DNARを知っておこう〜「心肺蘇生をしない」という選択肢〜

みなさんはDNARという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

Do Not Attempt Resuscitationの略で、蘇生(Resuscitation)を試みない(Do Not Attempt)ということを意味し、具体的には心停止しても心肺蘇生を行わないことを指します。

心肺蘇生とは心臓マッサージや人工呼吸、心臓に対する電気ショック、心拍再開のための薬剤投与を行うことです。心臓が停止する前の病状が進んで呼吸がうまくできなくなったときにする(口から管をいれての)機械での人工呼吸をしないことも広い意味でDNARに含まれます。

DNARに出会う時

「放っておいたら死亡してしまうのに、救命しない(蘇生しない)っていう選択肢があるの?いつそんなことが問われるの?」と思われるかもしれません。

みなさんがこの言葉に出会うのは、親御さんが急変して救急車で病院に運ばれた時、あるいは体調を整える、病気を治療するために病院に入院する時でしょう。特に患者さんがご高齢である場合やがんが進行している場合に多いです。

主治医から、そういった急変するリスクがある患者さん本人や家族にたいして、「急変時はどうしますか。心肺蘇生まで行いますか?」という形で問われることになります。そこで初めて「DNAR(心肺蘇生をしないこと)に関する同意書」のような題の書面をみてDNARという言葉と出会います。

このDNARというものに皆さんはどういう感情を抱くでしょうか。

「目の前の患者さんが今にも死にそうになっているのにひどい!?」「老人だからって諦めるの?」と思うでしょうか。あるいは「医療者にとって救命しない方が楽なんでしょ!」と思われるかもしれません。その感情は正しいと思います。

どんな人であれ平等に医療を受けられるのが日本の医療制度でありますのでご老人であったとしても医療者が疲弊をしていたとしてもご本人にとって救命を試みた方が良いという状況なら蘇生処置を行うのが正しい行いでしょう。

実際、若くて健康な方などの交通事故などでは「救命をしない」というのが選択肢になることはほとんどありません。しかし、上記のようなDNARを医師から提示される場合は「救命をしない」という選択肢が本人や家族にとって良い場合が多いです。

DNARを提示される理由

心肺蘇生が試みられる時というのは、もちろん心肺停止になった時です。若くて健康な方が心肺蘇生を試みられた場合、多少体にダメージが残りますが、それも時間の経過と共に回復していくことが多いです。

一方で高齢者やがんが進行して心肺停止になってしまった場合はそうはなりません。仮に蘇生できたとしても、(心肺停止を起こす程度にまで)持病が進行しているので蘇生後の生きている時間を有意義な時間にできなかったり、(心肺停止による酸素の欠乏などで)脳機能の障害が起きた状態になり植物状態のようになってしまったりします。

また蘇生の成功、不成功に関わらず、心臓マッサージでは肋骨をボキボキと折ることになりますので、病気に加えて更に体を痛めた状態にしてしまいます。もし、蘇生が叶わなかった場合は、亡くなる際の家族と本人の穏やかな時間が奪われます(蘇生行為の最中は電気ショックや劇薬を使用するため、大抵の医療機関では、家族は別の場所にいてもらいます)。

また蘇生行為を終えた体は、心臓マッサージや電気ショック、人工呼吸を行った後でもあり、痛々しく冷たくなってしまった体で家族と対面することになってしまいます。

蘇生しても首尾良い回復が望めない場合は、あらかじめ蘇生をしないこと(DNAR)に同意をしておくとこのような不幸が防げるため、私達医師達は該当する方々にDNARを選択肢として提示しています。

今、DNARを決められますか?

まさに今、みなさんの親御さんに急変が起こり、救急車で病院に運ばれたとします。迅速な治療で一命を取り留め、容態を安定させるために入院させることになった時、主治医からDNARに同意するか問われたら、皆さんはその場で決めることができるでしょうか。

実際の臨床現場では、家族の反応は2つに別れます。

「もう本人とはつらい医療は受けないと話し合っています。」というDNARに速やかに同意するパターンと、「私がここで決めないといけないんですか!?」というDNARなんて今まで考えたこともないというパターンです。

前者のパターンは患者さんと家族が良好な関係で介護なども積極的に行われている方が多い印象です。逆に後者のパターンはうまく本人とのコミュニケーションがとれていなかったり、他の家族と話し合いが出来ていないパターンが多いです。

もちろん、今まで患者さんに命の危険が起きるまでの病気にかかったことがなかったということもありますので、その話し合いをしてこなかったという理由は十分わかります。ただ、医療者としては、人は年齢を重ねれば感染症にかかりやすく、ちょっとしたことで死に至りやすいことは痛感しているところです。

もし非医療者の方にもご理解頂けたら不幸な結末に終わることがすくなくなるのにと思い、時間の許す限りちょっとした外来診療でもこのDNARのお話はするようにしていました。

患者さんの病状が軽症の場合だと、ご理解頂くのに時間ばかりかかってしまうことが多かったですが、興味深いことに、今は新型コロナウイルスの影響で、高齢者が死と隣り合わせにある状況が、医療従事者でなくとも肌で感じられるようになり、救命措置について本人と家族が話されることが多くなったようです。

救命を試みないことが良いことではない

これまでの流れで「高齢者の場合はDNARに同意をすることが良いことだ」や「がんが進行している人はDNARに同意すべきだ」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、それは違います。誤解していただきたくない点なので最後に強調させてください。

「人生をどう終えるかに思いを馳せてほしい」

これが今回の裏テーマです。DNARは人生の終え方の手段の1つでしかありません。人生を終えるまでに救命措置を含め様々な選択肢を提示されることになります。自分たちに適切な医療を選ぶために大事になるのが、「自分や家族の人生をどう終えたいか」という死生観です。そしてその死生観を共有しておくことが、納得のいく医療をうける鍵になります。

私たちの体は不老不死ではありません。必ず老いて、病から回復する力が衰え、必ず死にます。

その事実と向き合い、人生をどう終えたいかを家族と話し合って置かないと望まない蘇生行為を受けることになってしまいます。決して蘇生行為を受けないことが良いと言っているわけではありません。その過程にある家族との話し合いこそが大事なのです。

(ずっと生きていて欲しいという)目の前の願望だけで物事を決めてしまうと、思わぬ結果に呆然としてしまいます。必ず私たちは死ぬのだから、どのような死に方が最も納得がいくのかというのを家族と共に話し合うことで、どの医療が自分たちに合っているのかを選ぶことが出来、それが人生の幸福に繋がります。

「人生の最後をどうするか」というのはなかなか家族としても切り出しにくいテーマかもしれません。

今はちょうど新型コロナウイルスの緊急事態宣言下です。重症化しやすい高齢者の方は罹患しないことがベストですが、もう市中に蔓延している状況でいつ誰がかかってもおかしくない状況です。この状況は怖い状況でもありますが、家族が実感を持って人生の最後を話し合う良いチャンスともいえます。新型コロナウイルスが収束してからも大事なテーマですので、どのような最後を迎えるのが良いか、是非家族と話し合ってみてください。

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上松 正和
上松 正和 放射線科専門医

九州大学医学部卒。放射線科専門医。国立がん研究センターを経て現在は東京大学病院で放射線治療を担当。無料動画で医療を学ぶ「YouTubeクリニック」では「10分の動画で10年寿命を伸ばす」を掛け声に30-40代の方やがん治療に臨む方へ向けた日常生活や治療で役立つ医療話を毎日配信中。

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