「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回お話を伺った落語立川流ファンの山田さんは、寄席や独演会に通うだけでなく、自ら落語イベントを開催する行動派。落語を生で観て「もってかれる」という経験をしてから、どんどんハマっていったそうです。そんな彼が「心の栄養剤」と語る落語の魅力とは?
――落語ファンとして寄席や独演会に通うだけでなく、落語家さんを招いて落語イベントを開いているそうですが、どんな思いで活動していますか?
落語ファンを一人でも多く増やしたい! 私は立川流真打・立川談慶師匠と親しくさせてもらっていて、弟子の落語家さんとも交流があるんだけど、落語家と一緒に、若い世代に落語を広めていきたいと思っているんです。もはや一ファンというより落語家目線だよね(笑)。これまでに立川キウイ師匠や立川平林師匠を呼んで落語会を開いたり、一般の人が実際に落語を演じてみる落語講座を開きました。去年は女流落語家の三遊亭遊かりさんを呼んで落語講座をやったんですが、好評だったので今年もまたやります。
――落語はお年寄りが好むものというイメージで、若い頃はあまり興味がなかったりしますが、40代くらいになってから落語に興味を持つ人が多いですよね。
私もそうだったね。やっぱり落語はある程度、人生経験を踏まないと面白さがわかんない。若い頃って人生いいことばかりだと思いがちだけど、実際は、病気とか人間関係とか、いろんな壁にぶち当たりますよね。そういう辛い思いを経験してから落語を聞くと、いろいろ学ぶことがあって人生勉強になるんです。古典落語なんて江戸時代から続いてるわけだから、よく出来た噺だなあって感心しますよ。70代の人でも「いい人生勉強になった」と言ってますからね。
――山田さんはどんな人生経験を経て落語を聞くようになったんですか?
私は大学卒業後、プログラマーやSEの仕事をしていたんだけど、最後に勤めたシステム開発会社で途中から総務部に配属されたんです。技術者だった頃は、自由にできたから良かったんだけど、組織の管理部門になると腑に落ちないことだらけなんですよ。サラリーマンって辛いな……って身に染みって思いましたね。でも、そういう世の中の矛盾やしがらみがわかってから落語を聞いてるから、より楽しめるんだろうね。落語には現代人にも通じるネタがいっぱいあるけど、そこで怒るんじゃなくて笑いに転化する。そういうゆるさが最高に好きだね(笑)。
――現在64歳で「おまかせ山田商会」という便利屋さんを経営されているそうですが、早期退職して開業されたんですか?
いや、51歳のときに自分から辞めたんです。もともと50歳で会社を卒業するつもりだったけど、総務の仕事をしていた40代の頃、世の中には雑用が必要だということに気づいたんだ。総務部なんてある意味、会社の中の何でも屋みたいなものだからさ。それで世の中のなんでも屋をやれば、いくらでも仕事があると考えたわけです。だから名刺に「世の中の総務部」というコピーを付けてる(笑)。会社を辞めることに多少の不安はあったけど、なんとかなるんじゃないかっていう落語的なノリで独立しましたね。
――落語的なノリで独立ですか(笑)。それは、どういうノリなんでしょうか?
落語の世界では、間抜けで失敗ばかりしてる「与太郎」がたびたび登場する。私みたいな与太郎でも、世の中の役に立てることがあるだろうって思ったんです。与太郎って世の中をうまく回すための潤滑油みたいなところがある。実はそのために与太郎は、わざとバカなフリをしてるんじゃないかって思うこともあるよ。今の世の中は与太郎が排除されがちだけど、落語の世界では、「あいつはバカだねえ」と言いながらも与太郎が許されているんです。そこに周りの人たちのゆるさ、愛を感じるわけです。
――いろんな流派の落語がある中で、落語立川流を中心に観ているそうですが、何かきっかけがあったんでしょうか?
もともと立川談志師匠が好きでね。1971年に参議院議員に当選して沖縄開発政務次官に就任したけど、二日酔いでクビになったり、人間的に面白いじゃない(笑)。発言がアナーキーでロジカルなところが好きだね。一回は談志師匠の独演会を観たいと思っていたんだけど、総務の仕事が忙しかったり、チケットが取りづらかったこともあって果たせないでいたら、2011年に亡くなってしまった。その悔いがあったから、落語立川流(以下、立川流)を観たくて談志師匠の弟子を探したんです。それでSNSでつながったのが立川談慶さんでした。それから談慶さんを中心に立川流の落語に通うようになったんだけど、やっぱり落語は生で観ないとダメだと思ったね。
――立川流は、他の流派とどんなところが違うんでしょうか?
まず成り立ちからして違うね。談志の師匠が人間国宝の柳家小さん師匠なんだけど、談志師匠の弟子の真打ち昇進をめぐってケンカ別れをしたんです。談志の弟子は明らかに他の流派の人より上手かったけど、落語協会の昇進試験で真打ちに昇進できなかった。昇進基準が曖昧でロジカルではなかったわけです。それで談志は落語協会を脱退して落語立川流という一門を作り、真打ち昇進の基準を明確にしたんですが、立川流の真打ち昇進は落語協会よりはるかに難しい。だから立川流は全般的にレベルが高いんです。
――立川流の中でもご贔屓の落語家はいますか?
立川志の輔師匠、立川志らく師匠、立川談春師匠の三羽ガラスだね。友達感覚でお付き合いがある談慶さんも大好きですけど、やっぱり先輩の落語家はさらに名人なわけです。談志師匠がそうだったように、私が好きなのは異彩を放つ落語家だね。立川流は真打ちだけで40人くらい、弟子も入れると100人近くいると思うんだけど、全般的に異彩を放つ落語家が多いですね。
――「落語は生で観ないとダメ」という話ですが、「生」の良さというと?
落語には仕草もあるし、「間」のニュアンスというのがあるからね。お客の反応も客層や日によって違って、同じネタでもウケる日もあればウケない日もある。そういうのは生じゃないと伝わってこないんです。あとは「まくら」という前振りがあるんだけど、この雑談が面白い。
――たしかに落語テープだと、「間」のニュアンスまでは伝わってこないかもしれないですね。
上手い人だと、「間」のとり方で時空が変わるんだよ。大袈裟に言うと、映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいな感じで、ぱっと一瞬で江戸時代の吉原に飛んだりして、観客が一斉にもってかれちゃう。そういうのを何回か経験して、どんどん落語にハマっていったんです。
――「もってかれる」とは、まさにライブでしか味わえない感覚ですね。
以前、立川志らく一門の落語会に行ったんだけど、弟子たちの出来があまり良くなかったらしくて、このままお客さんを帰すのは申し訳ないってんで、志らく師匠が本気で「中村仲蔵」の噺を披露したんです。本来40分くらいの噺なんだけど、尾ひれはひれを付けて70分くらいやって、終わったときは観客が一斉に拍手して泣いてました。泣きの噺でもないのに、みんな感動のあまり泣いてたんです。あんなの生まれて初めての経験で、落語はイリュージョンだ!と思ったね。
――落語ビギナーは、どの落語家を観に行けばいいのか、いまいちわからなかったりします。ビギナー向けにアドバイスをお願いします。
私の場合、上手い人が好きというより、リズムの合う合わない人がいるんです。私はジャズファンでもあるんだけど、ジャズを聴くのと一緒で、フィーリングの合う合わないは実際に聴いてみないとわからない。フィーリングとかセンスって各個人で違うんですよね。だから初心者にアドバイスするとしたら、なんの先入観も持たず、自分の感性を信じて、一回、生で聴いてみるといいと思いますね。
――山田さんはどれくらいの頻度で落語に行くのですか?
月3~4回だね。よく行くのは上野広小路亭と国立演芸場、紀伊国屋ホール。落語はだいたい2千円くらいで、高くても3千円。演目にもよるけど、その値段で2時間以上楽しめるんだから、すごくコスパがいいよ。こんな安くてでいいのか?と思うけど、結局のところ落語は2、3千円の芸能だって談志師匠も言ってました。バカにしてるわけじゃなくて、庶民の娯楽ということですよね。
――64歳の今は、お子さんも親離れして、心置きなく好きなことができる?
そうだね。わりと今は自由にやりたいことができる。だけど、この歳になるとマイナス面も多いよ。私は48歳のときに糖尿病を患って何回か入院しているんだけど、実は今も入院中で、外出許可をもらって病院を抜け出してきたんです(苦笑)。
――ええっ! そうだったんですか……。そうした状況で落語に気持ちが救われるようなことは?
昨夜も病院で落語をスマホで聴いてましたね(笑)。そんなに深刻に考えているわけでもないけど、生きるか死ぬかという事態が笑いに変わる噺とか、飲む・打つ・買うで失敗した噺とか、人生のヒントはいっぱいあるんじゃないかな。
談志師匠が得意だった「芝浜」という噺があって、あれはお酒で失敗ばかりしていた魚屋の亭主が、やめておこう、夢になるといけねぇって自ら禁酒するオチが付く噺だよね。私の場合、入院して1、2年はお酒を我慢できるんだけど、結局“業”が出てきちゃう。要するに甘えちゃうんです。
――業……ですか。談志師匠が「業の肯定」という落語の理論を語っていましたね。
基本的に「人間はダメなやつだ」というところから始まるのが落語なんです。欠点や弱み、愚かさといった人間の業が前提にあって、落語はすべてを肯定する。今の世の中は与太郎が排除されがちだけど、落語は笑いに転化して認めているんですよね。そこにはやさしさが根底にあるし、人を見捨てない助け合いの精神がある。ところが今の世の中は、業が肯定しづらくなってギスギスしちゃってるでしょ。今の時代こそ、落語が求められていると思いますよ。
――あらためて、落語ファンで良かったと思うことは?
私にとって落語は「心の栄養剤」なんです。笑うと脳からドーパミンやアドレナリンが出て健康にいいと科学的に実証されてますからね。もともと私はポジティブなほうだけど、ときには落ち込むこともある。落語を聴くようになってからは、ジョークにしたり、笑い飛ばせるようになりました。あとは落語を聴くようになってから、サラリーマン時代の50倍くらい友だちが増えた。自然と落語みたいな話し方をするようになったことで、相手に興味を持ってもらえるんです。「落語家さんですか?」って言われたこともあります(笑)。
――人生100年時代と言われていますが、落語は何歳になっても楽しめそうですね。
目が見えて耳が聴こえる限りは落語を追っかけ続けたいね。入院先の同部屋の人たちが、心筋梗塞や脳梗塞で日常生活がままならなくなった70代の人ばかりなんだけど、それもあって最近は健康年齢について考える。やっぱりアクティブであってこその人生ですよ。好奇心がなくなったら一気に老けちゃうと思う。幸い私は、新しい落語のネタを聞きたいという好奇心を持ち続けている。落語は奥が深いからね。一生かかっても終わらないよ(笑)。
取材・文・撮影=浅野 暁
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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