百名山を制覇した78歳女性登山ファン、山あり谷あり人生を「山に逃げて」生き抜いた

「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。

どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。

そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。

これまで芸能人のファンを取材してきた当連載ですが、今回はちょっと目先を変えて、78歳の今も山に登り続ける“登山ファン”の神保さんにお話を伺った。「人生は登山に似ている」という彼女の人生は、離婚や親の介護など山あり谷ありだったが、いつでも山が心の支えになっていたという。

今回のtayoriniなる人
登山ファン歴62年 神保トシ子(78歳)
登山ファン歴62年 神保トシ子(78歳) 東京都出身。16歳から工場の事務職の仕事に就き、職場の先輩に誘われて登山に目覚める。多忙な仕事や親の介護により登山から離れていた時期もあったが、年に1、2回は必ず山に登り、73歳のときに日本百名山を制覇。78歳の今も登山を生き甲斐にしている。

16歳で登山に目覚め、78歳の今も山に登り続ける

――以前、別の仕事でご一緒した登山ガイドの宇留野理司さん(汎岳舎 代表登山ガイド)から「お客さんに78歳の女性がいる」と聞いて、ぜひお話を伺いたいと思いました。登山というと、けっこうハードなイメージがあるのですが、年齢による体力の衰えは感じないものですか?

神保

平気よ(笑)。体力的にしんどいと思ったことはないけど、40代の頃に比べると、少し時間がかかるようにはなってきましたね。でもそれは、疲れて遅くなったわけじゃなくて、滑りやすい場所を歩くとき、転ばないように注意して歩くから4、5分遅くなるんです。先日、15人くらいの登山ツアーに参加したんだけど、40~60代の人についていけなかったらどうしよう……と少し不安もあったんです。だけど、問題なくついて行けたので、まだまだ大丈夫です。たまに登山ツアーに参加して、自分のレベルを測っているんですよね。

――最近は、登山ガイドの同行で山に登ることも多いみたいですね。

神保

登山ガイドの宇留野さんとは、八ヶ岳と北アルプスに登りました。八ヶ岳は、どうしても山頂の赤岳頂上山荘に泊まってみたくて、八ヶ岳に詳しい宇留野さんにガイドを頼んだんです。滑落や転倒の危険というよりも、高齢者に一番多いのが道に迷うことなんです。八ヶ岳はそれほど心配しなくても大丈夫だけど、二人なら安心して登れますからね。登山ツアーの場合は、置いていかれないように必死だけど、登山ガイドさんと行く場合は、私のペースに合わせてくれるので、ついついゆっくり歩いちゃいますね(笑)。

子どもが生きていれば、宇留野さんと同年代になる。「何歳まで山に登れるか、考えることがある」という神保さんに対し、「まだまだ登るよ」と宇留野さん。親子のような二人である。

――年間どれくらい山に登られるんですか?

神保

毎年、年始めに1月から12月まで年間を通して登りたい山を計画するんです。どこにも行く山がないときは、とりあえず近場の高尾山(笑)。だから年に12回は山に行きます。今年も夜行バスに乗って一人で尾瀬を歩いてきました。来年は3月にスノーシュー(雪山のトレッキング)に行く予定です。自分でいろいろ調べて計画して、持っていくものを準備するのがまた楽しいんですよね。遠足の前日みたいな感じで(笑)。

――登山をライフワークにされているようですが、最初に登山に目覚めたきっかけは?

神保

昔は中学卒業と同時に就職するのが一般的で、私は16歳のときに工場の事務職として就職しました。その職場に山好きの男の人が多くて、丹沢(神奈川県の山地)登山に誘われたのがきっかけでしたね。会社が川崎で丹沢は近かったから、職場の同僚14、5人のグループで毎月のように丹沢に行ってました。仕事より登山を優先する若者の登山サークルみたいな雰囲気で、最初はみんなで山に行くのが楽しかったんですよね。

――それから一人でも登山を楽しむようになったわけですか。

神保

そうですね。櫛形山(山梨県)に行ったときは、夜着いて近くの畑で野宿、朝から登って夕方下山したんですが、夜行で朝帰りしてリュックだけ家に置いてそのまま会社に行ったこともありました。あの頃は寝袋もテントも持ってなくて、本当にただの野宿ですよ。装備も登山靴と人から貰ったリュックサックだけで、ヒドイものでした。今みたいに登山ウェアなんてものもないから自分で縫った登山服を着て、雨が降ったら急場しのぎにゴミ袋に穴を開けてレインウェア代わりにしてね。サバイバルしてるみたいでしたよ(笑)。

――20~30代の頃は、どんな山登りを楽しんでいましたか?

神保

20代前半までは、私が企画して友達7、8人と2泊3日で磐梯山に登ったりしていたんですけど、20代半ばで結婚してからしばらくブランクがあったんです。子どもが生後1週間で亡くなってしまって、それから夫といろいろあって2年で別れたんですけど、離婚して一人で生きていかなくてはいけないから、築地の会社に事務職で勤めることにしたんです。この仕事がとにかく忙しくて、30代の頃は日帰り登山くらいしかできなかったですね。

仕事と介護の過酷な日々…山が“逃げ場”になっていた

――ブランクの後、再び本格的な登山をするようになったのは、何かきっかけがあったんですか?

神保

40代に入るとさらに仕事が忙しくなって、ますます山どころじゃなくなりましたね。朝6時から深夜0時まで働く日々が2年くらい続いて、このままだと会社に潰されてしまう……と思ったとき、ふいに山に行こうと思ったんです。それで夜行バスで尾瀬に一人で行って、至仏山に登りました。それから年に1、2回だけ泊まりがけで山に行くようになったんです。長野の白馬、北海道の利尻山、礼文島、鹿児島の屋久島など、いろいろ行きましたね。

――10代の頃のみんなで行く登山と、40代になって一人で行く登山では、山の感じ方もかなり違うのでは?

神保

私の場合、山が心の逃げ場になっちゃったね(笑)。ひとりぼっちで山に行くと、「きれいだね」と言い合える人がいない寂しさもあるけど、一人のほうがいいときもあるんですよね。みんなと約束して段取りを組んだり、人に気兼ねしなくてもいいから、マイペースな私は一人のほうが気楽なんですよね(笑)。

50代後半から20年ほどフィットネスクラブに通っている。フィットネスで足
腰を鍛えることは、登山のためであるそうだ。

――神保さんにとって登山は、日常のストレスから離れる方法だったわけですね。50代の頃はどうでしたか?

神保

それが……今度は親の介護が重なってもっと忙しくなったんです。母が認知症になり、最初の2、3年は私の家で介護をしていたんですけど、徘徊しては困るので、母を職場に連れて行って仕事をしたりしていました。月に一度だけ区の施設に預けたりもしていたんですが、いよいよ困り果てて、私と弟と妹で曜日ごとに分担して介護をしていました。いろんな所で介護をすると、自分が今どこにいるのかわからなくなって混乱するので、本当は認知症の介護は一箇所でやるべきなんですけど、仕事があってそれができない。ついには姉弟ゲンカになりましたね。

――それこそ、山どころじゃない状況ですね……。

神保

いよいよどうしようもなくなって、老人ホームに入れることにしたんですけど、80~100人待ちという状態で、入所するまでに2年かかりました。それで一時的に八王子の老人保健施設に預けたんですが、3日に1回は車で八王子まで通っていて、あのときの苦しい状況を思い出すと、自分でもよく乗り越えられたものだと感心します。でも、そんな状況でも年に1、2回は、2泊3日の夏山登山に行ってました。50代後半からは、区で開催している登山の会に参加して、関東近辺の山を日帰り登山してましたね。

――そうやって心の逃げ場を作っておかないと、神保さんのほうが壊れてしまいそうな状況ですよね。

神保

そうね。なにか辛いことがあると、じゃあ山に逃げようって(笑)。たとえ具合が悪くても、山に行くと、元気になって帰ってきたりするんですよね。よし、明日から頑張ろうって(笑)。母の介護は12年間くらい続いたんですが、年金をもらうために仕事を辞めるわけにもいかなくて、60代半ばまで本当に大変でした。65歳からはパートで郵便局に勤めたんですが、年に20日ほど有給がもらえたので、目いっぱい山に使いましたね(笑)。

「今も元気でいられるのは、やっぱり山のおかげ」と神保さん。「次はどの山に行こう」と計画し、荷物を準備すること自体が楽しい。

――では、60代からたくさん山に行くようになったのですね。神保さんと同じように、60代の登山愛好家はとても多いですよね。

神保

私は60代半ばで親の介護という心配事が一つなくなって、心に余裕が出てきたわけですけど、みんなそうだと思いますよ。山で40~50代の人に会うと、親の介護をしているという人が多いですよね。それが60代になると、子育てや親の介護も一段落して、時間的にも精神的にも余裕が出てくる。今度は、旦那さんが先に亡くなって未亡人としてもっと溌剌としてきたりしてね(笑)。

登山をライフワークにし、70代で日本百名山を制覇!

登山ガイドの宇留野さんとは、この2年間で八ヶ岳や北アルプスなど5回一緒に登った。写真は北アルプス登山のもので、忘れがたい絶景だった。

――目指す山を選ぶときは、どういうふうに決めるんですか?

神保

これまでは山の頂上から見える山を見て、来年はあの山に登ろうというふうに決めていました。たとえば穂高に登って、次は山頂から見えた笠ヶ岳、その次は西穂山荘から眺めた霞沢岳というふうにね。あるとき、日本百名山で自分が登った山を数えてみたら、80くらい制覇していたんです。それからは、残り20の山を目指すようになりました。71歳のときに剱岳に登って、73歳のときに北海道の幌尻岳に登って百名山を制覇したんです。

――73歳で日本百名山を制覇するなんてすごい! 特に思い出深い山はありますか?

神保

やっぱり百名山最後の幌尻岳ですね。登山ツアーで行ったんですけど、膝くらいまである川の中を2時間くらい歩いて登山口まで行くんです。川が増水すると行けないので、3年通っても登れない人がいるんですが、私は天気にも恵まれてすごく楽しかった。川上に夏だけ管理人がいる小屋があって、みんなで自炊したりしてね。そこから登る幌尻岳がとにかく素敵なので、ぜひ一度行ってみてほしいですね。

――70歳で仕事を引退されたそうですが、いよいよ時間を全部自分のために使えますね。

神保

それはいいことなんだけど、世間から隔絶されては困ると思いましたね。かといって井戸端会議みたいな集まりも苦手なので、老人クラブに入ったり、生涯学習の講座に参加するようにしました。他にもフィットネスクラブに週4日通っているので、毎日忙しいんですよ(笑)。山はその合間に行ってますね。

――62年間に渡って魅了され続けてきた、山の魅力を教えてください。

神保

たまに今日はしんどいな……と思うときもあるんだけど、頂上に着くと、また登りたくなるのよね(笑)。写真で素晴らしい山を見るのと、実際に自分の足で頂上に立ったときの感動は、まったく別物なんです。あの達成感は自分の足で登ってみないとわからない。苦労しなくちゃわからない喜びだと思いますね。

普段から1時間以内の距離は歩くようにしているという神保さん。登山ガイドの宇留野さんは、神保さんの歩きに関して、「不安を感じたことは一度もない」とのこと。

――登山をライフワークにしてきたご自身の人生をどう振り返りますか?

神保

山登りと同じように苦労の多い人生を歩んできましたね。やっぱり長く生きていると、人に言えないような辛いこともたくさんありましたよ。たとえば、勤めていた会社が傾いて、私は会計をやっていたので精神的にすごく追い詰められたことがあったんです。勝どき橋から飛び降りちゃおうかって思うくらい苦しかったんだけど、そんなとき私は「ま、いいか」と思うことにしたの。どんなに悩んでいても、「ま、いいか」と思って寝ちゃう。それから少し立ち直りましたね。一人で暮らしていると助言してくれる人もいないから、自分で立ち直る方法を模索してきたような気がしますね。

――神保さんにとって、登山も立ち直る方法の一つだったのでは?

神保

そうかもしれませんね。いろいろ思い悩んでいても、山に行って帰ってくることで気分転換になって、一旦区切りがつく。だから辛いときでも山に行くと気持ちが軽くなる。そうやってバランスを取りながら仕事も介護も一生懸命やってきて、やっとここまで辿り着いたという感じよね。今はすべての荷を降ろして、背負ってるのはリュックサックだけですよ(笑)。

この日訪れた高尾山は、これまで幾度となく登ってきた。同じ山でも季節やルートの違いを楽しみ、山好きは飽きないものだという。

取材協力
◆汎岳舎 代表登山ガイド・宇留野理司(https://twitter.com/b8dyqaexujfcqb9)
八ヶ岳山岳ガイド協会所属/日本山岳ガイド協会認定ガイド

浅野 暁
浅野 暁 フリーライター

週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。

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