労働条件の厳しさばかりが取り沙汰される介護の仕事。マイナスイメージが先行してしまう業界ですが、実際の介護現場では志を持って働く方も多くいます。
『ヒルナンデス』や『青春高校3年C組』など多くのバラエティ番組で活躍するお笑い芸人・メイプル超合金の安藤なつさんも、学生時代からブレイク直前まで長年介護現場で働いてきた一人。長く続けてきたからこそわかる介護の仕事の楽しさや、現場の課題など、リアルな話を伺いました。
――安藤さんが介護の仕事にかかわるようになったきっかけを教えてください。
伯父が障害者支援施設を運営していて、子どもの頃からよく遊びに行ってたんです。中学1年生からそこで土日に泊りがけのボランティアをしていて、高校生になってからアルバイトに切り替わりました。
――その頃はどんなことをしていたんですか?
おむつ交換とかトイレ介助、入浴介助、食事介助も全部やってました。土曜日の14時に入って、レクリエーションをして、お風呂介助と夕飯の介助をして、寝る支度をして、添い寝が必要な方がいれば添い寝して、という感じでしたね。翌朝起きたら朝ごはんの支度をして、食事介助をして、口腔ケア、みたいなスケジュールでした。
――20年以上前のことになると思いますが、かなり克明に覚えてるんですね。
そうですね、なんでですかね。結構覚えてます。脳性麻痺の方には体の緊張があるじゃないですか。だから食事介助でもタイミングがズレるとガチッとスプーンを噛んでしまったり、人によっては嚥下も大変だったり、難しくていろいろ教えてもらった記憶が残ってます。
――ヘルパー2級の資格をとったのは、何歳のときですか?
20歳です。そのときは、中高時代の事業所とは別のところで、深夜の巡回介護をやっていました。一晩で15軒くらい個人宅をまわって、おむつ交換や安否確認をするんです。そのときに初めて、大人のおむつ交換を経験しました。それまでは体重の軽い方や小さい子の介助をしていたので、高齢の方のおむつ交換はやったことがなくて。小さい子ならちょっと体を持ち上げて交換できるんですけど、大人の体格だとしっかり体位交換が必要になるんです。今までやってきたことが通用しなくて、「ちゃんと勉強が必要なんだ」と思いました。
――それは講習会で勉強したんでしょうか?
ヘルパー2級の講習でやり方は教わっていましたが、現場に行くと全然違うので、「やらないとわからないな」と思いました。利用者さんの体型にもよりますし、どこまで自分でできるのかも違います。事前にデータをもらっていても、行ってみると「声がけすればここまでできる」というのがあったりするので。
――メイプル超合金さんがブレイクするきっかけになったのは2015年の『M-1グランプリ』でしたが、その決勝前夜も夜勤だったそうですね。
そうなんです。ただその頃には、深夜の巡回ではなくて、以前にアルバイトしていた親戚のところの関連施設からまた声をかけられて手伝っていました。ショートステイの方や長期入居の方、看取りの方もいる施設でしたね。週3〜4回夜勤をしていて、夜中の監視と安否確認、おむつ交換を何人かで行ってました。
――中学時代のボランティアから始まって、介護・介助のお仕事をかなり長く続けていますよね。その中で、嬉しかった出来事はどんなことですか?
認知症のおばあちゃんがいたんです。あるスタッフさんには心を開いていて、言うことを聞いてくれたけど、ほかの人にはすごく頑なだったんですね。自分がその方を任されて、「着替えてください」とお願いしても「絶対イヤだ」みたいな感じで、うまくいかなくて……。数カ月たって、やっとすんなり「うん、着替える」って言ってくれたときはめちゃくちゃ嬉しかったですね。認知症のある方だから、気分的なこともあったのかもしれないですし、自分を認識してくれたのか、もしくは自分がタイミングをつかんだのかわからないですけど。中学1〜2年生くらいのときでした。
――ボランティアを初めてすぐの時期ですね
鮮明に覚えてますね。ほんっとうに着替えてくれないんですよ。着替えてくれた!って思ったらまた別のものを着ちゃう、みたいな繰り返しで、先輩スタッフさんに「すみません、やっぱり無理です」って毎週言ってました。だから、心を開いてくれたときがやっぱり嬉しいかもしれないですね。向こうもこっちを信用してくれているってことなので。
――逆に、つらかったのはどんなところですか?
体力面です。日本は本当にその点が遅れていて、介護する側の体のことを考えた仕組みになっていないんですよ。中2でぎっくり腰をやってから、もう腰はずっと終わってますね。もちろん体型のせいもあるんですけど。リフトの導入が進んでいないとか、そういうのは問題だと思います。今は離れてしまっているので、現場がどうなっているのかあんまりわからないですけど、介助側のケアもちゃんとしてほしい。
――力仕事をアシストするパワースーツなど、テクノロジーを利用した介護用品は増えてきてはいますが、まだ十分に行き渡っていないかもしれません。
利用者さんがどれだけ自分で体を動かせるかも十人十色なので、ベストなやり方もいろいろ違いますしね。そうすると結局、人力でやるのが目視もできるし安全ということになっちゃうんですけど、やっている側が壊れていってしまうので……うまいことできないのかな……。いちばんいいのは、質が高いスタッフの数が増えることなんですよね。介助する人ひとりひとりへの負担が少ないようにできれば、お互いにすごく楽になるはずなんですが。
――介護の仕事って、よく知らない人からは「大変そうだね」と言われがちだと思うんですが、安藤さんはどう思っていましたか?
自分は「全然大変じゃない」って言いますね。実際、大変じゃないから。それって、自分の尺度でしか言えないじゃないですか。だから「大変そうだね」って言うくらいなら「やってみなよ」って思いますよ。階段を見て「上るの、大変そうだね」って言うのと、実際に上ってみて思うことって違うはずだから。
――大変じゃないというのは、それを上回る楽しさがあったということですか?
楽しいですね。普通に「仕事が楽しい」と思うのと一緒です。腰以外、大変だと思ったことはないですね。でも言葉で「ここが楽しい」と言うのも違うんですよ。やっぱり、「やってみないとわからない」としか言えないです。
――「tayorini」では、漠然と存在する「介護はつらそう」というイメージを払拭するにはもっと情報が必要なのではないか、という考えがあって、そういう発信をしていきたいと思っているんです。
親御さんや、長年連れ添った方の介護に疲れて……というような事件があるけれど、そうならないようにもっとサポートを入れられるといいのかな、と思いますよね。それまで介護のことを知らなかった人は、サポートのされ方がたぶんわからないんだと思います。そのきっかけができればいいですよね。
――プロの手を借りることで、楽になることはあるはずですよね。でも、今後実際に親が介護が必要になったとき、頭ではそう理解していてもきちんとできるのか、いまいち自信がないな、と思ってしまいます。
「自分の親の介護は自分がしなければいけない」みたいな責任感とか、「親がこうなってるのを見られたくない」とか、そういうふうに思ってしまうかも、ってことですよね。そういうのを取っ払える何かがあればいいんですけど……。「自分がやればいいんだ」と思って追い詰められてる人が多いと思うんですが、第三者が入ることによってだいぶメンタル面は変わると思うんですよ。
――お仕事されていたとき、そういう場面はありましたか?
守秘義務があるので細かくお話はできませんが、第三者が入らないと絶対回らない状況というのはありました。自分が担当していたのは障害のある方が主だったので、親御さんの介護というパターンはそんなに経験がないですが、夜中に一回おむつ交換に第三者が入るだけで、家族は睡眠時間が確保できるじゃないですか。だから、そこは頼んでほしい。特に在宅介護の場合、「第三者が家に入ってきて親のおむつを交換するなんて嫌だ!」って気持ちもわからなくもないですけど、本当に一回入るだけでもだいぶ違うので。どう楽しく介護するか……どう楽しく生活するか、と言ったほうがいいですね。そのために、頼まれるこちら側も人数を増やして、質を上げていかないといけないと思います。
――どうしたら人手不足は解消されるんでしょうね……。
でも結局「給料あげてください」がいちばんですよね。どんなにこの仕事が好きでも、みんな生活があるしリフレッシュだって必要だから、あまりに安いお給金では続けていけないじゃないですか。なんでそこに国の予算とか使ってくれないんですかね……国の偉い人に、そういう現場を知ってほしいですね。
――そこが不十分だと、人は集まらないですもんね。ちなみに、芸人として売れなかったら介護を本業にしようかな、と思うことはなかったんでしょうか。
そのときは何も考えてなかったですね(笑)。毎日ライブ出て夜勤して「M-1頑張ろう」ってだけで、ダメだった場合のことを考えてなかった。M-1で特に何も起きてなかったら、今もその生活をしているかもしれないです。
――ブレイク後、介護の仕事経験がテレビのお仕事で役に立つ場面は何かありましたか?
街ロケなんかで、お年寄りやお子さんの目線に合わせて話せるのは大事なのかも、と思いました。お年寄りなんて、人生の大先輩ですからね。やっぱり、経験してきたことの数が自分らより全然すごいから。そういうふうに考えるようになったし、忍耐力はつきましたね、きっと。
――なるほど。では最後に、自分が年をとって介護をされる側になったとき、どんなふうに過ごしたいと思いますか?
とりあえず自分は、この体型を削り落とさないとダメですね(笑)。「腰大事にしてね」って言いたくても、申し訳なくなっちゃいますから、「すみません、お願いします」って言えるようになりたいです。そのときのことを考えても、やっぱり質のいい人を育成してほしいし、それが可能な環境が整ってほしいな、と思いますね。
撮影:稲澤朝博
1986年、神奈川県生まれ。編集者、ライター。月刊誌「サイゾー」編集部を経て、フリーランスに。編集書籍に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』「HiGH&LOW THE FAN BOOK」など。
斎藤岬(さいとう・みさき)さんの記事をもっとみるtayoriniをフォローして
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