健康、子育て、親の老後・介護、どう向き合う? はてなブロガー3人が語る「40代からの生き方」

40代。もう若者ではなく、かといって老生するほどでもない。経験や知識を得て内面の充実を感じる一方で、体は衰えていく。体力面でも精神面でも、30代までとは違った変化を感じる機会が増えていきます。

さらには親の老後についても考える必要があったり、場合によっては子育てと親の介護の「ダブルケア」に直面したりと、公私両面でさまざまな責任や負担が増す時期でもあります。

40代を機に、これからの生き方についてあらためて考え直している、という人も少なくないはず。そこで今回はそんな「40代からの生き方」について、当事者の声を伺いながら考えてみたいと思います。

お集まりいただいたのは、現在40代のはてなブロガーである、いぬじんさん、はせおやさいさん、kobeniさんの3人。それぞれが直面する「健康」「子育て」「親の老後」、さらには「今後」について、本音で語り合っていただきました。(座談会はリモートで実施しました)

参加者プロフィール
いぬじん
いぬじん 犬のサラリーマン/共働き研究家。中年にビミョーにさしかかり、いろいろと人生に迷っていたころに、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、小学生の子どもが2人いる。コーヒーをよく、こぼす。
はせおやさい
はせおやさい 会社員兼ブロガー。夫と娘の3人家族。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログに綴っています。
kobeni
kobeni 会社員兼ブロガー。仕事は広告やwebの制作職です。「kobeniの日記」にて、仕事と育児の両立などをテーマに文章を書いています。夫、小学生の子ども2人、猫2匹と暮らしています。最近、海外の雑貨を販売する「Cordelia」というWebショップ(https://2020cordelia.theshop.jp/)を始めました。

体力ゲージが減った代わりに、精神のゲージが増えた

――まず40代を迎えてからの「変化」についてお聞きします。体、内面、環境の変化、いろいろあると思いますが、いかがでしょうか?

いぬじん
いぬじん

いきなり暗い話ですけど、やはり衰えは感じます。体力が落ちているのもあるし、子どもができて生活環境が変わったのもある。育児中はどうしても睡眠不足になるから、もともとない体力や記憶力がさらに低下していきますよね。4〜5時間の睡眠時間が当たり前になって、朝方にぱっと目が覚めても二度寝できなくてそのまま起きています。こうやって、年を取っていくんだなあって。

――内面の変化は感じますか?

いぬじん
いぬじん

「充実した時間を過ごしたい」という欲求は、以前より高まっているかもしれない。自分だけの時間が減り、体力もすぐに回復しないので、できることが限られていきます。だからこそ、うまく時間を使いたいと思うようになりました。仕事でも、つまらない打ち合わせは早く終わらせようとか、避けられない雑務は少しでも楽しめるように工夫しようとか。家事でも、例えば掃除しながらできるストレッチを考案したり。これまでぼーっと生きてきた時間を取り戻すような感じで、楽しいですよ。

――はせさんはいかがでしょうか?

はせおやさい
はせおやさい(以下、はせ)

いぬじんさんの話を聞いて、思い出しました。確かに、子どもが産まれてから体力のゲージが下がった気がしますね。私は40歳で娘を産んでいるんですけど、それまで100あった体力が60くらいに減ったイメージ。逆に2歳の娘は元気いっぱいで、100のゲージが30分も寝れば完全復活するんです。私は6時間寝ても半分しか回復しないのに! だから体力的には、しんどいです。

ただ、私もいぬじんさんと同じように、限られた時間で「いかに濃く生きるか」ということを考えるようになりました。トータルの体力ゲージが少なくなった分、いい意味でせっかちになれた気がしますね。それから、20代に比べてやること自体は増えていますけど、マルチタスクでいろんなことができるようになっていると思います。

――物事を効率よく捌いて、上手に時間を作れるようになったと。

はせ
はせ

そうですね。たくさんの手を動かすことで、遊ぶ時間も確保できるようになってきました。多分、若い頃よりも今の方が人生は濃いですね。40代、すごく面白いなって感じています。体力は減ったけど、精神のゲージはむしろ増えているのかもしれません。

いぬじん
いぬじん

僕ははせさんと以前から交流があるんですが、はせさん、もともとテキパキ力が高いもんね。それが、さらにパワーアップしたという感じなのかな。

――kobeniさんはどうでしょう。40代の変化について。

kobeni
kobeni

私は40代になってから、焦りを感じるようになりましたね。残りの人生そんなに長くないぞ、石田三成だったら死んでる年齢だぞ! って。そろそろラストスパートをかける時期なのかなと思ったりします。あと、体の変化は怖いくらい感じていますね。40歳を過ぎて、白髪がすごく増えました。

はせ
はせ

分かる!

kobeni
kobeni

ちょっと放っておくと、生え際が真っ白になるんですよ! あとは、謎に頬がこけるとか、身に覚えがないのにどんどん太るとか、これまでに経験したことのない「老い」を感じています。ただ、それはもう割り切っていくしかないのかなって。抗えない体の変化ばかりを気にしていたら、どんどん自己肯定感が下がっていくというか、自分のことを好きじゃなくなってしまう。ここから先は、別の何かで「私、なかなかいいね」と思えるものを持たないと、すごく苦しくなっていく気がしますね。

――具体的に、何かを変えたりはしていますか?

kobeni
kobeni

どうでもいいことに時間を使いたくないという気持ちは、私もすごく強くなっていますね。会社で無駄な会議に参加するくらいなら子どもと一緒にいたいとか、この仕事を本当に自分がやりたいと思っているのかなといったことは、以前よりも突き詰めて考えるようになりました。残された時間の中で、なるべく楽しく気分良く、なりたい自分に近づきたいと思う気持ちが強くなったと思います。

40代になり“身の丈”を肯定できるようになった

――皆さん共通しているのは、体の衰えやしんどさは感じつつも、内面の部分では充実感やゆとりを持てている。そして、「楽しみたい」という意欲は衰えることなく、むしろ増している点かなと思います。年齢を重ねて自然とそうなったのか、あるいは何かきっかけがあって、そうした心境に至ったのでしょうか?

kobeni
kobeni

私の場合は、母を看取った経験が大きいと思います。母は、特に余命宣告を受けてからは、亡くなるギリギリまで自分のやりたいことを追求していました。定年後から短歌を始めて、けっこう上手だったんですよ。私がその姿を見て思ったのは、「ああやっぱり、いくら親になったとはいえ、個人は個人なんだな」ということです。特に母と私は似ているので、私もああなるだろうなと。子どもたちに対して自分は、執着がなさ過ぎて冷たい母親なのかな……と悩むこともありましたが、母の最期を見て悟りました。そういうタイプの人間もいるんだと(笑)。私も、少ない残り時間を後悔しないように生きようって。

はせ
はせ

私もkobeniさんと似ていて、一昨年、両親が同時に入院したんです。二人とも、入院したことで精神的にも弱って、一気に老け込んでしまったように見えたんですよね。その時に、親もいつか亡くなるんだなと強く思いました。同時に、自分の死もリアルに感じられるようになった。これは20代の時みたいに「私なんて」とうじうじ考えてる場合じゃないぞと。“残り時間”を楽しく生きようと意識するようになった、きっかけの一つではありましたね。

――いぬじんさんは、いかがですか? 以前のtayoriniの記事では、「人生のピークを過ぎた」とも書かれていましたが。

いぬじん
いぬじん

40歳前後くらいから、何をしても不完全燃焼というか、すごくモヤモヤしてしまう時期があったんです。仕事をしていても家にいても、ずっと「これでいいのかな?」と悩んで、質の悪い時間を過ごしているような感覚があった。そのモヤモヤが膨らみ過ぎて、ある日の出勤前に立ち寄った喫茶店から一歩出た時に、その場から動けなくなってしまいました。経験したことのない虚無感に包まれて……。それからしばらくは、仕事にも身が入らず、何をやっても楽しいとは思えなくなりましたね。

――そこから、どうやって前向きな気持ちを取り戻したのでしょうか?

いぬじん
いぬじん

恥ずかしいんですけど、「自分探し」をしました。限られた時間の中で、自分にしかできないことって何なんだろう、何をしたいんだろうと、あらためて考えてみることにしたんです。空いた時間で、いろんな人に会いに行ったりもして。

小説家、お医者さん、農家の方など、さまざまな世界で活躍している人に話を聞いてみたんです。彼ら彼女らの考え方が何か参考になるかもしれないと思って。

――何か得るものはありましたか?

いぬじん
いぬじん

もちろん、みなさん素晴らしいお考えを持っていて、参考になる話もたくさんありました。でも残念ながら、それで自分の状況が激的に好転することはなかったです。むしろ、活躍している人たちのすごい努力を知って、自分がそこまでできていないことに落ち込んだりもしました。

ただ、ある人から言われた「あなたは十分に幸せなのだと思います」という言葉は刺さりましたね。若い頃は何者かになりたいと思い、睡眠やプライベートを犠牲にし、体を壊してまで頑張ってきたけど、もうそういうステージではないんだなと。ここからは他人と比較するのはやめて、自分自身が楽しいと思えるような人生の遊び方を決めていこうって、少しずつ思えるようになっていったんです。

――年齢を重ねていくにつれ、「上手に諦める」ことも大事になっていきますよね。

はせ
はせ

それは、私もすごく思いますね。私自身も、20代の頃は不遜でしたし、活躍している同年代と自分を比べて、妬(ねた)むこともありました。「大して実力もないのに、なんであの人ばっかり」みたいに。でも、それは自分が若かったから、他人の努力が見えにくかっただけだと思うんです。30代後半くらいになってやっと、そういう人たちがいかに勉強していたか、そのすごさを認められるようになりました。

ただ同時に、仮に自分が人生を犠牲にするほど頑張ったとしても、上場企業の社長になれるわけでもないし、100メートルを10秒で走れるわけでもない。才能も体も違うんだからしょうがないなって、いい意味で諦めがつくようになりました。私は私で、今は十分に幸せですしね。

――今ある幸せを、噛(か)みしめられるようになったと。

はせ
はせ

そうですね。40歳前後でやっと、「自分の人生、悪くないな」って肯定できるようになりました。そうしたら同時に、自分以外の生き方も肯定できるようになった気がします。友人が出世をしても妬むことなく、素直にいいじゃんと言えるようになったのは、すごくいい変化だと思いますね。

kobeni
kobeni

はせさんの話を聞いていて思ったんですけど、そういえば私も最近まったく嫉妬してないかも。嫉妬ってすごく嫌な感情だから、うらやましく感じてしまうような人や情報から距離を置くようにしているのかもしれないですね。

いぬじん
いぬじん

昔からそうなんですか? 例えば、仕事で出世している同期と自分を比べてしまうようなこともなかった?

kobeni
kobeni

あまりないですかね。そもそも出世して管理職になりたいとか、全く思わないんですよね。現場の専門職がマネジメント職とか経営者より劣っていると思ったこともないですし。

人と比べる……そうだな、強いて言えば子どもの受験のことですかね。中学受験のために猛勉強させているご家庭のことを聞いて、焦りのような気持ちが芽生えることはありました。ただ、それを夫に話したら「自分の子どもに、自分の子以上のことを求めてない?」って言われたことがあったんです。ハッとしましたね。そもそも、私も含めてうちの家族って、そんなに賢かったっけ? って(笑)。

自分の“身の丈”を肯定するって、大事なことかなと思います。勉強があまり好きじゃなくても、うちの子どもは良い子だし、面白いし、悪くないと思っている。それなら、自分の中から強く「受験をしたい」という思いがないならば、無理に焚(た)きつける必要もないのかなと。

いざという時に今の生活を変えられる柔軟性はあるか?

――40代になると、子育てと親の介護が同時期に重なる「ダブルケア」に直面する人も増えていきます。現在、みなさん子育て中ですが、親の介護についてはどう考えていますか?

はせ
はせ

私は多分、いずれダブルケアに直面するだろうなと思います。子どもがまだ2歳で、両親は70代ですから。その時が来たら、きっと何かを諦めなきゃいけなくなるというか、取捨選択が必要になるだろうなと。

ただ、それを悲観してもいなくて。そうなったら自分の興味の軸を「誰かのために役に立つこと」にずらせばいいんじゃないかと思うんですよね。

――人のためにやりたいことを犠牲にするのではなく、むしろ“人のため”を“やりたいこと”にしてしまおうと。

はせ
はせ

そうそう。ゲームで「実績解除」ってあるじゃないですか。人生も同じだなと思っていて、今は「親の介護」っていう札がまだ解除されていないだけ。これから「子どもの反抗期」っていう札も来るだろうし、どんどん新しい実績が解除されていきます。知らないことを経験するっていうのは、自分がやりたいことの一つでもあるので、大抵のことは面白がれるような気がするんですよね。例えば、亡くなった祖父の家の売却がうまくいかずに揉めた時も、大変ではありましたけど、一方で「ドラマみたい!」と思っている自分がいました。

もちろん、いざダブルケアになったら、すごくしんどいとは思うんですけど、いつか乗り越えて笑える時が来るんだろうなって、そんなふうに思えるようになりましたね。

――実際に介護が必要になった時のために、準備はしていますか?

はせ
はせ

話し合いはできている方だと思いますね。親が亡くなった場合、連絡してほしい人は誰か、実家をどうするかなど、一通りの意思は確認できています。そこは、親の性格にも助けられていますね。周囲の同世代に話を聞くと、相談しようにも「死ぬなんて縁起でもない!」みたいな反応をされて話し合いができない、みたいなこともあるみたいなので。

kobeni
kobeni

親も自分も、できれば考えたくないことですよね。でも、全く予期せぬタイミングでその時が来ることもありますからね。例えば親が家で転んで、そのまま寝たきりになる可能性もゼロじゃないから……。

――本当に難しいですよね。もちろん、亡くなることなんて考えたくはない。でも、先延ばしにすればするほど、親も年老いていき、余計に話を切り出すことが難しくなっていく気がします。

kobeni
kobeni

そうなんですよ。余命を告げられた人に対して、「お墓のことなんだけど……」とは、とても言えないですよね。なかなか難しいけど、そうなる前に話し合わないと。例えば、親戚の方やタレントさんがお亡くなりになった時などに、さりげなく話を振って、お葬式や延命治療についての考え方を聞けたらいいと思います。いくら親子といえども、自分以外の人間の延命について判断するのって簡単じゃないですよ。以前寄稿した際にも書いたのですが、与太話のレベルでもいいから、本人の意思は確認しておきたいですよね。

はせ
はせ

私も、叔父が亡くなったタイミングで父に聞きましたね。「お葬式どうしたい?」って。そんなふうに、折に触れてちょっとずつタッチしています。

――いぬじんさんはどうですか? ご両親と話し合いはできていますか?

いぬじん
いぬじん

うちは僕の両親も妻の両親も今まさに終活の真っ最中で、むしろ自分たちから積極的にお墓はこうしたいとか、もしもの時はこうしてくれと言ってきますね。すごく勉強をしていて、楽しそうにすら見えます。そんな姿を見ていると、逆にこの人たちはまだまだ生きそうだなって思いますね。

本人たちが考え始めてくれているから、僕と妻も自然にそういう話をするようになりました。互いの両親のこともだし、自分たち自身が死んだらどうしようって。「死」なんて、まだまだ先のテーマだと思っていたけど、夫婦の話題に上ることは増えた気がしますね。

――親とだけじゃなく、夫婦でいざという時のための話し合いをしておくことも大切ですね。

kobeni
kobeni

そうですね。親と離れて暮らしていれば、親の様子を頻繁に見に行かないといけなくなるかもしれないし、その間はパートナーに自分の家のことを全部やってもらわないといけなくなるかもしれない。お互いの時間がそれぞれの親の方に割かれることになるから、そうなった時に自分たちの家の日常をどう回していくのか、夫婦で話し合いができているといいのかなと思いますね。何かアクシデントが起きた時に、今の生活を変えられる柔軟性があるかどうか、確認しておいた方がいい。

――特に、どんな話し合いをしておくといいでしょうか?

はせ
はせ

いざという時のために、決めておくべき「how」(どうやるか)ってたくさんあるんですけど、その前に何をしたいかの「what」についてたくさん話しておくと、おのずとhowは見つかる気がします。うちの場合は両親が入院した時に、すごく大変だったんですよ。時間がない時は、東京から横浜の病院まで新幹線で行ったこともありました。

その時に、夫から「親のことはもちろん大事だけど、あなた自身を大事にしてほしい」と言われたんです。そこで、あらためて夫と話し合い、夫婦にとっての「what」について考えました。親のことも大事だけど、それ以前に自分と夫、子どものことを大事にできていなかったら意味がないよねって。だから、親の面倒を見る以前に、自分の体や家族を壊さないことを何よりも優先しよう。それが私たちの「what」だよねと。

それからは、無理をせずできる「how」を考えるようになりましたね。家事にまで手が回らない時は代行サービスを頼むなど、お金で解決できる方法も取り入れました。

――自分と親との距離感や考え方によっても、「what」や「how」は変わる気がします。

はせ
はせ

そうですね。自分の親に対するスタンスについて、夫婦でどれだけ共有できているかは大事だと思います。自分を犠牲にしてまでも親を助けたいと思うのか、そうではないのか。人によってそこは全く違うと思うので。

ワクワクしたい気持ちが、ますます強くなっている

――最後に、「これから」についても伺いたいです。40代から50代に向けて、やりたいことなどはありますか?

いぬじん
いぬじん

うちは上の子がもうすぐ中学生、下の子が小学生になり少しだけ楽にはなりましたが、まだ老後について考える余裕はないですね。当面は、子育て中心の生活が続くと思います。でも今は、それも楽しく感じられるようになりました。

ゲームに例えると、若い頃はRPGだと思うんです。自分のレベルを上げ、使えるスキルや魔法を増やしてゴールを目指す。それはもう遊び尽くしたし、40代からは違うゲームをしてみようって。これからは自分のレベル上げよりも、後輩や子どもを育てていく「育てゲーム」を楽しみたいですね。

はせ
はせ

私も、当面は子育てが中心です。いつか子どもから手が離れた時に、夫婦で懐かしく話せるネタをいっぱい作りたいですね。娘が熱を出して病院に駆け込むとかもその時は必死ですけど、20年後に「あのとき大変だったよねー」なんて振り返れたら、とても幸せだと思います

kobeni
kobeni

インターネットのおかげもあると思うんですけど、自分は「意外とこういうことができる(=世の中から「いいね」と言われる)らしい」といったことが、年月を経て積み重なって、今ごろ開花しているのかも。と思うこともあります。子育てしかしていないと感じていた30〜40歳の間に、子どもと同じように、実は私もひっそり育っていたのかもしれません。子どもたちも、もう頻繁に熱を出したりしないし、お風呂だって彼らだけで入れるんですよ! となると、私にまた時間が戻ってくるわけで。新しいことや面白いことをもっとやってみたい、という意欲も湧いてきます。

飽きっぽいわりには常にワクワクしていたいんですよね。その気持ちは、40代になってますます強くなっていると感じます。

取材・構成:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
 

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