人は年齢を重ねるにつれ、好奇心が薄れ、考え方や行動も保守的になっていくことが少なくありません。しかしそんな中、晩年になって世界から注目を浴びるほどの大きなチャレンジをした方がいます。
今回お話を伺ったのは、CMプランナーのクドウナオヤさんです。クドウさんは2019年、故郷・秋田県の自然豊かな町で暮らす85歳の祖父・工藤哲弥さんに最先端ファッションを着せて撮影。「シルバーテツヤ」と命名してSNSにアップしたところ、たちまち世界中で話題となりました。
年金暮らしだった田舎のおじいちゃんが、一夜にして「遅咲きすぎるファッションリーダー」に。そんな伝説を残しつつも、哲弥さんは2年後の2021年、87歳で生涯の幕を閉じました。
最晩年をともに駆け抜けたシルバーテツヤの「生みの孫」のクドウさんは、祖父から何を教わったのでしょうか。そこには、高齢者と若い世代が互いに楽しむためのヒントが隠されていました。
――クドウさんは「シルバーテツヤ」こと祖父の哲弥さんと高校時代まで実家で一緒に暮らしておられたそうですね。どのような家族構成だったのでしょう。
クドウナオヤさん(以下、クドウ):
おじいちゃんとおばあちゃん、両親、僕と兄、妹の計7人家族で、3世代同居でした。僕は高校を卒業したのを機に秋田を離れました。千葉の大学に進学し、一人暮らしを始めたんです。以来、ずっと関東在住ですね。
――哲弥さんは、地元である秋田県八峰町の教育長を務めるほど立派な人物だったとお聞きしました。孫のクドウさんから見て、普段の哲弥さんはどのような人物だったのでしょうか。
クドウ:とても優しいおじいちゃんでした。地元でずっと教師をやっていて、「学校では厳しく生活指導をしていた」と聞いたことがあります。反面、おしゃべりが面白く、生徒たちからとても慕われていたそうです。ちゃんとするべきことはして、それでいてユーモアがあって、僕はそんなおじいちゃんが大好きでした。
――クドウさんとは仲がよかったのですか。
クドウ:よかったです。お互いに自然や生き物が好きで、そういう点でも気が合いましたね。おじいちゃんは畑仕事で見つけた昆虫やヘビの抜け殻をよく持って帰ってきてくれて、僕自身もそれが楽しみでした。あと、世界自然遺産にもなった白神山地を保全するボランティア活動もやっていて、山へもよく連れていってもらいました。楽しかった思い出です。
他にも、僕は学校の作文の課題などでテーマに困ると、よくおじいちゃんの話を書いていたんです。それでコンクールで賞をもらったりと、昔からおじいちゃんをネタに作品作りをしていました。シルバーテツヤの取り組みもその延長線だったような気もします。
――心温まる、いいお話ですね。クドウさんは秋田を出たあとも、哲弥さんと頻繁に会っていたのですか。
クドウ:いやあ、それが…。東京で仕事を始めてからは、めったに会わなくなりました。家族と仲が悪いわけじゃないんですけど、仕事に夢中になっていて。平気で3年も帰郷しないなんて時期がありましたね。むしろおじいちゃんの方が年に1、2回、上京してくれて一緒にご飯を食べたりしていました。それくらい、身近な存在ではなくなっていたんです。
――少々疎遠気味だった哲弥さんに、なぜ突然ハイファッションを着せようと思われたのでしょう。
クドウ:29歳になって「20代のうちに、これまで経験していないことに挑戦してみよう」と考えたんです。ひらめいたのが「自分の服をおじいちゃんに着せて、写真を撮ってみる」というアイデアでした。僕は服を買うのが好きで、クローゼットにしまいきれないほどの量を持っていたんです。だったら、古着屋さんに売ってしまう前に、「おじいちゃんにモデルになってもらって、この服の撮影をしたら、ギャップがあって面白いんじゃないか」って。
そこで、おじいちゃんに電話して、古着屋に売るつもりでダンボールに詰めていた大量の服を実家へ送りつけました。
――突然、孫から「おしゃれな服を着てほしいと」頼まれて、哲弥さんはさぞかし戸惑ったのでは。
クドウ:電話でおじいちゃんに「送った服を着て、撮影させてほしい」と話したときは、「なんでそんなことするの」と話していたので、戸惑っていたと思います。
とはいえ、後で知ったのですが、慣れない服を羽織ることよりも「孫が帰ってくる」と言ってとても喜んでくれていたそうです。僕は3人兄弟の中でめったに実家に帰らないレアキャラだったので。
――哲弥さんは実際にクドウさんの服を着用して、なんとおっしゃっていましたか。
クドウ:「なんでこんな変なことさせるの」とは言いながらも、革のライダースジャケットに袖を通したときは、まんざらではない様子でしたね。ライダースなんて、おじいちゃんの人生に存在しなかったアイテムだと思うんですよ。試着のときは家族も集まってきて、わいわい大騒ぎになりました。それで気持ちがいっそうノッてきたのかもしれません。
その後、母が撮影場所まで車を運転してくれたり、現場で着替えのコートを持っていてくれたり、アシスタントをやってくれました。なんだかんだ言いつつ、家族みんな楽しんでいたんじゃないかと思います。
――かくしてシルバーテツヤの誕生となるわけですが、SNSや写真集『テツヤ85歳、孫の服を着てみたら思ったよりイケてた。』で拝見した「シルバーテツヤ」の画像は、どれも哲弥さんの人生の重みが伝わってくるようで、とても渋かったです。初めから、哲弥さんをカッコよく撮るコンセプトだったのでしょうか。
クドウ:いいえ、実は撮りながら、徐々に変わっていったんです。撮る前は「田舎に住むファッションとは無縁のお年寄りがハイブランドを身に纏ったら、ちぐはぐなおもしろおかしい写真が撮れるのではないか」という、ある種ウケ狙いの発想でした。
ところがファインダーを覗いてみると、思いのほかおじいちゃんが僕の服を着こなしていて、まさかの、"イケてた"んですね。おそらくこの年代の人特有の、カメラを向けられるとかしこまって、表情が少し硬くなる感じが、なんとも言えないモード感を醸し出したんだと思います。
それならばということで僕も振り切って、かっこいい感じの写真を撮ろうと方針を変えたんです。逆になるべく笑顔を封じて。
――確かにどの写真も、田舎のお年寄りにありがちなほんわかでのんびりしたムードではなく、キリッとした表情でキマってますよね。
クドウ:なんとなく、世の中に出回るお年寄りの写真は「笑顔」のものが多いじゃないですか。ある種、お年寄りは世の中から「優しい笑顔のおじいちゃん、おばあちゃん」であるべきというロールを着せられているというか。でも、そんな固定観念にとらわれなければ、普通のおじいちゃんでも、こんなにもカッコよくて優秀なモデルさんになれるんだ、と気付かされました。
――撮る側も、撮られる側も、それぞれの予想をはるかに超える何かがあった。
クドウ:おじいちゃんも最初は照れながらでしたが、次第に乗り気になっていた気がします。僕は撮影中、ポーズなどの指示は出してはいなかったのですが、自分から畑でクワを持ってポーズをとりだしたり、「あの庭の椿はお前が生まれた時に植えた木だから、次はあの下で撮ろう」なんてロケーションを提案してきたり。モデルとして積極性を見せてくれました。
――最先端ファッションを身にまとった哲弥さんの内面にあるダンディズムがにじみ出てきたのかもしれませんね。写真集に掲載されたクドウさんの手記によると、哲弥さんは撮影を進めるうちに口数が増え、昔話を語り始めたそうですが。
クドウ:そうなんです。「そういえば、この神社で昔はこういうことがあったんだよ」と、いろんな思い出話をしてくれました。初めて聞くエピソードが多かったので、それがとても楽しくて。ゆったりとした、いい時間でしたね。おじいちゃんと孫が一緒に過ごす時間ってこんなに貴重なんだとあらためて感じました。
――ところで「シルバーテツヤ」というネーミングは、どのように思いついたのですか。
クドウ:おじいちゃんの写真をTwitterに投稿したり、Instagramに専用のアカウントを立ち上げようとしたりしたとき、「名前をどうしようか」と悩んだんです。どうせなら、お年寄りのイメージが変わるような名前にしたいなと。
それで、シルバーシートなどいわゆるお年寄りを指す「シルバー」がかっこいい見え方にかわったら面白いなと思い、「シルバーテツヤ」と名付けました。
――「シルバーテツヤ」は、多くのSNSユーザーが拡散し、またたく間に哲弥さんは時代の寵児となりました。
クドウ:あっという間にSNSで広がりました。投稿した数時間後にはもうバズっていたんです。アップしたその日に、Webメディアやテレビ番組から取材依頼が殺到するし、海外のメディアに取り上げられるしで、世界中に広がっていったんです。
はじめは、単に絵的な面白さで話題になっていたように思います。お年寄りがモードなファッションを着ている姿って、言語を超えた面白さがあるじゃないですか。だから海外でもバズった。そのあと、次第に「実の孫が自身の服を着せて撮影している」という文脈が伝わっていき、「それはいい関係だね」「素晴らしい!」というコメントがいろんな国の言語でつくようになったんです。
「お年寄りと孫」という関係の普遍性というか、どこの国でも尊いものと考えられているんだなという気付きがありましたね。
――さらにその後、哲弥さんと同じように、世界中の孫たちが自分のおじいさん、おばあさんにおしゃれしてもらった画像を投稿し始めたそうですね。
クドウ:そんな動きが起きるなんてまったく予想していなかったんですが、「おじいちゃん、おばあちゃんにお気に入りの服を着てもらいました」「とってもうれしそうだった」という画像や動画の投稿がものすごく増えたんです。お年寄りからの「挑戦してみたら楽しかった。私なんてできないわと思っていたけれど、何でもやってみるものね」といった感想も結構いただきました。
孫の方から提案してお年寄りとコミュニケーションを取るって、人によってはきっかけがないじゃないですか。そういうきっかけを生みだせたとしたら、シルバーテツヤをやってよかったなぁと思いますね。
――当の哲弥さんご本人は、ブームをどう受け止めていたのでしょう。
クドウ:おじいちゃんはインターネットやスマホを全然やらない人で、自分が世界中で話題になっている状況がよく分かっていなかったんです。地元の地方紙が取り上げてくださって、かつての教え子たちから「なんですか先生、あの格好は」と電話がかかってきて、それでやっと理解したみたいで。
気のせいかもしれませんが、後日、地元で講演をしている写真を見ると、以前よりおしゃれになっているように感じました。あくまで孫目線ですが。
――哲弥さんは2021年12月14日に87歳で人生を全うされました。哲弥さんの旅立ちをクドウさんはどう受けとめ、何を感じたのでしょうか。
クドウ:まず、入院の一報を受けたときは驚きました。おじいちゃんはその連絡があった2週間くらい前まで地元の秋田で元気に講演をしていたんですから。コロナの影響もあり、面会するのもやっとな状況で、それでもなんとか意識があるうちに最期にお話しできてよかったですが。
やっぱり「おじいちゃんが亡くなっちゃって寂しい」という気持ちが一番大きいのは確かですが、晩年の2年間で一生忘れられない思い出に残る活動を一緒にできたのは本当によかったです。
――二人三脚と言ってもいいほどの共同作業でしたからね。
クドウ:おじいちゃんからは、「いくつになっても新しいチャレンジはできる」ということを学びました。「何歳からでも遅くないんだよ」って、まさに身をもって教えてくれた。
おじいちゃんが「シルバーテツヤ」になってくれたのは85歳です。85歳でインフルエンサーになって、世界的に注目されるファッションアイコンになるのだなんて、誰が想像できたでしょうか。おじいちゃんが孫の変な思いつきにノッてくれる好奇心があったからこそ、新しいチャレンジができたんじゃないかな。今、振り返るとそう痛感しますね。
――シルバーテツヤが巻き起こした世界的なムーブメントをきっかけに、高齢者との関わり方について考えることはありましたか。
クドウ:お年寄りと若者が「お互い楽しむ」。それが大事だなって感じました。僕は「おじいちゃんのために何かしてあげよう」と考えて撮影を始めたわけではありません。「おじいちゃんと一緒に面白いことができたらいいな」という、遊びに近い感覚です。
おじいちゃんも「なんでこんな格好をさせんの」って言いながらも楽しんでくれた。そうして一緒に取り組むことで、双方がハッピーな気持ちになれた。あまりにも遠慮し合う間柄だと、何も始まらなかったでしょうね。
――まさに、写真集にも記された「敬うな、一緒に遊べ。」の精神ですね。
クドウ:若者がお年寄りと関わるとき、どうしても「お世話をしてあげないといけない」とか「丁重に扱わなければ」といった、過度な気遣いや、介護的な態度になってしまいがちです。それ自体は決して悪いわけではないのですが、「目上の人だから敬わなければならない」と、どうしてもかしこまっちゃいがちじゃないですか。そのために「気を使われているな」と、肩身が狭い思いをしているお年寄りも中にはいらっしゃるはずです。
若者が「じいちゃん、ばあちゃんと一緒に自分自身が楽しんでできることはないかな」という視点で話しかけたり、お年寄りが逆に若者に対して引け目を感じずに一緒になって楽しみながら挑戦したりすることが、結果、お互いにとって幸福なんだと思うんです。ひいては、高齢化する日本社会を明るくしていけるんじゃないかと。
――では、シルバーテツヤの「生みの孫」となったクドウさんご自身は、これからどのように歳を重ねていきたいとお考えですか。
クドウ:おじいちゃんのように、何歳になっても好奇心を失わず、素直に何でもやってみたいと思いますね。「いい歳をして」「年甲斐もなく」って言葉はむしろ褒め言葉のような気がします。いつまでも「いい歳をして」「年甲斐もなく」と言われ続けるようなお年寄りに、自分もなりたいですね。
取材・構成:吉村智樹
編集:はてな編集部
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