認知症の妄想は本当に「奇妙」?―誰もがまとう「自己認識のドレス」

思い思いのドレスでパレード

認知症のひとと会うのは、外国に行くのとちょっと似ている。

ご本人は病気で「認知」が変わるけれど、認知症の人とのかかわりで、わたしも「世界」がちょっと違って見えるスイッチが入る。

認知症の人が集い暮らすグループホームのスタッフが、日常のエピソードからお届けする、「わたし」たちを変えるエッセイ連載です。

医療者が「痴呆」になる苦しみ

「お久しぶりどすぅ!なんでここにいはるんですか!」

Aさんは、入居して3週間ほど経ったころ、突然Bさんにこんなお国なまりで話しかけました。

Bさんはホームに入居して十数年。Aさんとは住んでいらした地域も生まれ故郷も違い、2人に接点はなかったはずです。何より、昨日まではAさんにもBさんにもそんなそぶりはありませんでした。

「あの頃はずいぶんお世話になって……お懐かしおす!」

「先輩もこちらの院にこられたんどすか?」

興奮のせいか、普段は口にしない口調が次々に飛び出すAさん。

けげんな表情の私に、AさんはBさんをこう紹介してくださいました。

「こちら、看護学校の2年先輩でね、もうお会いするの20年ぶりかしらね」

Aさんは元看護師でした。長年、小さなクリニックで地域の人々を支え、現場の医療を担ってこられたことが誇りです。そのためか、いま自分が認知症を持ち支えられる側の立場にあることが受け入れられずにいました。特にAさんが学んだ頃は認知症を「痴呆」と呼び、強い偏見があった時代だったせいもあるでしょう。

認知症の症状が現れ始めたころは、「一時的なこと。すぐに良くなる」と自分や周囲に言い聞かせ、認知症によいと言われる食べ物を研究し、認知症予防になると言われる体操や活動に熱心に取り組んでいたそうです。

その頃Aさんが取り組まれていた「脳トレ」のドリルをご家族に見せていただいたことがあります。1冊目には、几帳面な字で答えが書かれ、余白には『頭を使わないとだめになる』『努力すればできないことはない』などと書かれていました。2冊目、3冊目と進むにつれ、答えが書かれる割合が少なくなり、余白には『恐ろしいことになってしまった』『私が何をした』など、苦しみが、たどたどしく書き込まれていました。

この時点でご家族が、猛烈に拒否するAさんをなんとか通院させ、認知症の診断が出ました。しかし、「誤診だ。大げさだ」とご本人は事態を受け入れません。当然、看護師であったAさんには処方された認知症薬がどんな薬なのかわかってしまうので「なぜ、こんな薬を飲ませる!馬鹿にして!」と投げ捨てていたそうです。

Aさんの希望や努力もむなしく認知症の症状が進む中で、やり場のない思いがご家族への攻撃的な態度やご近所へのトラブルとして現れるようになりました。ご自宅での生活に限界を感じられたご家族により、当ホームへのご入居となりました。

妄想の糸で紡いだ安心のドレス

そんな経過ですから、Aさんのホームでの生活も穏やかなスタートとはいきません。

「なぜ、こんなところにいなきゃならないの? そろそろ私、帰りますから」

Aさんにとっては当然の思いでしょう。こう言って外に出るAさんを、私たちスタッフはできる限り止めることなく送り出し、落ち着いたころに偶然の出会いを装って迎えに行く。そんな日々が続く中、冒頭のBさんへの発言が聞かれたのです。

「いややわあ、なんでウチ、気づかへんかったんやろ」

Bさんの手を優しくさすりながら、Aさんは満面の笑みで再会を喜んでおられます。

一方のBさんは百歳を超え、発言することは難しく、表情やしぐさでコミュニケーションをとられている状態です。Aさんの言葉を否定せずに、穏やかに聞いています。

「ウチ、デイサービスの勤務って初めてなんどす」

「センパイがご一緒なら、安心!」

この瞬間、このホームはAさんが勤務するデイサービスとなったようです。

自分は看護師。

ここはデイサービス。

Bさんは敬愛するセンパイで、ここでは同僚。

他の入居者さんはそのデイサービスのお客さん。

泊まりの勤務もある(らしい)。

自分の個室は、宿直室。

Aさんは自分の思いや過去の体験、いま置かれている状況や周囲の人々を、妄想の糸で猛烈に紡いでいきます。それはまるで、記憶の断片という端切れを縫い合わせて、新たなパッチワークのドレスを作っていくようです。Aさんにとって、そのドレスは着心地が良い様子。当初みられていたAさんの不安や混乱、そこからのトラブルは少しずつ、目立たないようになっていきました。

例えば、Aさんは職業柄衛生の基準が高く、他のご入居者の食器の洗い方が許せず、「そんな不衛生でどうするの!」と激昂し、詰め寄ることがありました。しかし、Bさんをセンパイとみなすようになってからは、例え怒ったとしても、Bさんに「許せないことがあって……でも私も大声出して。未熟なんです」と愚痴を聞いてもらい、自身の気持ちをなだめるようになりました。

また、Aさんはお料理がお好きでしたが、「調理は看護師の仕事ではない」「女だからといって料理をさせようとするのはナンセンス」と、ホームでは決して料理をしようとはしませんでした。しかし、デイサービス勤務という認識になってからは、私が栄養相談という名目で献立相談をすると、「ビタミンAは油と合わせるといいの」などと説明しながら、慣れた手つきできんぴらごぼうを作る様子などもみられました。

作り上げたドレスを周囲の人がはぎ取ろうとしない限り、Aさんは周りの人や環境になじんでいきました。

七色のドレスをまとって

自分の妄想のドレスを縫い上げ、安定した生活を築いたAさん。しかし、その糸がほつれる日がきました。

センパイ役のBさんが入院し、しかも、Aさん自身が骨粗しょう症による圧迫骨折で、歩行が少し不自由になったのです。

敬愛するセンパイの姿が見えない。しかも、自分は「勤務」し続けることもできそうにない。

私たちスタッフは、再びAさんをご入居当初の混乱が襲うのではないかと恐れました。しかし、一度縫い合わされたドレスは、まるで玉虫色のように、違う色で光り始めました。

「そういえば、大学での父はどんな様子ですか?」

Aさんはある夜、私にそう問いかけました。

Aさんは、やはり医学に携わっていた大学教授のお父様を尊敬していました。Aさんが看護師となったのもお父様の影響だそうです。私はとっさに、

「ご立派ですよ。いつもお世話になってばかりで」

と応えました。

どうやら次の妄想の糸の先は私につながったようです。活力や自信を引き出すために、私がAさんにしばしば栄養や医学の相談をしていたことが影響したのでしょう。

ここは父のクリニック。

体の弱い私が療養がてら、管理を手伝っている。

この男はどうやら栄養や医学の知識がある(らしい)。

父の弟子に違いない。

父は大学で忙しいため、この弟子が私の手伝いをしている。

また新たな色彩の妄想が、Aさんの心と生活をつなげた瞬間です。

その後も、妄想のドレスの糸がほつれるような状況の変化が生じるたび、新たな妄想がそれをつぎなおし、Aさんの生活を七色に支え続けていきました。

つながる、つなげる妄想力

ここまでお読みになって、皆さんはどのように感じられたでしょうか?

「実際は、こんなふうに都合の良い妄想ばかりじゃないはずだ」

もちろん、その通りです。自分や周囲の人々を苦しめる妄想もたくさんあります。それに苦しめられるご家族にとっては、妄想は大変つらいものでしょう。

しかし、私は、多くの妄想は、断ち切られてしまったコトを再びつなげるために生じるのだ、と思うのです。

例えば、その場所が自分に無関心で切り離されているように感じるとき、人はどうするでしょうか。

もしかしたら、心の落ち着くまぼろしを探して、さまよい続けたくなるかもしれません。それは、周囲からは「徘徊」と呼ばれるのでしょう。

また、周囲の人の気持ちが自分に向いていると思いたいばかりに、憎しみや怒りが向けられていると思い込んでしまうかも。それは、「被害妄想」と言われてしまうものです。

「そんなふうに妄想するなんて、病気だからでしょう!」

と思われるかもしれません。

では、認知症を持たない私たちは、妄想することが全くないといえるでしょうか。

片思いの相手の心が離れていると感じていても、些細なことばやしぐさから、向こうもこちらに気があるのではという妄想を抱いたことはないでしょうか。

現状が理想とする状態と離れている焦りや悲しみから、環境や両親のせいにしてみたことはありませんか。

重い病気の肉親を失いたくないとき、迷信やまじないのような治療法にすがりたくなるかもしれないのです。

心を、愛情をつなげたい。未来を、命をつなげたい。

そんなときに妄想は、やむにやまれず私たちに生まれてくるようです。

妄想は、つながりを回復するための、私たちみんなが持つ自然な心の働きなのかもしれません。

私たちが、認知症の方々の妄想が強いものだと感じるのは、ただ単に彼らがそれだけ多くのつながりを失っているからであって、本質的には私たちと差がないように思えます。

はだかの王様たちのパレード

「はだかの王様」という童話をご存じでしょう。

詐欺師がすすめた「おろかものには見えない素晴らしい衣装」を身につけた王様。自分も「おろかと思われたくなくて」実在しない美しい衣装を着て、気取って街をパレードする王様に、少年がひとり「王様ははだかだ!」と叫んでしまう、おなじみの話です。

Aさんのように妄想で作られたドレスは、他人の眼には見えないかもしれません。見えない衣装をまとい、その実在を信じて疑わないご本人は、時として周囲の人に「はだかの王様」と同じように感じるかもしれません。

でも、この童話は、私たちすべてが「王様」であることを示しています。私たち誰もが、見えないはずの衣装が見え、美しいその衣装をまとって胸を張る、はだかの王様なのです。

でも、認知症の人に対しては、私たちは王様が気分良く着ている衣装をはぎ取る「少年」にもなりがちです。

妄想のような仮のものであったとしても、「自己認識」という名のドレスは、その人にとってはその人だけの大切な、美しいドレスです。

それを「現実は違う!はだかだ!」と指摘してはぎ取り、王様たちを本当に悲しいまるはだかにすることに、どれだけの意味があるでしょうか。

周りの人を辛くさせる衣装であっても、それを無理矢理剥ぎ取れば、まるはだかにされた王様は悲しくて、さらにとげとげしく着飾ろうとするかもしれません。

それよりは、お互いのドレスを「ああいいね」「ステキだね」とほめ合いながら、ほめることができなくても認め合いながら、一緒にパレードの時間を楽しんだほうがいいじゃありませんか。

私たちは、結局みんな、はだかの王様たちなのですから。

編集:編集工房まる株式会社

イラスト:macco

「思い思いのドレスでパレード」

志寒浩二
志寒浩二 認知症対応型共同生活介護ミニケアホームきみさんち 管理者/介護福祉士・介護支援専門員

現施設にて認知症介護に携わり10年目。すでに認知症をもつ人も、まだ認知症をもたない人も、全ての人が認知症とともに歩み、支え合う「おたがいさまの社会」を目指して奮闘中。 (編集:編集工房まる株式会社)

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