兵庫県は、年齢や障害の有無に関係なく誰もが旅行を楽しめる「ユニバーサルツーリズム(以降、UT)」を推進。昨年度には、全国初となるUT推進に特化した条例「高齢者、障害者等が円滑に旅行することができる環境の整備に関する条例」(通称:ユニバーサルツーリズム推進条例)を制定し、今年4月1日に施行しました。
兵庫県はなぜ、UTの普及に力を入れているのか? 推進を始めたきっかけや条例をはじめとした具体的な取り組み内容について、県の担当者である観光振興課の花房真衣さんにお話を伺いました。
――兵庫県では、「ユニバーサルツーリズム(以降、UT)」に特化した条例を制定するなど、UTの推進に積極的に取り組んでいます。県を挙げてUT推進に取り組む背景について、お聞かせください。
兵庫県がユニバーサルツーリズム(UT)の推進を強化し始めたのは、2021年8月に齋藤元彦知事が新知事に就任したのがきっかけです。
知事が掲げた公約のひとつに、「障害者が日本一旅行しやすい県をめざす」というものがあり、新知事就任を機に、本格的にUT推進をスタート。有識者や観光事業者、福祉系団体の関係者を集めた「検討会」を設置し、意見交換をしながらさまざまな施策を行ってきました。
知事をはじめ、県が積極的にUTを推し進める背景には、昨今の社会情勢が大きな要因としてあります。
そのひとつが「人口減少や少子高齢化の進行」です。県内では、高齢者や障害者が人口の3割以上を占め、今後も増加基調にあります。
2025年には団塊世代が後期高齢者となり、旅行はもちろん、消費活動全体に落ち込みが予想されることから、高齢者のみならず誰もが旅行しやすい環境をつくり、県内の観光消費拡大につなげることが急務です。
また、兵庫エリアへの「観光ニーズの高まり」も要因の一つ。2024年には神戸で世界パラ陸上競技選手権大会が、2025年には大阪・関西万博が開催され、国内外から多くの観光客の来訪が見込まれます。障害者をはじめ、多様な来訪客の受け入れに備えることも喫緊の課題です。
そのほか、SDGsの「誰一人取り残さない」という包摂性の観点や、障害者差別解消法の改正に伴う、「障害者への合理的配慮の提供の義務化」(2024年4月施行)など、「社会的なニーズの高まり」も、UT推進の後押しとなりました。
――「検討会」を中心に、どのようにUT推進を図っていきましたか。
まずは、県内のUTの現状把握を行ったところ、「3つの課題」が見えてきました。
1つ目は、「利用者側(高齢者や障害者)」と「受け入れ側(宿泊施設側)」の双方にある不安感です。
利用者からは、「自身の障害に対してどの宿泊施設等が受け入れてくれるか分からない」という不安の声がある一方、受け入れ側からは、「高齢者や障害者の方に対してどこまで接遇したらいいか分からない」「ビジネスとして成り立たせるためのアプローチの仕方が不明」などの声がありました。
実際、利用者へのアンケ―ト調査で、「年齢や障害を理由に旅行を諦めたことがあるか」と聞いたところ、障害者が41.7%、要介護・要支援の高齢者が34.6%。特別支援学校にお子さんが通っている保護者については51.3%が「ある」と回答。多くの方が年齢や障害を理由に旅行を諦めていることが分かりました。
一方、宿泊施設にもアンケートを行い、「今後のユニバーサルツーリズムへの取り組み意向」について聞いたところ、①「積極的に取り組んでいきたい」が8.3%、②「できるだけ取り組んでいきたい」が22.1%、③「機会があれば取り組んでもよい」が44.8%でした。①②の積極姿勢よりも、③の中立姿勢が多かったのです。
このように「双方にある不安感をどう払拭していくかがカギ」であることを認識しました。
2つ目の課題は「ユニバーサルツーリズム推進の担い手育成」です。県内にはUTの相談窓口を構えるNPOがいくつかありますが、現状、一部の地域だけにとどまっています。県内の各地域にUT推進の担い手が増えれば、当事者の方々もさらに旅行しやすくなるでしょう。
そして3つ目の課題は、「ユニバーサルツーリズム推進の機運醸成」です。UTの普及には、当事者や観光事業者のみならず、一般の観光客からの理解も不可欠です。そのためには社会全体で、UT推進への機運を醸成する必要性があります。
――これらの課題解決のために、県ではどのような対策を考えましたか。
まず、取り組みの方向性として「受け入れ体制の充実」と「UT推進に関する情報発信」の2つを掲げました。
UTを地域全体に普及させるには宿泊施設のみならず、そこに行くまでの移動手段や現地での観光の充実度も図る必要があります。
そこで受け入れ先の事業者(宿泊施設、観光施設、交通サービスなど)が連携したワンストップサービスの提供やホスピタリティの向上を図り、“受け入れ体制を充実させる”ことに焦点を当てました。
また、利用者・受け入れ側の不安感を払拭し、UTを広げるためには“情報発信”が欠かせません。双方にとって必要な情報・ノウハウの発信強化によって、UTの普及が加速するとともに、社会全体の機運醸成につながっていくと考えました。
――全国に先駆けて、UTの条例を定めたのも機運醸成に大きく貢献しているのではないでしょうか。
そうですね。県としてUT推進への積極姿勢を明確に示す上でも、条例制定の意義は大きいと思います。
この条例には、兵庫県がUTを推進する上で目指すべき姿や取り組みの方向性、責務・役割などが盛り込まれています。「検討会」で話し合った内容をもとに案を作成し、さらに県民の方から公募した意見を反映しながら作り上げました。
――では、UT推進のための具体的な取り組み内容について教えてください。
県では条例に基づき、以下の6つの取り組みを実践しています。
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ユニバーサルツーリズムおもてなし研修
ユニバーサルツーリズムコンシェルジュの育成
ユニバーサルツーリズム推進連絡会
「ひょうごユニバーサルなお宿」宣言・登録制度
ユニバーサルツーリズム推進トップセミナー
ユニバーサルツーリズムモニターツアー
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まず1つ目の「ユニバーサルツーリズムおもてなし研修」ですが、これは観光事業者の従業員を対象に、高齢者や障害者を受け入れる際の接遇やホスピタリティを学ぶ研修です。
昨年度からスタートし、今年度も全10回開催する予定です(参加費無料)。
――「おもてなし研修」ではどんなことを学ぶのでしょう。
例えば視覚障害者の方に声をかける際に、後ろから「すみません!」とお呼びしても、その方は自分のことを呼ばれているのかが分かりません。
ですので、名前が分かる場合は名前をお呼びする、あるいは、そっと触れながら話しかける、といった行為が必要となります。
そうした障害がある方、高齢の方が抱える問題や具体的な接し方について学ぶことがメインとなります。
また、「施設内に段差があるため車椅子の方をご案内できない」と考える宿泊施設の方もいますが、段差を解消するためのスロープを後付けで設置することも可能です。
ハード面でバリアフリーが整っていなくても、ソフトの部分でいろいろと補えることについても、この研修でお伝えしているポイントです。
――2つ目の「ユニバーサルツーリズムコンシェルジュの育成」について詳しく教えてください。
これは、旅行者や観光事業者からの相談対応など、UTの普及促進を担う専門人材を育成する取り組みです。
半年間で全6回の研修を行い、修了した方をコンシェルジュとして認定。昨年度からスタートし、すでに17名の方が認定を受けています。今年は8月31日に開講し、22名の方が受講予定です。こちらも受講費は無料となっています。
――どんな方が参加していますか。
観光事業者や移動サービス事業者、地域のNPOの方が多い印象です。県内に在住または勤務している方で、UTに携わっている方やこれからUTに取り組みたいという方はどなたでも受講が可能です。
研修内容は、「おもてなし研修」をさらにレベルアップさせたものとなっています。
例えば、障害がある当事者の方を講師に迎え、「旅の際にどんな困りごとがあるのか?」について意見交換をしたり。実際に車椅子に乗ってまち歩きをしながら、まちの課題に気づき、解決策を考える「UTマップの作成」を行ったりなど、UTについて幅広い視点で学べるプログラムになっています。
コンシェルジュに認定された方は、ご自身の業務の中でその肩書きを活かした活動をしていただくことができます。昨年受講したNPOの方は、法人内にUTの相談窓口を設置し、コンシェルジュとしての活動を始めるそうです。そのようにUTの専門人材が活躍できる場が広がるといいなと思います。
――4つ目の「『ひょうごユニバーサルなお宿』宣言・登録制度」も興味深い取り組みですね。
これはUTに積極的に取り組むことを宣言した宿泊施設を県が支援し、登録・情報発信する制度で、今年度から運用を始めました。
この制度の目的は、UTを積極的に推進する宿泊施設の取り組みを促進することと、その情報を一つのポータルサイトに集約することで、当事者の方々が情報収集しやすい環境をつくることです。
――宣言にあたって、必要な条件はありますか。
2つ要件を満たす必要がありまして、1つ目は県が定める「チェックリスト」に沿って、自施設のUT取り組み状況をチェックしていただくこと。
2つ目は、「従業員向けに高齢者などに配慮した接遇研修を行っている」もしくは「おもてなし研修を受講している」こと。それらが条件となっています。
チェックリストには、「車椅子の貸出を行っているか」「ユニバーサルルームやバリアフリールームは整備されているか」など、UTに関する項目が全部で73項目あります。
あくまで「これからUTに積極的に取り組む」という決意表明になりますので、宣言の時点では、チェックできる項目が仮に1つしかなくてもOKです。
チェックリストの項目は、ソフト対策が中心となります。ハードが整っていなくても取り組める項目も多くあ有りますので、まずは宣言して、チェックできる項目を増やしていただけたらと考えています。
現在(2023年8月23日時点)、宣言施設は39施設にまで広がり、兵庫県の公式観光サイト「HYOGO!ナビ」で施設名とチェックリストの内容も、随時公開しています。
――宣言することによって、「UTに積極的に取り組んでいる」というアピールにもなりそうですね。
その効果はあると思います。来年開催されるパラ陸上に向けて、施設の充実を図りたいと、宣言する宿泊施設もあります。
――宣言した施設に対して、県がさまざまな支援を行っていくわけですね。
はい。宣言施設の中で、ある一定の要件を満たしている施設に対して、ソフト、ハードの両面から支援を行います。
ソフト面では車椅子やシャワーチェアなど備品の購入費用として、上限30万円を補助。ハード面では、バリアフリー改修のための設計や工事で、最大1800万円まで補助します。
県からの補助の有無にかかわらず、宣言施設の中でチェックリスト35項目以上クリアしている施設は、申請があれば現地確認の上、「登録施設」として登録します。その施設情報も随時「HYOGO!ナビ」で発信していきます。
――ほかにはどんな取り組みを?
「ユニバーサルツーリズム推進連絡会」を開催し、地域の宿泊事業者や福祉事業者などのネットワーク強化を図るほか、観光事業者の経営層を対象とした「ユニバーサルツーリズム推進トップセミナー」も行い、経営視点からUT推進の意義を説くセミナーも実施しています。
障害者の方にUTを実際に体験していただく、「ユニバーサルツーリズムモニターツアー」にも力を入れています。この事業は、ツアーの改善向上を図るために、当事者の方に生の意見をいただいたり、旅行会社に向けてツアーの企画をPRしたりすることが目的です。
例えば、肢体不自由の方を対象にしたツアーでは、海に入ったり山を走ったりできる車椅子を使ってアクティビティを体験。皆さん、とても楽しそうにされていて、改めてUTの魅力や可能性を感じることができました。
――これだけ多くの施策をたった2年で実現化されたことに驚きますが、UTを推進する上で苦労した点はありますか。
「検討会」には観光事業者や福祉系の団体、UTを推進するNPOの皆さんに参加してもらっています。
さまざまな方の思いを聴いた上でそれぞれが納得できる落としどころを見出すのが、最も苦労した点かもしれません。
UT推進において大切なのは、観光事業者に取り組む意義やメリットを感じてもらえるよう、今後のマーケット拡大を見据えた「産業振興の観点」から伝えていくことです。そのため、県では「観光振興課」が中心となって進めています。
とはいえ、UTには福祉の観点ももちろん必要ですので、今後はさらに福祉との連携も進めていければと考えています。
――今後の展望についてお聞かせください。
先ほどもお伝えしましたが、宿泊施設だけを整えても、そこに行くまでの移動手段や現地での観光が充実していなければ、当事者の方もなかなか旅行に行きづらい側面があります。
今、「点」の状態にあるものをどれだけ「面」として広げられるか? それが目下の課題です。
兵庫県の但馬地域に湯村温泉という温泉街があり、町全体でUTに取り組む動きがあります。そのように地域一帯で、UTに力を入れるエリアを増やしていくことも考えていきたいです。
UT推進はまだ始めたばかりですが、積極的に取り組みたいという観光事業者も少しずつ増えています。当事者の方々をはじめ、多様な方々に県内の観光地を楽しんでいただけるよう、環境づくりに励んでいきたいと思います。
日経ホーム出版社(現・日経BP社)にて編集記者を経験した後、2001年に独立。企業のトップから学者、職人、芸能人まで1500人以上に人生ストーリーをインタビュー。働く人の悩みに寄り添いたいと産業カウンセラーやコーチングの資格も取得。12年に渡る、両親の遠距離介護・看取りの経験もある。介護を終え、夫とふたりで、東京・熱海の2拠点ライフを実践中。自分らしい【生き方】と【死に方】を探求して発信。
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