インタビュアーが伝えたい「親が死ぬ前にやっておけばよかった10のこと」<伝えておけばよかった編>

に続き、今回は後編をお届けします。

後編では、19年前に父を亡くし、3年前に母を亡くしたインタビュアーの私が後悔している「親に伝えておけばよかった」5つのことについて、綴りたいと思います。

あくまで私の個人的な体験ですし、親との関係性も想いも人それぞれですので、共感しづらいところもあるかもしれません。ある一人の人間の、親に対する悔いのエピソードとして、読み進めてもらえたらと思います。それでは、後編をどうぞ。

<親に伝えておけばよかったこと>

6.あの時、もっと早く、力づくでも病院に連れて行けばよかった

実を言うと、父が肺がんの末期と診断される1年ぐらい前から、度々父が咳込んでいる姿を見かけました。昔からヘビースモーカーだったこともあって、「もしや肺がんでは?」と妙な胸騒ぎがしていたんですよね。父に何度か「病院に行ったほうがいいよ」と声をかけましたが、「大丈夫だよ」の一点張り。仕舞いには嫌な顔をするので、「もう、いいや」と放っておいてしまいました。

父はなぜ、頑なに病院に行かなかったのか?
振り返ると、当時母が脳梗塞で入退院を繰り返していたことが要因だったかもしれません。自分が万が一病気でも見つかって入院することになってしまったら、妻や子どもが困ってしまう。「今、自分が倒れるわけにはいかない」という責任感から、病院に行くのをためらっていたのだと思います。

でも、そんなことは当時20代半ばの若かった自分には想像が及ばなくて、「本人が病院に行きたくないのならもういいや」とあきらめてしまいました。心にずっと引っかかりがありながらも、見過ごしてしまったんです。

いよいよ咳が止まらなくなって、父が自分で病院に受診したのはその1年後。「肺腺がんのステージⅣと診断された」と電話で聞かされた時に、私は地面にへたり込んでしまいました。なぜあの時、力づくでも病院に連れて行かなかったのだろう? 私が言ってもダメなら、家族や親戚みんなで説得したらよかったのに。そうしたら手術ができたかもしれない。もうすでに手の施しようがない状態になっていたことに、私は激しく後悔しました。

家族の身体の異変を感じた時、何か嫌な予感がした時。心に引っかかりがあるならば、放っておいていいことはありません。本人が嫌がっても、病院に連れて行くべきだと私は思います。自分にとって大切な人なら、なおさらです。

7.自分の愛する人はこの人だよ、と見せてあげればよかった

大学時代から付き合っていた人と、お互いに結婚を意識し始めた27歳の頃。
その彼がアメリカに留学することになり、渡米する前に一度、父に会ってもらおうかと考えました。というのも、その時すでに父の病気がわかっていて、彼が帰国する2年後には、もう父はこの世にいないかもしれない……と予感したからです。

それなのに私は、父に“そういう人がいる”ということを恥ずかしくて言えず、何カ月もぐじぐじと悩み続けました。結局、彼はアメリカへと旅立ち、その4カ月後に父は亡くなってしまいました。

「自分の愛する人はこんなに素敵な人だよ」と、生きているうちに父に紹介したかった。もし2人を引き合わせていたら、どんな会話をしただろうって時々思うんです。父はお酒が飲めないから、きっとお互い緊張してぎこちない雰囲気になっていただろうな……と、想像ばかりが膨らんでしまいます。

のちに夫となった、その彼は写真の上でしか父のことを知りません。どんな背丈で、どんな声で、どんな風にしゃべるのか。やっぱり実物の父に一目会ってほしかったです。私があの時、一瞬でも勇気を出さなかったことで、生涯2人が会うチャンスを逃してしまいました。できることなら、時間を巻き戻したいです。 

 

彼が帰国後すぐに結婚。披露宴の最後のあいさつの時の写真です。薄らぼんやりの写真でご勘弁を。自分の隣に父が立っていないことがさみしいですね
 

8.いろいろ悪態ついてごめんね、と伝えればよかった

親に対してできなかったことの後悔について、しみじみと語っている私のことを「さぞかし、親のことが大好きなんだろうな」「親孝行してきたんだろうな」と思ったかもしれません。まじめでいい人のように見えるかもしれませんが、決してそんなことはなく、親にはさんざん悪態をついてきました。

がんの症状の辛さから、時々わがままを言い出す父に向かって、「もういい加減にして! 面倒を見ているこっちの身にもなれ!」と度々暴言を吐いたり。認知症でわけのわからないことを言う母に対して「うるさい! 親ならもうこれ以上、私の人生の邪魔をするな!」と会う度に怒りをまき散らしていた時期もありました。私に何かすごい剣幕で言われていることはわかるのか、母は申し訳なさそうな顔をしていましたね。

介護や看病は、それをし続ける家族にとって決して綺麗ごとだけでは済まされません。いつ終わるかわからない、“日常”というぬかるみに足を取られながら、それでも歩き続けなくてはならない。暴言を吐いていた私も相当心身ともに追い詰められていたので、仕方ない部分もあったのかなと自分を擁護したくなります。

でも、私は親に言いっぱなしで、一度も「ごめんね」と謝らなかったのはいけなかった。親だから、何を言ってもいいだろうと甘えがありました。父も母もきっと許してくれていると思いますが、謝らなかったという事実は今でも自分の心に影を落とし、スッキリと晴れさせてはくれません。死ぬ前に一言、目を見て謝りたかったです。

9.産んでくれて、育ててくれてありがとうと伝えればよかった

謝ることもそうですが、私はどうも気恥ずかしくて、親に感謝の言葉を伝えた記憶がありません。大学に受かって学費や生活費を出してもらった父にも、中・高と毎朝お弁当をつくってもらった母にも、「ありがとう」の一言が言えずにそのまま社会人になりました。

父が病に臥せり、いよいよ危ないという時に「感謝を伝えるなら今しかない」というタイミングがありました。意識が薄れゆく中、伝えるチャンスはいくらでもあったのですが、そのまま言えずに亡くなってしまいました。私が「ありがとう」をようやく言えたのは、いよいよ納棺という時、父と私以外、誰もいなくなった瞬間です。冷たくなった父のおでこを触りながら、やっと伝えることができました。

生きているうちに父に伝えられなかったことが悔しくて、母が死ぬ前には絶対に言おうと、心に固く誓っていました。それは母が亡くなる1カ月前のこと。肺炎で長らく入院していた母に、「今日こそは言おう!」と勇気を出し、帰り際に「私のことを産んでくれて、育ててくれてありがとうね」と伝えました。

すると、母は一瞬びっくりしたように目が大きく開いて、「うん」と答えてくれました。そして照れくさそうに笑い、その目にうっすらと涙が浮かんでいたのです。認知症の症状もあり、いつもは私の話すことが理解できないのですが、その時だけは不思議とわかってくれて、心が通じ合えた気がしました。

私はなんだかいたたまれなくなって、そそくさと病室を出ると、それまでこらえていた涙があふれ出しました。最初で最後の母への「ありがとう」を言えてよかった。胸のつかえがスーッと取れた気がしたのです。

10.最後にしっかりと手を握って、見送ればよかった

父のがんは、これ以上治療の施しようがなかったことから、最後は自宅で過ごすことを選びました。亡くなる前日の朝に意識が混濁し始めたため、親戚や父の親しい友人、会社関係の人を呼んで、お別れの対面をしてもらいました。みんな、父の手を握りながら話しかけてくれましたが、私はどうしていいかわからず、ただただ立ち尽くすばかり。そのまま意識不明の状態に陥り、結局、父の手に触れることも、別れの言葉をかけることもなく、息を引き取りました。

私は一番大事な人の死を直視するのが怖くて、逃げ出したかったんですね、きっと。

冷たく、硬くなった肌に触れると、どれだけ生きている人間の身体があったかくて、柔らかいものかがわかります。もう二度と感じることのできない、「父のぬくもり」――。

小さい頃、私が街中ではぐれないように、父はいつも私の手をギュッと握ってくれました。私も最後に父の手をしっかりと握って、見送ればよかったです。

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私自身、親への心残りがあるのか、だいぶセンチメンタルに語ってしまいました。

親が死ぬ前に、やっておけばよかったこと――。
たとえば、遺産相続のことを話し合っておくとか、印鑑や預金通帳はどこにあるのか教えておいてもらうとか。そうしたことを生前、親に確認しておくこともとても大事なことです。
亡くなった後の様々な手続きはあまりにも煩雑で、残された家族にとってはかなり負担が大きいものだからです。

でも、たとえ混乱を極めても専門家の力を借りたり、家族総動員でコトに当たりさえすれば、「なんとかなる」というのが私の正直な見解です。

それよりも、もっと人生にとって大切なもの。どうやっても取り戻せないものがある。

それは「親との対話の時間」です。

父や母が自分に伝えたいことは何か? 逆に自分が父や母に伝えたいこと、聞いておきたいことは何か? 死んでしまったら、もう二度とその声を聞くことも、想いを伝えることもできません。これは私自身がインタビュアーという、“人と対話をする”仕事をしてきたからこそ、余計に感じることなのかもしれませんが……。

今、人と人とが簡単に会えない状況なだけに、高齢の親と一緒に過ごせる時間はあとどれぐらい残っているのだろう? と考えてしまいます。私の両親はこの世にはいませんが、まだ元気で生きてくれている夫の両親(義父母)がいます。この記事を書いていたら、「今、どうしているかな?」って、なんだか連絡をしたくなりました。

愛する人たちとの、かけがえのない一瞬を大切に。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【前編の記事はこちら】

 


 

伯耆原良子
伯耆原良子 インタビュアー、ライター、エッセイスト

日経ホーム出版社(現・日経BP社)にて編集記者を経験した後、2001年に独立。企業のトップから学者、職人、芸能人まで1500人以上に人生ストーリーをインタビュー。働く人の悩みに寄り添いたいと産業カウンセラーやコーチングの資格も取得。12年に渡る、両親の遠距離介護・看取りの経験もある。介護を終え、夫とふたりで、東京・熱海の2拠点ライフを実践中。自分らしい【生き方】と【死に方】を探求して発信。

Twitter@ryoko_monokakinotenote.com/life_essay 伯耆原良子さんの記事をもっとみる

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