ミュージシャンとして、プロデューサーとして第一線を走り続ける寺岡呼人さん。
ゆずを筆頭に手掛けたアーティストは数多く、また、主催するライブイベント「Golden Circle」では自身を中心とした3世代が集うイベントとして、松任谷由実さん、小田和正さん、さだまさしさんなど幅広い方々と交流を深めてきました。
2018年には、奥田民生さん、斉藤和義さん、浜崎貴司さん、YO-KINGさん、トータス松本さんと同世代のミュージシャンが集まったスーパーバンド、カーリングシトーンズを結成。2020年のコロナ禍でもテレワークのスタイルで制作した新曲「オイ!」と「ドゥー・ザ・イエローモンキー」を配信リリースするなど、精力的に活動を繰り広げてきました。
現在53歳となった寺岡さん。かつての自分が出会った憧れの大人から、「老い」をテーマにした楽曲「オイ!」の制作秘話、87歳になられたご自身の母親の話まで。年齢に関係なく「常にワクワクすることを探し続ける」という人生の秘訣(ひけつ)を語っていただきました。
(取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました)
──昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で音楽を巡る状況は大きく変わりました。寺岡さんはどんなふうに過ごしていましたか?
寺岡呼人さん(以下、寺岡)
デビューから30年以上、ずっと休んだことがなかったんですけど、突然休みができました。毎日家にいて、同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べて、寝る。そういう生活を送ったことは本当になかったので、それがまず新鮮でした。
そもそも10代の頃から、そういうサラリーマンのような生活は自分には無理だ、やりたくないと思っていたんです。でも、いざやってみたら、これはこれで悪くない。あまりネガティブなことは考えませんでした。
焦って音楽をやらないようにしていて、夏まではスタジオの断捨離をやったりしていました。
自分としてはオフのモードだったんですけれど、そういう状況でカーリングシトーンズについては、リモートのYouTubeをみんなでやろうということになりました。
──コロナ禍でもカーリングシトーンズは積極的に発信を続けていたと思います。
寺岡
最初は民生っちの発案で、彼のチャンネルでリモートで何かやろうという話だったんです。
定期的にやっていたら『オレたちカーリングシトーンズ』(フジテレビ系)という特番が決まり、『オレたちひょうきん族』のようなセットでバラエティ番組っぽいことをやった。そこでやった「歌のしりとり」みたいな企画が「あれ、いいよね」という話になって、今度は「あれで曲を作ろう」と。
ライブでもやったんですけれど、リハーサルでみんなが適当にやろうとすると、民生っちが「こういうやつこそちゃんとやらなきゃダメなんだよ」って言うんです(笑)。
「遊びこそ真剣にやらなきゃいけない」というのは、考えてみればユニコーンにも近いし、彼がずっとやってきたことでもある。そういうことを同世代から学びましたね。
──カーリングシトーンズは2018年に奥田民生さん、斉藤和義さん、浜崎貴司さん、YO-KINGさん、トータス松本さんと結成されました。同世代のミュージシャンと50歳になってから新しいバンドを始めたことは、寺岡さんにとってどういう経験になりましたか。
寺岡
過去に所属事務所がバラバラなメンバーでバンドをやった人って、あまりいないと思うんですよね。それくらい難しいというか、面倒くさいことなので。
最初のライブをやったときに、ゲストで世良公則さんが出てくれたんです。世良さんは僕らの10歳くらい上なんですけど、打ち上げで「僕らの世代でもこれをやりたかったんだよ!」って言っていた。でも、時代的になかなかできなかったんだ、と。だから「君たちは絶対続けなきゃダメだぞ」って言われたんですね。
桑田佳祐さんも雑誌の連載で「カーリングシトーンズっていうふざけた名前のバンドがあるらしい」というところから、「僕らの世代もなかなか味わい深いメンツでしょう」というようなことを書いてらっしゃったんですね。
我々世代のミュージシャンて、結構いっぱいいるんですよ。佐野元春、世良公則、Charさん、松山千春、大友康平……。ほら、なかなか味わい深い顔ぶれでしょう。
(中略)
「カーリングシトーンズ」みたいに、全員が大人で和気あいあいとヤレるかどうかは、夢のまた夢……?(でも凄く楽しそうだね!!)
(「週刊文春」2020年2月13日号・桑田佳祐「ポップス歌手の耐えられない軽さ」より)
同世代の人がワイワイとバンドをやるということって、上の世代の人たちから見てもなかなか事件だったんじゃないかと思うんです。
カーリングシトーンズ 「涙はふかない」MV
寺岡
実際、1回のライブだけで終わっても良かったんですけど、なんとなく続けたい気持ちもあって。最初のライブが終わったときにはすでにデモを15曲録ってたんですよね。
ここ(取材場所となった寺岡さんのプライベートスタジオ「CRY BABY STUDIO」)で録ったんですけど、ライブが終わったら「あの音源どうするの?」って話になったんです。「それは当然レコーディングするでしょう」という感じになって。
それでアルバムを作って。「アルバム作ったら、ライブでしょ」みたいな流れで。そんなこんなで2020年の1月にツアーが終わったんです。
──2021年3月15日、16日にはカーリングシトーンズによる久々の有観客でのライブも開催されました。
寺岡
和義君は自分のツアーの前だったから、「本番の前に軽い気持ちでできて助かるわ」って楽屋で話していて。
それぞれがそれぞれの「穴」に閉じこもって活動してきたものが、春の芽吹きのように出てきて、実際に会って音を出す。それがこんなに楽しいんだとあらためて実感しました。コロナによって変わってきたんじゃないかな。
カーリングシトーンズはそもそも遊びとして始めたし、なくても個人個人でやっていけるものなんです。
けれど、いつのまにか、カーリングシトーンズというバンドが、メンバーの中での音楽のよりどころ・ 集まり場になっているのも感じましたね。
そうやって僕らみんなが楽しそうにやっていることが、理屈なく人を元気にさせるところもあるんじゃないかな、という気がします。
──JUN SKY WALKER(S)に加入して、ミュージシャンとしての活動を始めた20歳の頃は、周囲の50代以上の大人の方にはどんなイメージを抱いていましたか?
寺岡
音楽というのは不思議なもので、一緒に音を鳴らせば年齢は関係なくなるんです。特に僕は、すごくいい先輩に巡り合えたと思います。
20歳の頃にかまやつひろしさんにお会いしたんですが、本当に素敵な大人でした。自分がかまやつさんの年齢になったとき、果たしてあんなふうになれるかな、ということは思いました。
今、僕が一緒に仕事をしている一番若い子は18歳で、僕自身があのときのかまやつさんと同じくらいの年齢になっている。僕自身は20歳の時と変わらない気持ちなんですけど、向こうから見たら相当なおじさんと仕事してる感覚だろうし。
きっと、あのときのかまやつさんも同じ感覚だったんだろうなと思います。
──どんなところが素敵だと感じたんでしょうか?
寺岡
かまやつさんは常に敬語だったんです。 誰に対しても名前に「さん」をつけて敬語で話す。
あるとき、「なんで僕みたいな年の離れた人に敬語を使うんですか?」って聞いたんです。そうしたら、江戸っ子らしい独特の言い方だと思うんですけど「だって、面倒くさいですから」って(笑)。偉い人とそうじゃない人を分けるのが面倒くさいということだと思います。
今の僕にも、そういうところはありますね。年下だからとか、売れてるから売れてないからみたいな基準じゃなくて、基本的にみんなに対して敬語で話す。
例えば20歳のアーティストがいて、同じ部屋に事務所の社長がいたとしても、全員への話し方をなるべく一緒にしたいんです。人として付き合うという意味で、常に自然にニュートラルでいたいという感じはあります。
──ほかにも格好いいと思った年上の方はいらっしゃいますか?
寺岡
たくさんいます。松任谷正隆さんにJUN SKY WALKER(S)のプロデュースをやっていただいたときも、すごく格好いいなと思っていました。品のある喋り方やスタジオの中のムードや所作にそう感じたんです。
よく「師匠の背中を見て学べ」と言われるんですけれど、まさにそうでした。松任谷さんに技術的なことを伺ったことは1回もないですけど、スタジオの雰囲気を感じるだけで勉強になったと思います。
あとは、2001年から開催してきた「Golden Circle」というライブイベントで出会った方々です。基本的に、先輩世代と僕の同世代と若い世代という3世代のミュージシャンでやってきたんですね。
出演していただいた上の世代の方は、ユーミンにしても、小田和正さんにしても、さだまさしさんにしても、みんな素晴らしい性格の方なんです。気遣いだったり、話し方だったり、そういうところからよく分かる。
30年、40年とやってきた人たちって、もちろん楽曲がいいとか歌がうまいというのはありますけど、それ以上に人間性が素晴らしくないと続かないんだなと。
──そうした上の世代の優れたミュージシャンの方たちとお仕事をご一緒する機会は、今の自分にとって財産になっているという感覚はありますか?
寺岡
ありますね。本当にプライスレスです。何にも変えられないものですね。
──2020年6月にリリースされたカーリングシトーンズの楽曲「オイ!」は、「老い」をテーマにした楽曲です。階段での息切れ、腰痛、老眼鏡、記憶力低下……と、年を重ねて感じるつらさが曲のモチーフになっていますが、このアイデアはどのように生まれたんでしょうか?
寺岡
僕が作った曲で、あんまり深くは考えてないんですけど、70年代にあったジャンルの「オイパンク(※注:1970年代後半にイギリスで発生したパンク・ロックのサブジャンルのうちの一つ。労働者階級に支持された)」を「老い」にしたらどうかなって思っただけです(笑)。
ちょうどトータス君が「曲のアイデアがあるんだ」と言ってここに来て作ったのが「ドゥー・ザ・イエローモンキー」という曲で。そのデモを作り終わって「俺も少しアイデアがあるんだけど」と言ったら、トータス君が仮歌を歌ってくれて、歌詞もいろいろ考えてくれて。ほぼその30分くらいでできてしまった曲なんです。
一人ひとりがワンフレーズずつ歌って、どんどんヴォーカリストが変わっていくのはカーリングシトーンズならではですよね。ライブでも盛り上がります。
──サビの「時間は平等」という言葉も印象的です。
寺岡
ユーミンが話していた言葉なんです。昔、ユーミンがテレビで若いアイドルの子と対談していたのを観た後に、そのことについて本人に聞いたことがあって。そしたらユーミンが「(年齢差はあっても)時間は平等だからね」って言ったんですよ。わぁ、格好いいなと思ったんです。
曲では、ただただ老いることを歌うんじゃなくて、ラストに「いずれ若いみんなも平等にこっち(老いる側)に来る」というのをオチとしてトータス君に書いてもらいました。
──年を重ねた人は全員共感できる歌詞になっています。いろんな意味で痛快で、ユーモラスだけど含みも深みもあるキラーチューンだなと思います。
カーリングシトーンズ Music Video「オイ!」
──「オイ!」だけでなく、寺岡さん自身、50代になって感じる問題を曲にしていこうという考えはありますか?
寺岡
たぶんモチーフは、生きていると日常に転がってると思うんですよ。
10代の頃はそれがバイクだったり、学校の窓ガラスだったり、女の子だったりがモチーフだったかもしれない。そういうことが歌に直結できたけれども、50代や60代になってくると、ガラスを割るわけにはいかないし、女の子を追いかけ回しもしない。
ユーミンは曲作りを「メソッド」という言い方をしてました。僕も今の自分にとっての新しい「メソッド」を見つけた瞬間が一番幸せなんですよね。
過去はありがたいけど、ある意味どうでもいい。だから探しているわけではないんですけど、曲になるようなモチーフが見つかるとうれしい。
例えば、さださんの「残春」という曲があるんです。それは認知症をテーマにした曲なんですよね。さださんが書いた小説を原作にした『サクラサク』という映画の主題歌で、映画も認知症になった父親と息子の話なんです。
認知症のことを歌にするって、すごいロックだなと思うんですよね。だって自分も自分の親もそういう年齢になってきてるわけだし。歌になかなか落とし込めない人が多い中で、身の回りにあることをモチーフに曲を書けることこそ、僕は「ロックの原型」なんじゃないかなという気がしますね。
──この先、10年後、20年後に「こんなふうになっていきたい」というイメージはありますか?
寺岡
自分はどちらかと言うと常に新しい刺激を求めたい人間なんです。音楽性も変わるし、新しいことを始めたい。
最近買った本なんですけれど、音楽プロデューサーの木崎賢治さんが書いた『プロデュースの基本』という本がとても良かったんです。木崎さんは1946年生まれの75歳なんですけど、その年齢でいまだに最新のビルボードチャートにあるヒット曲を聴きながらワクワクしているんですね。
この間ラジオで対談したんですけど、「今プロデュースしてる若い子は何歳ですか?」って聞いたら「20歳です」と話していました。ということは55歳、孫くらいの年齢差があるんですよね。でも、木崎さんは同じような目線で仕事をしていると思います。
自分がそう思わなければ、いくらだって気持ちは若くいられると思うんです。老いることはない。
むしろ年齢が進んでも物事の処理能力が昔より10倍になってる気がするんですよ。前は10日かかっていたことが1日でできるようになってることもある。時間は短く感じるんだけど、処理能力は速くなってるから、それによって生まれた時間を遊びにも使える。
「70歳を超えたからもう引退しなきゃ」って思ったら実際にそうなっていくけれど、まだまだワクワクしたいという気持ちがあれば、年齢に関係なく若くいられる。
そういうサンプルがあると勇気をもらえるんですよね。木崎さんの本を読んでいると、僕もあと20年は現役でいけるんだと思える。
うちの母は87歳なんですけど、趣味でエッセイの応募先を探して投稿している。常にワクワクすることを探してるんですよ。こういう人になりたいなという気がしますね。楽しめることを見つけるのも才能だと思うし、若さだなと思います。
世の中がどういう状況であれ、自分にとってワクワクするものを見つけることが、人間の一番の仕事かもしれない。僕もそのための努力は惜しまないようにしたいと思います。
取材・構成:柴那典
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部
<information>
アルバム「NO GUARD」
2019年11月27日 Release
CDアルバム
MUCD-1440 3,300円(税込)
寺岡呼人YouTubeチャンネル
2020年11月17日【デビュー記念日ライブ】NO GUARD 2020-歓びのうた】ダイジェスト映像
演奏曲「NO GUARD」
「歓びのうた」
「バトン」
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