40歳からの“すべりこみ母親孝行”で「介護も楽しめる気がしてきた」 漫画家・中川学インタビュー

「親の介護には暗いイメージしかなかったけれど、親孝行をするようになってからはけっこう楽しめるようになったというか、前向きに捉えられるようになりましたね」

こう話すのは、遠くで一人暮らしする70歳の母に親孝行する日々を描いたエッセイ漫画『すべりこみ母親孝行』(平凡社)を上梓した漫画家の中川学さん(43歳)です。

介護や老後について親と向き合うきっかけが作れず、漠然とした不安を感じる30~50代は少なくないはず。親がまだ元気なうちに孝行することで、中川さんと母親の関係にどんな変化が生まれたのか、心情の移り変わりや実際の体験談をうかがってきました。
 

今回のtayoriniなる人
中川学(なかがわ・まなぶ)
中川学(なかがわ・まなぶ) 漫画家。1976年北海道生まれ。大学卒業後、小中学校の臨時教師やさまざまなアルバイトを経験。2011年、漫画家志望の若者に格安で住居を提供するトキワ荘プロジェクトに応募して上京する。デビュー作『僕にはまだ友だちがいない』(KADOKAWAメディアファクトリー)がNHK「青山ワンセグ開発」で実写ドラマ化(主演:浜野謙太)。2015年に自身のくも膜下出血体験を描いたエッセイ漫画『くも漫。』(リイド社)が各方面で話題を呼び、2017年に実写映画化される(主演:脳みそ夫)。自身の失踪体験を描いた近著『探さないでください』(平凡社)発売中。

母がまだ動けるうちに、親不孝なイメージを更新したい

――東京で漫画家として生活している中川さんですが、2016年に40歳になったタイミングで、北海道で暮らすお母さんに“すべりこみ母親孝行”を始めます。どういう経緯だったのでしょう。

中川

2012年に父が64歳で亡くなったのですが、全然親孝行できなかったことに気づいたんです。すごくお酒が好きだったのできっと僕や弟とも酌み交わしたかったでしょうけど、幼い頃に目にしていた酒乱のイメージのせいで僕らは避けていたんですよね。でも、いざ亡くしてから後悔して、母にはしっかり親孝行したいと思うようになりました。

――なるほど。思い立って、すぐに行動されたのですか?

中川

いえ、結局は仕事が忙しくて、4年間何もできませんでした。母が70歳になったとき、よく考えたら母が肉体的に動き回れるギリギリの年齢で、一緒に旅行できるのもこの時期しかないな、と。あと両親も40歳の頃に自分の親と旅行するなど、ちゃんと親孝行する姿を見ていたので、そろそろ自分も始めなくてはと駆り立てられました。

あとは個人的に、親にはすごく迷惑をかけてきた人生だったので……。教職時代に突然失踪したり、半ニート時代に風俗店でくも膜下出血になって入院したり。親孝行でその黒歴史を一気に更新して、いい息子だったと思いながらあの世に行ってもらおうと、いろいろな想いが重なったんです。

――エピソードが壮絶すぎますが、親不孝を精算したくなる気持ちはわかります。まずどんなことから始めたのですか?

中川

自分がやれそうな親孝行をできる限り書き出して、分類してみました。料理や掃除は「家の手伝い系」、結婚や子どもの顔を見せるのは「家族増やす系」、帰省や旅行は「思い出づくり系」といったように。そこから今の収入や生活環境からすぐ実行できるもの、時間がかかるものを考えて、優先順位をつけていきました。

――お互いの環境次第で、できる親孝行もガラリと変わってきますよね。

中川

そこからまず基本は親に顔を見せることだと思って、帰省の回数を年に1回から2回へ増やしました。いつもは家に帰ってもゴロゴロするくらいでしたが、年末年始は雪かきしてあげようだとか、家事も積極的に手伝うようにしましたね。

親孝行を通して“知らない母”に出会う

――書籍では家事の手伝いから、東京観光、小旅行、婚活まで、中川さんはさまざまな親孝行をされています。中でも印象に残っているのはどれですか?

中川

釧路に車で旅行したのはよかったですね。母は若い頃に働いていて、僕は大学に通ってと、互いに青春時代を過ごした土地だったんですけれど、回っていくうちに母の口から意外なエピソードが自然とこぼれ出てきました。「さえない青春だった」と泣き出したり、仕事で充実した日々を思い出したり。知らない親の一面、歩んできた人生を知ることができたのは有意義でした。母にも「旅行しなかったらこんなこと思い出さなかったわ、ありがとう」とお礼を言われて、これはうまくいったなと。

――親の半生を知る旅はいいですね。

中川

あとは料理を習ってみるのも成功でした。よく昔の慣習で「嫁ぎ先の家の味を引き継ぐ」なんて話がありますが、うちの場合は母の味を受け継ぐ役が現れそうになかったので、独身の息子である僕がやるしかないと臨んでみたんです。十勝のソウルフードの豚丼みたいに、家庭によって味付けの違うレシピとか。

――息子から料理の教えを乞われるなんて、お母さんにかなり喜ばれたのでは?

中川

こっちとしても「教わってやろうか」ぐらいに上から構えていたのですが、母の反応は「面倒くさいわ」「そんなのいいよ」みたいな感じでかなり薄くて(笑) でも、作っているうちにテンションが上がっていって、最後はとてもうれしそうでしたね。料理って無理に話題を探さなくてもずっとコミュニケーションが取れるので、いい共同作業になります。

あと以前は「息子も自分の料理なんて食べたがらないだろう」と遠慮していたのでしょうが、最近は実家で焼いたパンを冷凍で送ってくれるようになりました。もともと自炊はする方だったので、今は電話でも料理について盛り上がりますね。

――共通の話題も増えるわけですね。いいことづくめだと思ったのですが、逆に親孝行で苦労したことはありますか?

中川

親孝行の始まりが帰省だとすると、最大の到達点は孫の顔を見せることになるといいますか、どうやってもそこに行き着いてしまいます。ですので、恋愛工学【※1】を体験してみたり、出会いを増やそうと絵画教室に通ってみたり、婚活的なことをやってみたけど全然うまくいかない。いま振り返れば、お見合いからやるべきだったんでしょうけど(笑)。

――親孝行には、やはり婚活が大きなテーマになるのですね……。(※聞き手も独身)

中川

親孝行は全体的に、お金がかかります。母の日や誕生日にプレゼントをあげたり、特に旅行は毎年恒例になったりしてくると大変です。僕もまだまだ稼げていないので、これからどうしようかなと考えますよね。

【※1】科学や金融工学の知見をベースにした男性向け恋愛マニュアル。作家・投資家の藤沢数希さんが有料メルマガや著書「ぼくは愛を証明しようと思う」(幻冬舎)などを通じて世間に広めた。

弱さやスキを見せてくれる友達のような関係に

――親孝行を通して、2人の関係性に何か変化はありましたか?

中川

母は「体、大丈夫?」と一方的に心配してくるような、過干渉気味なところがありました。育てる側、育てられる側という扶養関係の色が濃く、接するときも緊張しましたね。でも、親孝行していくうちにそうした壁がなくなって、友達同士のような対等のコミュニケーションができるようになっていったんです。

――原因は何だったのでしょう。

中川

母が自分の弱いところやスキを見せてくれるようになったのが大きいと思います。それまでは正しいことばかり言うしっかり者のイメージでしたが、今となっては自らの失敗談とか、人間はダメでも良いんだみたいな話をしてくれるようになりました。ツッコミ役からボケ役に変わった感じです。

それまで働き通しだったのが定年を迎えたことで、子どものために気を張るのではなく、自分を見つめ直すようになってきたのかもしれません。あと、僕がいろいろと主体的に提案するようになって、親としての肩書きから開放されたのもあるかも。とにかく、気楽に接することができるようになりましたね。

――中川さんの中で、親の介護や老後へのイメージは変わりましたか?

中川

そうですね。以前は「介護しなくちゃいけない」とか「このまま独身ならゆくゆくは老老介護だよな」とか、介護や老後には暗いイメージしか持てませんでした。NHKの介護特集に出てくるような、家の中でまず親が、次に息子が人知れず亡くなって、何日後かに誰かが遺体を発見する……みたいな。

でも、実際に親孝行してみたことで、親とコミュニケーションするのは意外と楽しいことに気づきました。これなら親の面倒を見るのもわりと楽しくんできるんじゃないかと、明るい気持ちになってきています。

よくよく考えたら、介護や老後のお世話って会話やコミュニケーションが主なのに、その発想が抜けていたんですよね。ひたすら自分が頑張らなくちゃいけないみたいな、一方的なものとして捉えてしまっていたというか。

――親と対等に接する楽しみを覚えたからこその変化ですね。エッセイの最後では、お母さんと老後について話し合う場面が記されていました。

中川

親孝行する前だったら、こういう話題は簡単に出せなかったでしょうね。できたとしても、堅苦しい雰囲気になっていたかもしれません。

実際に親に老後の話を切り出したときは多少なりとも覚悟を決めて臨みましたが、聞けないことはなかったですね。それなりにすんなりと話せて、向こうも率直に答えてくれました。これも、意識的にコミュニケーションを重ねてきたからだと思います。

親と介護や老後の話をするなら、まずは帰省して顔を見せるところから始めて、少しずつ親交を深めてみてはどうでしょうか。

会うのが嫌なら、生存報告だけでもいい

――中川さんは40歳で始めた親孝行を“すべりこみ”と称していたわけですが、20~30代から親孝行は始めておくべきでしょうか?

中川

その時期は何にもしなくていいと思うんですよね(笑)。むしろ親孝行なんて考えず、必死に自立のためにできることに取り組んで、足元を固めて行った方がいい。それって結果として親孝行に繋がるはずなので。

――心労や経済的負担を減らすことも親孝行、というわけですね。

中川

やはり、親世代の価値観といいますか、独身だったり仕事をしていなかったりしたら、親からいろいろ小言があるでしょう。実際、僕も東京に出てきてまだ10年弱ですし、実家にお世話になりながら職を転々としていた頃は、家の空気も悪かったですから。

――親子関係が不仲だったり毒親【※2】だったりする場合でも、子どもは徐々に親孝行を始めたほうが良いと思いますか?

中川

無理してやるのは良くないんじゃないでしょうか。親に会いづらい人は、母の日や誕生日に何か贈ってみる。これだけでも十分です。プレゼントすら嫌なら、何も贈らなくていいと思いますよ。たまには「生きています」という知らせくらいはした方がいいでしょうけど。

――取り返しがつかないほど関係が悪化しては、元も子もないと。

中川

僕はロスジェネ世代で就職氷河期第一世代ですが、就職でつまづいて失踪し、そのまま行方がわからない同級生が3人います。友人と親子の関係を一緒にはできませんが、元気かどうか知らせるだけでも親孝行になるのではないでしょうか。

――すべりこみ親孝行も4年目に入りました。中川さんが今後、お母さんにやっていきたいことはありますか?

中川

海外旅行は行きたいですね。母は韓流ドラマが好きなので韓国とか、あとは台湾とか。でも、孫を見せることはまだあきらめていないですからね(笑)。

【※2 】:育児放棄や過干渉、暴言・暴力などで、自分を優先して子どもを構わなかったりする「毒になる親」のこと。

編集:ノオト
撮影:二條七海
 

黒木貴啓
黒木貴啓

有限会社ノオト所属の編集者、ライター。1988年生、鹿児島出身。フリーランスで2年、ニュースサイト「ねとらぼ」編集部で4年半活動後、有限会社ノオト入社。「マンガナイト」でマンガのレビュー執筆やイベント企画も行っている。

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