母の死が人生を動かすエネルギーに―漫画家宮川サトシさんが母との死別を漫画にした理由

宮川サトシさんの漫画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は、2012年に母親を亡くした宮川さん自身の体験が描かれた実話です。2019年2月には、俳優の安田顕さんが主演する実写映画も公開されました。

最愛の人を失った悲しみはやがて“エネルギー”となり、新しい挑戦への扉を開いてくれたという宮川さんに、お話を伺いました。

今回のtayoriniなる人
宮川サトシさん
宮川サトシさん 漫画家。1978年、岐阜県生まれ。2013年『東京百鬼夜行』でデビュー。同年に母の死をテーマにしたエッセイ漫画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』を新潮社のWeb漫画サイト「くらげバンチ」で公開し、大きな反響を呼ぶ。2015年から同サイトで連載中のSFギャグ漫画『宇宙戦艦ティラミス』では原作を担当。2019年3月には、同作が第22回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞。

どんなに悲しいときでも、人は笑うし腹も減る。リアルな姿を描きたかった

―― 『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は、宮川さんがお母さまの看病をされていた時に書き留めていたメモが元になっているそうですね。

宮川

これまで大きな病気をしなかった母親ががんになってしまったとき、自分がしっかりしないとなって思ったんです。医者の難しい話や薬の名前、今後の治療方法など、動揺して聞けないであろう母の代わりに、携帯でメモを取り始めました。

メモには、母親がしゃべっていたことや、その時々で目についたこと、僕が感じたことも書き留めていました。例えば、がん告知を受けたときに母は珍しく真珠のネックレスをしていたんですが、なんで今日みたいな日にそんなの着けてきたんだろう……とか、ぼやきみたいなものも記録していて。ただ、あくまで自分用の記録だったので、どこかに発表するつもりはありませんでした。

―― では、なぜ漫画にしようと?

宮川

母が亡くなって1年くらいした頃に、母のことを思い出したくて時々そのメモを読み返すようになったんです。すると、そのうちメモに書かれた自分の思考が面白いと感じるようになりました。それまで、自分はけっこうドライな人間だと思っていたんですが、こんなにジメジメとした感情を持っていたんだなと。漫画家として、面白いものは漫画にしないといけない使命感のようなものがあって、ちょこちょこと描き始めました。

―― 漫画には悲しいシーンだけでなく、日常の何気ない会話や笑いも盛り込まれています。必要以上にドラマチックにせず、淡々と描かれているような印象です。

宮川

母親を失った時期の体験がドラマチックなものだったら、そう描いたと思います。ただ、実際には映画などフィクションの世界で出てくるような、オーバーな出来事はなかった。その生々しさが面白いと思ったし、そのまま描きたいと思いました。執筆中、何かの物語だったらここは泣くところだよなと感じても、ウソの涙を付け足すことは嫌だったんです。思い出補正をしないよう、そこは意識しました。

―― だからこそ、当時のメモに残された宮川さんの正直な気持ちが、漫画のさまざまなシーンから伝わってきます。例えば、お母さまが亡くなられた日の夜、葬儀会場の控室でおにぎりを食べながら「好きな具」についてみんなで語る場面は、とてもリアルでした。愛しい人が亡くなるのはもちろん悲しい。悲しいけれども、それでもお腹も空くし普通に食べ物が喉を通ると。

宮川

そうなんですよね。映画やドラマの葬式のシーンで、『お通夜の前にごはんを買いに行くところ』はあんまり描かれませんよね。でも、現実にはコンビニにおにぎりやカップ麺を買いに行くし、なんならちょっといいカップ麺を買おうとしている自分がいる。“今日ぐらいは”っていう変な気持ちが芽生えて、デラックスのやつを選んでしまったりするんですよね。そんな自分を客観的に見て「何やってんだよ」って思いつつも面白いなと。不謹慎と言われるかもしれないけど、それが人間なのかなって。

―― どんなに悲しい時でも雑念が頭をよぎったり、ちょっとしたことで笑えたりもする。不思議ですよね。

宮川

寂しいことってずっと続くわけではなくて、意外とその日の夜からバランスを取るようにふざけたり、どうでもいい話をして笑ったりもする。誰しも、そういうことで心をときほぐしているんじゃないかなと思うんです。

全ての決断の根っこに、母の死がある

―― お母さまが亡くなられてから、宮川さんの「死」や「生」に対する考え方、向き合い方に変化はありましたか?

宮川

それは大きく変わっています。もちろん、亡くなった直後はものすごくダメージが大きく、寂しくて悲しくて、孫や自分の今の仕事を見せてあげられなかった後悔もありました。でも、母が亡くなって7年がたち、母の死をただ悲しむだけではなく、違う側面から捉えられるようにもなっています。そして、それが今の自分の考え方や、やっている仕事の土台になっている気がするんです。

例えば、母は生前すごく節約をしてお金を貯めていました。でも、それをあの世に持っていくことはできなかった。じゃあ、お金ってなんなんだろう。もっと言うと、働くとか生きるってどういうことなんだろうと思えてきて、それならもっと大胆に行動してみてもいいんじゃないかなとか、そういう発想につながっていく。

―― 実際、お母さまの死後、宮川さんの人生は大きく変わりましたよね。

宮川

母の死が、僕の人生を動かすエネルギーになったのは間違いないと思います。以前は何もかも中途半端でしたから。漫画も、最後まで描いて人に見せられるものを作ったことはありませんでした。だから、この母の漫画を最終回まで描き切れたことが、まずは大きかったですね。一度やり切ると、最後まで描くクセがつく。以降は途中で投げ出すことがなくなりました。

―― そして、34歳で地元の岐阜を離れ上京されます。これも大きな決断だったのでは?

宮川

そうですね。それまでも、口では「東京へ行って何か大きいことやりてえな~」なんて言っていました。でも、行動に移すガッツはまるでなかった。変化を望まず、何も決断できない人間だったんです。そんな自分が上京できたのも、子どもを持つ覚悟を持てたのも、全ての根っこに母の死があります。

今の行動力や考え方を母に見せたいし聞かせたいんですけど、母が生きていたらたぶん僕はボンクラのままだったと思うので……そこは大きなジレンマがありますね。

究極的な話ですけど、もし目の前に神様が現れて『お母さんに会わせてあげる。でも、その代わり、この7年間の成長や積み上げてきたキャリアはリセットされて、全部なかったことになるよ』と言われたらどうするか。昔だったら迷わず会うことを選ぶけど、今はきっと悩むと思うんです。すでに母の死は自分の人生の一部になっていて、そこから考えたこと、得た答えをゼロにしてしまうような選択はしたくない。もちろん今でも母のことは大好きですし、会いたいですけどね。

「子どもを持つ」という選択肢を残してくれた母

―― 先ほど「子どもを持つ覚悟」というお話がありましたが、宮川さんは大学生の頃に白血病を患い、骨髄移植を受けています。治療により不妊になるリスクがある中、凍結精子の保存という選択肢を残してくれたのもお母さまだったそうですね。

宮川

そうですね。移植前に精子の保存をするかどうかを決めるんですけど、当時の僕は子どもができなくなっても構わないと思っていました。ただ、そこで母が強硬な態度で「ちゃんとしておけ」と。子どもの頃からそこまできつく叱られたこともなかったし、特に入院してからはなおさら何も言われなくなったけど、その時だけは母も感情的になっていましたね。

―― その時、お母さまはどんな思いだったのでしょうか。

宮川

母に聞いたことはないので想像するしかありませんが、『子どもはいいもんだぞ』と伝えたかったんじゃないでしょうか。僕も兄弟も全員ボンクラなんですけど、それでも母からすれば可愛いし、大切な存在だったんだろうなと、今なら分かります。

でも、生きるか死ぬかの病気をしていたあの時の僕に対して、直接そうは言わなかった。それは母の優しさだったんだと思います。闘病でいっぱいいっぱいの息子に新しい情報を押し付けることをせず、ただ選択肢を残そうとしてくれた。

―― そしてその結果、最愛の娘さんが生まれることになります。

宮川

母に感謝ですね。今は娘がいないと何もやる気が起きないので。

―― 漫画の中では、そんな娘さんに対してのメッセージもつづられていますね。

宮川

あれを書いたのはまだ娘が生まれる前でしたが、夜道を歩いているときにふと頭に浮かんだんですよね。これから子どもができたとしても、もしかしたら僕はすぐ死んでしまうかもしれない。それでふと、何か伝えなきゃと思ったんです。いま言っておきたいこと、母親の死に直面して僕が吸収した大事なことを残しておこうと、衝動的にばーっと書きました。漫画にはそれがそのまま、娘への手紙という形で載っています。

―― 娘さんは将来、人生のさまざまな局面で漫画を読み返し、その度にお父さんの心の内に触れることができる。世の親御さんも、その時々の思いや伝えたいことを何かしらの形で残しておくといいかもしれませんね。

宮川

そう思います。それに、母について書くという行為は、僕自身にとっても救いになりました。言葉にして書き出すことで、すごく心が楽になった。大事な人を失った悲しみは日記でもいいから、溜め込まずに吐き出した方がいい。僕もそうすることで癒され、母のことを客観的に捉えられるようになりましたから。

映画を通じて、母の思いに触れた気がした

―― 2月に、映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』が公開されました。ご覧になった感想はいかがですか?

宮川

公開前にも2回観たんですけど、1回目は不思議な感覚でしたね。自分の体験が映像化されることって、まずないじゃないですか。だから、あまりまともに観られなかった。

そこで、2回目は僕の話としてではなく“お客さん”として観てみたら、めちゃくちゃいい映画だなと思いました。僕が伝えたかったことも全部大事にしてくれていますし、その上で付け足されたシーンにも納得感がある。漫画は僕の主観がベースなので、母親や周囲がどう感じていたかについてはあまり触れていないんですよね。そこを映画では補完し、母親が言いたかったであろうことを描いてくれている。僕一人の物語ではなく、ちゃんと映画として普遍的なもの、みんなのものになっていたのがうれしかったです。

―― 特に印象深いシーンは?

宮川

主人公役の安田顕さんが妻役の松下奈緒さんに叱られるシーンです。自分が亡くなったあとの話ばかりしてくる母親に対し、主人公はついイライラして「そんなこと言うな、頑張れ!」と追い立ててしまう。でも、それを妻は叱る。

映画で追加されたオリジナルシーンですが、それを観て気づいたんですよね。僕は当時、母の闘病に寄り添い、いわばマラソンランナーに並走するコーチのような気持ちでいました。結果が出るまで分からないんだからマイナスなこと言わずに頑張ろうよと、自分の思いをゴリ押ししてしまっていた。

でも、母はあの時たぶん、もう十分だし、リタイアしたいって考えてたんじゃないかな。映画を通して、今更ながら母の思いが分かったような気がしましたね。

宮川サトシさん最新刊情報

描き下ろしエピソードを追加した『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』コミックス新装版が発売中。4月9日(火)には、『宇宙戦艦ティラミス』コミックス8巻も発売(いずれも新潮社)。

取材・構成:榎並紀行(やじろべえ)

撮影:小野奈那子

編集:はてな編集部

撮影協力:LARGO

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