「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、78歳にして街道ツアーでガイドを務める遠藤さんに「街道歩き」の魅力をお聞きしました。なんと、こうしたテーマ性のあるツアーを日本で初めて企画したのが遠藤さんなんだとか。
街道を歩いて31年――歩けば歩くほど街道の良さを実感すると言います。
――東海道五十三次や中山道六十九次といった「街道を歩く」ツアーを企画し、78歳の今なおガイドを務めていらっしゃいますが、これまで街道はどれくらい歩かれたんですか?
東海道はガイドとして歩いたのが17回くらいですが、道の下見やガイド育成の研修も含めると30数回は歩いてます。1年に1回は必ず歩いているんですが、年に数回歩くこともあるから平均すると年2.5回くらいになるかな。
東海道、甲州街道、中山道、日光街道、奥州街道の「五街道」が知られていますが、これらは幕府直轄の街道で、今でいうところの国道みたいなものでした。その他に藩が管理する「脇街道」という街道があって、これは県道みたいなものです。主な脇街道は12あるんですが、水戸街道や羽州街道など分岐する小さな街道も入れると全部で100以上の街道がある。そのすべての街道ツアーを企画して歩いてますね。
――それはすごい!日本全国くまなく歩いているわけですか。
北海道から四国、九州まで日本中を歩いてますね。街道ツアーの他に東海自然歩道や奥の細道、富士山ぐるり一周ウォークも歩いてます。ツアーを企画するには、まず実際に自分で歩いて下見をするのが基本で、それをもとに行程表を作ってガイドをするものなんですよね。
――今でこそ「街道歩き」といったテーマ性のあるツアーが人気ですが、もともと日本で初めてテーマ旅行を企画したのが遠藤さんだという話ですね。
もともと僕は旅行業界の人間ではなかったんですよ。
長兄が静岡で建設業の会社を経営していて、昭和42年から20年以上その会社に勤めていました。
現場監督をしながら営業をしていたとき、取引先のホテルから頼まれて、旅行会社から宿泊客を送迎するお手伝いをしていたんです。そうすることでホテル建設の受注ができたりしたので、営業活動の一貫でした。そんなふうに最初はツアーを外から見ていたわけです。
――それがどうして街道ツアーを企画することに?
バブルがはじけたとき、旅行業界も大打撃を受けました。それで観光旅行にも限界があるとなって、「何か変わったことがやりたい」と旅行会社の人から相談を受けたんです。それがきっかけで日本で初めて「テーマの旅」を企画しました。
最初は陶芸や写真、登山といったテーマの旅行を手がけていたんですが、お客さんのほとんどがシニアだったんですね。ツアーや説明会で何千人という人と会ってニーズをたしかめようと考えました。
アンケートを取ったり取材して調査をしたのですが、まったくお客さんから出てこなかったテーマが「街道」だったんです。
――なぜ、誰も考えもしない「街道」に目を付けたんですか?
みんな気づいていないだけだと思ったんです。旅行というと、飛行機や船、電車やバスといった交通機関を使って行くものだという定義があって、徒歩で旅行をするという発想がなかった。
もともと僕は「道」をテーマに考えていました。我々の先祖が歩いたという歴史に興味があったので、「街道」というテーマになったんです。
昔から東海道や中山道があることはみんな知っているけど、そこを歩いてみようとは誰も考えない。現地集合、現地解散のツアーなんて、旅行会社からは出てこない発想ですよね(笑)。
――誰も気づいていないということに、逆に可能性を感じたわけですか。しかし、「なんでお金を払って歩かなきゃいけないんだ……」となりませんでしたか?
だから旅行会社も半信半疑でしたよ。でも、募集してみたわけでもないのに最初から反対されるのはおかしいと思って、個人的に東海道五十三次を歩くツアーを企画したんです。ただし問題があって、それを実行するには日本橋から京都まで自分で歩いて下見をしなくちゃいけない。
正直なところ、当初は参加者が日本橋から京都まで歩くとは思っていなかったんです。せいぜい箱根までだろうと思って、実は箱根までの道しか調べていなかった(笑)。
――当時は前代未聞のツアーだったわけですね。初の街道ツアーの手応えはいかがでしたか?
知人に声をかけて40人くらいの参加者が集ったのですが、これが予想以上に好評で、みんな「京都まで歩きたい」と言ってくれたんです。それで慌てて箱根から京都までの道を調べました(笑)。
ときには1日30kmを歩き、寝袋で夜を明かしたりと苦労しましたが、実際に自分で歩くとガイドをするにも熱が入る。2年半かけて40人の参加者のほぼ全員が京都まで歩いたことで確信が持てるようになりました。
それから旅行会社の企画として街道ツアーをやるようになったんです。
――その後、ガイド業に転身されたわけですか。
旅行会社の支店長が「失敗してもいいから任せる」と言ってくれたんです。そのかわり渋谷支店に常駐することが条件でした。それで会社を辞めて東京にアパートを借り、業務委託でガイドの仕事をはじめました。
――旅行会社からしても、本当に徒歩のツアーにお客さんが集まるのか、半信半疑だったでしょうね。反響はいかがでしたか?
これがものすごい反響で、僕がいた支店が全国で業績ナンバー1になったんです。それから50歳のときに個人事業主から法人化しました。社員は社長の僕ひとりなんだけど、僕がスカウトしたガイドが100人くらい所属していて、ツアーガイドの派遣会社みたいなものです。
――実際に街道を歩いて調べるにおいて、どんな苦労があるものですか?
道筋が変わっている可能性があるから、まず本当に昔の道か今の道かを確認しなければけないんです。
国会図書館に行って各市町村の昔の地図を調べたり、県立図書館に行って道調査報告書を調べて、昔の地図データを現在の地図に転写して確認していく。これがとにかく手間がかかりますね。
――もともと歩くのが好きだったんですか?
実はあんまり好きじゃなかった(笑)。自分で街道を歩いてみて、初めて良さがわかったんです。
街道は我々の先祖が歩いた道だから歴史がありますよね。史跡がいっぱいあるし、各県をまたぐので各地の郷土史もわかる。そうすると、それまで点と点を結ぶ歴史認識だったのが、街道を歩くことによって「面」になるんです。それが街道を歩く醍醐味なんですよね。
――「歩く楽しさ」+「歴史」が街道の魅力なのですね。
街道は参勤交代で使われた道だから、120~150家くらいの大名が往来していますし、街道にまつわるいろんな事件もある。
有名なところでは赤穂藩の忠臣蔵があります。江戸城で浅野内匠頭による刃傷事件が起きたとき、早駕籠で赤穂(現在の兵庫県赤穂市)まで知らせに行くわけですが、昼夜走りっぱなしで620kmをわずか4泊5日で到着したという史実もあります。
街道を歩くことは、そうした昔の人たちの足跡を辿ることでもある。だから飽きないんです。
――東海道は495kmですから京都まで歩くには何十日もかかりますよね。どんな旅程になるんですか?
江戸時代は男性で平均11泊12日で江戸から京都まで行きました。
今は日本橋から品川まで歩いて一旦帰り、体力を回復させるために2週間ほど休んでから、品川から川崎まで歩きます。その後、宿場の近くに駅に集合し、次の宿場で解散して一旦帰る。
これを何度も繰り返していくうちに、京都に着く頃にはお客さんの歴史の知識もすごく向上しています。それで、より街道歩きが面白くなってくるんですよね。約2年かけて計30数回で行くのですが、ほとんどの人が街道を歩く面白さに目覚めて、リピーターになる人がとても多いんです。
――2年も一緒に歩くと、お客さん同士で仲良くなりそうですね。
そうなんです。みんな友達作りが目的のひとつなんですよ。シニアになると友達が減ることはあっても、なかなか新しい友達ができない。だけど街道ツアーの場合、趣味仲間だから利害関係もなく、長く続く友達ができる。長丁場だから病気や家庭の事情など、なにかとトラブルがあるものですが、それを全員で乗り越えていくことで絆が生まれるんです。
そうすると、「東海道を歩ききったら、次はみんなで中山道を歩こう」となって、僕が企画したというより、お客さんに押されて次々と街道ツアーを企画していったという感じなんです(笑)。
――シニアの方が多いということですが、みなさん体力的に大丈夫なものですか?
逆にどんどん歩けるようになります。これは僕自身が経験者としてわかるんだけど、40~60代はスタミナがあります。スタミナをつけるには、たくさん歩かなくてもいいから、とにかく毎日歩くことが大事なんですよね。
僕の経験上、80歳くらいまではみなさん歩けます。だけど、どういうわけだか82、3歳で脚力がガクンと落ちてしまうんですよね。僕は78歳で今はまだ大丈夫だけど、ガイドとしてはあと4、5年が限界じゃないかと思っていますね。
――歩ける限りは、現役でガイドを続けていくという気持ちですか?
実は70歳で引退しているんですよ。それは体力的な問題ではなく、僕がガイドを続けていると後継者の人材が育たないから。今も続けているのは、昔からのリピーターのお客さんが残っているから、月1だけやるようにしているんです。中には30年以上のリピーターもいるくらいです。
今は富士山世界遺産ガイドと静岡県文化財等救済支援員として、地元の富士市に貢献する活動もしていて、江戸の富士塚巡りのツアーを企画したりもしています。富士塚巡りに合わせて、富士山を案内したり、新茶の手摘みをツアーに組んだりしてね。
――新型コロナの影響で近場を観光する「マイクロツーリズム」が注目されていますが、東京で観光が楽しめる富士塚巡りは、うってつけの企画ですね。
今年は新型コロナの影響で富士山登山が禁止となりました。これは史上初のことです。そこで「登ろう江戸(東京)の富士山ツアー」を企画しました。江戸時代中期、女性や子供、お年寄りなど富士山に登れない人たちのために、富士山に登ったのと同じご利益が得られるように、富士山から溶岩を船で運んでミニチュアの富士山を作った。それが富士山を模した富士塚です。その富士塚が関東一円に800以上ありました。
――歩きの旅行は屋外なので密も避けられますし、歩くことは免疫力を高めるにもいいですよね。
新型コロナの影響で街道ツアーを休止しているのですが、6カ月も街道を歩かないなんて初めてのことですよ。家の近所しか歩けない日々が続いたことで、歩くことが健康にいいということをこれほど実感したこともない。
80歳に近くなればなるほど、歩かないと筋力が衰えるのがすごく早いものなんです。しばらく歩かないでいると、筋肉が妙な感じになって痛くて寝られないくらいです。やっぱり健康にとって歩くことが基本。そして歩くのに一番適しているのが街道なんです。街道を歩いて歴史の知識を吸収すると、脳も活性化しますよね。
――歩きたくてウズウズしているわけですね(笑)。今後やってみたいツアーはありますか?
いっぱいあります(笑)。たとえば免疫力を高めるツアーをやってみたい。太陽の紫外線、森林浴、滝のマイナスイオン、海のプラスイオン、温泉という「五浴」を一日ですべて体験できるツアーを考えているんです。免疫力を高めるには、やはり自然の中を歩くことと食事が大事です。海、山、滝、温泉があるところを歩いて、海のものと山のものを食べる。免疫力を高めるツアーが僕の最終目標ですね。
参加したい方は、阪急交通社にお問い合わせください。
取材・文・撮影=浅野 暁
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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