“行ける”ところではなく、“行きたい”ところへ。人気観光地・伊勢市が推進するバリアフリー観光とは

2000年以上前から鎮座する伊勢神宮(以下、神宮)の鳥居前町として栄えてきた、三重県・伊勢市。江戸時代には「お伊勢参り」と称して、全国各地から大勢の参拝者が訪れ、今もなお人気の観光地としてにぎわいを見せています。

その伊勢市が力を入れて取り組んできたのが、障がい者や高齢者を中心とした「バリアフリー観光」の推進。10年以上も前から、地域のNPO法人とともにさまざまな施策を行ってきたと言います。

ユニバーサルツーリズムの先駆けとも言える、伊勢市の先進的な取り組みや推進していく上での大事なポイントについて、観光振興課の担当者お二人に話を伺いました。

今回のtayoriniなる人
30〜40代男性
東 良二さん 伊勢市産業観光部観光振興課
20〜30代男性
奥野 圭哉さん 伊勢市産業観光部観光振興課

式年遷宮を機にバリアフリー観光を推進

――伊勢市がバリアフリー観光に力を入れるようになったきっかけについて、お聞かせください。

伊勢市担当者

伊勢市には、古来より「お伊勢さん」の愛称で親しまれてきた、「神宮」がご鎮座するまちという特殊性があります。

その「神宮」では、20年に一度、社殿を建て替え、ご神体を遷す「式年遷宮」という大きな行事が行われます。

伊勢市においても、式年遷宮のサイクルごとに多くの観光客の皆さんをお迎えしてきたことから、ご遷宮のサイクルを中長期的な目標とし、「まち自体をより良いものに変えていこう」とするまちづくりが繰り返されてきました。

直近では2013年にご遷宮が執り行われましたが、その前後で伊勢市としてどのようにまちづくりをしていくかを考えた時、「これからの高齢化社会において、もっといろいろなお客様(観光客)を受け入れる環境を整えることが大切ではないか」と思い至りました。

そこで、地域のバリアフリー観光の普及に力を入れている「NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」と連携をとり、官民協働で推進していくことに。

このNPOの事業所は伊勢市ではなく隣の鳥羽市にあるのですが、長年、伊勢志摩周辺のバリアフリー観光の普及に熱意を持って取り組んできたことから、同NPOの活動を我々行政が連携や後方支援する形で、さまざまな施策を行ってきました。

――最初はどんな取り組みからスタートしたのでしょう。

伊勢市担当者

まずは2013年の式年遷宮に向けて、障がい者や高齢者など多様なお客様を迎えるべく、宿泊施設のバリアフリー化改修を補助金でバックアップする仕組みをつくりました。

この事業は、NPO法人と協力して事業の趣旨などをしっかりとお伝えした後、市単独で改修費用の2分の1(補助金交付上限400万円)を補助。さらにバリアフリー利用客増加につなげるためのPRも積極的に行うという、当時としては大変珍しい取り組みでした。

2011年、2012年の2年に渡って実施し、主に館内の手すりやスロープ、車いす用トイレの新設をはじめ、車いすユーザーがゆったりと過ごせるバリアフリールームへの改修など、さまざまなバリアフリー化改修工事が行われました。

2011年度は7施設、2012年度には10施設バックアップした実績があります。

この事業の大きな特徴としては、宿泊施設の方々に対して、単なる改修工事に留まらず、バリアフリーについての理解を深めてもらったところにあります。

同NPOが推進する「パーソナルバリアフリー基準」をもとにした、バリアフリー研修やアドバイスを受けることを条件とするなど、単なる施設改修とは異なることを意識していただくことを重視しました。

行けるところではなく、行きたい旅をサポート

――この「パーソナルバリアフリー基準」は同NPO独自のものだと思いますが、それについて詳しく聞かせていただけますか。

伊勢市担当者

同じ「障がい者」といっても、その方によって身体の状態は異なりますし、バリア(障壁)となる場所やシーンも変わってきます。

例えば、車いすユーザーの場合、若い方や電動の車いすを利用している方なら、多少段差があっても乗り越えられますが、高齢の方はなるべくフラットな場所が良いと考えるかもしれません。

視覚障がい者の方でも、全盲なのか、弱視なのか、あるいは盲導犬を同伴しているかによっても、障壁となるものや必要な道具が違ってくるでしょう。

人それぞれ、持っている障がいやバリアとなる場所が異なるにもかかわらず、画一的に「段差のないバリアフリーの施設」だけを紹介してしまうと、旅行先の情報が限られ、行きたい場所の選択肢が狭まってしまいます。

「パーソナルバリアフリー基準」とは、障がい者や介助の必要な高齢者が“行けるところに行く”のではなく、ご本人が“行きたいところや楽しみたいことを実現できる”ように、一人ひとりの状況に合わせた情報提供やアドバイスを行うシステムのことです。

単にバリアフリー化している施設だけを紹介するのではなく、「この場所は段差が5cmあります」などと、バリアとなる要素もありのままに伝えることで、ご自身で「行く・行かない」の判断ができます。

この「パーソナルバリアフリー基準」は、同NPOが独自に開発したものですが、全国各地にもバリアフリーの指針として広がっています。こうした基準をもとに、一人ひとりに合った旅の情報提供やアドバイスを長年実践されてきたことも、同NPOに共感した点です。

自分だけのバリアフリーマップがつくれる

――これまで、NPOと協働でどのような取り組みをしてきましたか。

伊勢市担当者

代表的な例では、「伊勢のバリアフリー観光」に関する情報発信です。

例えば、「外宮参道」「内宮前おはらい町・おかげ横丁」周辺の店舗や施設のバリアフリー情報を掲載した「伊勢バリアフリー・マイマップ」や、バリアフリーの宿泊施設の検索システム「伊勢バリアフリー・マイ宿」をNPOに製作を委託し、伊勢市のホームページで紹介しています。

「伊勢バリアフリー・マイマップ」では、行きたいエリアや目的を選び、そこに自分が必要とするバリアフリー項目(段差なし、車いす対応トイレなど)にチェックを入れると、該当する店舗や施設のリストが羅列されます。

さらに、その該当する店舗や施設がイラストマップ上に赤丸で表示されるので、自分だけにカスタマイズされたマップをつくることができます。ダウンロードして印刷して持ち歩けるので、よりスムーズに散策できると思います。

――印刷したバリアフリーマップには、おすすめの観光情報や歩行する上で気をつけたいポイントなど、補足情報が具体的に書かれていて分かりやすいですね。

伊勢市担当者

実は、マップに取り入れるべき情報を集めるために、視覚障がい者や車いすユーザーなど、当事者の方たちと一緒に外宮・内宮周辺をまち歩きして、調査を行ったんです。

2020年のリニューアル版作成の際には、障がい当事者のみならず、市内の小学5、6年生や大学生、観光案内人や障がい者のアドバイザーの方など、多様な方々にも参加してもらいました。

参加者からは、「この橋はアーチ型になっているので、車いすの方は介助してもらったほうが良い」「バリアフリーの情報だけでなく、お土産や食べ物など楽しい情報も大切」など、多くの意見をもらい、マップに反映することができました。

当事者をはじめ、多様な方々の目線で見てもらったことで新たな気づきが得られましたし、生の声を反映できたことによって、手触り感のあるマップがつくれたと思います。

バリアフリーマップは障がい当事者らが実際にまち歩きをして作成した。(伊勢市提供)

おもてなしヘルパーが内宮への観光をサポート

――ほかにはどんな取り組みをしていますか。

伊勢市担当者

介助が必要な障がい者や高齢者の方向けに、伊勢神宮(内宮)の観光をサポートする「伊勢おもてなしヘルパー」の推進です。

特に内宮は、玉砂利敷きの長い参道があったり、ご正宮前に25段の石階段があったりと、歩行が不自由な方は来訪そのものをあきらめてしまうケースが少なくありません。

そこで有償ボランティアであるヘルパーが、車いすの介助や石階段を上がるお手伝いをする「伊勢おもてなしヘルパー」のサービスを2017年にスタートさせました。

おもてなしヘルパーたちは訪れる人それぞれの障がいに合ったサポートを行う。(伊勢おもてなしヘルパー推進会議提供)

――ヘルパーとして活動するために、何か必要な条件などはありますか。

伊勢市担当者

NPOや観光協会、伊勢市などで構成される団体「伊勢おもてなしヘルパー推進会議」がヘルパーを募集した際に実施する座学や実地研修などをしっかりと受けていただき、ヘルパーとして採用されることが条件となっています。

現在は新たなヘルパーの公募はしていませんが、全課程を修了した方をおもてなしヘルパーとして認定。10代~70代まで幅広い年齢層の人が活躍しています。

利用者は車いすユーザーのみならず、足元が不安な高齢者の方も多いようです。「参道は歩けるけれど、階段を登る時だけ手伝ってほしい」といった、ちょっとしたニーズに応えるヘルパー1人のみの要請も多い傾向にあります。

また、以前にはこんなエピソードも。末期がんを患った方がどうしても内宮を参拝したいとのことで、ご家族からNPOに相談があったそうです。

「最期に本人の希望だったお伊勢参りができてよかった。願いを叶えることができた」と、ご家族が涙を流されて喜んでいたと聞いています。

これまで障がいや病によって旅をあきらめていた方々の“伊勢に行きたい”という思いを叶えるためにも、古くから多くの方をお迎えしてきた観光地として、できる限りのサポート体制を整えたいと考えています。

電動車椅子で移動する人も多い。伊勢神宮では電動車椅子の貸し出しも行っている。(伊勢おもてなしヘルパー推進会議提供)

車いすユーザーの観光客が年々増加

――こうしたさまざまな取り組みによって、当事者をはじめ、観光客の増加にもつながっているのではないでしょうか。

伊勢市担当者

神宮の内宮さんと外宮さんに関して言えば、車いすユーザーの参拝者数は、バリアフリー観光推進後に明らかに増加しています。

「伊勢おもてなしヘルパー」については、2017年のサービススタートから右肩上がりで利用者が増え、コロナ禍前の2019年には88件の利用がありました。

神宮さんのご厚意で、内宮や外宮では参道専用のタイヤの太い車いす(手動・電動)が貸出されていますが、実際、車いすで参道を移動する方をよく見かけるようになりました。

特に車いすの方は、介助するご家族も一緒に訪れる事が多いため、おのずと観光客が増える形になります。

また、「せっかく足を運んだのでゆっくり観光しよう」と、宿泊するケースが多くなるため、滞在時間も長くなります。すると、飲食やレジャー、お土産の購入など観光消費も高まりますから、経済効果の面でも期待できるところです。

今後、力を入れていきたいと考えているのは、「食」への取り組みです。例えば、固いものを食べることが困難な方や飲み込む機能が衰えている方でも、伊勢の味覚を楽しめるような「介護食・嚥下食」を提供する飲食店や宿泊施設の“見える化”ができれば、介護が必要な方やそのご家族も、「行ってみよう」という気持ちが高まるはずです。

実際、伊勢市内には、見た目では嚥下食と分からない食事を提供するレストランもあります。旅の醍醐味でもあるお食事を通して観光気分を気兼ねなく味わっていただくためにも、誰もが一緒に楽しめる「食」に関する情報発信や開発支援にも力を注ぎたいと考えています。

伊勢の食材をふんだんに使用したコース。一般的な介護食・嚥下食のイメージとは一線を画す。(伊勢市提供)

行政内での他部門との連携も強まった

――バリアフリー観光を推進することによって、観光客の増加や地域との連携強化など、さまざまな効果が生まれそうですね。

伊勢市担当者

そうですね。我々行政内の連携が強まったことも、良い変化の一つです。

例としては、視覚障がい者向けの歩行支援に関する実証実験のプロジェクトです。

実は、伊勢市駅から外宮につながる「外宮参道」には点字ブロックがありません。外宮参道を迂回するように点字ブロックがある状況で、視覚障がい者の方からもお困りの声が聞こえていました。

しかし、外宮参道は伊勢市駅から外宮につながる主要な通りになります。多くの観光客が集中する中、車いすの方が利用することも踏まえ、点字ブロック設置以外の方法で視覚障がい者の方も安全に通れるようにできないかと、市の高齢・障がい福祉課に加え、我々観光振興課も連携して対策を練ることにしました。

情報収集を重ねたところ、スマートフォンを使用して音声案内で歩行をサポートする、視覚障がい者向け歩行支援アプリを開発している事業者が見つかり、協力を得られることに。

そこで、障がい当事者の方たちに協力してもらい、アプリを使った実証実験を決行。実際に、外宮参道をまち歩きしながら、アプリを体験いただき、当事者の立場からどんな観光情報や歩行支援機能が欲しいか意見をもらうことができました。

この実証実験にチャレンジしたことで、我々行政側も多くの学びを得られたと実感しています。

というのも、市役所にはさまざまな要望やご相談が集まりますが、それらを「より良くするための意見」としてポジティブに受け止め、声をあげた当事者の方々の協力を得ながら実行に移すことで、「小さな声だから……」とあきらめさせることなく事業を進められることを、身をもって理解できたからです。

何より、部門の枠を越えて協業できたことで、これまで以上に行政内でも連携が取りやすくなり、さらにフットワーク軽く動けるようになったこともうれしい変化です。

誰もが行きたいと思える観光地であり続けるために

――最後に伊勢市の魅力や見どころについて教えてください。

伊勢市担当者

やはり外せないのは、神宮さんの素晴らしい景観です。特に早朝の時間帯は人も少なく、自然と一体となったような澄んだ空気感は、自然豊かな伊勢志摩をぎゅっと象徴しているような気がしています。ぜひ、市内に宿泊していただき、焦らない行程で伊勢への旅行をゆっくりと楽しんでもらいたいです。

ほかにも伊勢には、海・山など自然あふれる場所がたくさんあります。例えば国の名勝・二見浦では、二見興玉神社の夫婦岩が人気です。5月~7月は夫婦岩の間から日の出が、10月~1月には満月を見ることができて幻想的です。

「朝熊山(あさまやま)」も絶景が望めます。朝熊山の山頂付近までドライブで登ると、展望足湯があり、伊勢志摩のリアス海岸が一望できます。美しい景色と開放的な気分をぜひ味わっていただきたいですね。

伊勢市ではバリアフリー観光に力を入れていますが、すべてをハード整備の視点でバリアフリー化すれば良いとは思っていません。それは我々が目指すべき「行ける」を「行きたい」に変えるための取り組みの意図とは異なります。

もちろん、ハード整備で価値が向上することもあります。ですが、例えば神宮さんの砂利道や階段のように、一見不便ではあるけれどその場所の魅力や個性を存分に味わうことができる要素も重要だと感じています。

ハードではなくソフトの部分で補う。そうすることで、障がい者や高齢者の方々が「行きたい」と思っている場所を、価値はそのままに「行ける」に変えていく。いわゆる心のバリアフリーが推進されていく事例を、観光バリアフリーの事業に携わることで実感しています。

伊勢のまちが、誰もが行きたいと思える観光地であり続けるために、変えるべきところ、変えてはいけないところのバランスをとりながら、このまちならではのバリアフリー観光を目指していきたいと考えています。

伯耆原良子
伯耆原良子 インタビュアー、ライター、エッセイスト

日経ホーム出版社(現・日経BP社)にて編集記者を経験した後、2001年に独立。企業のトップから学者、職人、芸能人まで1500人以上に人生ストーリーをインタビュー。働く人の悩みに寄り添いたいと産業カウンセラーやコーチングの資格も取得。12年に渡る、両親の遠距離介護・看取りの経験もある。介護を終え、夫とふたりで、東京・熱海の2拠点ライフを実践中。自分らしい【生き方】と【死に方】を探求して発信。

Twitter@ryoko_monokakinotenote.com/life_essay 伯耆原良子さんの記事をもっとみる

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