親の老いに、どう向き合うか? 母を亡くしてから思う、介護や看取りのこと

医療・介護福祉業界のいろんな方にお世話になります

私は2013年に、母をがんで亡くしている。闘病中、だんだんと弱っていった母は、最期の数カ月間は介護が必要になった。しかし私は当時妊婦で、父が一人で介護するというのも無理があったため、自宅で介護をした期間は短かった。なので、私は介護については書けることが少ない。ただ「親を看取る」ということについては、他の同世代より少し早く経験をしてしまった。

私にとって、初めて体験する「親しい人の死」が、母だった。祖父や祖母は遠くの田舎にいて、あまり親しいとは言い難い存在だったからだ。私は一人っ子で、当時は父と母との三人家族。両親が親戚付き合いを嫌ったため、家族以外にそこまで親しい親族もいなかった。そんな中で、精神的支柱であった母が亡くなるという事態には、動揺せざるを得なかった。

今考えると、母に対する、自分の娘としてのふるまいには後悔がたくさんある。そして、母を亡くして以降、自分の「父との向き合い方」が変わったように思う。「この人もまた、いずれ亡くなる」という思いを心のどこかに持ちながら、父と接するようになったのだ。

母を亡くすという経験を経て、次にまたやってくる身近な人(「親」などの血族じゃなくても)との別れについて、今の私から言える心構えや気の持ちようのようなものを、いくつか書いてみようと思う。

親の老いを直視し、ささいな変化から病気の兆しをつかむ

母が亡くなった直後から、父は睡眠障害になり、やがてうつ病になった。いわゆる「荷おろしうつ」というやつだ。もともと非常に繊細な父なので、今思えば、父にそういった事態が起こりうるという想像もつく。しかし当時の私には、それを受け入れることがなかなか難しかった。

子どもは、親はいつまでも親として、自分のことは自分でできるし、ワガママを言える相手だと思ってしまうものだ。当時の父は病気のせいでとても弱気なことを言い、明らかに様子がおかしかったのに、私は「そんなこと私に聞かないで」「自分でやって」と突っぱねたりしていた。そして結局、それが父の病気の発見を遅らせ、事態をより深刻にした。

その経験から、今の私は父の異変をなるべく早く察知しようと心がけている(特に、うつ病は再発しやすいので、話す内容や表情などの変化で再発に気付きたいというのもある)。病気というのは、じわじわと少しずつ人を変えていくものだ。そして、その変化に早めに気付ければ、大事に至らない場合もある。

なかなか難しいことかもしれないが、親の老いや病を、子どもが勇気を出して直視することが大切だと思う。病院嫌いの親なら、なおさらである。残念ながら、ある時を境に「面倒を見る側・見られる側」という、親と子の関係は逆転する。私は母を亡くしてからそのことが身に染みて分かったので、今は何かと父に頼られても、いら立ちは少ない。

もちろん、現役世代のわれわれは毎日忙しく過ごしているわけで、現実的に難しいことも多いだろう。以前よりも親に会いに行く頻度を少し上げるとか、そういうことからでも良いと思う。

元気なうちに、お金の話や延命治療の話をしておく

「自分はもう長くない」ということに打ちのめされている人に、「遺産のことなんだけど……」と持ち出すのがいかに残酷なことか、想像してみてほしい。自分の死を、あっさり覚悟できる人間はめったにいない。まだ自分は生きていて、望みを捨ててはいないのに、死んだ後の話ばかりされたら、私なら「あんたたちはいいよ、このあともずっと生きていくんだから」と、疎外感を覚えるんじゃないかと思う。(だが、残される側は意外とそういう話し方をしてしまうものなのだ……)

とはいえお金の話や、延命治療の話はとても大切だ。例えば、突然親が倒れて、まとまったお金が必要になることがある。あなたは親の口座がどの銀行にあるのか、暗証番号はいくつか、などを知っているだろうか? あるいは親の意識がなくなって、本人の意思を聞けなくなってしまったときに、延命治療をするかしないか、医者から問われるのは家族だ。他者である自分が判断するのは、非常に荷が重いのではないだろうか?

私の母は生前から家族葬を希望していたので、大きな葬儀はしなかった。葬儀のやり方について他人からいろいろと詮索されそうになったとき、「生前の故人の遺志なので」と返答できることが、何より私の助けになったと思う。

母は亡くなる数カ月前に、「結局、病み方(死に方)も、生き方なのよ」と言っていた。あなたの身内がどんな人かを踏まえつつ、「もちろん全然先の話なんだけどさ」と、冷静に話せるうちに話しておくことをお勧めしたい。

介護保険や、地域包括支援センターについて知っておく

親が病気になったり、介護が必要になったりしたとき、自分や他の家族が、場合によってはたった一人きりでそれに向き合うことになるのではと、心配する人は多いだろう。そんなとき、地域や医療機関にサポートの仕組みが存在することを知ってほしい。

介護保険の利用相談や、入院後のかかりつけ医を決めるにあたっては、地域の高齢者のための相談窓口である「地域包括支援センター」や、病院に在籍している医療ソーシャルワーカーなどに頼ることができる。私も母が病気になってからとてもお世話になり、日本の医療の感動的なほどのきめ細やかさや、想定よりも医療費が安かったことなどに驚かされた。

ただし、身内が決断しなければいけないことは多い。手術の同意書へのサインや、いくつかある転院先の病院候補から1つを選ぶといった場面だ。いくら「標準治療(科学的根拠に基づき、現在利用できる中で最良と考えられる治療)」があるとは言っても、やはり身内のリテラシーがその後を左右することはあると思う。また家族の知識の有無によって、患者本人のQOLが違ってくることもあるだろう。サポート制度などの力を借りつつ、ここぞというときには、現役世代である自分たちが知識や判断力を発揮するのが良いと思う。

前述したように、私は在宅介護の経験がほとんどないので、例えば「働きながら介護をする」ということについてはアドバイスができない。ただ、子育てを通していろんな親に話を聞いて思ったのは、子供のことでも他の家族のことでも、何か一つの問題についてばかり考えて過ごしていると、行き詰まったときにつらいということだ。やはり「介護一本」の生活にすると、一人で思いつめてしまう可能性が高いのではないだろうか。もし私が今後父を介護することになったら、働きながらできる方法を模索すると思う。

“どうでもない日常”を大切に

大切な人がピンピンしている時にはいまいち想像しづらいと思うが、いるのが当たり前の人が亡くなるというのは、例えば「母の日に、面倒くさがりながらも贈っていたカーネーションを贈る相手がいなくなる」ということであり、「次の大河ドラマ楽しみだね」というような与太話をする相手がいなくなる、ということだ。

亡くしてからしばらくは、そういったことがしみじみと寂しい。だから、今親が元気な人は、とにかく他愛ない話をたくさんして、一緒にたくさん笑って、“どうでもない日常”を過ごしてほしい。たぶん亡くなった後に思い出すのは、何てことのない日々のエピソードだからだ。(これも永遠じゃないんだな)という気持ちを持ちつつ、どうでもない会話や散歩などを楽しんでみてほしい。

NHK連続テレビ小説「半分、青い。」では、登場人物の律(佐藤健さん)が、余命いくばくかという母の和子(原田知世さん)に対して、「僕は、和子さんの子どもで、幸せだったし、幸せだ」と言うシーンがある。こういう言葉は、親がもう長くないとなると「言っておかなきゃ」という気持ちになるものだと思う。一方で「幸せだ」と言い直している律の気持ちもとても分かる。だって、今はまだ生きているんだから。思い出作りに旅行とか、「あなたの子で良かった」みたいなことは、病気になってから焦ってしたり言ったりするのではなく、「何? 突然」っていうぐらい元気な時に、さりげなくやっておくのが良いと思うのだ。

後悔のない看取りなんかない

自分の母の看取りについては、もっとこうしてあげれば良かったとか、一緒にあれもしておけば良かったとか、後悔も多い。

ちょうど母の病気のことで落ち込んでいた時に、父親の看取りをテーマにした「ゴーイング マイ ホーム」というフジテレビ系列のドラマが放送されていた。その中に「後悔するのは、かつてそこに愛があった証拠だ」というせりふがある。どんなに大切な人のことを想っても、後悔が一切ない介護や看取りなんかないと思う。それはそれでいいんだ、愛があった証拠なんだと、私は思うようにしている。

病や死の問題は誰にでも必ず訪れるのに、積極的に語られることが少ないと思う。皆さんの大切な人が、できるだけ元気で長生きしてくれることを祈りつつ、この文章が、小さくとも助けになればと願っている。

編集/はてな編集部

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会社員兼ブロガー。仕事は広告やwebの制作職です。「kobeniの日記」にて、仕事と育児の両立などをテーマに文章を書いています。

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