国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
司法書士は、不動産や会社・法人などの「登記」の専門家である。
その基本姿勢を示した司法書士倫理によると、「司法書士の使命は、国民の権利の擁護と公正な社会の実現にある」という。そんな司法書士の中でも、「登記」だけでなく、「相続」に関する遺産承継業務をサポートする司法書士が登場している。
そこで今回は、東京都町田市でさえき事務所を開業している佐伯知哉先生に登場していただき、司法書士の観点から「人生の正しく、美しい締めくくり方」について教えを乞おう。
──佐伯先生は、司法書士になる前はダイビングのインストラクターをしていたそうですね?
そうなんです。海外生活に憧れてオーストラリアとパラオで働いていたんですが、結婚して家族を持ったのがきっかけで、「このまま一生、海外で生活していくのはキツいぞ」と考えるようになって、帰国する道を選びました。
日本という国の良さが、海外に出て初めて自覚されたこともあります。28歳のときの出来事でした。
──帰国後の職業を選ぶにあたって、難関と言われる司法書士の資格を取得したのはなぜでしょう?
祖父が山口県で司法書士をしていたんです。一緒に住んでいたわけではないので、その働きぶりを間近に見ていたわけではありませんでしたが、資格を取って独立開業する仕事は自分に向いているのではないかと思ったんです。
もちろん、高専(高等専門学校)から大学まで、ずっと理系の勉強や研究をしてきましたので、文系である司法書士の道は正反対の世界でしたが、暗記するのは得意でしたし、試験は勉強さえすればきっと合格できるはずだと思っていました。
私が受験したころ、司法書士試験の合格率は3%。100人受けて3人しか合格しない狭き門でしたが、司法書士事務所で働きながら、なんとか3回目に合格することができました。
──その後、2013年に独立して、司法書士さえき事務所を開設された佐伯先生は、遺産相続業務を主に手がけられていますが、「相続」を専門にしたのはなぜでしょう。
パラオから帰国した理由が「家族」のためだったこともあり、家族を守る仕事にやりがいを感じたんですね。
それから、日本が超高齢社会になって、相続の問題が今後、ますます増えていくであろうことも念頭にありました。
ちなみに、遺産相続業務は行政書士や税理士など、他の士業も行っている業務ですが、司法書士がこれを行うメリットは、司法書士が不動産や会社・法人などの「登記」の専門家である、というところにあります。
国税庁の「平成30年分の相続税の申告状況について」というデータによると、相続財産のうち、土地と家屋が占める割合は30%です。不動産登記、つまり不動産の名義変更手続きを行えるのは司法書士だけですから、相続発生前から発生後まで、深く相談に関われるわけです。
──ところで、佐伯先生はコラムを執筆したり、YouTubeにチャンネルを開設したりして情報発信をしているのはなぜですか?
司法書士というと、行政書士とよく間違われることがあるんです。よくある「司法書士あるある」なんですが、行政書士に比べてその存在がマイナーであることは否めないんですね。
2020年4月1日現在で行政書士の人数は4万8636人(日本行政書士連合会)ですが、それに比べて司法書士の人数は2万2724人(日本司法書士会連合会)です。
行政書士のほうが2倍も多いんです。
そんなマイナーな司法書士の存在を少しでもアピールしていきたいというのが、私が情報発信をしている動機のひとつ。
もうひとつは、生前からの相続対策の大切さをできるだけ多くの人に訴えたいという動機です。
佐伯先生のYouTubeチャンネル。成年後見制度や家族信託など、「相続」にまつわる情報をわかりやすく解説している。
──最近、「終活」についての関心が高まってはいますが、「今はまだ元気だから、そのうち考えよう」と先送りにしている人も多いのかもしれませんね。
相続対策は、「まだ元気な今」だからこそ、やっておくべきなんです。
後にくわしく説明しますが、認知症になって判断能力が失われてしまうと、銀行の預貯金をはじめ、有価証券や不動産など、すべての資産が凍結されてしまいます。いったん凍結された資産は、介護に使うお金や、老人ホームの入居契約金などの名目があろうとも、自由に使うことができなくなってしまいます。
──まだ元気なときは、「自分だけは大丈夫」という心理が働いてしまうのでしょうね。そんな人たちが生前からできる相続対策として、まず何をすべきでしょう?
私が第一にお薦めしているのは、遺言書を書くことです。自分の遺産をどのように分けて、誰に相続させるのかという意思を伝える手段として、誰もが簡単に作成することができて、しかも確実な方法が遺言なんです。
これは持論ですが、遺言は残された家族のため、財産を持つすべての人が生前にやっておくべき「義務」だと思っています。
なぜなら、配偶者や子などの相続人には法定相続分といって、遺産を一定の割合で受け取る権利がありますが、遺言はその法律よりも優先されるからです。
──遺言書を書くと、具体的にどんなメリットがあるのですか?
事例をもとに説明しましょう。登場人物は父と母、長男と次男の4人ですが、この事例で誰が悪者なのか、考えて欲しいのです。
妻子を持つ長男は、父と母と同居していて、年をとった両親の身のまわりの世話をしながら暮らしています。その一方、次男は独身で、昔から定職に就かず、父の援助で留学したのをきっかけに海外を放浪して行方知らずです。
そんなある日、父が倒れて、そのまま亡くなってしまいました。海外にいる次男に連絡しようにも、その手段はなく、葬儀は母と長男で済ませました。
父の遺産は、自宅の不動産のみで、都内だったために資産価値は4000万円ほどでしたが、母と長男一家がそのまま住み続けていました。
ところが、葬儀から1カ月後のこと、父の死を知って帰国した次男が「自分にも親父の財産を相続する権利がある」と主張してきたのです。
実は次男の言う「自分にも相続権がある」というのは事実なのです。
民法では法定相続分といって、相続人が受け取れる財産の割合を規定しています。母と長男と次男はいずれも相続人としての権利を持っていて、母が2分の1、長男と次男はそれぞれ4分の1の財産の取り分があります。
相続財産は不動産のみですから、単純に2分の1、4分の1という具合に分けることはできないので、資産価値に相当する金額を次男に支払わねばなりません。4000万円の4分の1は、1000万円です。
民法では、遺族が相続できる最低限度の相続分を「遺留分」と規定していますが、この場合の次男の遺留分は4000万円の8分の1の500万円です。
長男は、自分の定期預金を切り崩して500万円を調達し、次男に渡しました。それが手切れ金であったかのように、次男は2度と家族と会おうとしなくなってしまいました。
いかがですか? 誰が悪者だと思いますか?
──家族に何の責任も果たしていなかったくせに、自分の権利だけを主張する次男は憎たらしいですね。考えるまでもなく、次男が悪者だと思います。
確かに、次男は悪者に見えますね。でも、私はこの話にはもうひとりの悪者がいると思っています。誰だと思いますか?
──もうひとりの悪者? むずかしいですね。話し合いではなく、お金で解決しようとした長男でしょうか?
そういう見方もできないことではないですが、私は生前に何の対策もしていなかったお父さんにもかなりの責任があると思っています。
──なぜ、お父さんにも責任があるのでしょう?
もし、お父さんが生前に遺言書を作成し、財産を「長男に相続させる」という意思を示していたら、事態はこんなにこじれていなかったかもしれません。
というのも、遺言書には「付言事項」といって、誰に財産を渡すかということだけでなく、なぜそのような分け方にしたのか、その理由や要望を書くことができるんです。
例えばこのケースでは、年をとって身のまわりに不自由が生じた自分の生活を長男が支えてくれたことや、次男にはすでに留学などの資金を提供していることなどを理由に「遺留分の権利を主張しないでほしい」とか、「兄弟で仲良くして欲しい」といった要望を伝えることができます。
父がそういう意思を持っていたことは、母や長男でも説明できますが、遺言書は父本人の言葉ですから説得力が違います。
もちろん、相続する権利は法律で規定されていますから、最低限の権利である遺留分まで無効にするような効力はありませんが、もし、遺言書で父の意思が伝われば、次男は納得してくれたかもしれません。
──なるほど。確かに遺言書があれば、家族と次男との関係は、これほどこじれていなかったかもしれませんね。
私の事務所では、遺言書作成の相談業務も行っていますが、このケースのように将来、もめ事が起こりそうな場合、お父さんに動画でメッセージを残すことをお薦めすることもあります。
メッセージの内容が、本人の声と表情を通じて語られるので、説得力はさらに増します。
もちろん、こちらも法的効力がありませんが、このひと手間で相続トラブルを避ける可能性が少しでもあるなら、やっておく意味は大いにあるでしょう。
──その他、遺言書を書かなかったことによって生じるトラブルには、どんなものがありますか?
これは、これまで多くの相続相談に乗ってきた私の実感値に過ぎませんが、相続財産に不動産が含まれるケースでは、トラブルに発展することが非常に多いです。
親子や兄弟間で済む話ならば、遺言書の付言事項や動画メッセージなどで多少、防ぐことができますが、配偶者などが話にからんでくると、争議が拡大することがあります。
人生にはいろいろなことがありますから、経営する会社の事業が傾いたり、子どもが海外留学を希望したり、急に多額の出費を強いられる局面は誰にも訪れます。そういうとき、親子や兄弟間で相続の話が済んでいる場合でも、配偶者などの親族が「相続権を主張できるなら、したほうがいい」と圧力をかけてくるんですね。
──先ほどの事例のように、相続財産が不動産しかない場合、相続した人が権利を主張する人に権利分のお金を支払うか、その能力がない場合は不動産を売却しなければならないわけですね?
そうした場合には、不動産を共有名義にするという方法もありますが、不動産を共有名義にすると、その後のトラブルを招く確率がさらに高くなるんです。
なぜなら、不動産を共有名義にすると、その不動産についての権利を複数の人が持つことになりますから、売ったりリフォームしたりするときにすべての名義人の同意が必要になり、不動産を自由に活用することがむずかしくなるんです。
また、名義人の1人が認知症によって判断能力が失われた場合、その資産のすべては凍結されてしまいます。凍結されるのは、その人が共有名義になっていた持ち分も含まれますので、その時点で不動産を活用することが不可能になってしまうのです。
他には、名義人の1人が借金を作って、共有名義の持ち分が差し押さえになってしまうとか、名義人の1人が悪徳不動産業者にそそのかされて自分の持ち分を売ってしまうケースなどもあって、いずれも引き継いだ不動産を自由に活用することができなくなります。
ですから、相続財産に不動産が含まれる場合、遺言書によってその不動産を誰に相続させるのかをはっきりさせておくことが重要なんです。
──離婚した妻との間に子どもがいるケースは、どうでしょう?
その場合も、トラブルに発展する確率は高いですね。
離婚した際、その配偶者には相続人としての権利はなくなりますが、その子は相続を受ける権利を持ち続けます。
前妻の子と、今の子との間に交流があるなら、それほどの問題にはならないかもしれません。しかし、そういうケースは稀で、没交渉であることが多いでしょう。中には顔も見たこともない、ということも珍しくないでしょう。
遺言書がない場合、遺産を誰にどのようにふけるかを遺産分割協議によって相続人全員で行いますが、前妻の子が加わることで意見をまとめることが困難になることは言うまでもありません。
──その他に気をつけるべきケースはありますか?
子のない夫婦のケースです。
一般的なイメージとして、子どもがいない夫婦の場合、片方が死ねば財産は自動的に妻や夫に引き継がれると考える人が多いと思いますが、この場合の相続人は配偶者だけではないんです。
被相続人(亡くなった人)が夫の場合、相続人は妻だけでなく、両親、兄弟も対象になります。
また、代襲相続といって、被相続人より先に相続人が死亡していた場合、その子が相続権を承継することがあります。この場合、夫の兄弟の子である、おい、めいが相続人になるのです。
このように相続権を持つ人が増えていくと、相続をスムーズに行うことがどんどん困難になっていくのです。
このとき、遺言書に「妻に全財産を相続させる」と書いておけば、いっきに問題は解消されます。
──ところで、相続する財産の多い少ないで、もめる確率は高くなるものでしょうか?
それについては、「見方によって変わる」としか答えられないんです。
相続に関するセミナーで配られるパンフレットなどでよく目にするデータがあります。
裁判所が毎年発表している遺産分割事件についてのデータなんですが、見覚えのある方も多いと思います。
このグラフは、遺産分割協議がうまくまとまらず、家庭裁判所に調停を申し入れた事件の遺産額を示したものです。
よく説明されるのは、こういうことです。
「5000万円以下の事件数が全体の75%を占めます。相続対策は遺産が多くない一般層の方もやっておくべきです」と。
確かに、このグラフだけを見れば、そう見えなくもないんですが、「5000万円以上でもめる確率はたったの25%だから、富裕層には相続対策は必要がない」と結論づけるのは乱暴でしょう。
そこで私は、人口動態統計の年間死亡者数や、国税庁の相続税の申告件数などの数字をもとに、富裕層と一般層のもめる確率を比較してみました。ここでいう富裕層とは、資産5000万円以上、一般層とは5000万円以下の人たちを指します。
すると、富裕層がもめる確率は、約3.6%。
それに対して一般層がもめる確率は、約0.9%。
なんと富裕層のほうが一般層より、4倍ももめる確率が高まるのです。
どんな計算をしたのか、くわしく知りたい人は、私のYouTubeチャンネルを参照してください。
──結局のところ、生前からの相続対策は、富裕層・一般層に限らず必要だと言えそうですね。
その通りです。先に述べた「遺言は『義務』である」ということは、財産を持つすべての人に言えることなんですね。
ありがとうございます。次回、後編のインタビューでは、「自筆証書遺言」、「公正証書遺言」という2つの遺言書の作成方法と、認知症対策としての「法定後見」、「任意後見」、「家族信託」について解説していただくことにしましょう。
オフィスでの佐伯先生。顧客の相談に応えるだけでなく、コラムを執筆したりして相続対策の大切さについて情報発信していくのも大事な使命だ。
「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。
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