人生の終末期のあり方について、意欲的な取り組みに挑戦しているプロたちと考える連載企画「死を生きる ~人生の最後に出会うプロたち ~」。
今回、登場していただくのは、がん研究会有明病院で腫瘍精神科部長をつとめる清水研先生である。
がんという病気が人にどのようなことをもたらすのかを理解し、その経験をもとにきめ細かい心のケアをするのが腫瘍精神科医の役目だ。
これまで、4000人以上のがん患者およびその家族と対話をしてきた清水先生とともに、「死」から「生」を見つめる生き方について考えてみよう。
──腫瘍精神科医とはどんなお仕事なのですか?
精神科医というと、うつ病の患者さんのケアをしたり、統合失調症や双極性障害のような典型的な精神の病気を治療したりする医師を思い浮かべる人が多いかもしれません。
その一方で精神科医には認知症の予防や治療に関する研究を行う人や、産業医として職場のメンタルヘルス対策にあたる人など、その専門性を発揮できる現場は幅広くあります。
がん患者とその家族を対象にしている腫瘍精神科は、他の精神科と比べて「死」にもっとも近いという特徴があります。
──患者さんとの関わりは、主治医の紹介を受けて始まるのでしょうか?
私が腫瘍精神科医になった2003年ごろは、そういうケースが圧倒的に多かったです。
最近では患者さん自身がその存在を知って、直接来院されるケースも少しずつ増えています。
──来院される患者さんたちは、どのような悩みを抱えているのでしょう?
がんを体験した方が100人いれば、100通りの悩みがあります。
例えば、がん告知を受けたばかりの患者さんのケース。
過去の研究では、がん告知後にうつ状態になる割合は5人に1人という報告があります。また、がん告知後1年以内の自殺率は、一般人口の24倍というデータもあるのです。
──24倍、そんなに違うんですね。
無事に手術が終わって退院した方の中にも、「次の検査で再発が見つかるのではないか」と不安を抱えてらっしゃる方も多いんです。
それから、「根治するのは難しい」「治療する手立てはもうない」という状態になった患者さんは、自らの「死」に直面することになります。
近年は、がんに伴うさまざまな痛みや苦しみを緩和し、生活の質を保つ「緩和ケア」がだいぶ進んでいますが、それでも、身内ががんで苦しんで亡くなった経験のある場合など、多くの方は不安を抱えています。
また、まだ小さい子どもがいる患者さんは「子どもの成長を見ずに死ぬのはつらい。心残りだ」という悩みを抱えていることも多いです。
ですから、初めて患者さんやその家族の方とお会いするとき、私が第一に心掛けているのは、その方がどんな悩みを抱えているのか、十分に理解しようとすることです。
──清水先生は、がん患者本人だけでなく、その家族の相談にも応えているのそうですね
がんによる心の苦しみは、病気によって仕事や普段の生活、人間関係などに対する劇的な変化を受け入れなければならないことが主な理由になっています。それまで思い描いていた人生設計を、根底から変えなければならないのです。
それは、家族の人たちにとっても同じことが言えます。大切な人ががんになることで、その周囲にいる人たちの人生は大きく変化します。
実際、精神的な苦痛の程度は、患者本人より家族のほうが大きいという研究結果も多く報告されています。家族がしばしば「第二の患者」と呼ばれる理由はそこにあります。
──実際のカウンセリングは、どのようにして行われるのでしょう?
人が悩みと向き合う力を「レジリエンス」といいます。私は、患者さんがその力を発揮するためにカウンセリングを行う、レジリエンス外来を開設しています。
レジリエンス外来でのカウンセリングは、基本的に1回につき約50分。これをできるだけ短期間で4~8回ほど行います。
100人100通りの悩みがどんなものなのかをお互いに理解し合うことが本来の目的ですが、最初のうちはまず、その人の生い立ちや、思春期に考えていたこと、成人してからどんな人生を歩んできたか、自分が何を目指して生きてきたか、ということを時系列に沿って振り返っていきます。
そのあとは、がん告知後に自分の心がどのように移り変わっていったかをくわしく語ってもらいます。
がん体験がどんな変化をその人にもたらしたか、そして、その変化がどのようにして悩みにつながっているのかを一緒に理解していくのです。
実は、悩みというのは本人にとって、明確な形で認識されているケースはそう多くありません。
カウンセリングでの対話を通じて、悩みの原因を丁寧に理解していくことで「そうか、自分の悩みはこういう原因があると思っていたけど、本当は別のところに原因があったんだ」と改めて気づくこともよくあるんです。
──具体的には、どんなケースがありますか?
それでは、当時48歳だったIさんのケースを紹介しましょう。
開口一番、「私は精神科に診てもらう必要はないと思っているが、信頼する主治医に勧められたので、不本意ながら来てみた」と言って外来を訪ねてきたIさんの職業は、外科医でした。
がんの治療の後遺症で手に痺れが残り、「もう外科医として働けないかもしれない」という思いに苦しんでおられるようで、「外科医でなければ自分はからっぽの存在だ」とおっしゃっていました。
「からっぽの存在」という言葉が頭に引っかかった私は、Iさんが医師になった動機について質問してみました。すると、「それしか選択肢がなかった」という言葉が返ってきました。
そこで、医師になるしかなかったという事情がどんなものなのかを聞いてみると、Iさんはご自身が育った環境について話してくださいました。
実はIさんのお母さんは親族に医師の多い家に生まれ育った方だったそうで、ひとりっ子だったIさんは、物心つくころから「あなたには立派な医者になってほしい」と言われて育ったそうです。
人を褒めることの少なかったお母さんが唯一、Iさんを褒めたのは、医大に合格したときだったといいます。
そこまで話を伺って、私は「外科医でなければ自分はからっぽの存在」と話すIさんの事情を理解できた気がして、こうお伝えしました。
「Iさんは立派な外科医にならなければお母さんの愛情を得られなかったのですね。それでずっと、ここまで頑張ってこられたのですね」と。
すると、それまで気丈にふるまっていたIさんが初めて、私の前で涙を流されたんです。
──それは、Iさんが初めて自らの感情を吐露した瞬間だったのですね。
ええ、そうです。
がんになった方の多くは「よりによって、なぜ自分ががんになってしまったのか」と怒りを感じたり、「自分は今まで大切にしてきたものを失ってしまうのだ」という事実を受け入れられずに悲しみの感情を抱いたりします。でも、それを表に出さずに抑えつけ、無理に溜め込んでしまうと、悩みの本質に気づくのが難しくなってしまうのです。
ですから、「正しく怒る」「正しく悲しむ」というのは心にとって大切な営みです。涙を流す場合は、1人で泣くより、自分の話を聞いてくれた人の前で泣くほうが心の傷を癒す効果も大きくなります。なぜなら、心の痛みは「誰かに理解された」「受け入れられた」と感じるとき、最も和らぐものだからです。
──そのあと、Iさんはどうなったのですか?
最後の6回目のカウンセリングで、Iさんは私にこうおっしゃいました。
「今まで最高の医療を提供しようと思っていたけど、それは『立派な外科医』である自分を確認することが動機で、自分本位に考えていました。
今後、外科医を続けられるかどうかはわからないけれども、何らかの形で医療を続けることはできるでしょう。
これからは自分本位ではなく、本当の意味で困っている人の役に立ちたいと思います」と。
がんによって自分を「からっぽの存在」と思い悩んでいたIさんの姿は、もう、そこにはいませんでした。
──「1回50分を4~8回」のレジリエンス外来では、たっぷりと時間がかけられているのがわかります。病院が腫瘍精神科の役割をそれだけ重要視しているのはなぜでしょう?
かつてのがん医療は、「がんを根治させること」、それができないとしても「1日でも長く生きること」にのみ焦点が当てられていた時代が長く続いていました。
しかし、それだけでは不十分であることがだんだんと理解され、「緩和ケア」によってがん治療に伴うさまざまな苦しみや痛みを緩和し、生活の質を保つことも大きな目標になりました。
2006年6月に成立した「がん対策基本法」の存在も大きいです。その基本施策のひとつに「がん患者の療養生活の質の維持向上」が掲げられています。
こうした時代の流れの中で、腫瘍精神科医はがん患者さんの肉体的な苦しみだけでなく、精神的な苦しみに対応するものとしてがん医療の一角を担っているのです。
その対象は患者さん本人だけでなく、その家族の方々の心のケアを提供することも目指しています。
──「死」に直面した患者さんやその家族の心に寄り添うというのは、とても難しいお仕事のように感じます。
そうですね。実際、私自身、腫瘍精神科医になりたてのころは、患者さんの役に立ちたいと願いながらも、役に立っているという実感が得られず思い悩みました。
それまでの私は自分の「死」について考えたこともなく、相談に来られる方々の悩みにどう応えればよいのか、まったく見当がつかなかったのです。
人は、がん告知などによる衝撃的な喪失体験をすると、もともとその人が持っていた人生観が大きくゆらぎ、崩れ去っていきます。
その直後は怒りや悲しみといったつらい感情がめぐり、「喪失と向き合う」という最初の課題に取り組むようになるのです。
つらい感情がやわらいでくると、「新たな人生の意味を考える」という第2の課題に向き合うことになり、最終的には「新たな人生観」が作られます。
このように、人がショックから立ち直るプロセスは、心理学の分野で「心的外傷後成長モデル」と呼ばれています(下図)。
ただ、患者さん本人には「がんによって成長した」という実感はあまりないようです。
カウンセリングが進むにつれ、「だいぶ考え方が変わりましたね」と指摘しても、「日々、悩みながら病気と向き合っているだけです」と反応される方がほとんどなんですが、私自身はそうした患者さんたちの心の変化を目の当たりにするにつれ、「人は“死”を見据えながらも生きることができる」「“死”を見据えることが“生”を輝かせることにつながる」ということを教えてもらいました。
「心的外傷後成長」は、人があるがままに病気と向き合うプロセスの中で自然に生じるものです。
カウンセリングで大切なのは、何よりも患者さんの悩みを理解することで、あとは「心的外傷後成長」が自然に生じていく手助けをするのが私たちの役目だと気づかされたのです。
──死と向き合うことで「第2の人生観」を持つようになる、というお話でしたが、現代の日本人にとって、「死」は目を背けるべきものと捉えられがちですよね。
誰にとっても、「死」は怖いもの、不安や恐怖といった感情につながるものですよね。
目を背けてしまうのは当然なんですが、そのようにして「死」を得体の知れないものにしていると、不安や恐怖はますます大きくなります。
そこで、「死」という問題をきちんと正面から向き合うという経験が、不安や恐怖をやわらげることにつながります。
そのとき、何を考える必要があるのかについては、心理学領域の研究である程度明らかにされています。
私はそれをもとに、死にまつわる問題を次のように3つに分類しました。
【人が「死」を恐れるのはなぜか?】
① 死に至るまでの過程に対する恐怖
・最後はどんな風に苦しむのだろうか
・がんによる痛みはつらいのだろうか
② 自分がいなくなることによって生じる現実的な問題
・まだ子どもが小さいので将来のことが心配
・高齢の両親が悲しむし、その世話をどうするのか?
・取り組んでいるライフワークが未完になってしまう悔しさ
③ 自分が消滅するという恐怖
・死後の世界はどうなっているのか?
・自分がこの世から消滅するってどういうこと?
──なるほど。こうして3つに分類して不安や恐怖の原因となりそうなことを考えてみると、「死」を具体的にイメージできそうですね。
重い病に罹患したときの心構えとして、「最善を期待し、最悪に備えよ(Hope for the best and prepare for the worst.)」という言葉があります。
「こんな風に死んでいきたい」と願ったところで、それがかなう保障はありませんが、最善・最悪のケースについての「地図」を持っておくことは、決して無駄ではないと思います。
──興味深いお話、ありがとうございます。後編のインタビューでは、清水先生ご自身が経験した「ミドルエイジクライシス(中年の危機)」について、お話をうかがっていくことにしましょう。
清水研(しみず・けん)
1971年生まれ。精神科医・医学博士。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『がんで不安なあなたに読んでほしい。』(ビジネス社)、『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)がある。
「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。
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