親の認知症に気づくには?義母が要介護5に至るまでの経緯を振り返った

「なんで、こんなことになってしまったんだろう…」

要介護状態になった親を持つ人ならば、一度はそう考えたり、口にしたことがあるのではないでしょうか。私と妻も、そうでした。

今年86歳になる妻の母親は、6年前に認知症を発症すると同時に要介護5となりました。要介護5を端的に言うなら、自分では何もできない状態です。会話によるコミュニケーションも取れません。

何を考えているのか、何も考えられないのかも分かりません。寂しい話ですけれど、家族からすると、何も考えられない、感じられない、自分がおかれている状況を理解できないでいてくれたほうが、正直なところ精神的には楽ですが…。

でも当然ながら、ある日突然今のような状態になったわけではありません。 思い返すと「そういえば、あの時…」というような出来事、いくつかの兆候がありました。その時点で適切な対処ができていたなら、「こんなことにならずに済んだのではないだろうか…」と後悔してしまうのです。

 まあ、どっぷり落ち込むほど後悔したところで義母の状態が改善するわけではないので、最近ではあえて明るく、“現状維持ならばベター”と考えるようになりました。

というわけで今回から、うちの義母が要介護5に至るまでに起きた出来事の数々、兆候を紹介していきたいと思います。もし皆さんの親御さんに同じようなケースが見られたなら要注意。後悔しないためにも、早めの対応が肝心です。

今回のtayoriniなる人
小林保
小林保 (株)都恋堂所属。1988年より、格闘技、スポーツ、健康・医療、エンタテインメントなど幅広い分野で執筆・編集を手掛ける。2013年、妻の母が倒れ介護生活がスタート。以来、妻をサポートしながら義母のケアにあたっている。

昨日までできていたテレビのリモコン操作ができなくなる

あれは、東日本大震災の発生から、もうすぐ1年が経とうとしていた2012年2月のことでした。当時、実家まで徒歩5分の距離に住んでいたこともあり、妻はほぼ毎日のように両親の様子を見に行ったり、車に乗せて買い物に連れて行ったりしていました。

常日頃、一緒にいるからこそ変化に気づかないことって往々にしてあると思うのですが、さすがに「あれ?」っと感じることがいくつかありました。その変化の一例が下記のようなことです。

●朝、顔を洗わないことがある

●服を着替えたがなくなる

●思うように掃除ができなくてイライラする

●テレビのリモンコン操作ができなくなる

義母は年齢の割に身だしなみに気を使う人なので、朝起きて顔を洗わないとか、前日と同じ服を着ているなんてことは考えられませんでした。心配に思った妻が「どうしたの?」と尋ねると、「う~ん、なんか面倒くさくて…」と少し虚ろな表情を浮かべるようになったのです。

そうかと思えば、掃除機をかけたり、拭き掃除をする際に、自分の身体が思うように動かないのがもどかしいのかイラ立つことが増えたり、大声を出して怒鳴るなど、温厚な性格の義母らしからぬ言動が目に付くようになったのです。ただ、義母の“らしくない”言動は瞬間的なものだったので、何か嫌なことでもあったのかな程度に感じていたそうです。

そんなある日の夕方、妻のもとに義母から電話がかかってきました。毎日楽しみにしている韓流ドラマを観たいのに、テレビのリモコンの調子がおかしいと言うのです。妻は電池切れ程度のことだろうと考えたようですが、説明するより自分がやった方が早いと思い、実家に向かうと義母はリモコンを持ったまま、テレビの前でぼんやりしていたそうです。

妻がリモコンを受け取り、いつものように操作するとチャンネルを切り替えることができる。何の問題もないのです。義母は「あら、変ねぇ」と、その日は笑い話で済んだのですが、翌日、夕方になるとまた義母から「韓流ドラマが観られないのよ〜」と電話がかかってきたのです。

さすがに妻もおかしいと感じたのですが、すぐに認知症と結びつけて考えることはなく、年相応の物忘れかと思ったそうです。

おそらく多くの人が、「まさか、うちの親が認知症なんて…」と考えてしまうように、妻もそう思いたかったのかもしれませんし、認知症ならば、もっとひどい症状が出ると思っていたのかもしれません。今なら分かります。単に私も妻も認知症の知識が乏しかっただけだったのです。

その翌日でした。義母が自宅で転倒。床に着いた右手首を骨折してしまったのです。この出来事を機に、義母の症状も身体もコロコロと下り坂を転がり始めました。

手首の骨折、白内障、そして義父のがん発症…。一体、どうなってるの⁉的な出来事が連発!

義母が右手首を骨折したのは2月。その後、左手だけの不自由な日々を過ごし、4月に骨がくっついたことから病院でのリハビリが始まりました。4ヶ月ほど続いたリハビリが8月末に終わり、病院への送り迎えをしていた妻もほっと一息つくことができました。

しかし、それもつかの間。10月に自宅の勝手口で転倒し、強く頭を打ち付けた義母は救急車で病院に搬送されることとなってしまったのです。頭頂部を7針縫うケガでしたが、幸い骨折などはしておらず数日で退院。

そんなケガざんまいだった1年も終わりを告げ、新たな年、2013年を迎えた矢先の1月末、今度は義父を病魔が襲いました。胆管がんを発症したのです。ただし、すぐに入院や手術ということにならなかったこともあり、この時点では義父に病名を告知しませんでした。これは義母が希望したことでした。

一方、義母の不調もとどまることを知らず、2月に入ると「左目が見えにくい」と言い出し、病院で診察を受けたところ白内障と診断され、手術を受けることになったのです。3月には、頭部CTとMRI検査を受けましたが、医師から「特に問題はない」と言われたため、妻と私の頭の中にあった認知症の文字は、すっかり消えていきました。

義母がよく転ぶのは白内障で、よく目が見えなかったことが原因ではないか。あるいは、ロコモティブ症候群の初期段階なのかもしれない。それならば歩行訓練などのリハビリで回復するだろうと楽観視してしまったのです。

年明け早々、義父のがん発症、義母の白内障と我が家には暗い話題が続きましたが、いつしか季節は春を迎え、桜の時季となりました。義理の両親を車に乗せ、桜の名所をいくつか回って、車窓からの花見を楽しむこともできました。あれが二人揃っての最期の花見となりましたが…。  

そして、桜の時季が終わるのと時を同じくして、義父が入院し手術を受けることになりました。義父の希望で付き添うことになった義母が、今度は病室で転倒。そこからさらに加速度を増し、義母の転倒回数も、健康も下り坂をコロコロと転がり続けていくことになるのです。

 (第2回に続く)

イラスト:ちーぱか

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