あなたはご両親と「終末期に延命治療をするか、しないか」といったデリケートな問題や、お葬式の方法、遺品整理などについて語り合った経験はありますか。「自分の親と死について話すなんて気まずくてできない」。そんな人が多いのではないでしょうか。
いつかは必ずやってくる、親の死。しかし、死にまつわる話題は家庭内ではタブー視される傾向があり、先送りにしてしまいがちです。
今回お話を伺ったのは、タレントの田村淳さん。淳さんは2020年にお母さんをがんで亡くしました。お母さんは「延命治療はしない」と自身の意志を家族に伝え続けていたそうです。淳さんたちも、お母さんの思いを尊重し、お葬式も故人が望む形式で実施したといいます。それは、生前から家族間で死について話すことを恐れなかったから成しえたお見送りでした。
生前のお母さんからのメッセージを、どのように受け取っていたのか。淳さんに、“親の終活との向き合い方”をテーマにお話を伺いました。
※取材はオンラインで実施しました
──淳さんは2020年、当時72歳だったお母さんをがんで亡くされました。お母さんは亡くなる5年前にがんを告白されたそうですが、それを聞いて、どう思いましたか。
田村淳さん(以下、田村)
ショックではありましたけれど、悲しいというよりも、「どのような対処法があるのかを早く知りたい」という気持ちでした。僕たち家族がどうすれば母ちゃんを支えてあげられるのか、母ちゃんのつらい思いをやわらげられるのか、それを知りたかった。
あと、父ちゃんの顔が頭に浮かびましたね。父ちゃんも母ちゃんと同じぐらい高齢なので、「今どんな気持ちでいるんだろう。苦しんでいるんじゃないか」と。それが一番心配でした。
──お母さんは、淳さんが20歳になったときから「病気になっても延命治療はしない」と宣言していたそうですね。20歳の当時、淳さんはお母さんの言葉をどのように受け止めましたか。
田村
正直に言って、ピンときていなかったです。延命治療とはどういうものなのか、よく分からなかった。それよりも「いやいや、僕の誕生日なんだから、もっとちゃんと祝ってよ」と不満に思っていました。
ただそれ以降、僕が誕生日を迎えるたびに母ちゃんは必ず「私は延命治療をしたくない。それだけは頭に入れておいて」と言うんです。「お誕生日おめでとう。それはそうと、忘れてない? 私、延命治療をしてほしくないからね」って。「おめでとう」と「延命治療しないで」が毎年セットになっていった。僕だけではなく、弟の誕生日にも同じことを言っていました。それで、だんだん「これはかなり重い決意なんじゃないか」と感じるようになってきたんです。
さらに僕が歳を重ねて、社会問題に興味が湧いてきたとき、「母ちゃんが言っていた延命治療とは、これだったのか」と気がつく機会が多くなりました。体に管を挿されて、延命治療をスタートすると、本人の許可なく装置をはずすことはできない。それを知ったとき、「母ちゃんはすげえ大事なメッセージを僕たち家族に伝えてくれていたんだな」と改めて思いました。
──なぜお母さんは、わざわざ淳さんご兄弟の誕生日を選んで延命治療の拒否を伝えていたのでしょう。
田村
「延命治療したくない」という言葉を僕たちの心に刻み込みたかったのだと思います。誕生日の記憶って忘れませんしね。
──実のお母さんと「親の死」について話をすることに、抵抗感はありませんでしたか。
田村
なかったです。僕たち田村家では、昔から死に関する話題はオープンでした。母ちゃんが看護師をやっていたので、幼い頃から死についての話題が日常だったんです。「死んだ後どうする」「どう死にたい」といった話題をメシを食いながらでも語れる家族関係だったので、「延命治療はしない」という母ちゃんの希望も飲み込みやすい状況ではあったと思います。
──「延命のための手術はしない」というお母さんに対して、淳さんをはじめ残されるご家族は「長く生きてほしい」という葛藤があったのではないでしょうか。
田村
葛藤はなかったです。「延命治療はしない」、それが母ちゃんの尊厳だから。母ちゃんが長い年月をかけて僕たちにメッセージを伝え続けていたから、すっと胸に落ちるように納得できました。母ちゃんがそうしたいのだから、僕たちが彼女の人生の決定権についてとやかく言うのだなんてナンセンスですしね。
そして、僕たち家族には課題ができたと思いました。母ちゃんの意識がなくなっている状況でも、延命治療をしないという思いを尊重して遂行してあげられるか、それが残された僕たちの課題でしたね。
──お母さんはお別れをするとき、なんとおっしゃっていましたか。
田村
僕と母ちゃんの別れは2度ありました。1度目は72歳の誕生日です。全身にがんが転移して入院していた母ちゃんが「誕生日はどうしても自分の家で過ごしたい」と願い、僕も母ちゃんに会うために山口県の実家に帰りました。
母ちゃんは「今はまだ意識があるけれど、最後の痛み止めのモルヒネを打てば、もう意識がなくなって喋れなくなる。淳がこの家の玄関を出たら、それが母ちゃんと淳とのお別れだからね」と言っていました。これが母ちゃんからもらった最後の言葉です。僕はたまらなくなって、母ちゃんを抱きしめました。
2度目の別れは、危篤の報せを受けて東京から電話をかけたときです。声をかけましたが、母ちゃんはもう喋れる状態ではなかった。僕の声だけを電話越しに届けるという状況でした。
その後、付き添っていた父ちゃんがシャワーを浴びるために、ほんの少しベッドから離れた瞬間に息を引き取ったようです。母ちゃんなりに「悲しいお別れはいやだ。父ちゃんがシャワーへ行っている間にあの世へ逝こう」という気持ちがあったのかもしれません。もう確認しようがないですけれど……。
──延命治療をしないと決めたお母さんが亡くなられたとき、冷静でいられましたか。
田村
いや、もちろん悲しかったですよ。母ちゃんががんで死ぬなんて、簡単に受け入れられるわけがない。覚悟はしていたし、頭では分かっていたつもりですが、感情がついてこなかったです。
ですから、落ち着くまでに時間がかかりました。母ちゃんの死を、徐々に徐々に受け入れたという感じです。
──お母さんは意識があるうちに、自分のお葬式の準備をしておられたそうですね。
田村
そうなんです。「父ちゃんや子どもたちに負担をかけたくない」と、自分でできる作業は全部やっていました。お弁当の注文、お坊さん選び、葬儀会社の発注……。コロナ禍だったので「12人しか呼んじゃダメ」ということまで決めていました。
「お別れをするとき、どうすれば残された田村家の男3人が悲しまずに済むか。未来へと進むことができるのか」という視点で、そうしていたのだと思います。
──淳さんは、遺書を動画にして大切な人へ想いを届けるサービス「ITAKOTO(イタコト)」をプロデュースされています。遺書動画サービス起ち上げのきっかけはなんだったのでしょう。
田村
父ちゃんが母ちゃんの生前の姿を撮影した動画がきっかけです。母ちゃんがフラフープを回して、それを父ちゃんが会話しながら背中越しに撮っている、本当にそれだけの他愛もない動画が送られてきましてね。実家の陽に焼けた畳とか、「空気の入れ替えをしたいから」って、母ちゃんがいつもちょっとだけ開けていた押入れの障子とか、そのまま動画に残っていたんです。
面と向かってメッセージを告げるような動画ではありません。けれども、母ちゃんが亡くなった後に観ると、いろんな思いが湧いてくるんです。動画には父ちゃんの声も入っていて、動画を観た夜は気持ちが揺さぶられて、必ず父ちゃんに「元気?」「体は大丈夫?」と電話します。母ちゃんは亡くなる前に「残された父ちゃんのことが気がかりだ」と言っていたので、もしかしたら、母ちゃんが「父ちゃんを思い出させる」という効果まで見込んで撮らせた動画なのかもしれません。
かしこまった、よそ行きの言葉じゃない。僕がずっと接していた母ちゃんと父ちゃんの会話がそのまま残っている。「ここに大きな意味があるんじゃないか」と感じたんです。遺言に動画を添えることで、故人の思いがより強く正確に伝わるのではないか。そう考えて、信州大学の方と一緒に遺書動画の研究を始めました。
──遺書動画はどういった用途に使えるのでしょうか。
田村
財産分与の形だけを綴られた遺言だと、とても冷たく感じる場合もありますよね。そこで動画も添える。例えば故人から「なぜ私が長女に◯◯%の財産を渡したいか。理由は、生前にこういうふうなことをしてくれたので感謝の気持ちを示したかったからです」と説明があれば、遺族があとから揉めるケースは少なくなるでしょう。
何より、孫にとっては大好きなおばあちゃん、おじいちゃんがずっと動画のなかで見守ってくれていて、いつでも手を合わせることができる。動画をきっかけに生まれるコミュニケーションを通して、家族を大切にする気持ちが子孫へと伝わってゆくと思うんです。
──高齢の親がいる家庭には「実の親の終活を見据えた会話をどのように進めればよいのか」という悩みがつきものです。「親と何を話していいのか、分からない」「親がまだ元気なのに終活の話題は失礼ではないか」と困っている方も多いと聞きます。楽に話を始めるきっかけのつくり方はありますか。
田村
「こうやったら楽に話せる」なんて方法は存在しません。親と死について話せる特効薬みたいなものがあるわけじゃない。そんな簡単なことではないんです。自分から「話そう」と呼びかけるしかありません。
もちろん、親とお別れする話なので、したくない気持ちは分かります。そういう場合は「どんな死に方をしたいか」ではなく、「この先どう生きたいか」という質問から入った方がいいでしょうね。そうすると親も話をしやすくなります。
とにかく、まずは時間をつくって親と話しましょう。日本は死を忌み嫌って、死ぬときどうするのかという問題を先送りにしてしまう悪い癖があると思います。でも、親が認知症になってからでは遅いんです。親の意識がしっかりしていて、話し合えるうちにしておかないと。
──忙しくて時間がつくれない場合は、どうすればいいでしょう。
田村
「忙しい」を言い訳にした経験がないので、分からないですね。僕は家族との連絡がものすごく大切だと思っているし、「時間はつくるものだ」と考えて生きているので。
親と話し合う時間は、つくれるんです。実際に会うことができなくても、今の時代、テクノロジーを使えばいくらでもコミュニケーションを補うことができます。例えば田村家はLINEのグループ機能を使っています。家族それぞれが空いた時間に自分の思いを投げかけたり、「こんなことがあったよ」って画像をアップしたりしています。
「家族アルバム みてね」というSNSもよく利用します。これは子どもの画像や動画を、共有したり整理したりできるアプリですね。父ちゃんとの会話が生まれるきっかけになっています。
結局、親に対して、どんな思いがあるかってことだと思いますよ。自分の親なのに優先順位が低い人は時間があっても電話をしないし、ツールも使わないでしょう。人それぞれだから好きにすればいい。けれども、あとあとたいへんですよ。
──耳が痛いですが、おっしゃる通りです。では、終活を見据えて親と話しておくべき話題はなんでしょうか。
田村
残された側が頭を痛めるのが「遺品をどうしたらいいか」という悩みです。本人から「捨てていいよ」という言葉をもらっておかないと、揉める原因になります。捨てるにしても、「捨てていいよ」という言葉を得ていないと、捨てる際に罪悪感を覚えるようになる。ちゃんと親と話をしておけば、そんなマイナスな感情を抱かなくてすみます。
うちは母ちゃんが自分で遺品を整理したんです。家族に負担をかけたくなかったのでしょう。それこそ、パンツ1枚たりとも残さず捨てていた。そして、何も残さないことを事前に家族に伝えていました。だから僕たちは母ちゃんの遺品整理をやっていないんです。残された者は楽ですよね。そんなところからも母ちゃんの愛を強く感じました。
──お互いのために、話しておきたいことですね。
田村
ただ、実は母ちゃんが一つだけ残したものがありました。それは体に入っていたボルトです。母ちゃんが骨折したとき、脚にボルトを入れていたんです。火葬場でお骨からボルトが出てきて、そのときは「母ちゃんの体の中にあったものだから欲しい」と頼み、もらって帰りました。けれども家に帰ってから冷静になり、何も残そうとしなかった母ちゃんの思いに反するような気がして、捨てました。冷たいようだけれど、母ちゃんもきっとそれでいいよと言うでしょう。
こんなふうに安らかに故人をしのぶことができるのは、生前にたくさん話をしていたからです。意識がしっかりしているうちにどれだけ親から情報を仕入れられているか。それによって、思いを寄せるレベルが変わってきます。親の意識がなくなってからでは気持ちに寄り添えないですから。
取材・構成:吉村智樹
編集:はてな編集部
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