ご家族に認知症の高齢者がいる方たちにとって、彼らと以前のようなコミュニケーションがとりづらくなってしまったことが大きな悩みだという声をよく耳にします。
「私のことを自分の母親だと思って話しかけてくる」「話をしていたら、いきなり泣き出した」など会話がかみ合わなかったり、「退職して20年も経つのに『仕事に行って来る』と言って外出しようとした」「さっき食事したばかりなのに『ご飯はまだ?』と聞いてくる」といった不可解な行動は日常茶飯事。中には突然暴力を振るわれたという経験がある方もいるようです。
こんな話を聞くと、
「認知症の人の考えていることを理解するなんて、絶対にムリ!」
そう思ってしまいませんか?
でも本当に認知症の人とコミュニケーションをとることは不可能なのでしょうか。
今、介護の現場では、認知症ケアの一つとして「バリデーション」を実践しているところが増えています。「バリデーション」とはアルツハイマー型及びその類似型認知症の高齢者とのコミュニケーション法の一つです。
「バリデーションvalidation」とは英語で「実証、妥当性」という意味で、介護だけでなく、ITや医薬品の現場でも使われている言葉です。介護の「バリデーション」は、アメリカのソーシャルワーカーのナオミ・ファイルさんが認知症高齢者とのコミュニケーション法として1963年に開発しました。
もともと父親が高齢者施設を経営していたというファイルさんは、コロンビア大学でソーシャルワーカーの修士号をとった後、介護の現場で働き始めるのですが、次第に大きな疑問を抱くようになりました。というのも、当時は認知症の高齢者に接するときは、現実を伝えることで彼らの世界観を修正するという姿勢が一般的。混乱をきたした人には鎮静剤を投与したり拘束するというのが当たり前でした。
それに対しファイルさんは、一見不可解に見える認知症の人の言動や行動にも必然性があると考え、彼らに安心、安全である環境を作ることを目指し、バリデーションというコミュニケーション法を確立していったのです。
バリデーションは、認知症の人の「感情」に焦点を当てます。人はたとえ記憶や体力、認知力などを失っていても、感情だけは最期まで持っています。「喜び」や「快感」はもちろん、「怒り」「悲しみ」「恐怖」という気持ちにも人それぞれの理由があり、それは認知症の方も変わりはありません。
バリデーションでは、それがネガティブな感情だとしても表に出すことをよいことと捉えています。そして、その表出された感情に共感し、同じ価値観を共有する。これが、バリデーションの目指すところです。
認知症の方の感情をむりやり抑え込むことは彼らの自尊心を傷つけ、かえって怒りの増幅や暴力などにつながってしまいます。それよりもその感情はどこから来たのかを探求し共感することにより、高齢者が抱えている人生の課題、やり残した思い、心の中のわだかまりが見えてくることがあります。
共感的にかかわることを続けることによって認知症の方のストレス、不安を軽減するとともに、自尊心が高まり、言語・非言語的にコミュニケーションをとろうとするなどの変化がみられる場合があります。
そのためには相手の言うことを否定、非難しない。これがバリデーションのルールです。
そのバリデーションの基本的な関わり方として「傾聴」「共感」「受容」などがあります。
「傾聴」とは相手の話を聞くこと。一見支離滅裂な話でも、その中には認知症の方が訴えたいことがあるはずです。
例えば食事のすぐ後に「お腹が空いた」と言う人に、「さっき食べたばかりでしょ!」というのは逆効果。このような訴えをされる方の多くは満たされない何かを満たそうとしていることがほとんどです。
まずは、しっかりとその人の話を聞くことが大切です。そして、その人に寄り添うように質問してみることもよいでしょう。「いつから食べていないのか?」「何が食べたいのか?」「どのような料理なのか?」「誰と?」などその人が何を訴えたいのかを自ら言えるようになるとよいですね。
もしかするとその人は「愛情」を欲しているのかもしれません。食べることによってその欲求を満たそうとしているようにも見えます。その人は実際に食べたいわけではなく「私のそばに少しでいいから一緒にいて欲しい」という思いを持っているのかもしれません。
「共感」とは、相手が感じているのと同じように感じるということです。
「受容」とは、あるがまま受け入れることです。
相手と話をするときに、今、目の前にいる相手の見ている世界を否定したり、相手を自分のペースに巻き込んだり、うそをついたりしてはいけません。相手の世界を受け止めて、お互いの信頼関係を築き上げることが大切です。
こういった基本的な関わり方をもとに、バリデーションでは実際に認知症の高齢者とコミュニケーションをとる時のテクニックがあります。
その人が言ったキーワードを繰り返します。感情が込められていたり、強調されていたりするキーワードを見つけその人が言ったように同じ口調、表情、エネルギーで繰り返します。ただ、同じ言葉を繰り返すだけではなく、キーワードを見つけその人が言いたいことをしっかりと受け止めることがとても重要です。
質問はイエス、ノーを求めるのではなく、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」という、自由に回答できる問いかけをすることにより、相手が何を求めているのかが分かりやすくなります(「オープンクエスチョン」)。ただこの時に「なぜ」という質問は答えのハードルが高く、混乱を招きやすいので避けるようにしましょう。
関心を持ってその人の過去の話を聴くことは、その人と楽しい関係構築することに役立ちます。過去の話をすることによって自分の感情を表現することが出来ます。一度にあまり多くのことを聞かずお年寄りを尊重することで信頼関係を深めていくことができます。
例えば
これらのテクニックは基本的な関わり方ができていなければ効果はありません。まずは認知症の人の世界を理解し、寄り添うことから始まります。今、目の前の認知症の方が何を訴えたいのかを知ることが大切になります。その上でテクニックを使用してください。
さて、このバリデーション、「共感しろ、受け入れろといっても、家の中で話をしているとイライラしてくるし、何時間も話を聞いていられない」という人も少なからずいることでしょう。
そこで、家庭内でバリデーションを実践するにはどのようにすればよいか、一般社団法人公認日本バリデーション協会の代表・正垣幸一郎氏に話をうかがいました。
正垣氏によると、たとえ最初は1分でも5分でも、相手の心に寄り添おうとする時間を作ることが大切なのだとか。
「基本的に認知症の方は孤独を感じています。だから、たとえ短い時間でも寄り添うことで、相手がまた自分のところへ来てくれるという希望が生まれてきます」
また、特に認知症高齢者が自分の両親の場合、昔のしっかりした時の親の姿を覚えているわけですから、どうしても聴き手である子供には悲しい、こんな姿になって情けないという感情が湧いてきます。あるいは話をしているうちに、聞きたくない話題が出てくるかもしれません。それに心を乱すと、相手を非難したり、いらだちを感じる結果になってしまうことも考えられます。
そこで、まずそういった感情は、自分を客観視していったん脇に置いておく。それにより自分の中心を空っぽにして、その空いたスペースに、相手の感情を入れるようにします(「センタリング」という技法です)。
「バリデーションを行うのは短い時間ですから、その間は集中して相手に合わせるようにしましょう。そのため最初に深呼吸をして気持ちを落ち着け、心を平明にしてからバリデーションに臨んでください。ただバリデーション終了後は、気持ちをリセットすること。相手に共感したままだと聴き手もしんどくなりますので、オンとオフのスイッチを切り替えるようにしてください」(正垣氏)
その他にも、高齢者は加齢とともに視野が狭くなってしまうので正面から話を聴く。その際に二人の間にはテーブルなどのものを挟まない方が良い、相手が心地良いと感じる距離をキープするなど、いくつかのことを意識するだけでより良いコミュニケーションをとることができます。話し声も、相手が興奮しているときは同じようなトーンに合わせ、穏やかな時は静かにゆっくりと話すなど、相手の声や話し方に合わせることも大切です。
正垣氏によると、
「相手と同じ波に乗る、会話のサーフィンだと思ってください」
とのこと。
なお、初めに紹介したように、バリデーションはアルツハイマー型認知症およびその類似症の患者とのコミュニケーション法です。その他の認知症の場合は、専門家の意見を聞くことが大切なのだそうです。
『バリデーション ファイル・メソッド 認知症の人への援助法』(著:ナオミ・ファイル、改著:ビッキー・デクラーク・ルビン、監訳:稲谷ふみ枝、訳:飛松美紀 全国コミュニティライフサポートセンター刊)
大手出版社の編集者を早期退職後、2016年よりフリーのライター兼エディターに。主な活動フィールドは「なろうと、介護と、自衛隊」。「小説家になろう」に代表されるweb小説に編集及びかつての経験を活かした介護関係の記事の執筆、そしてなぜか自衛隊に関する取材記事を多く手掛けている。
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