家族との付き合い方は人それぞれ。それなのに、「子はどんな親の面倒でも見るべき」という考えに頭を抱えてしまう人も少なくないかもしれません。
エッセイ漫画『母は汚屋敷住人』(実業之日本社)、『母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~』(竹書房)の作者・高嶋あがささんは、母との関係に悩みながら生きる女性の一人。自分とは違う価値観の母とどう向き合っているのか、お話を伺いました。
――高嶋さんは壮絶な汚屋敷で育ったと拝見しました。かなりインパクトのあるお母さんですね。
私の母は「ものを捨てる」という感覚がない人なんです。例えば、ネズミにかじられてボロボロになった10年前の靴も、母にとっては「必要だからとっておくもの」になる。それ以外にも、壊れた家電や着古した衣類など、ゴミで溢れかえる家で子ども時代を過ごしました。
――お母さんの行動には昔から悩んでいたのでしょうか。
そうですね。母は古くなった食材を使い、汚れた水回りで料理を作るので、子どもながらに衛生面が不安すぎて、私も弟もできるだけ家では食事をしないようにしていました。ただ、自分が育った家以外の常識を知らないので、こういうものなのかなと。母がどの程度おかしいのかは、正直よく分かっていませんでした。
――初めて実家を出たのは、大学進学がきっかけだったそうですね。
はい。友人とルームシェアを始めたのですが、「洗い物をいつするか」「シーツの替えがあるか」など、ささいな部分に育った家の環境や感覚の違いが現れますよね。母から教わらなかった平均的な生活スキルは、この時期から少しずつ身につきました。あとは、インターネットが普及したタイミングだったので、匿名の掲示板を見ていろいろな家庭環境を知ることができましたね。
――自立した生活を送っていた30代で、再び母親のいる家に戻ったのはなぜですか?
当時付き合っていた人とお別れしたことや、兼業漫画家として生活するにあたり家賃負担を減らしたかったのがきっかけです。東日本大震災を経て、世間の「絆」を求める風潮に影響されたこともあり、新しい誰かと出会うより、母との細い絆を求めてしまったんです。それに、離れて暮らすうちに母の「やばさ」を都合よく忘れていました。自分もいい大人になったので、老いた母との関係くらいどうにかなるだろうと思ったのでしょうね。
――しかし、実際に戻るとかなり厳しい現実に直面したようで……。
寝室にネズミが走り回っているし、台所はゴキブリだらけで料理ができない。私が生活するスペースはもちろん確保されていませんでした。予想を遥かに超えた惨状に「人って変わらないんだな」と思い知りました。
――その時点で、「やっぱり一緒に住まない」という選択もできたはずですよね。
ゴミ屋敷が火事になったニュースを見て、「もしこの家もそうなったら、近隣住宅にまで迷惑をかけてしまう」と怖くなりました。それに母は既に60代だったので、もし倒れたときに担架が通れないほどゴミだらけの家ではまずいなと思い、自分なりに片付けようと決めました。
――まず、どんなことから始めましたか。
私が家の中を片付けようとすると母が激怒するため、タンスの中など気づかれないところからこっそり掃除を始めました。
――片付けているのがバレてしまったとき、お母さんのリアクションもすごいですよね。
「捨てるな!」と必死の形相で怒鳴りますね。元から機嫌がコロコロ変わる人なのですが、自分の持ち物が「捨てられてしまうかもしれない」と感じたときの迫力は半端じゃないです。
実は精神疾患を疑って、精神科医向けの専門書やネットなどで母に似た症例がないか調べました。「この人(母)は、片付けられないのではなく、片付けたくない人なのだ」という気づきは、大きな収穫でしたね。
――強烈なお母さんによるストレスフルな日々を、どんなものに支えられましたか。
母の家を片付けていた時期は、ジャニーズにハマりました。疲れるとキラキラしたものに惹かれますよね(笑)。掃除中に曲を聴いたり、ライブに行ったりしましたね。それに、ファン仲間の存在も大きかったです。お互いのプライベートを詮索せず、「みんな色々あるよね」とおおらかに捉えて、シンプルに好きなものを共有できる人間関係があると楽ですよね。
――自分の好きなものに熱中することで、家族の問題から一時的に離れられるんですね。プライベートを話さずにいられる人の存在に救われながら、漫画を描き始めたのはどうしてですか。
母を説得したりごまかしたりしながら、一人で家を片付ける生活の辛さがついに限界を迎えた……というか。このストレスを作品に昇華しないとやっていけないくらい精神的にきつくなってしまいました。漫画を通して一人で抱え込むことをやめたら、私も母と自分の関係をより客観的に捉えられるようになった気がします。
――読者からの反響はいかがでしたか。
引かれちゃうかな……という気持ちもありましたが、意外にも同じような悩みを抱えている人の声が集まりました。ネット上のレビューには「うちの場合は……」という書き込みが多く、さながら人生相談所のようで興味深かったです。
――現在、母とは再び離れて暮らす高嶋さん。今の心境を教えてください。
約2年かけて、100袋以上のゴミを少しずつ捨てたんですけど、そこで自分の気力や体力に限界がきました。「工夫できることはやり尽くしたし、私にはこれ以上できることがない」と家を出ました。他人に無責任と言われても、自分の心身を守るために必要な選択だったと思います。
――高嶋さんが家を出ることについて、母親のリアクションは?
特にありませんでした。その後、お金の援助や老後の世話をしてほしいとほのめかす手紙を何度かもらいましたが、家を片付けないことが前提のようです。
――離れてから、母親について考える時間はありますか?
今は一緒に住むことをやめましたが、娘であることは変わりないので、これから起こりうるトラブルに備えて制度や法律を調べるようにしています。離れることで、ゴミ屋敷という目の前の問題でなく、これまでとは違う方面から将来の対策を考える余裕が生まれて良かったです。
――将来の対策とは?
FP資格を持つ弟と相談して、「介護が必要になったら、なるべくホームに入れよう」とか、「お金の管理は私たちがしよう」とか、そういうことですね。
――「自分一人で無理しない」って大事ですよね。
そう思います。日本人って「家族のためなら、頑張って当たり前」という風潮が強いですよね。私の周りも「都会で暮らしていたのに、長女だからという理由で親の介護のために実家に呼び戻された」という人が増えてきました。正直、女性に対する見えない圧力がありすぎる気がしますね。
――どうにもできない親に対して距離感をつかみかねている人がいたら、どんなメッセージを送りたいですか。
私も母にまつわる悩みは尽きませんが、自分だけが背負わなければいけない、なんてことはありません。「私には無理です!」と周囲や適切な機関に伝える環境づくりが大事。まずは自分の健康を守れる範囲で試行錯誤しながら、それぞれに親とのちょうどいい関係を見つけていけたらいいのかなと思います。
編集:ノオト
有限会社ノオト所属の記者、編集者。1994年、北海道生まれ。取扱説明書の編集職、企業のWebコンテンツ制作職を経て現職。街歩きや働き方に関する取材を担当。
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