はブッちぎりに政治的だった

こうした役柄を演じれば、白人からは「あんな役を引き受けるなんて」と嫌われ、失敗すれば「ヒーローを汚した」と黒人からも反感を買う。デンゼル先生にとって、まさに俳優人生を賭けた大勝負だった。そして同作が公開されると……たちまち絶賛の嵐が吹き荒れ、デンゼルもアカデミー賞主演男優賞にノミネート。今なお『マルコムX』はデンゼル先生の代表作であり、90年代を代表する傑作として語り継がれている。

難役を演じきったデンゼル先生だが、勢いは全く止まらなかった。かつて中退の原因になったシェイクスピアもの『から騒ぎ』、リーガルサスペンス『ペリカン文書』、ゲイ嫌いの弁護士を演じた『フィラデルフィア』(すべて1993年)など、様々な役柄に挑戦し、全方位型の俳優として評価を高めていった。

さらにエンタメ性の高いアクション大作でも活躍。ふんわりとしたバーチャル感に時代を感じる『バーチュオシティ』や、潜水艦モノの金字塔『クリムゾン・タイド』(どちらも1995年)、サイコスリラー『ボーン・コレクター』(1999年)などがそれに当たるだろう。実録モノの『ザ・ハリケーン』(1999年)や、アメリカ版スクールウォーズ『タイタンズを忘れない』(2000年)も欠かせない。

そして40代が終わりを迎える頃、デンゼルは遂に『トレーニング・デイ』(2001年)でアカデミー主演男優賞を受賞する。同作でデンゼルが演じたのは汚職まみれの極悪刑事。これまたデンゼル先生の新境地だった。

そして、この時期のデンゼル先生のキャリアは、そのままハリウッドにおける黒人俳優たちの活路となった。ハリウッド映画において人種はキャラクターと結びつきやすい。80年代くらいまで、大作で黒人に与えられる役柄は(黒人向け映画を除けば)、コメディーリリーフや、主人公を助ける聡明な人物、あとはギャングなど、固定化されがちだった。

しかしデンゼル先生が演じたのは、善人、悪人、実在の人物、潜水艦乗り、悪徳刑事、寝たきりの敏腕捜査官などなど、そうした既存の枠組みから外れている。関わった作品を批評/興行の両面で成功させた点も大きい。成功は前例となる。映画作りは商売だ。成功しなければ話は聞いてもらえないが、成功して前例を作れば話は通りやすくなる。

デンゼルの成功によって、黒人俳優に与えられる役は大幅に広がった。話は前後するが『マルコムX』の来日インタビューで、「ハリウッドでも黒人差別は根強く残っているか?」という質問にデンゼル先生はこう言い切っている。「白人に任せていたら絶対黒人の映画なんて作らないよ。だから待っていてはダメ。リー監督のように、自らハリウッドに乗り込んで自分たちの映画を作らないと」まさに有言実行である。

たしかにデンゼル先生はハリウッドに乗り込み、世界を変えたのだ。

【50~60代】新世代にバトンを渡して

「精神的にも肉体的にも自分のベストをつきとめたい。50歳を機に人生の歩みを再スタートするつもりだ」2004年に50歳を迎えたデンゼル先生はこう述べているが、実際、この頃から肉体的な映画、つまりアクション映画への出演が増えてゆく。

『マイ・ボディーガード』(2004年)、『デジャヴ』(2006年)と、火薬量が多めの映画に出演し始めたかと想ったら、暴走する列車を止めようとSASUKEみたいに悪戦苦闘する『アンストッパブル』や、ドでかいナイフを振り回す『ザ・ウォーカー』(ともに2010年)、謎の男を演じた『デンジャラス・ラン』(2012年)など、肉体派アクションにも進出。

その一方で『フライト』(2012年)では、ウォッカを飲みながら飛行機を操縦するアルコール依存症のパイロットを熱演。デンゼル先生が酒を断てる/断てないのサスペンスで139分を見せ切る離れ業を見せる。本作のド直球のダメ人間演技で、デンゼル先生は再び新境地を開拓。演技派としての実力を世界に示した。

そして2010年代の半ば、デンゼル先生は新たな代表作をモノにする。傑作アクション『イコライザー』(2014年)だ。

『トレーニング・デイ』のアントワン・フークアと組んだ本作で、デンゼル先生が演じるのは殺人術を身に着けた元・特殊工作員。普段はホームセンターの店員をしているが、ひょんなことからロシアン・マフィアと対決することに……という定番の話だが、主人公のロバート・マッコールのキャラクター性によって、本作は非凡な1本に仕上がった。

マッコールさんは、冷酷に外道を皆殺しにする一方で、頑張る若者や善良な人々には慈愛を持って接する、そんな人を殺す以外はイイ人という特殊な人物だ。しかし、この怪人に、デンゼル先生がこれまで演じてきた役どころ、つまり人を導く役に、一筋縄ではいかない複雑な内面を持つ役、そして50代から強まったアクション志向がぴったり合致した。その結果、奇跡的なバランスで狂気と正気が混ざりあったキャラクターが誕生したのである。

『イコライザー』はデンゼル先生の新たな代表作となった。ここでもまた有言実行。まさに精神的にも肉体的にも、ベストな状態に来たと言っていいだろう。

そんなデンゼル先生の生徒たちも、ハリウッドで活躍を始める。その筆頭がチャドウィック・ボーズマンだ。ボーズマンは映画の勉強をするために留学を計画していたが、経済的な問題で踏み出せずにいた。そんな時、人を仲介してデンゼル先生が資金援助をしてくれたのだという。

そしてボーズマンは俳優として成功し、マーベル映画『ブラックパンサー』(2018年)に主演する。本作は主要キャスト/スタッフが黒人で、アフリカ系アメリカ人についての物語であり、なおかつスーパーヒーロー映画として全世界向けのエンターテインメント大作として制作された。デンゼルが若い頃には考えられなかったような企画だ。この映画を見たデンゼル先生は、思わず涙したという。

インタビューでデンゼル先生はこう語っている。「“この若い奴らを見てくれよ”と思って…それで涙が出てきたんです。(中略)“さあ、行け”って。今では彼らの後ろを走ってる…僕はまだ走ってるので。でも彼らは先に行きましたね。」自分が切り開いた道を走っていく後輩たち、それを笑顔で見送るデンゼル先生。あの優しい笑顔が目に浮かぶようである。

ただ、残念ながらボーズマンは2020年に大腸ガンで他界し、アメリカの人種差別も決して解決されてはいない。しかし、デンゼル先生が『マルコムX』に主演した時代、デンゼル先生本人が「白人に任せていたら絶対黒人の映画なんて作らないよ」と断言していた時代よりは、確実に時代は良い方向に変化したと言えるだろう。

黒人俳優が主演する大作映画は、もはや珍しいものではなくなった。これはデンゼル先生たちが映画業界で闘い続けてくれたおかげだが、無論それだけではない。デンゼル先生が街中で映画に関係なく喧嘩の仲裁に入ったように、より良い世界を作ろうと闘った誰かの努力の賜物だろう。現状を変えようと努力すれば、(時間はかかるけれど)報われるのだ。

デンゼル先生は今この瞬間も努力を続けている。しかし、ただ己を高めるだけではなく、かつて自分がそうしてもらったように、周囲にも出来る限りのサポートをしているのだ。だからこそデンゼルはハリウッドの先生と呼ぶに相応しい。最後はそんなデンゼル先生の著作から、この一節を引用したい。

「変化は起こせるんだ。人間は変われるんだ。だれもが導き手を1つか2つ、3つ得ているんだ。それは深い知恵の言葉だったり、叱咤激励だったり、立派な人の人生を模倣することだったりの場合もあるよね。たとえ過ちをおかしても、こういったものから何かを学んで出直して、人生の花を咲かせることもできる」

――――『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』
 (2007年 デンゼル・ワシントン著)より引用

▽参考・引用元
・キネマ旬報 1993年3月上旬/下旬号 1995年10月上旬号、2008年8月下旬号
・『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』(青志社 2007年)

・デンゼル・ワシントンが『ブラックパンサー』に涙した理由 
 ― ヒーロー映画出演は「どうなるでしょうね」

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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