大好きな祖父が尊厳死を希望しているのに延命治療をしてしまった理由

祖父と孫の重なる手

私は祖父の死に目に会えなかった。そのことが今も悔やまれます。

私は大変なおじいちゃん、おばあちゃん子でした。両親が共働きだったこともあり、東京の田舎にある祖父母の家へよく預けられていました。祖母お手製のぬいぐるみで遊び、祖父が手書きで作ってくれた計算ドリルで勉強をしました。“凡庸なメンヘラ”として自殺未遂を繰り返す10代の頃の私に、泣きながら「死んだら私たちが悲しい」と叱ってくれたのは、祖父だけでした。

祖父は、脳梗塞の発症をきっかけに老人ホームへ入居しました。半身不随となりながらも、片手で抱えられる軽量の夏目漱石全集を毎日読んでいました。ですから、私は祖父が死ぬ日が来るなんて思いも寄りませんでした。ところがある日、「間質性肺炎」にかかった祖父は、それから数週間のうちに亡くなってしまいました。そろそろ7回忌にもなろうという今になってもなお、私は祖父の死を受け止め切れていません。

なぜ、祖父の死を看取ることができなかったのか……という以上に、悔やんでいることがあります。祖父の延命を、止められなかったことです。

ある日「死にたい」と言いだした祖父

祖父が脳梗塞になるよりもずっと前に、祖父は私へ「死にたい」と打ち明けてくれたことがあります。うつ病にでもなったのか? と慌てる私に、祖父は淡々と言いました。

「おじいちゃんは、これまでとても健康だった。歯も80歳で全部生えそろっているし、毎日2時間の散歩だって欠かしたことがない。リタイアしてから囲碁で段位も取れたし、生物学の論文まで書いた。だからね、死ぬなんてことが想像できなかったんだよ。

それがこの前、自転車から落ちて背骨を折っちゃっただろう。それから気付いたんだよ、このまま少しずつ体が弱って、死んでいくのは耐えられないと。うちは脳梗塞の家系だから、半身不随になって苦しむ期間が長いかもしれない。そう思うと、ピンピン、コロリじゃないけどね、さっさと死にたいね」

あまりにも冷静な祖父の意見を聞いてしまい、私は「そうだね」としか答えられませんでした。普段の夕食の時間にさらりと交わされたこの会話は、私にとって一種の「約束」として映りました。いつかおじいちゃんに何かあったら、私が延命措置を止めるんだと。

間質性肺炎と、祖父本人の冷静な判断

果たして自身の予言通り、祖父は脳梗塞で半身不随となりました。それでも老人ホームに入ったことで、私は「また脳梗塞が起きても、病院へすぐ運んでもらえるから大丈夫だ」「夏目漱石全集を読むくらい元気なんだから、まだ何年も生きてくれるだろう」と安心しきっていました。

祖父が間質性肺炎になったのは、それから数年後。唐突に、親からメールが届きました。「おじいちゃんが肺炎になりました。もって3日とのことです」──頭が真っ白になりました。

病院へ駆けつけたとき、祖父の意識ははっきりしていました。「肺炎なんて、すぐ直るよ」という家族へ、冷静に「肺炎は高齢者の死因3位だから。私はもう十分生きた」と伝える祖父。咳き込みながら、延命の意思はないことや、葬儀の希望まで、はっきりと家族へ伝えていました。もともとワープロを使いこなしていた祖父は、その手順までしっかり書類で残していたのです。何もかもが完璧で、あとは私たちが祖父の死を看取るだけでした。

そして、私たちは延命措置をしてしまった

私たちは「最期に話ができてよかった」なんて、センチメンタルな気持ちで終わることはできませんでした。祖父の延命措置をお願いしてしまったのです。間質性肺炎に、完治へ向かう有効な治療法はありません。

しかし、その進行を遅らせる薬はあります。残酷な言い方をすれば、私たちは祖父が苦しむ期間を長くするだけの薬を投与したのです。

次に祖父に会ったとき、数日前の冷静な判断を下した祖父はもういませんでした。間質性肺炎は簡単に言えば「肺ごと水に溺れる」ような苦しみを味わうのだそうです。息を吸っても、酸素を取り込む機能がダメになっているから、楽になれません。激しく胸が上下していました。眼球がぐるぐるとメリーゴーラウンドのように回り続ける祖父を見るだけで、涙がボロボロ出ました。あれだけ望んだ安らかな死を、私たちは与えられなかった。

「これが最期でもいい」と会い続ける覚悟

祖父はそれから2週間苦しんで死にました。「いつかおじいちゃんに何かあったら、私が延命措置を止める」という約束を果たせなかった私のせいです。

でも、家族を責める気にはなれませんでした。延命措置をしなければ、祖父は自分の妻である祖母に会うこともできませんでした。老人ホームから遠くの地に住む祖母が病院へ駆けつけるには、1週間の準備が必要だったからです。おばも、いとこも間に合いました。存命中に祖父と会いたかった人間は、私だけではありません。そのために、存命してもらうしかなかった。

私たちに足りなかったのは、会うたびに「これが最期かもしれない」と考える覚悟でした。「まだ生きるだろう、だってあんなに元気なんだし」という想定は、高齢者には当てはまりません。昨日まで元気だった人も、いつ倒れるかわからないのです。倒れてから「最期に会いたい」と思えば、それが延命へつながってしまう。

だから私たちはいつでも「これがもしかしたら最期かもしれない」と覚悟して会うしかないのでしょう。いざというときに、本人の苦痛を長引かせないために。

この原稿を書いている今の私だって、記事が公開されるまでの間に死んでしまうかもしれません。けれど「さよなら」を前提に生きることが、苦痛の大きい延命を止められる唯一の方法なのです。別れを覚悟していれば、最期に会いたいとすがることもなくなるのですから。

そしてどんな出会いが最期になろうとも、後悔しないよう生きること。それが生きている私たちにもできる、精一杯の終活なのでしょう。

編集/はてな編集部

トイアンナ
トイアンナ

大学卒業後、外資系企業で約4年勤務。 その際消費者のヒアリングへ参加したことを期に、現在までに1000名以上の人生相談を聞く。現在はライターとして独立。

Twitter@10anj10ブログトイアンナのぐだぐだ トイアンナさんの記事をもっとみる

おすすめの関連記事

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniをフォローして
最新情報を受け取る

ほっとな話題

最新情報を受け取る

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniフォローする

週間ランキング

ページトップへ