介護離職の相談に乗る介護コンサルタント。自身の介護経験がきっかけに――

飯野三紀子

「介護離職」をするかしないか、離職しない場合にどう仕事と介護を両立させ、生きてくか――。それぞれの人にドラマや必要な決断があり、同じ解は出てきません。だからこそ、ひとりひとりのケースが学びになります。今回は、期せずして介護を機にフリーランスになり、介護離職の相談に乗るコンサルタントにもなった飯野三紀子さんの実例を伺います。

インタビューの前編は、度重なる介護で会社員をやめたいきさつについて伺いました。

今回のtayoriniなる人
飯野三紀子さん
飯野三紀子さん 会社員として人材コンサルティングの営業をするかたわら、叔母、母親、親友の介護を経験。親友の死をきっかけに会社員を辞め、フリーランスに。その後、母の妹夫妻の介護も行った。現在は(社)介護離職防止対策促進機構理事をはじめ、ウェルリンク(株)で介護と心の相談室を立ち上げる。介護離職のコンサルタント、また産業カウンセラー、キャリア・コンサルタントとして活躍。54歳。

友人のうつ病の発症が、会社を辞めるきっかけになった

――飯野さんは伯母、母親、親友、そして叔母夫婦と、5人分の介護をされたと聞きました。最初はどなたの介護だったのですか?

飯野

最初は、実母と二人暮らしをしていた母の姉、私にとっては叔母の介護でした。当時74歳だったのですが、大腿骨骨折をして入院、その後老健で過ごし、有料老人ホームに入居したのですが、半年で亡くなりました。

叔母が入院したのは2000年。ちょうど介護保険が始まった年で、これまでのシステムは使えないし、新しい介護保険制度に、病院も老健も老人ホームも慣れていなくて。介護の期間はそう長くなかったですが、何もかもが滞って、本当に大変でした。

――叔母様の身の回りのお世話に、転居の手続きに、仕事との両立は大変だったのではないでしょうか?

飯野

私は母と叔母が住む家の徒歩圏に、夫とふたりで住んでいました。けれど、それほど「通う」という感じではなかったですね。病院や施設に出向いたり、モノをそろえたりするのは母がやってくれたので、私はサポートに回り、手続きを中心にしました。

もちろん、ホームの見学だとか、病院の重要なお話を伺いに行くなどは同席しましたけれど。当時は営業職で、自分の裁量で仕事の割り振りを決められる部分もありましたから、会社員であっても、それほど負担感はありませんでしたね。
細かいことは母がしてくれる、という気持ちがありましたし、責任を負うという感じでもなかったので。ところが、その後母も認知症になり、本格的に介護が始まります。

――いつ頃の出来事だったのでしょうか?

飯野

叔母が亡くなった後、ほどなくして発症しました。物忘れが激しくて、同じものをたくさん買ってしまったり、ついさっき決めたことがわからなくなったりしていたのです。そこで病院で診断してもらい、認知症の進行を遅らせる薬、アリセプトを服用し始めました。そして、その夏に親友の介護も始まったのです。

母親と親友の介護、両立することの難しさ

――お母さまの介護をしながら親友の介護を。どのような経緯だったのでしょう?

飯野

彼女から連絡が来て、久しぶりに会ってみたら激やせしていたんです。私は産業カウンセラーの資格も持っているので、これはまずい、と直感しました。彼女も母親の介護をしており、その中でうつ病を発症していました。「病院に行こう、お母様のことは病院に任せよう」などと言っているうちに、自殺未遂してしまって……。

本人も入院することになり、彼女が介護から解放されるように動いていました。
伯母を介護していた時は、母と協力して二人で行っていましたが、親友と母の介護が重なったこの時期は、私ひとりに責任がのしかかり、精神的にきつい状態でした。結局、さまざまなタイミングが重なり、ほどなくして私は仕事を辞めてしまいます。

飯野三紀子

――タイミングとは?

飯野

当時は、人材コンサルティングの会社から、別の会社にスカウトされて退職し、次の会社に所属するための準備をしていた時期だったのです。しかし、二人の介護で手いっぱいになり、転職先の会社に、「3か月入社を延ばしてほしい」とお願いしました。

向こうにしてみれば、「他人の介護のために、なぜ?」と思うかもしれませんが、人ひとりの命がかかっているのです。職業的にも、親友という立場からも、放っておける状態ではありませんでした。

――ちょうど転職の時期に、おふたりの介護の時期が重なってしまった。

飯野

はい。次の仕事の準備は続けていましたが、母の認知症が急激に進んでしまって、身の回りのこともかなりあやうくなったので、実家に行くことも多くなったんです。そうでないと、私の携帯電話に1分ごとに電話がかかってくるような状態で。

これは大変すぎると、猶予をいただいた3ヶ月の間で、介護保険を使おうということになり、デイサービスの契約をしました。また、親友のところにも頻繁に行っていました。なんとか良い方向に持ち直して欲しいと思っていましたから。

あれこれ並行してやっていて、精神的にも肉体的にも疲弊してしまって。結局、「今、会社員として毎日会社に行くのは無理だ」と悟り、新しい会社に行くことを辞退しました。先方の会社には申し訳なかったと今でも思っています。

***

ちょうど転職のタイミングと介護が重なり、離職してしまった飯野さん。その後どのように仕事へ復帰し、現在はどんな働き方をしているのか。また、多くの介護経験から得た教訓は? 次回へ続きます。

飯野さんの著作が好評発売中。『仕事を辞めなくても大丈夫! 介護と仕事をじょうずに両立させる本』
三輪泉
三輪泉 フリーランス編集・ライター

女性誌や子ども関連雑誌・書籍の執筆を長年手がけ、現在も乳児や幼児のママ向けフリーペーパーで食育の連載を担当。生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)。近年は介護・福祉・医療関連の記事、書籍編集も数多い。社会福祉士資格を取得し、成年後見人も務める。福祉住環境コーディネーター2級。

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