城巡りの趣味が高じて定年後に「城模型作家」となった74歳。"俺の城"を作り続けた人生の先にあったもの

「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。

どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。

そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。

お城ブームの昨今、「日本100名城」や「お城EXPO」が話題です。老後の楽しみとして全国の城巡りをしてみるのもいいかもしれない。そこで今回は、城模型作家の長谷川進さんにお話を伺いました。若い頃に全国のお城を巡り、定年後は城模型に打ち込む、お城と共に歩んだ人生とは?

今回のtayoriniなる人
お城ファン歴68年/長谷川 進さん(74歳)
お城ファン歴68年/長谷川 進さん(74歳) 1947年生まれ。戦時中に疎開先の福島で誕生し、3歳から東京で育つ。戦国武将好きが高じてお城好きとなり、幼少期からお城を自作し、23歳で全国の城巡りを制覇。高校卒業後、印刷会社に勤務。定年後から本格的に城模型に取り組むようになり、城模型作家となる。作品の多くは自治体に寄贈し、これまでに弘前城、白石城、会津若松城、白河小峰城、大分府内城、高松城などを寄贈。NPO法人「江戸城天守を再建する会」会員。これまで2回作った江戸城は、神田明神と東京国際フォーラムに奉納した。

武将好きが高じてお城好きになり、全国の城巡りを制覇

――定年後から本格的にお城を作るようになり、今では城模型作家として活躍されていますが、もともと戦国武将好きが高じてお城に興味を持ったそうですね。戦国武将に惹かれるようになったきっかけを教えてください。

長谷川

親父が「立石の良寛さん」と呼ばれる人だったんですよ。祖父が造幣局の課長で家が裕福だったから、お坊ちゃん育ちの親父は4、5年ほど定職に就かずに家で本ばかり読んでいたんです。それで近所の子供たちを家に集めて、お話会を開いたり、俳句や百人一首を教えていたわけです。
テレビもねえ、ラジオもねえ、という時代でしたから、親父の話を聞くために40人くらい子供が集まっていて、私も幼い頃からずっと親父の話を聞いて育ちました。親父から関ケ原の合戦や真田幸村の話を聞いているうちに、戦国武将が好きになっていったんですよね。

――ちなみに戦国武将ではどの武将が一番好きですか?

長谷川

昔は豊臣秀吉が一番好きだったんだけど、本を読んだりしているうちにあんまり好きじゃなくなってきて、今は藤堂高虎が一番好きだね。なにしろ築城の名手だから。
江戸城の縄張り(※城全体の設計)を書いたのも、上野東照宮を設計したのも藤堂高虎だし、他にも宇和島城、今治城、二条城、津城、伊賀上野城など全国の築城に携わっているんです。ただし、藤堂高虎が作ったお城はあんまり好きじゃない。藤堂高虎が作ったお城の特徴は、層塔型と言ってシンプルな形なんです。江戸時代に入るとお城は飾り物みたいなものになっていたから、権力を示す派手な天守閣を必要としなくなったんじゃないかな。

――城巡りをするようになったのは、いつ頃からですか?

長谷川

中学卒業の文集で「日本全国の城巡りをしたい」と書いたんですよね。それを15歳から23歳までの8年間で達成したんです。今では同じ城を二度も三度も行っていて、多いところだと5、6回、松本城なんて20回くらい行ってるからね。

――「日本100名城」も制覇されたんですか?

長谷川

私はあくまで建物中心だから、山城はほとんど行かなかったですね(※日本100名城には山城や城跡など、建物がないお城も含まれる)。
城巡りは、15歳のときに会津若松城と仙台城に行ったのが最初でした。当時の会津若松城は石垣しかなくて、その後、昭和40年に天守が再建されたんですよ。高校3年生のときには、卒業記念の旅行として四国を一周して城巡りをしましたね。
一回の旅行でたいてい10以上のお城を見て回るんだけど、若い頃はお金がなかったから、泊まりはいつも1泊500円くらいのユースホステル。北海道の松前城に行ったときなんて、車中泊で3泊しましたからね。当時は飯も食わず城巡りをしてましたね。

床やタンスの上など、家の至るところにお城が置かれ、その数なんと17城。ちなみに本棚には時代劇の漫画がぎっしり並べられ、お城と戦国武将に囲まれた異空間となっている。

――最近は、お城を軍事的に考察したり、歴史遺産として鑑賞する人が増えているようですけど、長谷川さんはどんな見方をしていたんでしょう?

長谷川

純粋に「かっこいいな」「美しいな」と思って見てましたね。東京にはお城がないから、それまで絵葉書で見たことがあるくらいで、実物を見たことがなかったから。
高校時代に7、8人の人と文通していたんだけど、姫路城、豊岡城、熊本城、松山城というふうに全部お城がある地域の人。お城の絵葉書や写真を送ってほしいとお願いしてました(笑)。姫路の人とは60年以上も交流が続いていて、今度会いに行こうと思ってますね。

――城巡りをしているうちに「自分でお城を作ってみたい」となったわけですか?

長谷川

いや、物心つく頃からお城は作ってましたよ。
マッチ棒の箱で作っていたんだけど、当時はお城の写真があんまりなかったから、漫画を参考にしてましたね。堀江卓の『矢車剣之助』という漫画に描かれていた戦車みたいに動くお城を作ったり、漫画に描かれていた姫路城を作ったりね。
高校時代は親父の背広の箱でお城を作っていたんだけど、その頃には今と同じような作り方をするようになっていて、けっこう本格的なお城を作ってましたよ。
とはいえ、23歳まではお城作りより城巡りが中心だったね。

印刷会社で働きながら、暇な時間に会社でお城作りの日々

――いつ頃からお城作りの方が中心になっていったんですか?

長谷川

高校卒業後、印刷会社に勤めたんだけど、会社に入ってすぐにお城は作ってましたね。それまでは材料になる厚紙がなくて、なかなかお城を作れなかったんだけど、印刷会社だから紙がいくらでも手に入るようになったわけです。
新しくできた部署に配属されたこともあって、新入社員時代は、けっこうヒマな時間があったんですよ。仕事でカッターを使用していたから道具もあるし、紙もあるし、時間もある。ヒマを見つけてはちょこちょこ作るような感じで、最初に作った岡山城は7年かかりました。

――仕事がヒマだったとはいえ、会社で何やってんだ!とならないですか?

長谷川

社長の息子が同年代で友達のような関係だったから、いわば社長の息子公認でお城を作っていたんですよ。その後、彼は社長に就任して今度は社長公認になったから、誰も文句を言わなかった(笑)。
初めのうちは小さいお城を作って社内のあちこちに隠していたんだけど、部署が変わるたびにお城を移動させなくちゃいけなくて、大変でしたよ(笑)。会社員時代にお城を5、6個作ったんだけど、ずっと会社に置いておくわけにもいかないから、欲しい人にあげたり、自治体に寄贈したりしてましたね。

城模型作家として地方自治体に呼ばれることが増え、ついでに城巡りを楽しんでいる。今年は自治体に寄付した津山城がある岡山県に行き、併せて竹田城や福知山城など近畿地方の城巡りを計画している。

――会社でお城を作っていたとは(笑)。そうすると子供の頃から今に至るまで、ずっとお城を作り続けてきたわけですか?

長谷川

いや、30歳くらいから30年間くらいはほとんど作ってないです。
29歳のときに全国組織の印刷労働組合の役員になって、お城を作る時間が取れなくなったんです。毎年4、5回は地方の会合に行くんだけど、ついでに城巡りをするのを楽しみにしてたね。私は福山市から広島市の地域を担当していたから、毎年、広島城と福山城を見に行ってました。

――そうやって実物のお城を見ることが、お城作りに活かされることは?

長谷川

あんまりないですね。なぜかというと、私の作っているお城は、必ずしも本物のお城のとおりに作っているわけじゃないから。他の城模型作家はレーザーで加工したり、職人が作った細かいパーツを貼り付けたりして実物のとおりに作るんだけど、私の場合は全部手作りだから、そっくりそのまま同じというわけじゃないんです。
たとえ設計図どおりに作ろうとしても、一枚の大きな紙から素材を切り出して、それを重ね合わせて作るわけだから、どうしても自分の頭で考えていたよりも膨らんでしまう。これが売り物だったら寸分違わず作らなければいけないだろうけど、あくまで趣味で作っているわけだから、形が似ていればいい、という感じで作ってるんですよ。

屋根瓦の部分は、なんと段ボールを利用。表面をはがすと出てくる波状の部分で屋根瓦を表現している。ゴミの日になると、素材になりそうな段ボールや菓子箱を探しに行くそうだ。
お城作りで大変なことを聞くと、「窓枠の部分」とのこと。カッターで四角い穴を空けて四隅に薄い板をはめ込み、格子を一つ一つ付けていくのだが、細かい作業で大変らしい。制作中の福山城は窓枠だらけで、しかも破風が20個もあってバランスが難しいそうだ。

――全部手作りするとなると、どんなふうに作っていくんですか?

長谷川

まずお城の図面を用意するんだけど、お城の本を百数十冊持っていて、本に図面が載っているんです。それから図書館に一冊3万円もするようなお城の学術書があるので、図面をコピーすることもありますね。
それから図面を自分が作りたい大きさに拡大コピーして、その図面に合わせて作っていきます。だから本当は図面どおりにできなきゃいけないはずなんだけど、出来上がってみると、なんかバランス悪いな……ということがよくあって、年中作り直してますね。
木材と厚紙でお城の形ができたところで、窓枠や破風(※屋根の三角部分)などの細部を作っていくんだけど、最近はペーパークラフトのお城を傍に置いて参考にしてます。以前はプラモデルを参考にしてたんだけど、パーツが立体だから、平面の紙を切り出して同じように作るのが難しいんですよ。
仕上げの色塗りは壁用塗料を使ってます。水性なんだけど、固まるとピシッとなるんですよね。

長谷川さんは高校時代から日本城郭協会の会員になっている。会報誌にお城の図面が載っていることがあり、そうした図面を自分が作りたい大きさに拡大コピーして城模型を制作する。

定年後は、納得いくまで“俺の城”を作り続ける

――労働組合の活動が忙しくて30年ほどお城が作れなかったということは、本格的にお城を作るようになったのは、やはり定年後ですか?

長谷川

今あるお城はほとんど定年以降に作ったものです。60歳で定年になって、それから再雇用で4年間、勤務することになったんだけど、それまで毎月100時間以上も残業していた業務から離れてヒマができたし、印刷会社には紙があるからね(笑)。
再雇用が終わった後も印刷会社の社長が、紙を無料でくれてたんだけど、その社長が亡くなってから紙を貰えなくなったんです。だけど、他の印刷会社の会長が紙をくれるようになって、今は5年分くらいの紙があるんですよ。

――定年後に没頭できる趣味があるといいですよね。これから城模型を趣味にするとしたら、どんなところから始めるといいと思いますか?

長谷川

いきなり私みたいに一からお城を作ろうと思っても、さすがに無理だと思いますね。すべて手作りするとなると、まず材料が手に入らないし、ノウハウもないですからね。
ビギナーが始めるとしたら、ペーパークラフトかプラモデルがいいでしょうね。ペーパークラフトでも数百のパーツがあるから面白いと思いますよ。

制作中の福山城は10回以上作り直した。寸法どおりに作っているつもりでも、手作りのため、組み合わせるとバランスがおかしいことがあるそうだ。「意外と人間の目は正確なんです」と長谷川さん。

――長年、お城を作り続けてきて、技術的な向上は感じますか?

長谷川

作るのは早くなりましたね。以前は一つ作るのに半年~8カ月はかかっていたけど、今作っているお城は1カ月で天守閣ができたからね。
だけど、技術的には今作ってるやつも納得できないですよ。納得できるようなお城は、たぶん一生できないんじゃないかな。以前作ったものは不備のあるもので、常に次に作るものが最高なはずだと思っているから。その気持ちが次に作る動機になるんだよね。

――今はどんなお城を作っているんですか?

長谷川

去年のお城EXPOで福山城のブースに行ったとき、2022年に築城400年を迎えるということもあって、「次は福山城を作ります」と言っちゃったんです。それで今は福山城を作ってますね。
今年のお城EXPOで福山城を展示して、その後は福山市に寄贈しようと思ってます。今は家にお城が17個あるんだけど、新しく作るたびに置く場所がなくなって困ってるんですよ。
今作っている福山城にしても、コロナで外出できないこともあって、天守閣の周りの櫓も全部作ったら幅2メートルくらいになった。そうすると、作る場所も確保できなくなるからね。

幼い頃から手先が器用だった。それを活かして印刷会社では、文字や写真を版下に貼り付ける「面付」の業務で活躍。今はコンピューターの作業だが、昔はすべて手作業だった。

――大勢の人に見てほしいという気持ちもあるのでは?

長谷川

それもありますね。寄贈すると、ずっと保管されますからね。
実は今、17個あるお城を全部まとめて引き取ってくれるところを探しているんですよ。個人で保管していても、自分が死んだら他の人にとってはゴミになってしまうからね。

――お城好きな人からすると、すごく価値あるものなのに、もったないないですよね。

長谷川

今、日本中でお城ブームなので、いろんな自治体が城模型を作っているんです。値段を聞くと、どれも100万、200万円はするんですね。私が作ったお城とたいして変わらないのに100万円もするの?って思うと、これまでお城を30~40個くらい作ってきたわけだけど、何千万円にもなるんじゃないか!って思ったりもするね。

――むしろ好きでやってる人の方がレベルが高い気がします。「売ってほしい」という人もいると思うんですが。

長谷川

でもね、お金で作っちゃうとさ……。

――お金のためじゃなく、“好きで作ってる”というのが大事なわけですか。

長谷川

そうです。作事奉行みたいな感じで、自分のお城を作っている感覚。形は実物のお城に似させているけど、あくまで“俺の城”なんですよ(笑)。

お城の壁で使われる紙は、厚さ5mmという板のような厚紙を使用。カッターで切り出すだけでもかなり手間がかかる。ちなみにこちらの名古屋城は、金のしゃちほこも手作りだ。

――定年後は肩書きがなくなってしまうものですけど、長谷川さんの場合、「城模型作家」として第二の人生を歩んでいるわけですよね。あらためて、どんな感慨をお持ちですか?

長谷川

城模型という打ち込めるものがあったから、安定した老後を送れてるっていうありがたみを感じますね。悠々自適とまではいかないけど、株と年金でお金に窮することはないし、そもそもお金のかからない趣味だしね。
実はコロナの自粛中はお城を作る気になれなくて、ずっとダラダラしていたんですよ。そのときは一日2回ファミレスに来ていたんだけど、1年半ぶりにお城作りを再開したらファミレス通いが1回になった。ファミレスで読むために毎日買っていた夕刊も買わなくなって、ファミレス代も含めて節約になっているし、ファミレスの飲み物で糖分を取らなくなったから、体重も2kg減りましたよ。
今は、寝るときも朝起きてからも常にお城作りを考えていることが、気持ちの張りになってますね。やりたいことが何もないというのが、やっぱり一番健康に悪い。お城作りを再開してからどんどん元気になってますよ(笑)。

――本日はありがとうございました!

長谷川さんが一番腹立たしく思うことは、明治政府が出した「廃城令」。全国のお城が次々と取り壊され、明治時代に残ったのはわずか43城。さらに戦火や火災で焼失し、江戸時代以前から現存する天守は12城のみ。失われたお城を作ることにやり甲斐を感じているという。
浅野 暁
浅野 暁 フリーライター

週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。

浅野 暁さんの記事をもっとみる

同じ連載の記事

おすすめの関連記事

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniをフォローして
最新情報を受け取る

ほっとな話題

最新情報を受け取る

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniフォローする

週間ランキング

ページトップへ