2015年に渋谷区や世田谷区で同性パートナーシップ制度が公認されて以来、いわゆる「LGBTブーム」が社会にインパクトを与え、性的マイノリティの存在を世に少しずつ広めてきました。しかし、中高年の性的マイノリティの背景に想いを馳せる人はそう多くはないかもしれません。
今回お話を伺ったのは、2000年代から「ゲイの老後」をテーマに活動されてきた永易至文(ながやす・しぶん)さん。
2013年からは性的マイノリティの老後を考え、つながるためのNPO「パープル・ハンズ」立ち上げのほか、ゲイの行政書士・ファイナンシャルプランナーとして性的マイノリティの法的書類作成やライフプラン相談を行ってきました。
90年代からコミュニティに参加してきた永易さんが、性的マイノリティの老後の生活についての活動を始めるに至った背景にはどんな経緯があったのか。
現在の「パープル・ハンズ」運営までの活動の変遷を伺う中で、性的マイノリティが老後の暮らしの知識を得る「学びの場」の重要性が浮かび上がってきました。
――永易さんがゲイコミュニティで活動するきっかけとなった、90年代ゲイリブのお話を聞かせていただけますか?
僕がゲイのコミュニティに関わり始めたのは、上京してきた1980年代後半からです。小さい頃から自分の性的指向については自覚的でしたが、当時は情報もなく、誰かに告げることはありませんでした。
ゲイ雑誌を初めて見かけたのも東京に出てきてからで、本当に勇気を振り絞って買ったのを覚えています。その情報を手がかりに、あるゲイの若者サークルに参加しました。
その後、サークルが1990年に遭遇した「府中青年の家」事件やその裁判(※1)で活動が活発化し、社会的にも女性誌『CREA(クレア)』をきっかけとしたゲイブーム(※2)といった様々な出来事が偶然重なって、そのうねりのなかでゲイとしてのアイデンティティを形成していきました。
※1
1990年2月、動くゲイとレズビアンの会(アカー)が東京都府中青年の家で合宿利用中に、他団体による差別・嫌がらせを受けたことに端を発した裁判。東京都による「同性愛者団体の宿泊利用拒否」決定の違法性を、性的マイノリティ自身が原告となって訴えた。94年1審勝訴、97年2審勝訴、確定。少数者の人権を問う著名裁判として、現在、憲法教科書や『判例百選』などにも収載される。
※2
「ゲイルネッサンス91」という特集が組まれ、表紙のコピーでは「ゲイと呼ばれる人びとって、アートに強くて繊細で、ちょっといじわる」と謳われた。そのほか、ゲイの三角関係を描いたテレビドラマ「同窓会」の放送など、空前絶後のゲイブームが到来した。
――ゲイサークルで行っていた活動とは、どのようなものだったのでしょう?
「同性愛」がセックスの嗜好やオシャレなライフスタイルとしか捉えられない時代に、あくまでも「人権の問題」なのだと裁判を通じて社会に訴えていくことや、同性愛者を笑いのネタにする番組に対する抗議活動をしたりと、プロテスト型の活動が多かったですね。
1994年には、南定四郎(ゲイ雑誌編集長)さんたちが日本で初めての「レズビアン&ゲイパレード」を東京で開催しました。当時はカミングアウトして公道を歩くなんて考えられない時代でしたから、1,000人規模でもかなりのインパクトでした。こうした活動を通じて、全国のサークル団体で若者交流合宿をはじめとしたネットワークも広がりました。
また、92年にはサークルの仲間とサンフランシスコのパレードに参加して日本での裁判をアピールするとともに、現地のコミュニティをいろいろ参観する機会に恵まれました。政治、ビジネス、教育・学校など、社会のさまざまな場面へ食い込む当事者の活動的な姿とともに、長い同性カップルや高齢の当事者が普通に日々を暮らす姿が目にとまりました。養子や人工授精で子を育てるカップルもいました。
市の住民として、多世代が重なる自分たちのコミュニティを形成している様子に「シビレ」、帰国後、事務所のある中野区へみんなが引っ越してきました。
ゲイの人権運動と、生活志向や地域志向がつながったのです。
――ここまでは社会に働きかける運動のお話がメインでしたが、暮らしをより強く意識した現在の活動に近づいていくきっかけはありましたか?
原点となるのは、お互いのライフヒストリーを語り合う「ピア・ミーティング」(※3)ですね。週末や合宿で、ティーチイン形式で夜通し語り合いました。
※3
当事者同士が集まり、安心できる環境・条件下で自分のライフヒストリーについて語り合う場のこと。HIV陽性者やアルコール依存症患者、虐待経験者など、多様な当事者の会が存在する
「自分はどういう歴史をたどって今ここにいるのか」「自分の性的指向に気づいたのはいつか」「親・家族とはどういう関係を築いてきたか」、自分で自分の性を恐れていたり、同性愛であることを憎んでいたり、自分のなかの女性嫌悪や、いろいろなことを我慢したり傷ついたりしながら育ってきたことへの気づきがありました。
同時に、仲間も同様の経験をしていることから、社会や構造の視点に気づき、ゲイとしての集団的アイデンティティを自覚していきました。
――ピア・ミーティングのような機会がないと、普段の生活で自分に向き合うことはほとんどないですもんね。
ただ、自分を受け入れ「一生をゲイとして生きていきたい」と思っても、今度は「ではどうやって?」という具体的な問題が出てくるわけです。
自分たちの先行者として影響を受けたのが、1980年代の「障害者の自立生活運動」でした。彼らは、手厚い福祉に守られた、でも山奥にぽつんと建てられたクリーンな障害者施設ではなく、自分が住みたい街中に部屋を借り、行政の支援費制度を使ってヘルパーを雇い、ときに行政や親族ともガタピシしながら、自分の送りたい暮らしを、おなじ障害者の仲間(ピア)の手助けや助言を得ながらつくっていった。そんな相談所とサポート事業所が、各地の「自立生活センター」です。彼らは暮らしに立脚し、欲しいものは自分でつくる「当事者主権」で障害者の人生を拓いていった。
私たちは裁判をしていたこともあって、自分の暮らしを紡いでいくには、まずお金や法律に関する知識やメソッドが必要だと考えたわけです。サークル内でメンバーの中ではちょっと年上の30歳前後のメンバーで、そんな勉強会を始めました。
その後、私自身は社会に出て出版社で仕事し、2000年代からはフリーとして、ゲイ/性的マイノリティの老後や同性パートナーシップ保証をテーマに編集や執筆をしてきました。2010年代に、自分自身も中年期に入り、若くなくなったゲイ/性的マイノリティの生き方を自分ごととして考える必要も高まり、それまでの経験の延長上に仲間とNPO法人「パープル・ハンズ」を立ち上げました。同年に行政書士の登録もしたわけです。
――具体的にはどのような活動をされていますか?
まずは、老後に関する勉強会ですね。老後のお金や住居、入院・介護時、遺言や終活など、「標準家族」仕様になっている世の中のライフプランや制度の情報を、性的マイノリティバージョン(子なし・おひとりさま、同性カップル、性別移行、親族と疎遠、HIVやメンタルを抱えている……などの場合)にアレンジしてお伝えしています。電話や対面で法制度や老後についての相談に応じる「暮らし相談」の窓口も設けています。
まずは法律や制度について知り、制度リテラシーを高めることが大事。たしかに同性婚の制度はないけれど、現行の法制度でもいろいろできることがあります。知れば少しだけ勇気も出ます。「知識のワクチン」を打ちましょう、と言っています。
それから、老後に役立つ場を見学し、担当者と交流する「キャラバン・トーク」、いわば「おとなの社会科見学」ですね。老人ホーム(特養)、樹木葬霊園、地域包括支援センター、訪問看護ステーションなどを訪問しました。性的マイノリティの方への対応に慣れている業者や施設も増え、まだまだ社会は差別的だと思っていた当事者の方もプログラムに参加することで印象が変わり、それらを利用する勇気もわいてくるようです。
――老後の心配があっても、そうした場所にひとりで出向くのが不安な方にはとてもありがたいプログラムですね。当事者同士の交流ができる場もありますか?
40代以上をキーワードにする語り場「パープル・カフェ」、一品持ち寄りで晩ご飯を食べる「おとな食堂」、あと同性パートナーとの死別を経験された方の「グリーフ分かち合いの会」を開いています。
ゲイバーなどの店舗は、マイノリティにとって交流をする大切な場ですが、一面、遊びにいくところでもあり、老後や病気、介護や死のことなど、話題としてはばかられる場合もあります。たまには本音の話をしてみたい、こういう場があってよかった、といってくださるかたもいます。
――そうした講座やプログラムに参加される方は、どんなお悩みをお持ちなのでしょうか。
パープル・ハンズが対象としているのは、裕福ではないが、かといって生活保護を受けるまで困難には至ってない方々です。ただ、その層がいちばん経済的に余裕がなく厳しいのですよね。でも、家計や貯蓄をいっしょに見直してみると改善の余地もある。情報がなくて苦しんだり、逆にいろいろな広告に惑わされて苦しむ、といったことがあります。
たとえば保険の相談も多いですが、LGBTフレンドリーな生命保険ができて、同性パートナーを受取人にできるなど選択肢が増えたことは喜ばしい。でも、自分が死んだ翌日からパートナーが経済的に困るとか小さな子どもがいるわけでもない。となると、生命保険に入らず、そのお金は貯金へ回したほうがいいんじゃないか。
医療保険も、まず加入が義務である公的な健康保険でなにができるかよく知ると、高額療養費制度をはじめとして、改めて必要性の検討ができます。住宅についても購入か賃貸かなど、同様ですね。あと貯金の習慣もできてないのに運用はどうすればいいか、とか(笑)。増やすことより、いまあるお金を老後まで減らさないことです。
――相談やアドバイスの内容を聞いていると、独身の方をはじめとして婚姻制度外のすべての方に当てはまりそうだと感じました。参加された方は、どんな感想を述べられていますか?
お金や法・制度の知識は、性別・セクシュアリティを選びませんし、同性カップルの法的対策は、事実婚男女のかたにも必要なことがあります。当会の講座や集いには、ストレートのおひとりさまのかたも参加したり、カフェやおとな食堂へ来たりする方もいます。
また、実際に相談に来た方は、それまで自分でもいろいろやれてきていることに気づいて不安のモヤが晴れるのか、「何とか生きていけそう」と言ってくださる方が多いですね。HIV陽性の方が「一般の相談機関に相談しづらかったけど、相談できてよかったです」と言ってくださることもあります。一振りすれば夢の解決がかなう魔法の杖はないけれど、こうした相談場所があって、少しはお役に立てたのかなと思うとうれしいです。
――様々なコミュニティを運営される中で、居心地の良いコミュニティづくりのために心がけていることがあれば教えていただけますか?
私は半分挑発的に、パープル・ハンズは「居場所」ではありません、と言っています(笑)。ここはセクマイとして老後までを生きていくためにあなたが必要な情報を学ぶ「学びの場」。学んだら早くここから卒業して行ってください、生きるのはあなたなんですから、と(笑)。
――追い出してしまうんですね(笑)。
でも、わからないことがあったら来てください、ドアはいつでも開いています、と。私の役目はせいぜい「教師」であって、パープル・ハンズは「ライフプランの夜間中学」「セクマイの識字教育」なんて言っています。
最近は「支援ブーム」で、当事者へ「支援」「寄り添う」といったことがよく言われます。社会の分解・二極化が進むなか、困難や「生きづらさ」を強いられる人びとに、社会の理解や包摂の視点はますます重要です。
しかし、社会が理解してくれようがなかろうが、当事者の私は死ぬまで自分で生きていかねばならない。勝たなくていいから、たとえ低空飛行でも落ちずに最後まで自力で飛び続けていこう。そのための知恵と仲間ならここにあるから――そんな気持ちでこの場を運営しています。
まずは一人ひとりが、「自分で自分を幸せにする」ことに集中しましょう、と。社会の全員がそれができれば、この世から不幸な人はいなくなるわけですから。
もっとも、最近はこういうことを言うと、公助抜きの「自助・共助」優先主義者と言われるかも(笑)。為政者が言うのか、当事者が言うのかで、異なります。心は「自立生活運動」――私たちのなかにはきっと生きてゆく力があり、コミュニティ(仲間)にはそれを引き出す作用があるはずです。90年代以来、コミュニティによって育てられた私は、コミュニティへの信頼感を抱いてきました。いまはコミュニティへの恩返しです。
――永易さんご自身の老後についてはどのように考えていますか?
私は今54歳ですが、80歳くらいまでは仕事を続けたい。社会やLGBTがこれからもどう変わるのか、見届けたいですから。そして調子が悪いなと思って入院して、2週間目に死ぬのがいいな(笑)。そのためには、死後事務の整理やそれを託す人の準備など、「おひとりさまの終活」が必要ですね。
よく「老後はいくら貯めといたらいいんですか」も聞かれますが、足りないなら働けばいいじゃないですか(笑)。元気なんだし、実年齢はいまや8掛け。定年60歳といっても48歳ぐらいの感覚では? 講座では、65歳の年金開始時に、公的年金とはべつに1千万円の貯金(養老保険でも可)があれば安心と言っています。
たとえば、40歳から毎月3万円、賞与時7万円を2回、年50万円の貯金を20年続ければ、利子はつきませんが1千万になるじゃないですか。低収入の人でも、要ははじめに収入の1割を貯蓄に取り除ける。10年やれば年収分が溜まり気持ちに余裕ができます。私もいま頑張って貯蓄計画を進めているところです(苦笑)。お金がすべてではないけれど、最低限のお金は必要です。
そのうえで「情報と人のネットワーク」。自分の状況を正直に伝えて相談できる、からだ(かかりつけ医)、お金(保険担当者や独立系FP)、法律(弁護士や行政書士など)の相談先を知ったり、コミュニティ活動に参加したりしてみましょう、と言っています。専門家に正確な情報を聞いてください。噂話や伝聞ではとかく話が盛られ、「ひどい目にあった」ことばかり強調され、有効な解決には役立ちません。
――最後に、これから老後について考え始める性的マイノリティの方に向けてメッセージをお願いします。
ゲイをはじめとした性的マイノリティのアイデンティティやコミュニティはとかくセックスと結びついたものですから、肉体や容貌など「若さ」が失われるなかで、ただでさえ社会に削ぎ取られている自尊感情を、ますます痩せさせていきます。「老け専」(高齢者が好きなタイプの人)だって、相手の老けを愛でるわけであって、自分が老けたいわけじゃないでしょう?(笑)
一般の社会なら、加齢にともない結婚や出産、そして子育てなどのライフイベントで人生が埋まり、子の成長による充実感も得られますが、性的マイノリティの場合、そうした「人生の春夏秋冬」がなくロールモデルが乏しい。その埋まらない人生を埋めたい、自分もキラキラ輝かなくちゃと仕事を頑張りすぎたり、恋愛やセックスにどハマりしたり、場合によってはアルコールや薬物、ギャンブルに嗜癖することがあるのかもしれません。
そうしたことが各種の依存症などメンタルヘルスの低下や、このコミュニティの自死の多さにつながっているのでしょう。私にも、人生をポキッと折るように早くに終えていった友人たちが何人かいます。
私が言う「ライフプランニング」とは、銀行や証券会社のような富裕層のための蓄財話ではなく、こうすれば最後までなんとか生きていける道を知ろう、セクマイなりの人生の春夏秋冬の型をつくりだそう、というものです。「誰もが自分らしく虹色に輝く」とかフワッとした言葉ではなく、お金や制度、老後、かならず来る死といった現実のソロバンを合わせながら、キラキラしなくても総活躍しなくてもいいから、等身大で生きる方法の模索です。
ひとりでも、同性ふたりでも、病や障害をもっても、人生の途中で性別を変えても、地面に足をつけた市井の生活者として生きていく姿(若き日にサンフランシスコで見たゲイのおじさんやレズビアンのおばさん、さらに高齢の先輩たちの暮らし)を創りだしていくことが、早くにこの世を辞していった友人たちへの応答にもなるのではないかと思ってこの活動を続けています。
取材を通じて筆者が感じたのは、性的マイノリティの方も、筆者のような独身者も、婚姻制度を適用していない点においては近しい老後を送ることになること。「マイノリティが暮らしやすい社会を目指せば、誰もが暮らしやすい社会になるはず」という永易さんの思想がお話を伺う中でさらに腑に落ちた気がします。
そして、最も強く感じたのは、「社会的包摂」への違和感でした。昨今よく耳にする「支援」や「寄り添い」という言葉はあたたかいようで、マイノリティに「弱者」の烙印を押すことになっているかもしれません。
――既存の公的制度を存分に活用すれば、ある程度、自分らしい生き方をつかみ取っていけるのだ。
そんなたくましい「フロンティア精神」に希望を感じたのは、私だけではないはずです。
文筆業。「家族と性愛」を軸に取材記事やエッセイの執筆を行うほか、最近は「死とケア」「人間以外の生物との共生」といったテーマにも関心が広がっている。文筆業のほか、洋服の制作や演劇・映画のアフタートーク登壇など、ジャンルを越境して自由に活動中。
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