最近、訪問介護ヘルパーのアルバイトを始めたんです。本当に色々な方がいらっしゃるな〜と実感しています。
訪問介護のアルバイトを始めた藤谷さん、最近気になっていることがあるそうです。今回は、介護が始まる大きなきっかけの一つである「認知症」について、詳しくお話を伺いました。
最近、訪問介護ヘルパーのアルバイトを始めたんです。本当に色々な方がいらっしゃるな〜と実感しています。
ほうほう、くわしくお願いします。
同じ認知症の方でも、「なにもわからないです」と繰り返す方や、元先生で私のことを教え子だと思っているような、一目で記憶があいまいになっていることがわかる方、あるいは一見受け答えははっきりしているけれど、生活のことは難しい方など、色々なんですよ。だんだん「自分や親が認知症になったときのこと」と考えるようになってきて……。
わかりますよ。うちも母が怪我をした時、怪我の治りより長期間動けないことが引き金で認知症にならないかを気にしていましたからね。
これは私の偏見になってしまうのですが、「認知症」に対して「怖い」というイメージがあるんです。同世代の友人に聞いても似たような印象で、「自分が自分でなくなるのでは」、「人に迷惑をかけてしまうのでは」といった感じです。
確かに。やっぱりなんとなく怖いイメージありますよね。
とはいえ「認知症でも自分らしく生きよう!」みたいに無理やりポジティブに捉えるのも、「自分が自分でなくなってしまうかもしれないのに“らしく”ってなんだろう」って……。暗くなってしまってすみません。
いえいえ。そもそも「認知症」とは、具体的にどういった症状をさすのでしょう。もっといえば「病気」と呼んでいいものなのでしょうか?
認知症は「病気」ではなく症状の塊、つまり「症候群」とされています。
その声は!?
そろそろ気になるタイミングだと思って、今日は認知症ケアの専門家の方をお呼びしました!
早!!
グループホーム(認知症の方々が支援を受けながら共同生活を送る介護施設)の管理者をしている志寒さんです。
認知症には、「アルツハイマー病」「レビー小体病」、「脳血管障害」など、研究者にもよりますが、原因疾患が70〜200種類あるといわれています。その塊を「認知症」と呼ぶんですね。その診断のコアとなる症状は記憶障害です。その他に色々な症状が出てきて、社会生活に困難を感じるようになって初めて「認知症」と診断されるようになります。
たとえば、もう亡くなってしまったのですが、認知症の祖母に会いに行くと、私のことをずっと高校生だと思って話しかけてくれていたんです。これが記憶障害の一種でしょうか。
そうですね。認知機能って本当に複雑な能力なんです。しかも自動的、無意識に働いているわけで。それが衰えるということは、世界全体が変わることです。私たちは「世界が正常に見えている」と感じていますけれど、遠近、色、明るさ、輪郭などはっきりと認識しているのはどのくらいの範囲だと思います?
1メートルくらいですかね?
正解は、親指一本分くらいです。
えっ?(じっと親指を見つめる)
視野を動かして、脳がコンピューターのように自動計算して、「私達が見てる世界」を作っている。これが認知機能なのです。
それが失われるということは、本当に世界が変わってしまいますね。
例えば、お二方はバンドのライブの最中に、友達と会話することはありますか?
大好きな曲のイントロが聴こえたら、小声で「来た!」「やったね!」なんて囁くことはありますね。
その時は、バンドの音と友達の声を聞き分けられるということですよね。それを「選択的注意」と呼びます。ひとつのことに注意を向けることができるのは、人間の認知機能のひとつです。それがなくなると、すべてが大きな音として聴こえるんです。
ライブに例えてくださるので、大変わかりやすかったです。
音だけでなく、言葉がわからなくなると、周りの人が外国語を喋っているように感じるようになるでしょうし、脳の理解の速度がゆっくりになると、反対に周囲が高速になったように感じるかもしれません。出てくる症状も一人ひとり異なります。事前に病名を伺っていても、実際に利用者さんとお会いすると全く違うということもあります。
認知症って「周りが気づいて相談に」みたいなイメージがあるんですが、反対に自分が気づくことはあるんですか?
なんとなく気分が沈む、なぜか字が読めなくなっただとか、あるいは自分ではなく周りが急に嘘をつくようになっただとか、「なにか変だ、上手く行かない」と感じて、本を読んだりした結果「認知症かも」と、相談に行ったら……みたいな方はいらっしゃいます。
そうやって、早期発見につながることもあるのですね。
反対に「私は平気だ、おかしいところはない」と言い張る人も、本当は自覚があるのかもしれません。
自分に起きている異変に気づいて恐怖感があるからこそ、頑なになってしまうのかも……。私もそうなりそう。
それに、できないことがあっても、これまで培ってきた「社会経験」で取り繕ってしまえることもあるんです。私たちだって、久々に会う人に対して「この人誰だっけ?」って思いながら、なんとなく話を合わせるとかあるじゃないですか。
ははは。頻繁にありますね。マイナーなバンドの話を振られた時とかしょっちゅうです。友達の推しとか特にうろおぼえです。
人の顔を覚えるのが苦手なので、わたしはライブ会場で話しかけてくれた相手に「(うお…申し訳ないが…思い出せない…)」と、曖昧にごまかしたことが何度かあります……。ちなみに逆もまたしかり……(苦笑)。
すぐにライブで例えがち。
そうやって社会的な部分を上手くコントロールできることは、人間の強みでもあるんですけどね。
それが認知症の発見の遅れにつながってしまうこともあるんですね。
そう考えると、認知症になってしまった人は自分達と全く別の世界に行ってしまったというイメージから、自分達の延長線上にいるんだって思えてきました。
認知症の方は、自分を取り巻く世界に起きた異変に恐怖や不安を感じていて、それが時に妄想や幻覚、うつ状態などの精神症状や、暴言や暴力、極端な収集癖などの行動症状につながります。こうした症状は「周辺症状(BPSD)」といって、記憶障害などの「中核症状」とは区別されています。
認知症の症状と進行のしかた
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では、家族が認知症かもしれないときに、チェックしたほうがいいポイントはありますか?
目に見えるものがわかりやすいですよね。冷蔵庫の中の食品が、賞味期限切ればかりになっていたり、お金があるのに水道や電気が止まっていたり。家族に知られたくないから、取り繕ってしまう場合、ご近所のトラブルで発覚することもあります。離れて暮らしている場合、地域包括センターや民生委員さんが情報を持っていることもあるので、そこと連携して現在の親御さんの現状を改めてチェックすることが大切なのかと思います。
ちなみに、「若い頃にこんなミスが多かった人は、こういう症状が出やすくなる」みたいなことはあるのでしょうか?
「真面目な人がなりやすい」だとか「アルミの鍋は危ない」みたいな、謎の都市伝説も聞いたことがあります。
アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症は、脳に特殊な物質が溜まっていくことが原因と言われています。しかし、どのくらいその物質がたまったら認知症が発症するのかは究明できていません。それが本当の原因かどうかも疑問の余地があります。だから、発症する人の傾向は特に見出せていないんです。
強いて挙げるなら、脳梗塞など脳血管の疾患は認知症の大きな原因の一つなので、高血圧や糖尿病のリスクが高い生活を送っていると、脳血管性認知症になる可能性も大きいと言えます。
アルツハイマー型認知症の症状とは?原因から経過、治療までを解説
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レビー小体型認知症とは
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介護の資格学校で「認知症でもその人らしい生活を」と習ったのですが、「それができれば苦労ないけど、そんなにうまくいく!?」と思ってしまいます。
介護現場で働いていると、その理念に対してギャップを感じてしまうことも少なくありません。ケアをする短い時間で利用者さんのことをすべて理解しているわけではないものの、ご家族が困惑しているところに立ち会ったこともあり、自分がこの立場になったら…と想像してしまいます…。
認知症になり「人が変わってしまった」と言われる方もいて、結局「その人らしさ」って何なのかなと。
実はね、私は「その人らしい」という表現、あまり好きじゃないんですよ。その人らしさっていったい何でしょう。 例えば「謙虚」が私らしさだとしたら(?)私は謙虚であると主張しませんよね。”優しい人”だとしたら、どこでどのような言動をするのが優しいことなんでしょうか。
むずかしいですね。
「その人らしさ」は、あくまで第三者がみて、この人はこういう人なんだと枠組みをはめることから生じると思っています。それは人間関係では避けようがないことではありますが、そこには評価する側の感性や期待が混じることがあります。
お母さんはお母さんらしく、昔のままであってほしい。その期待はご家族としては仕方がないことだとは思います。ただ、認知症の人は先ほどお伝えした通り、いろいろな症状からの恐怖や不安と向き合う中で、自分が自分として安心していられる状態をなんとか作り出そうと必死になっています。その“らしくない”と感じる姿は、私が私を見失わないよう、心地よく存在し続けられるように、サバイバルしている姿と言えるかもしれません。
なるほど、そういう見方をしたことはなかったです。
「らしく」と言いつつ「こうあってほしい」の願望を押し付けてしまう感じは、身に覚えがあります…。
家族や周りの人、あるいは推しに対してもそうしてしまうことはありますよね…。
もちろん、症状によって荒れたり、混乱している姿はその人にとっても苦しい状態なので対応は必要です。そうではなく、いろいろな記憶を脇に片付けて、ただ”あるがままにある”姿は、その人にとって“私らしい”姿なのではないでしょうか。“その人らしい”より“私らしい”こと。それが大切だと思っています。
「認知症の方が趣味を楽しんでいるうちに、要介護度が下がった」という記事を見たことがあります。認知症にとって趣味は良い影響を与えてくれるものなのでしょうか?
もちろんあります。複雑なものや体力の必要な趣味の場合は難しくなるかもれませんが、「料理を作る」「歌をうたう」みたいな、身体で覚えたことは忘れないので、皆さん楽しんでいらっしゃいますね。
やっぱり、楽しみはあったほうがいいんですね。
例えば、さきほど「見えている世界が変わるのが認知症」と説明しましたよね。自分の記憶が定かではない、明日も昨日もよくわからない状態って、大海を漂流しているようなものなんですよね。そこに、趣味という碇を下ろすことができたら、流されずに「ここにいるんだ」という実感が持てる。それが家族だったり趣味、推しだったりします。自分自身の土台を認識するというか。認知症で混乱している方に、趣味の話をすると落ち着きを取り戻すこともあります。
私が認知症になって混乱し始めたら、「バンドの話とかふっとけばあの人は大丈夫だから」って言われるおばあちゃんになる可能性があるってコト……?
「自分自身の土台」ってよい言葉ですね。
趣味以外でも「自分はこれが好きだ」という確固たる欲求を持っている人のほうが元気ですね。例えば、体が弱って認知症が進んでも「これだけは食べられる」というものがあるといいです。以前、奥さまを亡くして生きる意欲を失ってしまい「僕はここに死にに来たんです」とおっしゃる利用者さんがいらっしゃいました。食事もロクに取らないので、ご家族に相談すると、どうやらマグロが好きらしいと。そこで晩ごはんにマグロを出したら、2切れだけですが、食べてくれたんです。「恥ずかしながら、食べてしまいました」と。
かわいいですね。
何かしらの欲求を、私たちのような周りの人間の働きかけで、引き出してあげることができたらと思っています。やっぱり欲求のある人、積極的な人のほうが生き生きとしているんです。たとえ寝たきりになっても「あれがやりたい、これがやりたい」という、心にピュアな欲求がある方のほうが、リハビリなどにしても効果が高いかもしれません。
たとえば「ライブに行くためにリハビリ頑張るぞ」みたいなモチベーションがあったほうがいいかもしれないと。
どこでその人の欲求を引き出すか、と言うのが私たちの仕事のやりがいですね。
1番の欲求の刺激材料は、人間だったりするので、スタッフによって結果が違ったり。ポジティブに「あの子の為なら、私頑張る」っていう人もいれば、「あいつだけには介護されたくない」って頑張りを見せる人もいる。どこで欲求や意志を引き出すのかは難しくて、私たちも常に学んでます。
これも少し不安に思っているのですが、推しのことを忘れてしまうなんてこともあるのでしょうか?
記憶というものは感情に絡んで残っているんですね。一番の推しになりやすいのは、ご家族だと思っています。今の息子のことはわからなくなってしまっているけど、子供の頃や若い頃の息子さんのことは生き生きとお話するんです。「あの子、学校でこんなことがあって……」みたいな。
本当に嬉しいことだったんでしょうね。私も、好きなバンドのインディーズ時代の思い出ばかり話してそう!
心の距離が近い、絆が強いと感じる方が心に残るんでしょうね。立派に成長された息子さんだけど、一番親を困らせていた頃の方が記憶に残っているなんてことも。
推しが解散したり、大幅な路線変更を行ったときはどうなるんでしょう。ファンとしては動揺して、ネガティブな影響を受けてしまうかも。
さすがにそれは一概にはいえないですね。でも路線変更に気づいているということは、認知機能がしっかりされていると捉えることもできます。では推しに出会わなければよかったのかというと、それは違いますよね。
考えてみれば、「推しが変わっていってショック」みたいな話は中学生くらいからありますし、普遍的なものですね。
生きるために大事な点、プラスエネルギーとマイナスエネルギーがどちらが大きいかというと、プラスのエネルギーが多いはずです。
そういっていただけると、希望があります!
例えばそこで悲しい別れを経験したとしても、認知症が進むと、別れというネガティブな記憶を忘れてしまって、きれいな思い出だけが残っている可能性もあります。
「忘れること」がポジティブに働くこともあるんですね。
▼取材にご協力いただいた志寒さんによる、認知症にまつわるコラム連載はこちら
「イマココだけ」を生きてみよう - 世界の見え方が変わる「認知症スイッチ」
「らしさ」から解き放たれて―認知症になって会えた「ありのまま」の母
▼この連載が書籍になりました!詳しくはこちら
不安を煽らず介護と老後の話をしようー書籍『バンギャルちゃんの老後』刊行記念インタビュー
奈良県出身の漫画家・イラストレーター。小学生の頃V系バンドに目覚め、以後約20年をバンギャルとして過ごす。主な著書はバンギャル人生をネタにしたコミックエッセイ『バンギャルちゃんの日常①〜④』(KADOKAWA)。趣味はスーパー銭湯めぐりとプロレス鑑賞。
1981年生まれ。自衛官、書店員、DTPデザイナーなどの職を節操なく転々として、フリーランスのライターに。趣味と実益を兼ねたサブカルチャーの領域での仕事が多い。共著に「すべての道はV系へ通ず。」(シンコーミュージック)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。
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