まず、SNSにかじりつくことが少なくなりました。また、老眼気味になってきたこともあって、なるべくスマホではなくPCを使い、だらだらと長時間ネットやゲームをやらないようにしています。
40代も終わりにさしかかり、中年の身体に合わせたマネジメントをしていかなければすぐに壊れてしまうように思います。この年齢からはインターネットも身体を労わりながら、相応にやっていくべきなんだろうと感じますね。
インターネットが社会に普及し始めて約30年。20代の頃からインターネット、Webに親しんできた世代も、今や40代や50代を迎えています。忍び寄る老いを前に、技術の進化や昨今のネット社会の殺伐とした空気感にとまどい、インターネットとの付き合い方を見直したいと考えている人もいるかもしれません。
また、インターネットがあらゆるインフラにとって欠かせないものとなり、老若男女問わず当たり前にインターネットを使える「Web時代の高齢社会」をどう生きるべきなのか、その中で生じる困難をどう克服するかなど、さまざまな不安や悩みが生じる頃合いでもあります。
今回、集まっていただいたのは、1990年代のインターネット黎明期から長くWebを活用してきた40代、50代のブロガー3名。「年齢を重ねる中でのインターネットとの付き合い方」を軸に、これからの老後のあり方について語り合っていただきました。
※出演者の年齢は、記事掲載時点のものです。
――皆さんは約30年前のインターネット黎明期から自分のホームページを作ったり、ブログで発信したりされています。年齢を重ねるにつれ、インターネットの使い方や向き合い方に変化は出てきましたか?
まず、SNSにかじりつくことが少なくなりました。また、老眼気味になってきたこともあって、なるべくスマホではなくPCを使い、だらだらと長時間ネットやゲームをやらないようにしています。
40代も終わりにさしかかり、中年の身体に合わせたマネジメントをしていかなければすぐに壊れてしまうように思います。この年齢からはインターネットも身体を労わりながら、相応にやっていくべきなんだろうと感じますね。
――あれっくすさん、ココロ社さんはいかがでしょう?
ネット上の炎上やトラブルからは、意識的に距離を置くようになりました。例えば、昔は掲示板上での喧嘩を“祭り”や“ネットの花”のように捉える風潮もあり、あえてそこへ参加しにいくことも多かった。今はそうした炎上につながりそうな要素には、最初から近づきません。
それは、これまで積み重ねてきたネット上での信頼関係を壊さないためでもありますし、自分の感情が揺さぶられるのも嫌なので。
僕も炎上に関しては気にはなっても言及しないです。そもそも、SNSなどで自分から何かを発信することが減りました。今は人の投稿を読む方のウエイトが高くなっていますね。
自分が発言する場合はなるべくポジティブなことに限定し、それも極力マイルドな表現を心がけています。若い頃みたいに「バカ」とか言っちゃいけないなと。
もう一つの大きな変化としては、昔はいわゆる鍵垢のような「言いたいことを言える場所」を持っていましたが、今はそれもやめました。いつまでも鍵垢で言いたい放題やっていると、加齢とともに発言がエスカレートして、70代や80代になってもネットに毒を撒き散らすようになるんじゃないかという怖さがあって。今のうちから全てオープンにして、常に緊張感のある場でしか発信できないようにしています。
――インターネットでの情報の取り方にも、何か変化はありましたか?
インターネットで見かける文物をあてにしなくなり、書籍やマスメディアをあてにするようになりました。
かなり前に「うそはうそと見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と、2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)創設者のひろゆき氏が言っていましたが、今のインターネットは、まさに「うそか真実か分からないことだらけ」だと感じます。
SNS上にさまざまな勢力が台頭し、真逆の主張をしていてどちらが本当のことを言っているのかすぐには判断できないことも多い。今のインターネットで情報を得る際は、より高い精度のリテラシーが必要になっていますが、果たしてそこまでしてネットで砂金集めのような情報収集をする必要があるのかというと、疑問を持ってしまいますね。
私はネットで情報収集するにあたり、各ジャンルで「この人が発信している情報なら信頼できる」と思える人を複数人見つけています。
例えば、医療関係ならシロクマ先生やNATROM先生、趣味の分野でも映画、漫画、ゲームならこの人と、自分の中での識者がいて、その人たちがどういう反応をしているかによって判断を下すようにしていて。それは長くインターネットを使っているからこそ得られた情報源といえるかもしれません。
――ご自身のインターネット上での「振る舞い方」という点はいかがでしょうか? 20代や30代の頃と比べて、変わってきたことはありますか?
特に40代になってからは、「なるべく迷惑をかけないように」「老害っぽさを醸し出さないように」という意識がすごく強くなりました。
インターネットって、でっかい一つのサークルみたいな感じなので、OBの先輩みたいな年長者がずっと同じ話題でイキがっていたら鬱陶(うっとう)しいと思うんです。
――20代の頃と同じ発言をしていても、年齢を重ねることで周囲からの受け取られ方は変わる。特に40代以降はそこを意識しないと、すぐに老害認定されてしまう風潮もあります。
若者が直球で物を言うのは若者らしくていいけど、年寄りが同じように言ったら老害だよな、とは思います。
あとは発信だけでなく、SNSでの「いいね」なども最近は迂闊(うかつ)にはつけられなくなりましたね。誰かの発言や意見に対して、ろくに調べもせずポジティブな評価はできないから、よく知らない人の発信はXだったら「いいね」ではなくブックマークにするなど、人に見えないところで情報を溜めるようにしています。
――リアルだけでなく、インターネット上でも年長者としての振る舞いが求められることに窮屈さを感じませんか?
特に窮屈とは思わないかな。それは年齢を重ねて徐々に自意識が薄れていることも関係しているかもしれません。悲しいことのようだけど、実際はとてもラクだし、年を取ってよかったと思える部分ですね。
われわれだってインターネットを始めた頃は、年長者の振る舞いを見て学ばせてもらったところもある。今度は自分たちがそういう年齢になったのだと思います。
「教えてやるぜ」という押し付けがましい態度ではなく、自分なりに年長者として適切な振る舞いをして、若い世代に評価してもらうのが望ましいあり方なのかなと。
――シロクマ先生は40代を過ごしていくうちに、若い世代に対する思いや接し方は、どう変化していきましたか?
まず、年少者の成長を自分のことのようにうれしく眺めていられるようになりました。
もちろん、自分自身の成長や成功への関心は残しつつですが、最近は年少者を含めた自分以外の人々や社会に何ができるかということをよく考えます。これは、若い頃には思いもよらなかった変化ですね。
具体的な貢献の仕方ですが、これは何でもよくて。例えば、あれっくすさんが「ネット上で信頼できる情報源を見つけている」とおっしゃっていましたが、今度は自分がこれまでの経験を生かし、誰かにとっての灯台になることも若い世代に対する貢献だと思います。
――年齢を重ねると「悩み」の質や種類も変わっていくと思います。ズバリ、いま皆さんが悩んでいることを教えてください。
歳を重ねるにつれ、新しいものに興味を持てなくなってきました。今は可処分時間の多くを「昔のコンテンツを楽しむ」ことに充ててしまっています。YouTubeで1980年代のマイナーな音楽のプロモーションビデオを見たりして。もちろん安定して面白いんだけど、ちょっとした危機感もあって。それが悩みといえば悩みですね。
分かります。私も木曜日の夜は旧作のアニメを観ます。『フルメタルパニックふもっふ』『鋼の錬金術師』『機動戦士ガンダムUC』『Fate/Zero』あたりをダラダラと垂れ流して、眺めたいときに眺める。
木曜の夜くらいになるとウィークリーの疲労が溜まっていて、新作アニメなんて観たくなくなるんです。そこで真剣に視聴してしまうと、金曜日がボロボロになりますから。愛好家としては情けないけれど、再視聴でも見応えのある、間違いないアニメを観ている方が脳に負担もかからないしラクですよね。
でも、シロクマ先生はそれだけじゃなくて、新しいアニメやゲームも楽しんでいますよね。僕の場合は常にシロクマ先生でいう「木曜の夜状態」ですから。
とはいえ、僕だって何の苦労もなく楽しめるわけではなくて、やはり気力や体力が伴わないと新作アニメすらまともに観られない年齢になってしまったんだなとは感じます。そこはあまり無理をせず、老兵なりについていけばいいかなと思っていますよ。
――あれっくすさんもゲームや映画をはじめ、さまざまなエンタメに接していると思いますが、新しいものへの関心が薄れてきたと感じますか?
確かに、気を抜くと「ジョジョ」を一巻から読み直していたり、新作アニメの1話を観るのに少し勇気が必要になっていたりということはありますね。
ただ、自分の場合は、今はまだ「最先端のものを追い続けたい」という思いの方が強くて、映画も漫画もアニメも、新しいものにどんどん飛びついています。その甲斐もあって、50歳近くになっても20代の友人とエンタメを通じてコミュニケーションが取れている部分もある。
特に、自分がSNSに投稿した新しい映画の感想を見て、若い人が映画館に足を運んでくれたりするとすごくうれしいですね。案外、そういうことが新しいものに関心を抱き続ける栄養になっている部分もあると思います。
――では、逆に年を取ることで「ラクになった」と感じることはありますか?
先ほども少し言いましたが、自意識が薄れてきたことですね。例えば、若い頃は電車で自分の隣の席だけが空いていると「僕って何か変なのかな?」と気にしていましたが、今は「そういう時もあるよ」と、なんなら「ゆったり座れてラッキー」くらいの感じで受け止められるようになりました。
あとは、人から嫌われたりすることもあまり気にならなくなって、そこはラクですね。
若い頃は、失敗を長く引きずってしまうタイプでした。でも、年を重ねるごとにどんどん楽観的になっている感じはありますね。
それはやはり経験が大きくて、「この失敗は前にもやったし、その時べつに大事にならなかったから大丈夫だな」みたいに思えることが増えました。
僕は、良い意味で身の程を知ったというか、空ばかり見上げて「どこまでも頑張らなきゃいけない」みたいな意識はずいぶんと減って、心が軽くなりました。
向上心がなくなったということではなく、地面に足をつけた状態で空を見上げられるようになったというか。
分かるなあ。僕も昔は自分には可能性が無限にある気がしていました。だからこそしんどくなってしまうことも多かったけど、身の程を知ってくると気持ち的にはどんどんラクになっていきますよね。
若い頃に「身の程を知れ」と言われたら腹を立てていただろうけど、今なら素直に受け止められる。もしかしたら、単に精神的に老いがきているだけなのかもしれませんが。
いや、そこは老いや衰えではなく、「ステージが変わった」と言いましょうよ。これまでのステージで頑張ってきたからこそ、自分の輪郭がしっかりして「ここまでは手が届かないんだな」ということが分かった。次はその上で、新しいステージで精いっぱい、より良く生きることを考えればいいんだと思います。
――この先、インターネットを日常的に使ってきた世代が高齢者になる、いわば「Web時代の高齢社会」がやってきます。老いていく中で「インターネットを当たり前に使えること」は、どんなメリット・デメリットがあると思いますか?
例えば、医療や福祉に関する情報に簡単にアクセスできること。身体が不自由になっても、家にいながら多くの人とコミュニケーションを取れること。インターネットネイティブの世代は高齢になってもそれを当たり前にできるはずなので、基本的には未来は明るいと思っています。
そうですね。ただ、その「インターネットを当たり前に使えること」のハードルが、どんどん高くなっていくような気がしませんか? 例えば、ネットで物事の真贋を見極めること、アプリやOSの更新についていき、新しく普及したアプリやメディアにも追随することは、現在の僕にとっても簡単ではありません。AIも、うまく使いこなせていないと自覚しています。
今後はあらゆるインフラやハードウェアにインターネットが組み込まれ、世の中はどんどん便利になるでしょう。でもその分、上手に使える人とそうでない人のギャップが大きくなる恐れもある。
僕自身も、さらに前頭葉の機能などが低下した20年後にインターネットを使いこなせているかどうか……。期待もありますが、おっかなさも感じてしまいます。
最近はインターネットどころか、チェーン店でご飯を食べることすら難しくなっています。高齢者が券売機のインターフェースについていけずに困っていたり、コンビニのコーヒーを買うことさえ躊躇(ちゅうちょ)してしまうなんて話はよく聞きますし。
僕らもさらに年を取れば新しいものについていくのは難しくなってくるだろうけど、そうするとお店でご飯を食べるみたいな「普通のこと」ができなくなってしまうかもしれない。そこは何とか頑張ってついていくしかないのかなと思います。
同感です。特に、われわれのように20代からインターネットをやっていて、もはや人生の一部になっている世代にとって、ネットから完全に切り離されることは社会的な死と同等ですから。そうならないための努力が必要なのかなと思いますね。
そう、当たり前を享受するためには努力し続けないといけない。ただ、やはり無理をしないことも大事ですよね。
先ほど実生活における「ステージ」の話をしましたが、インターネットの世界でも20代や30代の頃とはステージが変わってきている。若い頃のように全てを見ようとはせず、できる範囲でついていきながら、新しい景色を楽しめばいいのかなと思いますよ。
取材・構成:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
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