ドニー・イェン-老後に効くハリウッドスターの名言(13)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「最も印象に残っている作品?
 それは一番新しい作品がそうだと答えることにしているんだ(笑)」
  ――『続 超★級★無★敵 香港電影王』(1998年より引用)

世界のアクション映画の最前線に立つ男、ドニー・イェン!
宇宙最強の異名を掴んだ現在でも、さらなる進化を続ける男!
ギラギラと輝き、コツコツと進んだ、その怒涛の半生を振り返る!

今こそ「最後の本格派」に光を……!

ブルース・リー、ジミー・ウォング、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン、ジェット・リー……かつて香港は、綺羅星の如きアクションスターたちがしのぎを削り合うアクション映画の聖地であり、ここ日本でも多くの少年少女と一部のイイ大人が熱狂した。

ブルースに憧れヌンチャクを振り回したり、ジャッキーに憧れて蛇拳ごっこをやったり……そんな子ども時代を送った人も多いのではないか。私自身もジャッキーに憧れて小学校の階段から転げ落ちていたら、先生に「それはジャッキーじゃなくて『蒲田行進曲』(1982年)。危ないからやめなさい」と叱られたものだ。

しかし現在の香港映画にかつての勢いはない。日本の劇場で公開される香港映画はメッキリ減り、テレビの地上波放送でも香港映画を見かけなくなった。これは全て中国返還のせいだろう。表現の自由が失われたことによって、かつての「面白ければ何でもあり」な香港映画マインドは失われた。

香港映画にかつての勢いはなく、日本でも存在感は下がっていくばかりだ。ではキレキレの功夫(クンフー)で暴れまわるアクションスターがいないのかというと……そんなことはない。たしかに香港映画は風前の灯火だ。そもそも香港を取り巻く情勢も映画どころじゃない。

そんなギリギリの状態でありながら、ある男が香港映画のマインドを一身に背負って、世界を股にかけて大活躍している。その男こそドニーさんことドニー・イェンである。御年58歳でありながら、香港では宇宙最強というアダ名で呼ばれ、若いころと変わらない打点の蹴りを放ち、今後もキアヌ・リーヴス真田広之といったビッグスターとの共演が控えている。ここ日本でも今年の12/24のクリスマスイブに、中国で4週連続興行成績1位を記録した最新主演作『レイジング・ファイア』(2021年)の公開が決定した。

今回は日本からドニーさんを一方的に応援するためにも、その圧倒的な魅力ブレない生き様を書いていきたい。老後に向けては何の参考にもならないかもしれないが、ドニーさんの名前だけでも覚えてもらえれば幸いだ。

【10代~20代】ドニーさん電光石火! ~19歳で主演デビュー~

1963年、ドニーさんは広東省で生まれた。父は新聞社の編集員で、母は武術家で太極拳の達人。2歳で香港へ移住し、11歳でアメリカのボストンへ移住する。このアメリカでの少年時代に、ドニーさんはブルース・リーの映画と出会った。母親が太極拳の達人だったことも関係して、ドニーさんは武術に目覚める。

17歳の時に北京の体育学院へ留学するが……このあたりのドニーさんの青春時代は謎に満ちている。というのも証言がバラバラだからだ。まず本人はインタビューでこう語っている。

「少林寺で修業したとか、北京の体育学院で学んだとか言われているけど、あれは全部大ウソ(笑)。母が武術指導家とアクション女優をしていたから、彼女から武術を学んだことはあるけどね」

「北京にいた頃は、子供の頃から学んでいたピアノの腕を磨こうと、アメリカのジュリアード音楽学院への留学を考えていたんだ」

本人がこう語る一方で、ドニーさんの盟友であり、日本映画界を代表するアクション監督・谷垣健治氏は、ドニーさんから北京時代の思い出話を聞いたと言う。曰く「子丹(ドニーさん)は真面目にコツコツというのが大嫌いな性格なので、みんなは朝6時くらいから練習を始めるというのに、自分だけ9時過ぎに起きて参加。ただ、いったん始めるとものすごく集中してやるので、すぐに周りの人間よりもうまくなったという。アメリカにいたときにはテコンドーもかじったが、1ケ月もたつと教練よりも上達したので興味がなくなってやめんたんだと」……どういう青春だったかは謎が残るが、真面目に授業を受けていなかったこと、しかしメチャクチャに武術の才能があったことは事実だろう。

そんな少年が芸能界に流れ着くのは当然のことだ。香港に渡ったドニーさんは、後に『マトリックス』(1999年)などを手掛ける伝説のアクション監督ユエン・ウーピンに出会い、若干19歳にして『ドラゴン酔太極拳』(1984年)で主演に抜擢された。これまでこの連載で紹介してきた誰よりも早い主演デビューである。輝かしい未来が約束されたかに見えたが……これがドニーさんの長い長い苦労時代の幕開けであった。

【20代~30代】燃えよドニーさん! ~怒涛の苦労時代~

天性の身体能力と情熱(そして整ったルックス)を持ったドニーさんは、大成功の道を歩むと思われた。ドニーさんは思いがけない方向にキャリアの舵を取る。デビュー作から数年間、ドニーさんはユエン・ウーピンとの仕事を続けたが、ここで格闘シーンの振り付けを考えるアクション設計の仕事も兼任したのだ。これはドニーさんが自分からユエン・ウーピンに提案したらしい。つまり、かなりのキャリアを持つ有名監督(しかもアクションの専門家)に、二十歳そこいらの若手俳優が意見したわけだ。下手すればキャリアが終わりかねない言動だが、ドニーさんの才能と情熱、そしてユエン・ウーピンの器は、そんな懸念を一蹴した。

俳優兼アクション設計として関わった数々の映画で、ドニーさんは友達の格闘家たちと組んで、独自のアクションスタイルを作り上げ、そのキレキレの動きは功夫マニアの間でも話題となった。ブルース・リーの息子ブランドン・リーと共演する企画が立ち上がり(途中で頓挫)、さらには29歳の頃には大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』(1992年)で悪役を演じて同年の賞レースにも食い込んだ。少し回り道をしたが、いよいよ大スターになるかと思われたが……不思議とその時は訪れなかった。むしろ90年代後半になると、ドニーさんは低予算映画への出演が目立つようになる。しかも、唐突に窓を蹴破って主人公を助けに来る人や、通りすがりの強い人など、「ドニーさんのスケジュールを1~2日だけ押さえられたから、無理やりねじ込んどけ」的な大人の事情が透けて見えるゲスト出演感、率直に言うとバイト感のある役ばかり。実際、ドニーさんが自らを語る名著『ドニー・イェン アクションブック』の出演作品を振り返る章でも、これらバイト感のある映画には一切触れられていない。もちろんテレビドラマ『精武門』での成功や、『ドラゴン危機一発’97』(1997年)といった傑作もあったが、90年代のドニーさんは「知る人ぞ知る」の域を出なかった。

こんな目立つ人が、何故ブレイクしないのか? アクション映画少年だった私にも理解できなかった。ただ、この頃のドニーさんに関する貴重な証言がある。前述の谷垣さんによると『ドラゴン危機一発’97』の現場で、ドニーさんはこんなふうに漏らしていたそうだ。「子丹はもう役者には興味がなく、今後は監督業に力を入れていきたいと言う。

彼によると、デビュー作の『ドラゴン酔太極拳』で自分のすべてを出しきったので、あとはどれだけ続けても同じということらしい」圧倒的な才能と理想を持っているがゆえの葛藤であろう。俳優・監督の両方で活躍できたため、逆にどちらも煮え切らなかったのだ。そして、ちょうど『ドニー・イェン COOL』(1998年)という、キャリア史上最大の問題作を撮り終えた直後に、冒頭の発言を残している。

同作はアジア金融危機の影響で撮影中に予算が尽きそうになり、衣装を私服でまかなうなど、自主映画レベルの状況下で何とか形にした作品だった。当時の「一番新しい作品」だが、もちろん良い印象があるはずがない。インタビューである以上、宣伝として、ファン向けのサービスとしての側面、あるいは強がりだったとも言っていいだろう。

案の定、『COOL』の評価は散々だった。そして以前からの裏方志向に加え、主演作での苦すぎる経験が重なったせいか、三十路を超えたドニーさんは俳優業から距離を置いた。代わりに打ち込んだのは、アクション監督の仕事だ。世界各地を飛び回り、日本でも釈由美子主演の『修羅雪姫』(2001年)や、TVゲーム『鬼武者3』(2004年)のOPムービーに関わっている。ハリウッド映画『ブレイド2』(2002年)には一部のアクション監督と脇役で出演しているが、主演作がない状態が続いた。

裏方の仕事は好調で、台湾や香港の映画賞も獲っていたし、日本で本も出してくれた。けれどファンとしては、やはり主演作が無いのは寂しかった。「一番新しい作品が最も印象に残る」と言った俳優なのに、その「一番新しい作品」は、もう見ることができないのか。まぁ、二兎を追う者は一兎をも得ずというし、アクション監督で上手くいっているみたいだし、世の中って案外そういうものだよね……そんなふうに社会の厳しさを知ったような気になった数年後のことだった。ドニーさんがアクションスターとして大ブレイクしたのは。

【40~50代】宇宙最強への道 ~遅咲きの爆裂ブレイク~

アクション監督として実績を積んでいくうち、徐々にドニーさん自身のアクション俳優としての実力も再評価され始めた。主演作はなかったが、脇役でズバ抜けた実力の片りんを見せたのも効いたのだろう。

徐々に高まっていく待望論に応えるように、ドニーさんは41歳で6年ぶりの主演作『SPL/狼よ静かに死ね』(2005年)に取り組んだ。香港の警察とヤクザの戦いを描いたノワール・アクションだ。ドニーさんは刑事役で、黒社会のボス役は香港映画の生きる伝説サモ・ハン。そしてサモの部下の殺し屋を演じるのはウー・ジン、後に中国の戦狼外交という言葉の語源となった『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』(2017年)で大ブレイクを果たした人物だ。ちなみに大先輩との共演に、ウー・ジンは気合を入れて太極拳の里で三か月の修業をしたというが、ドニーさんも並々ならぬ意気込みで映画に臨んだ。前述の谷垣さん曰く、あるシーンの撮影でドニーさんは「当てたほうがいい! てか当てろ!」と谷垣さんに自分を全力で殴らせた。さらに刑事役を演じるに当たって監督に「オレの役はタトゥーとかゴールドのアクセサリーとかつけたらクールじゃないか?」と提案するなど、アクション以外にも様々なアイディアを出したという(なお監督から「いや、警察官じゃん」と却下されたそうです)。

かくして出来上がった映画は、香港映画の金字塔的な大傑作に仕上がった。完全な私事だが、この映画を還暦直前の父に見せたところ、「こういう映画は観なくていいかなぁと思っていたけど、やっぱ血が騒ぐなァ」と日常生活であまり聞かない言い回しで感心していたことを書いておきたい。閑話休題。かくして四十路にして主演の座に返り咲いたドニーさんは、続々とアクション映画に主演する。

やがて実在の格闘家で、ブルース・リーの師匠である葉問を演じた『イップ・マン 序章』(2009年)が大ヒット。同年の賞レースを総なめし、興行/批評の両面で大成功を収める。この作品でドニーさんは「知る人ぞ知る」の領域を軽々と飛び越え、世界中にファンを一気に増やしたのだった。ただし同作は敵が日本軍であるためか、日本での公開が遅れてしまい、公開規模も往年のジャッキー映画やジェット・リーの映画と比較しても小さかった。

この手の映画の中国の検閲は厳しく、作り手たちの意図以上に「愛国的な」内容になっていたようだ。この件についてはドニーさん本人も思うところがあったらしく、日本で『葉問』シリーズのファンがいると聞いたドニーさんは、「ウソだろ? 日本人を悪く描いているのに。オレなんか東京歩けないよ!」と驚愕していたという。

ともかく一気に中国最高のアクションスターになったドニーさんは、勢いに乗ってハリウッド進出を果たす。しかもその映画は『スター・ウォーズ』だった。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年)に出演したドニーさんは、同シリーズの名物である白いアーマーを着込んだ兵士「ストームトルーパー」の部隊を棒一本で壊滅させた。予算が尽きた映画やバイト映画が直撃世代の私としては、劇場で、しかも『スター・ウォーズ』の世界で棒を振り回すドニーさんの姿に感動したのを覚えている。この『ローグ・ワン』でハリウッドでのポジションも確固たるものとなり、現在はキアヌ・リーヴスの人気シリーズ『ジョン・ウィック』(2014年~)の第4弾を絶賛撮影中で、つい先日、クランクアップしたとインスタに投稿していた。

駆け足でドニーさんのキャリアを振り返ってみたが、才能の塊である彼の経歴を見ていくと、逆説的に才能だけでは大成できないと痛感させられる。ドニーさんが成功したのは、もちろん才能があったからだ。しかし身体能力や生まれ持ってのセンス以上に、19歳から今日に至るまで、アクション映画の現場で働き続けたこと、真面目にコツコツ続ける努力がなければ現在の成功はなかっただろう。正真正銘の天才であるドニーさんですら、これだけ苦労したのだから……。そう思うと、辛いことが続く日でも、いつか何らかの形で報われる日を目指して、もうちょっと頑張ってみようかと思えてくる。

最後はドニーさんの直近の言葉でこの記事を終わりたい。この発言からはドニーさんのスターとしての強さ、観客の前では決してブレない姿勢が伝わってくるようだ。もちろん以前のような強がりかもしれないが、20年も強がれたら、それはもう本当の強さである。

「この映画では最高の時間を過ごしているよ。
今までのハリウッドの現場で一番楽しいね(笑)」
 ――2021年 9月 
「アメリカの映画情報サイト『Collider』のインタビューより」

▽参考・引用元
『続 超★級★無★敵 香港電影王』(1998年 未来出版)
『香港電影 燃えよ‼ スタントマン』(1998年 谷垣健治 新企画社)
『最強香港アクションシネマ』(1998年著ベイ・ローガン 訳 佐木秀次 フォレスト出版)
『香港スター伝説』(1999年 小学館)
『ドニー・イェン アクションブック』(2005年 キネマ旬報社)
『世界ブルース・リー宣言』(2010年 江戸木純 洋泉社)
『アクション映画バカ一代』(2013年 谷垣健治 洋泉社)

・Exclusive: Donnie Yen on ‘Raging Fire,’ ‘John Wick 4,’
 How Yuen Woo-ping Discovered Him, and More
https://collider.com/donnie-yen-raging-fire-john-wick-4-yuen-woo-ping-interview/

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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