介護離職、のち再就職の壁....父の介護に絶望した50代男性が振り返る「あの時、必要だったもの」

激務のうえに、誰にも介護のことを話せなかった職場。そしてそりの合わない実父の、過酷な介護――。半年間の介護生活の末に、心身を病みS.Wさんは介護離職をしました。

後編は、介護に専念したその後の様子や、現在に至るまでを伺います。

ハローワークの職員の介護への無理解、父の大腸がん発覚……、再就職への希望もむなしく、次々に起こる出来事に翻弄され続けたSさん。これまでを振り返って考える「自身の介護生活に必要だったもの」とは?

今回のtayoriniなる人
40〜50代男性
S・Wさん 専門学校を卒業してシステムエンジニアになるが、30歳のときに65歳の親が脳卒中で倒れる。病弱な母親を助けて介護をするうち、仕事と両立できず、会社を退職。以後、会社員としての復職を試みるが難しく、現在はフリーランスのエンジニアとして活動。50歳。

仕事を辞め、埼玉の郊外の実家に移り住む

――介護離職したあとは、どのような生活を送ったのですか?

S・W

東京のアパートを引き払い、実家に住むことにしました。仕事も失いましたし、わざわざ東京から埼玉の果てまで通う意味もありません。小さな会社のホームページづくりなど、趣味程度の仕事を頼まれることはありましたが、ひとりで生活していけるほどの収入はありませんでしたから。でも、20代の頃、働きづめだったお陰でできた貯金を、少しずつ取り崩してなんとかやっていけました。

――しかし、そうなると介護ばかりの生活になってしまう。

S・W

そんなの冗談じゃない、と思いました。子どもの頃からいつもねじ伏せられ、大嫌いで、会話もなかった父。写真だって、いまだに1枚も持っていません。そんな父の介護に翻弄され続ける生活なんて、送るものか、と。

仕事と介護を両立できる仕事はないか、ハローワークへ仕事の相談に行きました。今思えば、そのときの女性職員の対応が、悪かったのでしょうね。言いたくもない父の介護の話をした途端、「介護はお母様の仕事じゃないですか。あなたがやることなんかないでしょ」と言われたのです。

いったい何を言っているんだこの人は、と思いました。母が一人で介護できるくらいなら、わざわざ仕事を辞めてまでこんな田舎の町なんかに来ていない。「どんな思いで僕がここに来たのか、どんな心境で次の仕事を探そうと思っているのか、わかってるんですか!」と言いたいぐらいでした。こんな人に、介護離職した男の就職の支援などできないだろうと、さっさと帰ってきました。

――では、すぐには再就職が叶わなかった……?

S・W

そうですね。ただ、IT企業にいた頃から、父に押し付けられた工学系ではなく、好きな勉強をしたいと考え、通信教育の大学で法学を学んでいました。その勉強にまい進しようと考えたのです。やがて卒業し、司法試験の勉強も始めようと思う頃に、もう一度、再就職のための就職活動を始めました。もちろん、その間、父とバトルを繰り広げながら、介護もしましたよ。5年ほどすると、わがままな父も、リハビリのおかげでかなり歩けるようになり、病状も安定してきていたのです。そうなってから、ようやく再就職を考えられるようになりました。35歳の時の話です。

再就職の内定をもらった矢先に、父親の大腸ガンが発覚

――その後、再就職は順調だったのでしょうか?

S・W

システムエンジニアの仕事を再開しようと、いくつか受ける中で、IT系のベンチャー企業の内定をもらいました。面接のとき、そこの社長が「君はまだ自分の能力を何分の1かしか使っていないね、もったいないね」と言ってくれ、うれしくなりました。この企業ならやっていけると、自信が持てました。

しかし、思うようにはいかなかった。今度は父の大腸ガンが発覚し、人工肛門・肝臓カテーテルを余儀なくされ、在宅生活を支えるにはますます手がかかるように……。動きが悪い分、男手も必要になり、就職は辞退するしかありませんでした。いろいろな事情もあって、埼玉の家を引き払い、医療の面でも進んでいるだろうと、東京の、母の姉妹の近隣へ移ることになりました。

――ガンが発覚した後の、お父様の様子は?

S・W

ガンにむしばまれても、身体は動かなくても、口は人並み以上。相変わらずの暴君で、病院で怒鳴り散らす、なじる。看護師さんが号泣したこともありました。診療時間を勝手に変更したり、薬を重複服用したり、病院からも再三注意をされていました。家でももちろん手が付けられず、NHKの受信料徴収員と大喧嘩になったり、見舞いに来てくれた元同僚を罵倒して仲たがいしたり……。

父は70歳になっていました。介護保険は始まっていましたが、こんなじいさんをみてくれるデイサービスなんてあるわけがないと、ため息をついて、母と介護するばかりでした。

キレる老人に、こっちもキレることが何度もありましたよ。そんなとき、小学生時代に殴られたことを思い出し、「なぜ小学生の頃、あんなに殴ったのか」と、怒りにまかせて問いただしたことがあります。すると、父は「俺はおまえにスパルタ教育をやったんだ! なにが悪いんだ! そういう時代だったんだ!」と吐き捨てるように言い返してきました。そして、「感謝されるように介護しろ!」と。こんな親っていますか!? 思わず「ふざけんな!」と怒鳴り返しました。

だれにも言えない悩み、苦しみ、怒りなどをノートなどに、何冊も何冊も何冊も吐き出していました。口汚く父をののしり、自分の人生を嘆きました。

しかし、怒りにふるえているだけでは、父に、介護に負けてしまう。自分をしっかり持たなくてはと思い、自宅で受講できるWebスクールでサイト制作を学び、IT業務の委託を少しずつ始め、仕事と介護の両立の一歩を踏み出しました。その数年後に父が亡くなり、介護が終わって今に至ります。

父親が亡くなってから、癒されるのに10年かかった

――長く、つらい介護生活が終わった時の心境は。

S・W

僕が40歳のときに、父は亡くなりました。2008年の出来事です。30歳の時からだから 、10年強介護をしていたんですね。悲しかったか、と言われたら、違う感情でした。涙も出ませんでしたし。母は喪失感からしばらくうつ状態になり、僕もまた、急激な生活の変化についていけず、心療内科に通いました。ほっとしてからのほうが、心が乱れました。

父が亡くなったら妹も、出産を機に、近所に引っ越してきました。ちゃっかりしているという人もいますが、あの父を自分の夫にさらしたくないという気持ちも十分理解できます。それに、妹が近くに来てくれたおかげで、かわいい姪っ子たちが遊びに来て、それが母と私の癒しになり、精神を安定させてくれる存在にもなりました。

僕も時間をかけて、少しずつ元気になっていきました。とはいえ、父のことは思い出したくもなかったです。父の顔も忘れたかったし、父の病気のことも、介護のことも忘れたかった。

僕は、自分の人生を計画立ててすすめていきたいタイプですが、父のせいで、先々の計画が真っ白になることの繰り返しでした。その償いは、誰からもないのだ……。そう思い続けているうちは、介護は終わっていなかったのかもしれません。

――では、気持ちのうえで一区切りついたのはいつだったのでしょうか。

S・W

本当の意味で「終わった」と感じたのは、2018年の12月です。内臓や甲状腺の調子がよくなくて、ずっとかかりつけの内科に通っていました。そのドクターは、父の主治医でもあったので、うちの家族関係や父の病気の経緯もよく知っているのです。

そのドクターが、健康診断の結果から、もろもろの数値が正常になったことを伝えてくれ、僕に聴診器をあてて診療した後、「おやじさんはつわものだったな」と言いながら僕の肩をほぐし、両手でポンポンと叩いたのです。そのとき、私の中にあった介護の苦しかった記憶、自分のキャリアへの否定的な感情が、スーッと抜けていったような気がしました。

――介護が終わってから10年で、ようやく心が晴れましたね。

S・W

はい。そんなときにこのインタビューのお話をいただいたのも、偶然だったのかそうでなかったのか。不思議な気がしています。

介護が「仕事」なら、誰かにアウトソースすることも必要だ

――あらためて伺いますが、Sさんの中で介護と仕事は、両立しうるものでしたか?

S・W

35歳で再就職のためにハローワークに行ったときには、「介護は報酬のない仕事ですよね」と言われました。介護は、仕事なのか……。ならば、仕事ふたつの両立は難しいんじゃないかなと、漠然と思いました。今は、副業を持って働く人もいますけれど、システムエンジニアの仕事と介護はどちらもハードですし、介護はどこで終わるのか、ラクになるのか予想がつきません。両立はやはり難しいんだと、その時に強く思いました。

でも、今考えれば「仕事」なんだから、家族以外の誰かにアウトソーシングすればよかったんですよね。開発現場では、手に余る仕事は外注することが当たり前でしたから。

――そう考えたきっかけは?

S・W

介護が終わって数年後、介護と仕事の両立を考える研究会などに出席するようになったことがきっかけです。

介護に臨むにあたって、介護保険サービスなどの知識は重要ですね。わかり合えない親子で介護をするのなら、その環境でどうしたらいいのかの知識を持てばよかった。そして、知識を持っていれば、介護をアウトソーシングするという結論になったと思います。

わかり合えない父親を介護することが、これほど苦しいとは思いませんでした。横に寄り添って継続的にフォローしてくれる信頼できる他者が、必要でしたね。

――介護離職を乗り越えられた今、目標にしていることは?

S・W

これまで続けてきたIT業務のほか、勉強して得た資格や経験を生かしてキャリア開発の仕事もしていこうと思っています。パラレルキャリアの道を進み、失われた20年間を取り戻す。それがいまの目標ですね。

三輪泉
三輪泉 フリーランス編集・ライター

女性誌や子ども関連雑誌・書籍の執筆を長年手がけ、現在も乳児や幼児のママ向けフリーペーパーで食育の連載を担当。生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)。近年は介護・福祉・医療関連の記事、書籍編集も数多い。社会福祉士資格を取得し、成年後見人も務める。福祉住環境コーディネーター2級。

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