嫌な意見は「ミュート」できるようになった。山田ルイ53世さんがご機嫌に年を重ねる理由

お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん。“貴族のお漫才”で注目を浴び、芸人として世に出たのは31歳の頃。そのままステップアップし、芸人における王道のキャリアを夢見ていた時期もあったと言います。しかし、いつしか世間的な認識は“一発屋”に……。

受け入れがたい現実。当初は抗いながらも年齢を重ね、やがて「諦めの境地」に至ったのだとか。

今年で45歳。今後の仕事や老後についての不安がないわけではありません。それでも、今はそうしたネガティブな思考を「ミュート」できるようになったと山田さん。ままならない現実を受け止め、暮らしていく。そのための心の持ちようについて伺いました。

今回のtayoriniなる人
山田ルイ53世
山田ルイ53世 お笑いコンビ「髭男爵」のツッコミ担当。1975年4月10日、兵庫県生まれ。2017年に「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が「第24回 編集部が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」で作品賞を受賞するなど、執筆業でも注目を集める。著書に『ヒキコモリ漂流記 完全版』(角川文庫)、『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)、共著に『中年男ルネッサンス』(イースト新書)などがある。

31歳でブレイクも、訪れた「負け」を飲み込む瞬間

―― 山田さんは、2020年で45歳になられます。あらためて、40代をどのようにとらえていますか?

山田

40代って、ひと通り全部やったなというか、経験したなという地点ではあると思うんですよね。よく使う例えなんですけど、ドラクエでいったら1周目はクリアした状態。開けてない宝箱、割ってない壺がいくつかあって、話をしていない村人もいるけど、まあとりあえずラスボスは倒した、みたいな。

だからいろんな状況に対して既視感も生まれてくるし、日々のモチベーションがぼんやりしてしまうっていうのはあると思いますね。

―― 20代、30代の頃とは、具体的にどうモチベーションが変わったのでしょうか?

山田

例えば、若い時は「妬み・嫉み」がモチベーションになった。人と比べて、「くそ、俺だって!」という気持ちがガソリンになり得たんですよね。

でも、40歳を過ぎてくると、それってちょっとしんどいんですよ。燃費が悪くなってくるというか、それによって自分自身が焦げ付いちゃう時がある(笑)。たぶん、妬み嫉みは若者の特権というか、贅沢品なんだろうなと。

だから、自尊心みたいなものとどう折り合いをつけてやっていくか、心の持ちようが難しい年齢だと思います。

―― 山田さんは著書のなかで、中年男は「自分にできる範囲のことで、機嫌よく頑張っていくしかない」と述べられていますよね。

山田

40歳にもなれば、自分がやれること/やれないことがハッキリ分かりますよね。ここで自分を諦めてあげることができるかどうかが大事なことかなと。望んだキャリアとは違うかもしれないけど、とりあえずやっていく。腹をくくって「できないことを削ぎ落す」ような作業をすると、その先の見通しが明るくなるような気がします。

―― 山田さんご自身は若手の頃、どんなキャリアを思い描いていましたか?

山田

僕ら世代の芸人は「冠番組を持つ」っていう目標は誰しもぼんやりと持っていたと思います。

だから、僕も31歳くらいで「爆笑レッドカーペット」をきっかけに売れた時に、次は売れてる若手が出るコント番組に呼ばれて、そこからいつかはMCとかもやるのだと思っていた。一瞬ですが(笑)。

ちょうどその頃、そんな若手コント番組が始まったんですけど、全くお声が掛からず。冷静に考えれば、いろんなキャラクターを演じるコント番組にシルクハットをかぶった貴族が入れるわけない。歳も食ってるし。でも、やっぱり当時はまだ野心があったんでしょうね。

―― 野心を完全に折られた、決定的な出来事はあったんでしょうか?

山田

これ!というきっかけはなく、徐々にですね。我々のような仕事をしていると「勝ち負けがつく瞬間」は頻繁にあるんですよ。

例えば、同期はこんな番組に出ているのに自分にはオファーが来ないとか、舞台上でのウケ方とか、ひな壇で「あいつはいっぱい喋ったけど、俺は1回」とか。常に他人と比べ、負けが込んでいくうちに……。

なんというか、ゴクリと飲み込む瞬間があるんですよね。俺は、負けたんだと。喉を焼け焦がしながら飲み込むしかなくなるときがやってくる。

不安な気持ちを「ミュート」できるようになった

―― 「徐々に」という言葉があったように、山田さんは仕事が減り始めても、なかなか「一発屋」と認められない時期が続いたそうですね。

山田

そうですね。売れてから2~3年後には一発屋と囁かれ始めていたんですけど、なかなか飲み込めなかったです。収入が激減しているのに中目黒の高いマンションに引っ越したり、結構な人数の後輩を引き連れて飲みに行ったりしていましたから。今思うと、あの時の出費が本当に痛い!

―― でも、当時はそんな生活を変えられなかった。どうしてだと思いますか?

山田

見栄もあったけど、落ち目だと認めてしまうと、全てが元の木阿弥になってしまうのではという恐怖心があって。抗っていたんでしょう。

ただ、自分の足りない部分は、自分が一番よく分かるので。だから、後輩を連れて飲んでいるとき、彼らからおべっかつかわれることもありましたが、しんどかったですね。あんまり否定しても後輩もやりづらいだろうし、ある程度聞いたら「そうやなあ」と多少喜んで見せないと場が盛り下がる。

おっさんになると、おおっぴらに負けを認められない空気感があるのもしんどいですよね。

―― 負けを認められるようになってから、楽になりましたか?

山田

そうですね。負けを認めたり、野心を失うのは心の衰えかもしれませんけど、僕はいいこととして捉えています。今でも人と比べることを全くしないわけじゃないけど、こちらを揶揄するような、外野の声は「ミュート」するようにしてますね。

昔はそこを見ないようにする、気にしないようにする行為自体が「逃げ」やと思っていたんですよね。ちゃんと向き合わんかったら負けやし、成長につながらないとか思い込んでいた。

―― しかし、今は気にせずミュートしていると。

山田

はい。たとえばエゴサーチなんかも、昔は悪口も凝視しないと負けやと思ってた。言われるからには何か意味がある、そこから何かしら汲み取らないとダメなんじゃないかと。

でも、最近はタイムラインをぼんやり眺めて、悪口らしきものを見かけたら、まず物理的に薄目にしてぼやかす。そして即座にミュートする。そしたら、その人が何を叫ぼうが、わめこうが、僕には一生届くことはないわけですから(笑)。

―― すごい危機管理能力ですね。

山田

悪口に対する水際対策は完璧なんですよね。おかげで、最近誉め言葉しか目にすることが無い(笑)。

「若手の高齢化問題」はスギちゃんが原因?

―― 「おっさん」という言葉も出てきましたが、芸人さんは30代40代でも「若手」と呼ばれることがあります。特に、最近は「若手芸人の高齢化」が進んでいるともいわれていますね。

山田

それはね、僕の事務所の先輩でもあるスギちゃんが悪い(笑)。スギさんは38歳でブレイクしたんですけど、当時の若手お笑い界では「35歳までに芽が出なければ辞めなければ」という暗黙の共通認識があった。

だから、35歳が若手の「定年」となっていて、それを過ぎたら別の仕事に就いて、そつなく暮らしていこうと。ちなみに僕がブレイクしたころは、30歳が1つの節目、それより前は、20代半ばで駄目なら……という感じだった気がします。

でも、スギさんが40手前で売れてしまったことによって、その定年が引き上げられてしまったんです。

―― 逆に、「40歳でもブレイクできる」という希望を与えたともいえますが……。

山田

いやいや恐ろしい希望ですよ、それは! 当事者じゃないから言えるんです。夢はあるかもしれないけど、その夢を掴めるのはほんのわずかで、ありえない確率なんだよというメッセージも添えておかないと。見切りをつけられなかった人間は、そのまま売れなくても平気で40歳、50歳まで続けられてしまいますから。気が付いたときには、就職も困難っていうパターンも多々ありますからね。

―― 定年の年齢が上がったことによる弊害もあるんですね。

山田

そうなんです。お笑いのライブでも、変にキャリアだけは長い先輩が同じ舞台にいると、正直若手はやりづらいと思いますよ。いやな言い方ですが。先輩の方も、それが分かるから肩身が狭い。そこには、ほぼ苦しみしかない。

だから、早めに芸人を廃業して運よく一般の会社に就職できれば、そっちの方がずっと幸せだと、少なくとも僕は思います。引き際の年齢を上げてしまったスギちゃんの罪は重いですよ(笑)。

若手にも新人にも「敬語」で接する

―― 先ほど、キャリアのある先輩が同じ舞台にいると若手はやりづらいというお話がありました。逆に、若者からの「老害認定」を恐れ、部下や後輩への接し方に悩んでいる中高年もいると思います。山田さんは、年の離れた後輩と接するとき、気をつけていることはありますか?

山田

ここ数年は、もう基本的に、敬語で接するようにしています。特に初対面の場合は、どんなに年下でも、キャリアが浅くても敬語ですね。芸人の世界では珍しいことだと思いますけど。あとは、なるべく先輩風を吹かせないよう気を付けています。

―― なぜですか?

山田

先輩風って、明らかな根拠がないと吹かせられないなって思ってしまうんですよ。端的に言うと、売れてないと先輩っぽくふるまえない。性格ですね。後輩も、こんな過去のキャラ芸人にアドバイスとかされたくないでしょ。

―― そんなことはないと思いますが。

山田

じつは、けっこう適格な分析もできるんですけどね(笑)。実際、数年前に後輩からネタについて相談されて、アドバイスしたこともあったんですよ。でも、まるで指摘した通りにやらなかった。

なのに、サンドウィッチマンの富澤さんに全く同じことを言われた時はすぐ実践していました。なんやねんそれ! シルクハットか、シルクハットかぶってワイングラス持ってるから信用できんのか! ってその時は思いましたけどね。まあ、僕でもそうしますけど(笑)。

―― シルクハットが、色んな場面で枷になっている……。

山田

結局、このシルクハットが全てにおいて信ぴょう性を落としているんですよね。本当は、どこかのタイミングで脱いでみるとか、1回ハンチングにしてみるとか、やりようはあったかもしれない。でも、特に計画性もなくここまで来てしまいました。

もう、これは脱げない。孫悟空の鉄の輪みたいなもんですよね。たまに一発屋としてテレビに呼ばれて、そのたびにギリギリと輪が絞まって痛いんだけど、天竺につくこともないので脱げない。キャラというのは厄介なもんですよ、本当に。

「とりあえず」生きて、68歳くらいで人生を締めたい

―― お金のことや仕事の続け方など、老後に向けて備えていることはありますか?

山田

お金に関しては奥さんに全て渡しているので、ボンヤリとしか把握していません。まあ、学資保険など子どものための備えはしているし、たぶんある程度は貯蓄もしてくれていると思います。

―― では、仕事に関してはいかがでしょう。なるべく長く仕事を続けるため、今後の方向性などを考えたりはしますか?

山田

そこまで深くは考えていないですかね。とりあえず生きて、娘が成人するまで育ててられたらいいかなと。ネガティブに聞こえるかもしれないけど、この「とりあえず力」こそが中高年の強みだと思いますよ。若いときみたいにグチグチ悩んだりせず、「そんなに理由がなくても動けるぜ」っていう。じつはすごく大きなアドバンテージになりますから。

ただ、それは何も考えずに仕事をするってことではなくて。さすがにこの歳になると自分の得手/不得手は分かっているので、不得意なことはなるべくやらないようにしようとは思っています。あとは、仕事の量もほどほどに、自分のキャパシティーに合った量にしようと。

―― 自分にとって適正な仕事量にコントロールし、全力を尽くすと。

山田

そうですね。僕の場合、テレビ収録の仕事は週に2~3本が限界だと分かりました。まあ今はそんなに無いですけど(笑)。しっかりと準備して挑んでも、100点取れることは稀ですから。毎日なんて、とても無理。だから、ある程度は仕事をコントロールしたいですし、そのためにも得意なジャンルではなるべく結果を残せるように頑張っています。

そうやって、できる範囲で質の高い仕事をして、娘たちを成人させたらもう十分かなと。今は人生100年時代なんて言われますけど、僕はもう68歳くらいで人生を締めたいですね。そんなに長生きしたってやりたいこともないし、死ぬ瞬間に苦しまなければいいかなと。

取材・構成:榎並紀行(やじろべえ)
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部
 

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