認知症のひとと会うのは、外国に行くのとちょっと似ている。
ご本人は病気で「認知」が変わるけれど、認知症の人とのかかわりで、わたしも「世界」がちょっと違って見えるスイッチが入る。
認知症の人が集い暮らすグループホームのスタッフが、日常のエピソードからお届けする、「わたし」たちを変えるエッセイ連載です。
「Aさん、この大根、どうしましょうね?」
私はそう言って大根を手渡しました。Aさんは長年の畑仕事で曲がった指で、にこやかに受け取りました。
Aさんは料理がお好きです。自分の食事だけではなく、他の入居者さんの食事も気にかけ、チラシを見ては献立に頭を悩ませ、グループホーム「きみさんち」の台所をみんなとともに切り盛りしてきました。
Aさんは、親兄弟のみならず、いとこたちも同居する大家族で育ちました。
「大人数で食べるのがおいしいんだよ。きみさんちは家族のようなものだからね」
それが口ぐせでした。
「私のは、見よう見まねで覚えた田舎料理よ~」
Aさんはそう言いつつ、はにかんだような、それでいて誇らしげな笑顔を浮かべながら、入居してからも料理を続けてきました。特に大根は安くて食べごたえがあるので、Aさんのお気に入りの食材。味噌汁にしようか、煮物にしようかと、大根料理のレパートリーに頭を悩ませていました。
そんな中、登板が多かったのが大根の油炒め。大根の千切りを醤油とみりんで炒め煮にした、Aさんの得意料理です。
「油炒めはね、ご飯に合うでしょ?ちょっとのおかずでお腹いっぱい食べられるのよ。安上がりでしょ?」
みんながおいしいおいしいと大根炒めを食べるのを見ながら、Aさんは油炒めの登板理由をこんなふうにこっそりと私に話すのでした。
このように、Aさんは倹約料理が得意だったので、味噌汁の味見で味が薄いと感じられるときにも、味噌を追加するのは「もったいない」と、塩を足していました。
「たいしてわかりゃしないんだし……安上がりでしょ?」
またもこっそりと私に伝えながら、いたずらっ子のように舌を出して笑っていました。
そんなAさんに、歳を重ねたことによる体の変化が訪れました。
油炒めを作ると言いながら、いつの間にか味噌汁を作っていました。千切りの大根の大きさが揃わず、火の通り具合がバラバラになってきました。居室に忘れ物をした、電気を消し忘れたと言って、調理の途中で抜け出すことが多くなってきました。そんな言い訳も思いつかず、千切りの大根を前に、ただ考えこんでいることが増えてきました。そして、次第に考えこむことからも逃げるように、ただ何も言わず、大根を置き去りにすることが増えてきました。
困ったときも苦しいときも、じっと一人で抱えて、ネガティブな感情を表に出すことの少ないAさん。まな板の上で置き去りにされた真っ白な冷たい大根が、言葉にならないAさんの悲しみのかたまりのように見えました。
Aさんはむかし、集合住宅で一人暮らしをしていました。ゴミ出し日を頻繁に間違えることに始まり、昼夜逆転からくる騒音トラブル、もの盗られ妄想などの相談から、近隣の方々はAさんの認知症の発症を知りました。
Aさんが焦げ付いた鍋をゴミ置き場に捨てたことから、近隣の方々は火の不始末を心配され、Aさん宅のガスコンロをIHコンロに取り換えることになったのです。
防火という点ではしかたのないことだったのですが、残念ながらその頃のAさんにはすでに、新しいコンロを使いこなす力がありませんでした。
結果として、Aさんは生活から「料理」という自己表現の手段を取り上げられてしまったのです。
Aさんにとって、なじみでつかいやすいガスコンロがあり、調理したものを食べて喜んでくれる人たちがいる当ホームに入居されたのは幸いだったのでしょう。
Aさんが料理のカンもコツも取り戻し楽しむようになるまで、さほど時間はかかりませんでした。
Aさんのご家族やご近所の方も、そんなAさんの暮らしぶりを
「元の姿に戻ってくれた」「認知症が止まった」と喜ばれました。
認知症という病気のために「できなくなった」「変わってしまった」と思われている人が、適切な支援や環境に出合い、かつてのように、いやそれ以上に、暮らしを楽しむようになることはできます。
そもそも、ご本人の今の認知機能と環境の不一致が、その困難を引き起こしていることが多いのです。ご本人が力を発揮するのを妨げていた要因を取り除いたり、「今の」ご本人に合った環境や道具に変えたり、ちょっとした言葉かけを行う。こんなふうに周りを少しずつ変化させるだけで、ご本人がまるで「元に戻った」かのように生活を取り戻すこともよくあることなのです。
特に、Aさんのような一人暮らしの方の場合は、適切な支援や環境と出合うことが周囲の予想以上に劇的な変化をもたらします。それは、周囲の方からは「元に戻った」というより、まるで「若返った」「以前よりずっと元気になった」と見えることも多くあります。
それは、夏を過ぎて、いまいちど美しく色づく紅葉のようです。
しかし、それは冬へ向かう足取りの、あくまでしばしひととき。
認知症の症状の進行は、ゆっくりと確実に進んでいるのです。
必ずめぐりくる冬を予感させるように、置き去りにされた大根は、白く光っていました。
しかし、寒くなる季節の変化に合わせてあたたかい服に替えていくように、こうした認知症の進行中でも、適切な支援や環境を変化させ、整え続けることは大切なことなのです。
症状が進行していくAさんにも、「この大根、どうしましょう?」という漠然としたお誘いではなく、「大根の油炒めをお願いします」と声をかけ、ご本人が途中で「私は何をやっているんだっけ……」と忘れそうなタイミングで、「Aさんのおいしい油炒め、楽しみです」と記憶とモチベーションに助け舟を出し続けて、料理を作り上げていただくこともありました。
さらに症状が進行したときには、「大根の油炒めを作ろうと思うので、この大根を千切りにしてくださいますか」と調理工程を細かく分けてお願いしたり、「私が炒めている間、味付けをお願いします。Aさんのあの味を出したいので」と調味料を順に入れてもらったり。また、作業の多くをスタッフがやっても、最後にAさんに味見をしてもらい、あくまでも“Aさんの”大根の油炒めであることを守るようにもしてきました。
しかしついに、大根を前に(これは……なんだっけ?)というような困惑の表情を見せて言葉もなく立ち去るAさんを見る日が来ました。もちろん、ご本人が一番悲しいのでしょうが、Aさんの生活を傍で見続けてきた私たちにとっても、言葉にならない感情を呼び起こしました。
それはまるで、Aさんがひととき鮮やかに見せた紅葉が、結局は落ち葉となり、周囲のご入居者さんや私たち支援するもの、お付き合いのあるご近所の方の心の中に、重く、じっとりと、積もっていくようにも感じました。
私たち、認知症の方々の周囲にいる人間は、ご本人のできること、可能性を探っていくことを続けます。しかし、それはとりもなおさず、否応なくできなくなったことを数えること、それに伴うご本人の困惑や悲しみをともに感じてしまうことと、隣り合わせの作業なのです。
Aさんをはじめとしたみなさんと時間を重ねるにつれ、私たちスタッフも、この落ち葉の重みの意味を感じています。
いまのところ、認知症の進行は、止めることができません。そして、完全に予防することもできません。私たち自身も認知症になりうる、なれば進行するさだめにあります。認知症に完全にかかわらないで生きることは、今はできません。
そもそも認知症とは関係なく、ときが流れる、歳をとるということは、今は元気で輝いているように見える光景が、薄れゆくということです。
Aさんの大根の油炒めの味も、曲がった指の思いがけない器用さも、小気味よい千切りの音も、料理をほめられたときの笑顔も、チロリと舌を出した表情も、私たちの中からさえも消えていきます。
そして私たち自身も、花が散り、葉が色づき、落ちていくように、いつかは消えていくのです。
しかし、落ち葉はいずれ発酵し、次の命を生み出し、芽を出させ、伸ばし、花を咲かせます。
認知症という“理不尽な”状況を抱えたAさんたちは、私たちの一歩先を歩いています。
彼ら・彼女らは、まるで道をかき分けながら、自分が咲かせた花を一輪ずつ、育てた葉を一枚ずつ、これからを生きる私たちに手渡しながら、歩いてくれているようです。
時にはあまりに悲しい色で心が痛くなったり、受け取るのを戸惑うような花だったりします。
鋭い葉の端が、家族やスタッフ自身の心の傷にふれることもあるかもしれません。
でも、理不尽な状況を必死で生きるさなかに手渡されたその花々は、実を結び、私たちに何かの種を蒔きます。落ちた葉は肥料となり、私たちの心を深くし、人を豊かに理解し受け止める力を与えてくれるように感じます。
それは、とりもなおさず、私たち、認知症の周りにいる人々が、自分自身を豊かに優しく受け止めることができるようになる、ということでもあるのではないでしょうか。
私は、認知症グループホームの現場にいて、認知症を抱える人々の近くにいて、そう思うのです。
認知症とともにある方々の想い、言葉、生活の姿を、
花々として、落ち葉として、未来につなげる種として、
私はこれからも大切に受け取っていきたいと思います。
現施設にて認知症介護に携わり10年目。すでに認知症をもつ人も、まだ認知症をもたない人も、全ての人が認知症とともに歩み、支え合う「おたがいさまの社会」を目指して奮闘中。 (編集:編集工房まる株式会社)
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