家庭の中で、自然と女性に介護の負担が偏るケースは珍しくありません。平成28年の調査で男性介護者の割合が3割にまで増えてきたものの、依然として女性に介護負担は偏りがちだと、研究者の山根純佳さんは話します。女性とケア役割の研究を進めていくと、とりわけ、家庭内の「娘」は年齢を問わず介護を引き受けざるを得ないことがわかってきたそうです。
家庭の中で女性に介護負担が偏る理由、そして社会から家族に期待される過重なケア役割について、山根さんにお話を聞きました。
――なぜ女性に介護負担が偏ってしまうのでしょうか。
まずは稼得の問題があります。現状ではどうしても男女の賃金格差がありますし、女性のほうが家事や子育てをする割合が多いことで、男性と同じようには働けないこともありますよね。
そうなると、男性と比べて稼ぎが少ない女性がケアを引き受けたほうが「合理的」と思われて女性側に介護の仕事をするよう期待が寄せられてしまう。
――女性に介護の期待が集まるのは「女性のほうがケアに適している」と思われてしまう傾向があるから、なのでしょうか。
一方で「男性はケアに適していないと」思われている、ということでもあります。
水準が少し異なる話ですけれども、たとえば、妻が子どもにファストフードを与えたり、自分はゲームをしながら子どもを公園で遊ばせていたりしたらネグレクトに見えるけれども、夫が同じことをやっていてもネグレクトには見えない、ということがあります。男性と女性の期待水準に違いがあり、ケア役割が女性に寄りがちな理由の一つですよね。
――稼得の格差だけでなく、性別によって求められるゴールの高さが違うんですね。
息子が自分の親を、娘が自分の親を介護するようになって、嫁介護は確かに減ってきました。ただきょうだい間で介護を誰がするかとなったときに、どうしても「娘」である女性に期待が寄せられてしまいますし、期待を寄せられた女性自身も「私がやらなければ」という思いを抱かざるを得ない構造になっている。
ちなみに「ヤングケアラー」と呼ばれる家族のケアをする子どもたちも、女性が約6割と、多いことがわかっています。(編集部註:平成31年 文部科学省「ヤングケアラーの実態に関する調査研究報告書」)
――介護サービスを利用すれば、介護する女性の負担は減らせるのでしょうか。
もちろん身体介助などの物理的な負担は減らせるかもしれませんが、完全に介護負担をなくすのは現状だと難しいと思います。受けているケアの質をモニタリングするのもケアの一つだからです。
たとえば、スタッフの数が足りないなどの理由で、施設でのケアがすみずみまで行き届かない場合は、「私がやらなきゃ」とか「他の施設を探さなくちゃ」などと、まず考えなければいけないことが増えますよね。こうした調整をし続けることもケアですし、忙しい毎日の中では相当な負担になります。
――施設で行われるケアのモニタリングや調整も、必要なケアの一部なんですね。
信頼できる施設がなければそう思うのは当然ですから、これは個人の責任ではありません。問題視すべきは、各家庭にそうした高い調整能力が当たり前のものとして求められていることで、身体のケアだけでなく、調整のケアの配分も「家族」から社会が担うものへと変えていく必要があります。
――そもそも、どうして「家族」がこうした調整のケアを担うことになったのでしょうか。
社会的な背景の一つに「選択の時代」があります。現在はどのサービスをどのように利用するかの選択が個人に強く求められている時代で、これは介護でも子育てでも、あらゆる領域で個人が選択することが期待されています。
情報を集めて適切な選択ができない人は「能力が低い人」というレッテルを貼られてしまう。期待されるばかりでたまたま良い結果にならなかったときに誰もフォローしてくれず、責任ばかりが押し付けられるので、何かを選択する際の負担が重くなる。
「自分で選んだのだから」「私の選び方が悪かったんだ」と個人が自分を責めやすい仕組みになっているといえます。
――でも、Aの施設とBの施設を選ぶとき、どちらもマッチせず、思わしくない結果になるケースもあるわけですよね。
そうなんです。だから理想は「どの施設を選んでも大丈夫」な状態ですよね。そうしたら選ぶために必要な情報収集や考える時間、「合わなかったらどうしよう」と不安を感じる負担が減るわけですから。
こうした選択を含めた調整のケアは必要不可欠で、家族に残されるものではあるけれども、制度や社会の規範が変わることによって軽減される可能性はあるんです。
――女性に偏りがちな介護のケア負担を減らすにはどうしたらよいでしょうか。
女性にケアが偏りがちな現状は社会構造によるところが大きいので、残念ながら個人の努力ではどうにもできないことがほとんどだと思います。そんな中でも「考えたり調整したりするケア」は分業できる可能性はあるかもしれません。
たとえば、介護施設選びだけでも他の家族が行えば、負担や責任感が減りますよね。介護は一連の流れであるために分業が難しいと思われがちなのですが、介護施設でもチームで連絡・相談しながらよりよいケアを考えているわけですから、家族でも得意分野を持ち寄ってやろうと思えばできる可能性はあります。この動画は知人が介護の現場を撮影したものですが、たくさんのスタッフが終末期のケアに関わっていくことがよくわかります。
▲一般社団法人FUKUSHI FOR CONVIVIALITY Youtubeチャンネルより
とはいえ、やはり家族の自助努力だけに求めるのは厳しいので、ケアを社会に開いたうえで「家族はケアネットワークの一つ」 という感じになるといいですよね。最近では結婚しない生き方を選ぶ人も増えてきている中で、ケアの調整をしてくれる「家族内ケアマネ」がいない高齢者は今後もっと増えてきます。
「家族」が介護を担うモデル以外のことも考えていかなければいけないですよね。そのためには、介護施設の人員を増やして身体介助以外の部分まで手が回るような体制づくりや、介護施設職員の方の待遇の向上などが望まれます。
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家庭の中の、とりわけ女性に偏りがちな介護負担を分配しようと考えるとき、「観察と調整のケア」の大きさに気付かされました。
――食事や排せつの介助だけでなく、観察と調整もケアであり、介護をするうえで大きな負担になる。
「名もなき介護負担」を意識できれば、家族それぞれの介護の引き受け方も変わっていくかもしれません。
一方で、個人の努力だけではどうにもできない領域が大きいですし、家族のあり方が多様化しつつある現在、「家族」ありきで観察と調整のケアを行い続けるのも限界があります。「家族」以外が担う介護のあり方を模索することは、実は多くの人の生き方にかかわることなのです。
文筆業。「家族と性愛」を軸に取材記事やエッセイの執筆を行うほか、最近は「死とケア」「人間以外の生物との共生」といったテーマにも関心が広がっている。文筆業のほか、洋服の制作や演劇・映画のアフタートーク登壇など、ジャンルを越境して自由に活動中。
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