国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
「死の体験旅行」とは?なごみ庵住職・浦上哲也氏に訊く、「死」との向き合い方
横浜市の布教所「なごみ庵」の住職にして、生前から自らの死を体験するワークショップ「死の体験旅行Ⓡ」を展開している浦上哲也さん。
彼はまた、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表として、自死したいほどの辛い悩みを抱えている人や、大切な人を自死で亡くした人たちの悲しみに寄り添う活動を行っている。同会は、宗派を超えた僧侶の集まりだが、宗教団体ではなく、教義や寄付を押しつけたりすることなく、無償で活動を行っているという。
まずは彼が僧侶になったいきさつから、語ってもらうことにしよう。
──お寺に生まれたわけではなく、一般家庭で育った浦上さんが僧侶になったきっかけは何だったのでしょう?
小学生のころ、いとこがお寺に嫁いだんです。以後、夏休みや大晦日に遊びに行って、お寺と親しむ機会ができました。
もちろん、それだけのことで自分から「お坊さんになろう」と思ったことは一度もありませんでした。
大学に進学したころには、教職課程をとって教師になるつもりでいました。
ところが、世代的には「団塊ジュニア」と呼ばれる私は、大学に入学した年にバブルの崩壊があり、それに続く就職氷河期の中で社会人入りには苦戦を強いられる状況がわかっていました。
案の定、教員試験はこくごとく落ち、その後の就職活動でも惨敗続き。すべてを時代のせいにするわけにはいきませんが、不動産会社など身に合わない会社を渡り歩く宙ぶらりんの状態になっていました。
いとこから「ウチのお寺で働いてみない?」と誘われたのは、まさにそんな状態のときでした。
──それにしても、極端な転身ですね?
さすがに1ヶ月は悩みましたが、決断してからは話がトントン拍子に進んで、葬儀や法事に出掛けてお経を読む日々が始まりました。
転機になったのは、2003年に築地本願寺内にある東京仏教学院という夜間学校に通ったことです。熱心に教えてくれる先生方に触発されて、仏教を多くの人に伝えることがお坊さんの役割だと気づかされました。
2006年には、自分らしい方法で仏教を広めたいと発願し、布教所である「なごみ庵」を開所することができたのも、東京仏教学院の「都市開教」という授業を受けたおかげだと思っています。
──浦上さんは2011年7月に「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に入会し、自死問題に向き合う活動をされていますが、どんなきっかけがあったのですか?
同会が創設されたのは2007年なんですが、その初期メンバーに知り合いがいて、「入会しませんか?」とお誘いを受けたんです。ところが、当時の自分には自死問題というものが重すぎるように感じて「私では力不足です」とお断りしました。
実は、いとこのお寺でおつとめをしていたころ、葬儀の参列者の方から「悲しみが止まらなくて苦しいです。どうしたらいいでしょう?」という相談を立て続けに2回、受けたことがあったんです。
そのときはどちらも、カウンセリングの本で覚えた知識を使って悲しみの内容を傾聴することにし、たまたま大ハズレせずに「ありがとうございました」と言っていただけたんですが、内心では冷や汗ものでした。
お坊さんは、法衣にだいぶ助けられていると思います。患者さんが白衣を着たお医者さんに命を預けるように、法衣を着たお坊さんにも悩みを打ち明けやすい雰囲気があるということです。
でも、お坊さんとしての中身が伴って行かなければ、いずれ法衣の力もハゲてしまう。そう感じて、本格的にカウンセリングの勉強を始めることにしました。
──それでようやく、自死問題に向き合えるという手応えを得たのですね?
もうひとつ、背中を押してくれたのが舞台俳優である妻の存在でした。
彼女は、敬愛する金子みすゞの生涯を描いた一人舞台を上演しておりまして、私は上演前の法話と舞台セットや照明・音響などを切り盛りする裏方を担当しているんです。
目の前で金子みすゞを演じる妻が自死をするラストシーンに何度も触れるうち、この問題から目を背けて過ごすわけにはいかないと思うようになったのです。
──「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では、どんな活動をしているのですか?
3本の柱がありまして、そのひとつは毎年12月1日に行われる自死者追悼法要「いのちの日 いのちの時間 東京」です。
親兄弟や子ども、親戚縁者や知人など、大切な人が自死で亡くなってしまった経験を持つ方々に集まっていただき、仏様の前に座り、亡くなった方を偲びつつ、遺された者同士で「いのち」を見つめ直す機縁となることを目指しています。
去年の12月はコロナ禍でしたので、会員の僧侶たちが供養する様子をオンライン配信で行いましたが、2年前と3年前に行われた追悼法要には約200人の方が会場に集まりました。
一般的な葬儀と比べて、自死者追悼法要の雰囲気は、まったく印象の違うものでした。
たとえば200人規模の葬儀といっても、その中で「遺族」が占める割合は1割未満です。その一方、自死者追悼法要に参列している200人は、ほぼ10割が「遺族」です。
しかも、その「遺族」は、大切な人を自死で亡くされ、「なぜ自死をとめられなかったのか」と責められて必要以上に心を痛め、場合によっては近所の人や親戚にも「事故」とか「急死」という形にして自死で亡くなったことを伏せている方もいらっしゃいます。
ですから、自死者追悼法要の雰囲気は、とても真摯で重みのあるものでした。
実際、「ここでしか泣けない」という話はよく聞きますし、故人と向き合う場として、毎年の12月1日を大切にしている方が数多くいらっしゃるのです。
──人に打ち明けられない悩みや苦しみを、遺族同士で分かち合う場はないのですか?
それが2本目の柱の「いのちの集い」です。
コロナ禍になる前は、東京都中央区・築地本願寺の部屋を借りて、原則毎月第4木曜日の10時30分から12時30分に行われていましたが、現在はオンラインで開催されています。
「自死・自殺に向き合う僧侶の会」は浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、臨済宗、真言宗、天台宗など超宗派の集まりですので、「いのちの集い」では持ち回りで各宗派の僧侶が運営に携わり、ミニ法話なども行っています。オンラインでも、リアルな集いでも、毎回多くの方々が集まります。
──3本目の柱は、何ですか?
手紙相談「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」です。文字通り、手紙によるお悩み相談なんですが、対象は自死で大切な人を亡くされた方や、自死に思い悩んでいる人が身近にいる人、それから自死をしたいほど辛い思いをしている本人、自殺未遂を経験したことのある人など、幅広くお受けしています。
手紙という、今の時代にはアナログな手段を用いているのは、悩みを文字にすることで気持ちの整理になるという利点があるからです。
返信の手紙を書く僧侶は担当制で、同じ僧侶が往復書簡の形で手紙をやりとりします。
相談の手紙を受けると、まず担当の僧侶が文案を作り、それ以外の2名の僧侶と「この表現は語弊があるから、こういう言い回しにしたほうがいい」などと意見を交わしながら推敲し、最後に手書きで清書した上で返信しています。
──相談者の深い悩みや苦しみに応対するのは、大変そうですね。
初めて私が担当になったとき、最初に書いた文面は原型をとどめないくらいに直されましたよ(苦笑)。
これが面談なら、リアルタイムで相手の反応を窺えますが、手紙での言葉の表現には気を遣わざるを得ないのです。
特に気を遣うのは、「その悩みはこうすれば解消します」という具合に安易な答えを提示するのではなく、相談者の方がどんな悩みを抱えているのかできるだけ具体的に聞き出すことです。カウンセリングでいう「傾聴」という行為を文字でやらなければならないのです。そこがとてもむずかしい。
ですから、手紙のやりとりは1人の相談者の方に対して50回に及ぶこともあります。他の会員僧侶の中には、100回以上もやりとりをしている人もいます。
──自死を止められず、警察や遺族の方から連絡が入ることはあるのでしょうか?
私は会員になって10年になりますが、今のところ、そういうケースは経験していません。
でも、「おかげで悩みが薄れました。消えました」と、きれいな形で卒業される方は、そう多くはありません。どちらかというと、何回目かに送られてくる手紙がフッと途切れて、「あの方は今、どうされているのかな」と心配が残るケースのほうが多いですね。
──自死者追悼法要、いのちの集い、いのちの往復書簡、これら3つの活動は無報酬で行っているのですか?
はい、そうです。会費を払って参加していますので、お金の話をしたら赤字です。
でも、会の活動を通じて、相談者や遺族の方々との交流をはじめ、仲間の僧侶たちからいろいろなことを学び、教わっています。それが活動を続ける大きな動機です。
今、日本の僧侶の人数は全国で35万人ほどいると言われていますが、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の会員は40人程度ですから、非常に微々たる集団に過ぎません。
でも、すべての僧侶が会員たちのような僧侶だったら、日本という国は本当の意味でよくなる。そう確信できるほど、素晴らしい仲間たちと一緒に活動していると思っています。
──会の取り組みが全国に広がっていけば、日本の自死者の人数は確実に減るのではないですか?
もちろん、東京で実績を作り、全国へ向けて情報発信する努力はしています。
でも、会の目的は「自死を減らす」ということのみに置いているわけではありません。
会が掲げるスローガンは何かというと、「一人ひとりが生き生きと暮らし、安心して悩むことのできる社会を実現する」ということです。
実際、自死(自殺)問題に取り組んでいると、「自死を止める」ということだけでなく、「生き方」の問題、「いのちのあり方」の問題にも取り組んでいると実感することが多いです。だから私は、この会とともにこれからも活動を続けていきたいと思います。
──興味深いお話、どうもありがとうございました。
「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。
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