「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、私設ミュージアム「世界の人形館」館長にお話を伺いました。なんとこの方、世界275カ所の国と地域を訪れた筋金入りのトラベラーであり、旅行のたびに買い集めてきた世界中の民族人形などを無料公開しているのです。リタイア後から始まった旅人生とは?
――世界の国数は196カ国ですが、髙さんはすべての国を踏破するだけでなく、南極や西サハラなどの地域も含め、275カ所もの国と地域を訪れたそうですね。いつ頃から世界に興味を持つようになったんですか?
小学生の頃からですね。寝る前に薄暗い中でよく世界地図を眺めてました。
当時は戦後間もない頃だったので、なかなか海外旅行ができない時代でした。それで外国に行きたいんだったら商社に入るのが近道だと思って三井物産に入社したんです。
1974年から数年間、クウェートに駐在していたんですけど、当時は会社から1年に一回、旅費付きで1カ月のバケーションがもらえたんです。それを使って妻と二人の子どもを連れてヨーロッパを長期旅行したり、出張で東南アジア、中東、アフリカ、北米の国々も相当回りましたから、商社マン時代に110カ国くらいは訪れています。これまでに275の国と地域を訪ねたわけだけど、私の場合はそれがベースになっているんですね。
だけど、クウェートに駐在していた当時の同僚が、私のように世界各国に行ったかというと、行ってません。それは、私と違ってリタイア後に旅しようという気持ちがなかったからですよ。
――何歳でリタイアされたんですか?
51歳で早期退職しました。それから自分で事業をやっていたんだけど、あんまりあくせく働いてもしょうがないということで、55歳から世界を旅するようになったんです。
60歳過ぎから75歳くらいまでが最盛期で、その頃は毎月のように海外に行ってました(笑)。
――どんなペースで旅行すれば275もの数になるものですか?
最初はツアーで旅行していたんだけど、だんだんつまらなくなったんです。そもそもアフリカの国々はツアー自体がないことが多い。外務省の海外治安情報でレベル1まではツアーが出るんだけど、レベル2以上は出ないんです。アフリカの3分の2以上の国はレベル2以上ですから、アフリカを全部回ろうと思ったら自分で行くしかない。それはアフリカに限らず他の地域も同様なので、途中から個人旅行で行くようになったんです。
私は1カ月の旅行が多かったから、たとえばアフリカなら一回の旅行で4、5カ国を回るんです。国の数が一番多い大陸はアフリカだから、まず重点的にアフリカを回りました。アジアとヨーロッパも多いけど、駐在員時代にほとんど回っていたから、アフリカの次は中南米、オセアニアを回って、それから、まだ行ってなかったアジアの残りの国や極地を回りました。
――行ったことがない国や地域が目的地になっていたわけですか。
そうです。1995年に北極点に行ったとき、アメリカ人に「ワールド・トラベラーだ!」とおだてられて、それから本気になって全部の国を回ろうと思ったんです。それから行った国の数を増やすことが目標になったわけです。
――冷戦後、独立する国が出てきて、どんどん国も増えていきましたね。新しい国ができると、そこが新たな目的地になるわけですか?
新しく国ができたらすっ飛んで行きます。東ティモールは独立して間もない2003年に行ったし、南スーダンは独立した翌年の2012年に行きました。そうやって行ってない国を塗り潰していくわけでです。
コソボは独立するちょっと前に行ったんだけど、NATOが空爆した後で橋が壊れていたりして、さすがに混乱してましたね。そういう人が行かないような所にも行くわけだから、ある種の征服感を味わいましたよ。
――紛争地にも一人で行くとは、まさに生涯を賭けたライフワークですね。ワールド・トラベラーとしての信念を教えてください。
私のモットーは「完全燃焼」「有言実行」「継続は力なり」の3つです。
とにかく人生は一度しかないという発想が常にあって、大半の人は老後をゆっくり生きようとするものだけど、私の場合は人生一回きりだから、やりたいと思ったことは必ずやる!
3つのモットーをそのまま実行しているだけのことで、単純ですよ(笑)。
――世界各地を旅しながら民族人形を集め、2009年から私設ミュージアム「世界の人形館」で無料公開してますが、どんなふうに見てもらうと嬉しいですか?
とにかく世界を実感してもらいたい。この我孫子からグローバル化を底上げしていきたいという思いがあります。
このマンションの中に世界中の民族人形が集まったミニワールドがあるわけだけど、ここにはボーダーがない。イスラム教もヒンドゥー教もキリスト教も関係なく、人種も関係なければ資本主義も社会主義も関係ない。いわばボーダレスに世界中の人形が混在しているわけです。グローバル化を意識させるものがここにあると思いますね。
――何体くらい人形があるんですか?
2千体以上です。国でいうと南極と北極点以外、行った国と地域の人形は全部あります。
特にアジアの人形がたくさんありますね。中国は漢民族が90%以上を占めているんだけど、少数民族が55あるんです。残り10%たらずですけど、14億人というパイの大きさですから1億人以上の少数民族がいるわけです。55の少数民族ごとに人形があります。
――外国に行って人形を見つけたら必ず買うような感じですか?
これは!と思える気に入った人形だけ買います。
まず土産物屋に行くと、その中で一番高い人形に目を付ける。私は大阪出身ですからそのままの値段では買いません。できるだけ値切って、できるだけ安く買うんでです。
――素朴な疑問なんですが、リタイア後に毎月のように海外を旅行していたわけですが、お金はどうされていたんですか?
多少は蓄えがあったわけですけど、私は旅行以外にほとんどお金を使わない。趣味やお酒にお金を使わず、海外旅行だけに注ぎ込んできたわけです。
倹約もしてますよ。宿もできるだけ安い宿を取って、高級ホテルには泊まりません。ユースホステルに泊まって相部屋になったこともあります。
航空運賃も安くする方法があって、ツアーに参加して延泊するんですよ。延泊の手数料が5千円、1万円取られたとしても、私の場合は、延泊してそのまま2週間とか1カ月くらい旅行しますから、その方が安上がりなんです。
それから旅行の頻度が多ければマイレージがかなり付きますから、それを一生懸命貯めて特典の無料チケットをもらうんです。そうやっていろいろ知恵を絞るわけですよ。
――全部の国に行こうと思うと、観光客が行かないような国にも行くことになりますが、情報はどうしていたんですか?
商社の武器は情報なんです。商社マン時代から自分で全部調べて、自分でスケジュールを組んで出張に行ってましたから情報を集めるのは私にとって当たり前のことで、慣れたもんですよ。しかも今はインターネットがあるから多すぎるくらい情報過多ですからね。
――個人旅行って大変といえば大変ですよね。高齢になって疲れは感じないものですか?
疲れません。楽しくてしょうがない。なにしろ若い頃からずっとビジネスで海外に行ってましたからね。帰ってきたらすぐに次の旅はどこに行こうかって考えてますよ。
とにかく私は“未知の所に行きたい”という好奇心が強い。人形や紙幣を集めるのも同じで、好奇心が原動力なんですよ(笑)。
――人が行かないような所に行って、これまで危険な目にあったことは?
外務省がダメだと言うような治安が悪い所に行くわけですから、当然トラブルはありますよ。
たとえばアフガニスタンに行ったときは、着いて早々に日本の大使館員と「すぐ帰ってください」「帰れません」という押し問答になって、結局、ケータイを持たされる条件で滞在が許されたんだけど、雇った運転手が倍の値段でふっかけてきて揉めたり、川が雪解け水で洪水になって帰れなくなったり、帰りの空港で職員に因縁をつけられてお金をたかられたり、最初から最後までトラブル続きでした(苦笑)。
他にもリビアを旅行したときは、街をうろうろしていたらカダフィー大佐の手下に捕まって拘束されたこともありました。私の旅は本にも書いたとおり「トラベル・イズ・トラブル」です(笑)。
――今までに行った275の国と地域の中で、一番良かった旅先を教えてください。
南極です。南極には他の国々や大陸にはないものがある。
たとえば海岸で名もない巨大な氷河がドドーンと崩れ落ちてきて、それが氷山になるんです。そのスケールの大きさは圧巻でしたね。
数千、数万羽のペンギンが群れをなす繁殖地を見たり、沖合で巨大なシロナガスクジラを見ることができたり、ゾウアザラシもとにかく大きくて何もかもスケールが違う。それから南極のデセプション島では海岸べりに温泉があるんですよ。そこだけ雪が積もっていなくて温かいんだけど、温泉からちょっと離れると冷たい(笑)。
南極に行ったことで価値観が変わりましたね。やっぱり自然の偉大さには勝てないと思うようなりました。もう一度、家内を連れて南極に行くのが夢だったんだけど、一昨年、家内が認知症を患って他界してしまって、結局、実現しなかったですね。
――奥さんともけっこう海外旅行をされたんですか?
よく連れて行きましたよ。アフリカあたりは危ないから連れていけないけど、ヨーロッパや東南アジア、アメリカといったわりと安全な国を一緒に回りました。太平洋の島巡りもほとんど一緒に行きましたからね。
ところが家内が60代で認知症を発症して、それから十数年間、私が介護していたので、旅行も減らしました。それでも年に数回は行ってたんだけど、6年前に家内が入院してからは、ほとんど行けなかった。
実は20年ほど前にマレーシアを旅行したとき、夜中に旅先のホテルで母が亡くなった連絡があって、急遽、荷物をまとめて帰国したことがあったんです。そういうことがあってからは身内が病気のときは行かないと決めていました。
――なるほど、それが65歳から75歳までの旅行最盛期の後の話というわけですか。
5年間はまったく旅行に行かなかったんだけど、家内が亡くなる半年ほど前に我慢ができなくなったんです。ほぼ毎日、家内の見舞いで病院に通っていたんですが、お医者さんも私が旅好きなことを知っていて、「息抜きに行ってきなさい」と言ってくれたんです。それで1週間だけ出かけたんですが、そのときはモロッコ内にあるスペインの自治都市・メリリャとセウタ、イビサ島に行きました。
――5年ぶりの旅先として、そこを選んだ理由というと?
もちろんまだ行ってないからですよ。今のところ82歳のときに行ったのが最後の旅になります。
――今はコロナで海外旅行も厳しい状況ですが、これから行ってみたい国は?
南大西洋のセントヘレナです。ナポレオンが幽閉されて死んだ島として有名なんだけど、昔は船でしか行けなくて、便数も少なかったからなかなか行けなかった。数年前に飛行機で行けるようになったという情報を聞きつけて行こうと思っていたんだけど、コロナで行けなくなってしまってね……。
ワクチンを打って早く海外に行きたいけど、これからは好きな所でのんびりしたいという気持ちもあります。ヨーロッパあたりをぶらぶらしたいね。
――82歳で個人旅行をするなんてスゴイ! 定年後に呆ける人が多いと言われますが、リタイア後に世界中を旅した髙さんは無縁ですね。やはり海外旅行で刺激を受けてきたことが、生涯現役の秘訣なのでは?
ひとつの要因にはなっているでしょうね。みんなから50代60代みたいに発想が若いと言われます。それと今は「世界の人形館」にお客さんが来るから呆けるヒマがない(笑)。
だけど、足がちょっとね……。70代と80代はぜんぜん違って、80代になると急にガタが来るものなんですよ。70代くらいから足に痺れが出てきたんだけど、血管が古くなって血流が悪くなるから、どんなにがんばっても年寄りは最後に足にくるんです。
82歳のときに旅したメリリャとセウタの見所というと城塞なんだけど、城塞は小高い丘の上にあるから足腰がしっかりしてないと行けない。だから旅行前の2週間は毎日マンションの階段を上がり下りしてトレーニングしました。あれをやってなかったら登れなかっただろうね。
とにかく歩くことが一番大事! 今も車を使わずにできるだけ歩くようにしてます。生涯現役のワールド・トラベラーでありたいですね。
――本日はありがとうございました!
取材・文・撮影=浅野 暁
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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