死ぬまで、音楽を追求し続ける――50代を迎えたSUGIZOさんが今思うこと

2019年に結成30周年を迎えたLUNA SEA、そしてX JAPANのギタリスト&ヴァイオリニストとして、さらにはソロミュージシャンとしても世界的な活躍を続けるSUGIZOさん。音楽活動のみならず、難民支援や被災地でのボランティアといった社会貢献活動にも、長きにわたって積極的に取り組んでいます。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けてイベントの中止や延期が相次ぎ、外出自粛の日々が続いた今年3月から5月にかけて、LUNA SEAとしては「ファンに勇気を送りたい」と急遽リモート制作の新曲『Make a vow』を発表、オンライン・チャリティーフェス『MUSIC AID FEST. ~FOR POST PANDEMIC~』を主催するなど、いち早く意欲的な動きを見せてきました。

50代を迎えたSUGIZOさんの、その信念の背後にあるものを探るインタビュー。ミュージシャンとしての社会貢献への意識や、人生に大きな影響を与えた出来事、自身の死生観まで、深く語っていただきました。(取材は2020年6月15日にオンラインで実施しました。本記事の内容は、取材時点の情報に基づいて構成しています)

SUGIZO

作曲家、ギタリスト、ヴァイオリニスト、音楽プロデューサー。
日本を代表するロックバンドLUNA SEA、X JAPANのメンバーとして世界規模で活動。
同時にソロアーティストとして独自のエレクトロニックミュージックを追求、更に映画・舞台のサウンドトラックを数多く手がける。
音楽と平行しながら平和活動、人権・難民支援活動、再生可能エネルギー・環境活動、被災地ボランティア活動を積極的に展開。アクティヴィストとして知られる。

公式サイト:SUGIZO OFFICIAL WEBSITE Twitter:@SUGIZOofficial

何もできない無力感を経て見えてきた、LUNA SEAが今すべきこと

――新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、ライブの開催が困難になるなど、バンドとしての活動に多大な影響があったかと思います。まず、SUGIZOさんは状況をどう受け止めていましたか。

SUGIZO

僕は昨年から、中国の北京で活動している「VOGUE5」という若いバンドをプロデュースしていていることもあって、他の人より早い段階から、武漢での新型コロナウイルスの状況を認識して危機感を持っていました。

LUNA SEAの全国ツアーが2月1日に始まったんですが、4本やったところで「これ以上は無理だ」となって、残りの公演が延期になりました。でも自分としては、無力感と共にちょっとした安心感もあったんです。会場でマスクの着用などはアナウンスしていましたが、不安を抱えながら来た何千人ものお客さんを会場に拘束してしまうことに対しては、罪悪感のようなものもあったので。

今回の件で個人的に壁にぶつかってしまったのが、震災や豪雨などの災害との違いです。過去のインタビューなどでも話していますが、僕は災害が起きたとき、いつもすぐにボランティアに行ってしまいます。被災地に対しては、お金の支援も必要ですが、肉体的な貢献なら誰だってできるんです。でも今回の新型コロナウイルスのような場合は、僕らには何もできないんですね。医療現場をその資格がない大多数の人が手伝うことなんてできない。そこに無力さを感じてただただ心が痛かったです。

――その後、LUNA SEAは4月に急遽リモート制作の新曲『Make a vow』を発表、5月にオンライン・チャリティーフェス『MUSIC AID FEST. ~FOR POST PANDEMIC~』を主催するなど、早い段階からとても意欲的な動きを見せていました。新しい状況においてバンドが何を発信すべきかということに、すぐにスイッチが切り替わった印象があります。そのあたりはどうでしたか?

SUGIZO

僕は比較的スイッチの切り替えが早いタイプだと思います。状況が極端に変化したときに、どうすればそこに対応できるか、何をするのがベストなのかをすぐに考えます。

まずLUNA SEAとしては、この状況で僕らの一番身近なファンの人に向けて、今の自分たちの思い「僕らは離れ離れだけど心はつながっている」ということを伝えたかった。勇気を送りたかった。それで急遽リモートで新曲を作ることにしたんです。ステイホーム状態でメンバーの自撮り動画をリミックスしたMVも制作しました。同じような苦境をお互いに味わっているけれど、いつかそれは終わりがくる。それを伝えたかった。そこでまずはファンクラブ限定で発表して、その後にサブスクなどで配信しました。

そこでこだわったのは「無料」で提供するということでした。僕らも今年の仕事がほとんど無くなってしまって経済的には大打撃ですが、苦しいのはファンの人たちも一緒。だから、まずは無料で受け取ってもらおうという決断をした。それは自分たちのポリシーとしてはよかったと思います。


<楽曲もMVもリモートで制作された新曲『Make a vow』>

――オンラインチャリティーフェス『MUSIC AID FEST.』の開催についてはどうでしょうか。

SUGIZO

次の段階として、自分たちの活動でお金を生んで、それを医療従事者やフロントラインワーカーの方々に還元することを考えました。そこで生まれたのが『MUSIC AID FEST.』です。これはレディー・ガガが呼びかけた『One World: Together At Home』に刺激を受けたのも大きいですね。あれはとても素晴らしかったし、自分たちもそのような動きを呼びかけるべきだと思いました。

緊急事態宣言が出て、最も厳しく「ステイホーム」と言われていた自粛期間に、さまざまなミュージシャンに声をかけて、自宅やプライベートスタジオなどで収録した作品を送っていただけないかお願いしました。そうしたら、多くのミュージシャンが喜んで参加してくれた。「何かしたかったけれど、どうしたらいいか分からなかった。だからこういうきっかけをもらって嬉しかった」という声をたくさんもらいました。パンデミックの苦境にミュージシャンとして貢献したい気持ちを持っている人が多かった。それを実感して、安心感を覚えました。

――『MUSIC AID FEST.』には大黒摩季さん、ELLEGARDEN、GLIM SPANKY、THE ORAL CIGARETTESなど幅広い面々が参加しました。この背景には、ここ数年にわたってLUNA SEAがさまざまなミュージシャンとの関係性を深めてきたことがあるのではないかと思います。

SUGIZO

まったく同感です。LUNA SEAは2015年と2018年に『LUNATIC FEST.』という音楽フェスを主催してきました。2015年の初開催のときに「僕らはジャンルや世代を超えたハブになれるんだ」と感じたんです。30年バンドを続けている僕らには、20歳上の素晴らしい先輩もいるし、20歳下の最高に格好いい後輩もいる。僕たちにとって、そんなふうにさまざまな音楽性を持った人たちとつながれることは、とても大切です。

少数の圧倒的な力や知名度を誇るミュージシャンが君臨するのではなく、誰かがハブとなって、一人一人が強い意識や責任感を持ち、それが並列につながるようなコミュニティーができたら素晴らしいと思う。スマートグリッド的な。今回の『MUSIC AID FEST.』では「コロナ禍で疲弊する社会に貢献する」という思いで、たくさんのミュージシャン同士がつながることができました。

海外の音楽シーンでは、80年代の「LIVE AID」のように、ミュージシャン同士が自分たちの損得をかえりみずチャリティーのために一つになるというイベントがたびたび開催されています。でも、日本の音楽シーンにはそういう社会性は比較的少なかった。僕としては、日本のミュージシャンの中でも、世の中をいい方向に導く意識がもっと当たり前になるべきだと思います。

――とても大事な価値観だと思います。

SUGIZO

本来これは、教育から変わっていくべき問題だとも思うんです。日本では多くの人が社会との関わりに自覚を持てず、社会に対しての責任感が欠如した状態で大人になっていく。でも、これからはそうあるべきでない。全ての人はたとえ政治に無関心でいられても無関係ではいられない。自分たちの意識で気付く人が増えていかなければいけない。僕ら一人一人が世の中に影響を及ぼすということを、もっと当たり前に認識していくべきだと思います。そのために日本の教育はもっと子供たちにその意識を伝えていくべきだと思います。

年齢を経て、社会への思いが音楽にもシンクロするようになった

――SUGIZOさんの中で、世の中のことに目を向けていかなければという意識が芽生えたのはいつ頃でしたか。

SUGIZO

僕が父親になってからですね。父親になったのが1996年で、大きく意識が変わったのが1998年、20代後半の頃です。きっかけは娘と同年代の海外の子供たちが難民になったり、貧困で苦しんでいたり、空爆で命を落としたりしているのを知ったこと。世の中の動きを知って、それを見て見ぬ振りはできなくなった。難民の人たち、貧困、紛争の被害に遭っている人たちに、どうすれば手を差し伸べることができるのかと、そして子供たちが大人になったときにもっとこの世界が美しいものであってほしいと、考え始めました。

――そういった社会に貢献していこうという発想や価値観が、今ではご自身の音楽活動と地続きになってきたと思います。

SUGIZO

自然にそうなりました。20代の後半から30代前半にかけては、社会への意識や、世の中に対しての自分の動きと、ミュージシャンとしての作品制作がシンクロしなかった。というより、しようとも思っていなかったんです。「それはそれ、これはこれ」と思っていた。でも、いつしか自分の表現とそういった意識が、当たり前のように結びついていきました。

最初に5人が出会った頃の感覚を、30年たった今も感じている

――また、現在のLUNA SEAのメンバー同士の関係性は、90年代の頃とは違うものになっていると思います。5人それぞれの考え方や価値観を持ったバンドでありつつ、意思疎通が速くスムーズだと思うんですね。このあたりの変化についてはどう捉えていますか。

SUGIZO

20代の頃はみんな表現欲の塊だし、自己顕示欲が強いし、自己主張も強かった。当然のようにぶつかり合いました。お互いがライバルでもあり、競争心が激しい5人兄弟みたいな感じでした。そこからお互いへの敵対意識が強くなり、不信感がピークに達して、2000年に一度分裂したんです。でも本能的に解散をしなかった。この不協和音が一時的なものだというのは、みんな心のどこかで分かっていたのかもしれません。限りなく解散に近い無期限の休止ということで「終幕」としたんです。

そこから時を経て、2007年に一夜限りの復活ライブをしたとき、久々に演奏した5人の音がものすごく強烈だった。あらためて素晴らしいバンド、奇跡のバンドだと痛感しました。こんな凄まじい音を出せるバンドをたかだか自己顕示欲のぶつかり合いで葬ってしまうのは、音楽そのものに対しての罪だと感じました。これは継続させなければいけないと思って、2010年にLUNA SEAを復活させました。

それ以降ももちろん競争心や自己顕示欲がないとはいいませんが、少なくとも今は、それらが自分たちにとって最も重要なものではありません。自分たちの出す音が唯一無二だという気持ちを持っていて、そのバンドマジックを表現していくための最高のパートナーだという意識です。

――歳を経て感覚が変わったということですね。

SUGIZO

でも、これは30年前、最初に5人が出会ったときに感じたものでもあるんです。「これ以上ないメンバーが集まった、これは奇跡だ」と思った。それを今でも全く同じように感じています。

昨年、スティーヴ・リリーホワイトという、U2やザ・ローリング・ストーンズなどを手掛ける素晴らしいプロデューサーを迎えて『CROSS』というアルバムを作ったんですが、彼が言った言葉が素晴らしくて。「バンドというのは夫婦みたいなものなんだ」と。出会った頃は恋に落ちて、何をやっても熱いし素敵だけれど、だんだん愛情が薄れていって、お互いのありがたみが分からなくなっていく。それで心が離れていく。

でも、バンドとして大切なのは「この5人が恋に落ちた瞬間を覚えていることだ」と。その感覚を常に持っていなさいと言われて、目から鱗が落ちたような気持ちになった。今はスティーヴのその言葉を大切にしています。

 


<アルバム『CROSS』収録の楽曲『THE BEYOND』>

――2009年には、ギタリストとしてX JAPANに正式に加入されました。こちらも大きな経験になっていると思いますが、加入から10年がたつ今、ご自身にとってどんな存在でしょう。

SUGIZO

LUNA SEAもX JAPANも、僕にとってはそれぞれが大事な家族のような存在です。LUNA SEAは5人が5人とも強烈な個性を持った独立した表現者であって、そのぶつかり合いの化学反応で生まれるバンド形態ですが、X JAPANはYOSHIKIさんという決定権を持つ人がいて、彼の表現を具現化するために他のメンバーがいるような構造です。バンドとしてのあり方は、全然違います。

――90年代、競争の激しい時代を共に戦ってきたミュージシャン仲間に対しては、今どんな思いを持っていますか。

SUGIZO

僕にとってはGLAYやMr.Childrenのメンバーがまさにそうですが、お互い、ここまでよくやってきたね、とねぎらい合う感覚がありますね。当時一緒のシーンでやっていたミュージシャンで、25年後の今もこうして続けられているのは、本当に一握りです。同時代を駆け抜けてきた戦友であり、リスペクトし合えている仲です。ここまで走ってきた人は、元気である限りこれからも走り続ける。その意味でも、仲間と会ったときに話すのは、健康のことが多くなってきていますね(笑)。

多くの大切な仲間を亡くして変化した死生観

――SUGIZOさんの人生を振り返って、ご自身の中での価値観や考え方が変わった大きな「転機」としては、どういったものがありましたか。

SUGIZO

30代前半に経済的な大きな失敗があって、全てを手放さなければいけない状況になりました。そのときにプライド、物事への執着、物欲や所有欲などを、血だらけになりながら強引にはがされた感じだったんです。でも今思えば、30代でその経験ができたことは今の自分にとってはプラスになっていると思っています。というのも、今の僕にはもう物欲や名誉欲がほとんどない。そういう「自分が持っているものを失いたくない」という気持ちは、やがて恐怖心につながって、さらには闘争心や苦痛につながるものだと思います。

そういう執着がなくなってきたことで、たとえ明日に全てを失ったとしても、また新しい人生が始められる。そう思うようになりました。そして、そう思うようになった背景にはもう一つ大きな理由があるんです。

――どんな理由ですか?

SUGIZO

僕は昨年50代を迎えたところですが、この歳で親しい仲間や知人をもう50人以上亡くしています。多くの音楽仲間もそうだし、7年前には僕の一人だけいた地元の親友も死んでしまった。僕の人生で、仕事や名声関係なく素の自分でいられる親友はそいつだけだった。ALSという難病に侵され、最後は動けなくなって、人工呼吸になって、そこから数カ月で命を全うした。

でも、亡くなったという連絡をご家族からいただいたときに、実はあまり悲しくなかったんです。そいつがだんだんとこの世からフェードアウトしていくように感じていたので、心の準備ができていたんだと思う。それほどショックがなかった。ただ、人生の中で唯一の親友がいなくなったことで、今はそいつと一緒に、自分も半分棺桶に足を突っ込んでいる感じがするんですね。だから、この世に未練がなくなったようなところはあります。

――大切な人を失った体験があるからこそ、執着から解き放たれる感覚があるということでしょうか。

SUGIZO

そうかもしれません。今となっては全てがポジティブです。経済的に破綻した経験もあったし、親友も含めて何十人もの仲間が亡くなった。不謹慎な表現かもしれませんが、僕が近い将来に向こう側に行ったときに、仲間が待ってくれていると思うと、むしろ楽しみなんです。

僕の祖母は、2014年に老衰で亡くなったんです。102歳でした。僕はとてもお婆ちゃん子だったので、小さな頃から本当に祖母が大好きでした。最後の5年間は認知症もひどくなって、ずっと介護施設で暮らしていました。最後の3年くらいは言葉も話さなくなって、ほぼ赤ちゃんのようだった。最後まで元気だったんですけど、少し体調を崩した日に、夜に寝てそのまま亡くなった。

僕はツアー中で最期に会うことはできなかったんですが、祖母は何年もかけて祖母ではなくなっていったのだと思っています。それはそれでとても清いことで。自然に向こう側に行って、人生を全うしたんですね。祖母は東京大空襲を経験していて、祖父は戦死しています。だから2年くらいしか結婚生活がなく、その間に僕の父が生まれた。祖母は祖父の死後も70年近くずっと、恋愛も再婚もせずに独身で暮らしてきた。

だから、やっと向こう側で祖父に再会できたと思うと、涙が出るくらい嬉しいことで。そういうことを考えると、死んでいくことって、実は素敵だとも思うんです。

――そういった死生観と、ミュージシャンとして社会に貢献するというSUGIZOさんの意識は結びついているのでしょうか。

SUGIZO

どうでしょうね。今はたまたまこの世にいるだけなので、こちら側にいる間は全力を尽くす。そうすると、いつか向こう側に行ったときに「まあ、よく頑張った」と思えるでしょう。そう思って生きています。

バンドとして、ソロとして、死ぬまで音楽を追求し続ける

――最後に、SUGIZOさんが今後取り組んでみたいこと、挑戦してみたいことはありますか。

SUGIZO

これからのポストパンデミック社会は、もう以前の在り方には戻れないでしょう。新しい価値観の中でどう生きるか、どういういう表現をしていくかを考える。実践する。それは僕だけじゃなく、全ての人がそうだと思います。僕自身もこの状況の中で音楽家としてのベストを尽くしたいし、表現することと、社会をよい方向に進めていくことを最高の形で両立したいと思います。

あとは、ロックバンドとしてLUNA SEAを極限まで高めていきたいですね。30年たってもまだまだやることはあるし、もっと作りたいものもあるので。

そして個人としても、より音楽家として自分を高めていきたいです。LUNA SEAは僕にとってバンドという形態で表現できる最高の場です。でもロックバンドという形態での表現欲求は、実は自分の音楽家としての20~30%でしかない。それ以外は電子音楽やアンビエント(環境音楽)、ダンスミュージックやジャズ的なインプロビゼーション(即興演奏)中心のもの、そしてオーケストラ音楽だったりする。むしろロックバンドの枠組みから逸脱したものの方が多いんです。

音楽を長年やっていると、自分が本当に表現したいものを形にしていかないと呼吸困難になってしまう。ソロはそういう表現者としての本能に従う場所、最も純粋な表現者でいられる場所ですね。最も自由でパーソナルな場所だと思っています。

映画音楽やアニメ、ゲーム音楽のサウンドトラック作家として成功したいという、昔からの夢もあります。それは残念ながらまだ実現できていません。自分の音楽で追求したいことがまだまだある。それは死ぬまで終わらないと思います。生きているうちにベストを尽くす。それだけですね。

 取材・構成:柴那典
編集:はてな編集部

<information>

2020年7月8日(水) 配信リリース


 DO-FUNK DANCE [from LIVE IN TOKYO] 

 


 VOICE feat. 清春 [from LIVE IN TOKYO]


 巡り逢えるなら feat. TERU & TAKURO [from LIVE IN TOKYO]


 絶彩 feat. 京 [from LIVE IN TOKYO]

============================

ライヴアルバム「LIVE IN TOKYO」
【豪華盤】
2020年9月16日(水) リリース
価格:¥8,470 (tax in)
・CD2枚組 (聖誕祭 2Daysセットリスト全20曲)
・Blu-ray (聖誕祭 2Daysから選曲したライヴ映像作品)
・特製ブックレット (聖誕祭写真集+ロングインタビュー)
※SUGIZOオフィシャルファンクラブSOUL’S MATE先行販売 (9/15より順次発送予定)
※HMV&Loppi限定販売 (9/30発売)
販売元:SEPHIROT&DCP

【通常盤】
2020年9月30日(水) リリース
価格:¥3,850 (tax in)
CD2枚組 (聖誕祭 2Daysセットリスト全20曲)
販売元:SEPHIROT&DCP

DISC1
(Day1 2019.7.7.)
1. THE LAST IRA (SE)
2. IRA
3. MESSIAH
4. Lux Aeterna
5. Proxima Centauri
6. 絶彩 feat. 京
7. ENOLA GAY RELOADED
8. TELL ME WHY?
9. DO-FUNK DANCE
10. Synchronicity

DISC2
(Day2 2019.7.8.)
1. CONSCIENTIA ERA (SE)
2. 禊
3. TELL ME WHY NOT PSYCHEDELIA?
4. NEO COSMOSCAPE
5. FATIMA
6. 巡り逢えるなら feat. TERU & TAKURO
7. Decaying
8. DO-FUNK DANCE
9. VOICE feat. 清春
10. The Voyage Home

▼「LIVE IN TOKYO」特設サイト

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniをフォロー ⁄ いいね!して
最新情報を受け取る

“ほっと” な話題

最新情報を受け取る

介護が不安な、あなたのたよりに

tayorini
フォロー ⁄ いいね!する

週間ランキング

ページトップへ