ミドルエイジクライシスに立ち向かうには?「must」より「want」の声を聴け

人生の終末期のあり方について、意欲的な取り組みに挑戦しているプロたちと考える連載企画「死を生きる ~人生の最後に出会うプロたち ~」、腫瘍精神科医の清水研先生へのインタビュー後編である。

これまで4000人以上のがん患者とその家族と対話してきた清水先生だが、最新著書『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)によると、40歳前後に「うつ病の一歩手前という時期をさまよった」という。

人生に対して不安や葛藤を抱える「ミドルエイジクライシス(中年の危機)」を経験したのである。果たして清水先生は、どのようにしてそのつらい時期を乗りこえたのか?

今回のtayoriniなる人
がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長 清水研(しみず・けん)
がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長 清水研(しみず・けん) がん患者とその家族4000人以上と対話してきた腫瘍精神科医。『もしも一年後、この世にいないとしたら』(文響社)、『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)などの著書がある。

ミドルエイジクライシスは、なぜやってくるのか?

──清水先生は、著書『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)で、40歳を過ぎたころに「ミドルエイジクライシス(中年の危機)」という新たな悩みにぶつかったことを告白されています。なぜ先生は危機に立ち向かわねばならなくなったのでしょう?

清水

体力、気力が充実した若年期には、「自分はいつまでも頑張れるし、成長できる」とか、「社会に適応して成功すれば幸せになれる」といったことを当たり前のこととして信じていますが、中年期に入ったとき、それら行動原理が「幻想」に過ぎないのだということを受け入れなければならないからでしょう。

──体力の衰えは、中年期に差しかかった人が最初に感じることですね。

清水

そうですね。20代のころは、少しくらい無理をしても思い通りに動いてくれた体も、40代になると途端に無理が効かなくなります。

体のメンテナンスをしていなければ、人によってはひどい肩こりや腰痛に悩まされますし、走ればすぐに息が切れます。
代謝も落ちているので、食生活に気をつけなければどんどん太っていきます。

「自分はいつでも頑張れる」という成長幻想の崩壊が、身体感覚を通じて実感されていくわけです。
それに連動するかのように精神面でも、興味のないことや経験したことのない新しいことに挑戦するのも難しくなっていきます。

清水

多くの人はそこで「自分も年をとったなぁ」と実感し、若いころのような無理を控えるようになるのですが、意志が強く、自分を鼓舞しながら無理を押してやってきた人ほど、「自分は成長できる」という幻想をなかなか手放せません。

そこで、さらに無理を重ねて体を壊してしまったり、頑張ることの楽しさを忘れて空しさを募らせてしまったりするのです。

「want」の自分と「must」の自分、相反する2人の自分がいる

──清水先生も、「衰えてきたからこそ、逆に頑張ってしまう」タイプの方だったのですか?

清水

そうです。
でも、実際のところ、「成長幻想を捨てて、頑張るのをやめましょう」と言われてもピンとくる人はそう多くないのではないでしょうか。

別の言い方をすれば、「しんどい」という心の声に従う、ということなんですが、衰えてきた体にムチ打って頑張っているうちは、そんな心の声はなかなか耳に入らないものです。

清水

ほとんどの人があまり意識をしていないと思いますが、人はそれぞれの中に「want」と「must」という、2つの相反する自分を内在させています。

「want」の自分とは、「~したい」「~になりたい」「~でありたい」という自分自身の強い願望や意志を発信する自分のこと。

「must」の自分とは、他者の目や社会的規範などを意識して「~しなくてはいけない」、「こうあらねばならない」と、自分の行動を抑制する自分のこと。

人は、この世に生を受けたばかりのまっさらの状態から、さまざまな感情を身につけていく過程において、「want」による動機づけを利用します。

しかし、両親からのしつけや、社会生活を営むために他者との関わりが増えるにつれ、「弱音を吐いてはいけない」「人一倍の努力をしなければいけない」という、もうひとりの自分の「must」の動機づけによって人格が形成されていきます。

──マンガなどで、主人公の頭の中に天使と悪魔が現れて、両者が矛盾するアドバイスをして主人公を悩ませるシーンがよくありますが、それに似ている感じがしますね。

清水

「want」の自分も、「must」の自分も、どちらも自分であることは間違いないんです。

しかし、そのあり方は人によってそれぞれです。

「must」の抑制がほどよく効いていて、「want」をうまく満たしている人は、伸び伸びと生きているように感じるでしょう。
逆に「must」の抑制が効き過ぎていて、「want」による動機づけがつねに押しつけられている人は、窮屈で生きづらさを感じるでしょう。

私の場合、そのような生きづらさがいよいよ募ってきたのが40歳を過ぎたころでした。

「want」の自分の声を聞く訓練

──清水先生の中には、どんな「must」の自分がいたのですか?

清水

団塊ジュニア世代の私は、小学校以降に管理的な教育を受け、「偏差値が高い大学を出て、有名な企業に就職すれば幸せになれる」という価値観を植えつけられて育ちました。

父の「社会のためになる大きな仕事をしろ」という重圧も、人格形成をしていく中でかなりの影響を受けていると思います。

私の中の「must」の自分は、かなり強靱な抑制力を持っていて、「want」の自分はその支配下で肩身の狭い思いをしながら生きているようなものでした。

そんな生き方から脱却するため、40歳を過ぎてからの私は「want」の自分の声をなるべく聞く訓練をするようになりました。

──具体的には、どんなことをするのですか?

清水

「訓練」といっても、そんなにオーバーなことをするわけではありません。
私の場合、ごく小さな試みから始めました。

例えば、コンビニに昼食を買いにいったとき、今までなら「うどんは手っ取り早く食べられて時間短縮できるぞ」とか、「カツ丼はカロリーが高すぎるな」といったことを考えながらメニューを選んでいました。

しかし、「今日は『want』の心を大切にしよう」と決めて、「自分は今、どんなものを食べたいと感じているんだろう」ということだけに集中することにしました。すると、自然と食べたいものに手が伸びていくのを発見しました。

それから、書店をぶらぶらしているときも、「この本は読んでおいたほうが役に立つ」という理屈で本を選ぶのではなく、手にとった瞬間、心がワクワクと反応した本を買ったりもしました。

実際に本を買わなくてもいいのです。本を前にしたときの自分の心の動きを観察することで、「must」の自分と「want」の自分の考え方の違いが認識できて、両者をラベリングできるようになるというのが大きなステップです。

──「must」の自分の支配下で小さくなって生きていた「want」の自分の存在を認識することが大事なのですね?

清水

その通りです。ときには「must」の声に反抗して、今までなら絶対にしないだろうという行動を思いきって実行してみるのも有効です。

40代になると診療以外の雑用仕事が増えていくものですが、「期待に応えないと信頼を失ってしまう」という「must」の声が聞こえて頼まれた仕事を断れず、容量オーバーになってしまうのが悩みでした。

そんなある日、いつもなら嫌々付き合っていた仕事の会合の誘いを断り、映画を観に行くことにしました。
いつかは観てみたいけど、忙しいから観にはいけないだろうと半ばあきらめていましたが、思いきって映画館に足を運ぶことにしたんです。

映画の素晴らしい内容もさることながら、そのときの開放感、充足感は、しばらく忘れていた別世界に連れていかれたような心地よさがありました。

「がんで死ぬのも悪くない」と私自身は思っています。

──ところで、「must」の自分から解放され、「want」の声を聞きながら伸び伸びと生きることができたとしても、人間である以上、「老い」にあらがうことはできないし、「死」も避けられません。先生ご自身は自らの「死」について、どのように考えていますか?

清水

吉田兼好の『徒然草』に、「死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり」という言葉があります。
「死」は前からやってきて、少しずつ正体を現すようなものではなく、後ろから突然迫ってくるというわけです。

ただ、事故や脳卒中などの突発的な病によって突然死するのと比べると、がんで死ぬというのは、兼好法師の言う「前からやってくる死」に近いと思いませんか?

日本人の死因で「がん(悪性新生物)」が「脳血管疾患」を抜いて第1位になったのは、昭和56(1981)年のことで、最新の統計(公益財団法人がん研究振興財団「がんの統計2017」)によると、生涯においてがんになる確率は男性で62%、女性では47%と、「2人に1人はがんになる時代になった」と言われています。

以前はがんというと難治のイメージが強かったかもしれませんが、最新の統計では、根治の目安とされている罹患後5年生存率を達成する人の割合はがん患者全体の62.1%と報告されており、特に早期に発見された場合、がんはかなりの確率で根治を目指せる病気になりました。

今がんで苦しんでいる方にとっては、次の言葉は受け入れがたいかもしれませんが、自分の死に方として、がんは他の原因と比較して、悪くないものかもしれません。

もちろん、がんに罹ることによる衝撃や恐怖は決して軽いものではなく、それまでの生き方を変えて新しい人生観を獲得するのは容易ではありません。

でも、がんを通じてこれまでの人生を新たな角度から検証できる、自分の人生を終わらせる準備をしておくことができるという点で、私はがんで人生を終えるのも、そう悪いことではないと思っています。

──興味深いお話、ありがとうございました。

《プロフィール》

清水研(しみず・けん)
1971年生まれ。精神科医・医学博士。

金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。

以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。

2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。
日本精神神経学会専門医・指導医。

著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『がんで不安なあなたに読んでほしい。』(ビジネス社)、『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)がある。

内藤 孝宏
内藤 孝宏 フリーライター・編集者

「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。

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