無理をせず、できることを積み重ねる。久保純子さんが50歳で幼稚園の先生になるまで

仕事や子育てで忙しい期間は、趣味や勉強など「自分のやりたいこと」に打ち込む余裕はなかなか持ちづらいもの。本当はやってみたいことがあったけれど、思うように実現できなかった経験のある人は、少なくないかもしれません。

一方で子育てなどが落ち着くと、今度は「この年齢からできるだろうか……」と、新しく何かを始めることに躊躇(ちゅうちょ)してしまったり、不安に思ったりすることもあるでしょう。

元NHKアナウンサーの久保純子さんは2022年2月、50歳で「幼稚園の先生」になりました。新しい挑戦の原動力になったのは、NHK入局以前からずっと温め続けてきた教育への思いと、未知の世界を知る喜びだったといいます。

多忙なNHK時代から目標を見失わず、実現に向けて着実に歩んで行った久保さんの軌跡から、年齢を重ねる中でも「やりたいこと」をあきらめないヒントを探りました。

今回のtayoriniなる人
久保純子さん
久保純子さん 1972年生まれ。フリーアナウンサー。NY在住。テレビやラジオ出演の他、執筆活動や絵本の翻訳も手がけている。2022年2月よりNYのモンテッソーリ幼稚園で働き始める。

ラジオ「久保純子 My Sweet Home」(文化放送、日曜午前9時) のパーソナリティー。朝日新聞デジタルマガジン&wにて「久保純子 LIFE in NY」を連載中。

NHK入局前から「子どもに『言葉』の面白さを伝えたい」と思い続けてきた

――久保さんは「子どもに向けた番組を作りたい」という思いからNHKを志望されたそうですね。当時、アナウンサーとして多忙な日々を送る中でも、子ども番組の企画書を作って上司に提案されたと伺いました。

久保純子さん(以下、久保):NHKでは年末に上司面接があり、「来年はどんなことにチャレンジしたいか、どんな番組に携わりたいか」を問われます。そこで私は毎年、「『セサミストリート』の日本語版のような番組を作りたいです」と提案していました。幼い頃からセサミストリートが大好きだったので、歌や読み聞かせ、キャラクターを通して、子どもが言葉の面白さや美しさを学べるような番組を作りたいと思っていたんです。

とはいえ、アナウンサーは会社員ですから、自分のやりたいことが全て通るわけではありません。それに当時はとにかく多忙で、本当に「24時間、戦えますか?」といった状態でした。目の前の仕事以外になかなか手が回らなかった、というのも大きかったです。

――当時、NHKの看板アナウンサーとして多数の番組に出演されていました。社会人全般にいえることですが、仕事が充実していく中で、目指す方向が変わることもあると思います。久保さんの場合、それでも「子ども番組を作りたい」という目標が揺らぐことはなかったのでしょうか?

久保:仕事自体は本当に楽しかったです。スポーツ、エンターテインメント、ドキュメンタリーや歴史、科学の番組もあって、本当にさまざまなジャンルに携わることができました。毎日のように刺激があり、知らない世界を知れる喜びを感じていましたね。

それでも、「子ども」と「言葉」に対する思いが揺らぐことはありませんでした。小学校時代をイギリスで、高校時代をアメリカで過ごした私は、「言葉によって今の自分が形成された」と、強く自覚しています。そうした、私自身を育んでくれた言葉の持つ力や面白さを今の日本の子どもたちに伝えたい。そんな思いが、どんどん膨らんでいきましたね。

小学校高学年の時、父の転勤先であるイギリスで過ごした
高校時代、アメリカでのホームステイの様子

――2004年にNHKを退職された背景には、その目標を実現させたいという思いもありましたか?

久保:そうですね。最も大きなきっかけは、2002年に長女を出産したことです。その時に、「子どもを育てている、今のこの感覚を生かした番組を作りたい」と強く思いました。

もしかしたら10年後くらいに、NHKでも子ども番組に携われる機会が訪れるかもしれない。でも、小さな子どもを育てる母親としてのリアルな思い、感覚を持った状態で関わることができるのは今しかないと。そこで、本当に悩みましたがNHKを退職し、新たな一歩を踏み出すことにしたんです。

――NHKを退職後、民放で親子のための英語教育番組『クボジュンのえいごっこ』がスタートします。オリジナルソングのリズムに乗って体を動かしながら楽しく英語を学べる番組は、まさに久保さんがやりたかったことそのものですよね。

久保:本当に、この上なく幸せな時間でしたね。オリジナルソングの歌詞はもちろん、番組のあらゆるところに子どもが好きなものを盛り込みました。一つひとつ手作りで、そして手探りで、愛情をこれでもかと注いだ特別な番組です。

――その一方で、NHK退職後すぐに民放で情報・報道番組のキャスターを務めるなど、それまで通りアナウンサーとしての仕事も順調だったようにお見受けします。「やりたい」ことと、アナウンサーとしてのキャリアにつながる仕事のバランスは意識されていましたか?

久保:そうした意識はなく、とにかく「全ての仕事を一つひとつ積み重ねていこう」という気持ちで取り組んでいたと思います。子ども番組に携われたことだけでなく、NHK退職後もアナウンサーの仕事を続けさせてもらえたことは、とても幸運でしたから。

そうやって地道に歩んでいると、次の仕事、次の道が開けていく感覚がありました。ですから、キャリアのために仕事をするのではなく、一つひとつの仕事が将来につながっていく。そんな思いでやっていましたね。

40歳で勉強を始め、50歳で先生に。大切なのは「機が熟したタイミング」で動くこと

――その後、2014年には「モンテッソーリ教育」の教師資格を取得されています。学ぼうと思われたきっかけは何ですか?

久保:実は、子どもの頃から将来は教師になりたいと思っていて、大学でも教職を取りました。母が何十年も英語の教師をしていて、その姿をずっと見てきた影響が大きいと思います。大学卒業後はアナウンサーの道を選びましたが、同時に教育への興味も持ち続けていましたね。

モンテッソーリ教育を知ったのは、2008年ごろだったと思います。ママ友の中に、子どもをモンテッソーリの幼稚園に通わせている人がいたんです。その男の子は8歳くらいでしたが、とても集中力が高く、どんなことに対しても前向きに取り組む姿、何より常に幸せそうな表情をしていたことが印象的でした。そうしたポジティブな影響を与えられる教育に興味を持ちました。

モンテッソーリ教育とは

教育者のマリア・モンテッソーリによる教育法。「子どもには自分で自分を教育する力がある」という「自己教育力」の考えを根底にしており、大人は子どもの自発的な活動を支援していく。

――それで、ご自身でも学んでみたいと。

久保:そうですね。ただ、実際に学び始めたのはそれから数年後のことです。2011年に夫の転勤でアメリカのカリフォルニアに行った際、少し仕事をセーブして子育てに集中していた時期があったんです。ただ、私はじっとしていられないというか、常に泳ぎ続けていたい性格なので「せっかく時間があるのだからモンテッソーリ教育を学んでみよう」と思い立ちました。

調べてみると、自宅から30分の場所にモンテッソーリの教師養成トレーニングセンターがあり、すぐに通い始めました。

――当時の久保さんは40歳。その年齢から新しいことを学ぶのは、なかなかパワーがいるように思えます。しかも、子育て真っ只中。勉強の時間を作るだけでも大変だったのではないでしょうか?

久保:私の場合は「とにかく勉強したい!」という思いが強く、特に重い腰を上げた、という感じではありませんでした。新しいことを知るのは、とても楽しいですから。

モンテッソーリ教育を学んでいると、これまでに聞いたこともないような言葉や知識が次々と出てきて、自分の引き出しが埋まっていく感覚がありました。必死で脳細胞を使いながら新しい世界を冒険しているような気分になれて、大きな喜びを感じましたね。

モンテッソーリ教育での学びの様子

勉強時間も、特に「やりくり」していたという意識はなかったと思います。2人の子どもが幼稚園・小学校に行っている時間や、ちょっとした空き時間など、意外と集中できるタイミングはありましたから。

その時々で、できる範囲のことだけをやるように心がけ、あまり自分にプレッシャーをかけないようにしていた気がしますね。それを積み重ねていけば、いつかは目標に到達できると思っていました。

アメリカの専門学校にて、モンテッソーリ教師資格のための授業の様子

――2014年に教師資格を取得され、2022年からはニューヨークで幼稚園の先生になられました。資格取得から8年がたったこのタイミングで決意された理由はありますか?

久保:このタイミングになった理由は主に二つあります。一つはコロナ禍で止まっていた社会が動き始めたこと。もう一つは、長女が20歳、次女が14歳になったこと。次女の送り迎えもなくなり、これまでよりも自由がきくようになったので、そろそろ動き始めてもいい頃合いなのかなと。

人生には、動くべきタイミングというものがあるように感じます。その時が来るまでは無理をせず、流れに逆らわず、一つひとつやれることを積み重ねていけばいい。そして、いつか機が熟した時には、躊躇なく飛び込むことが大事なのかなって。実際、ひとたび「これをやる!」と決めた時の私は、誰にも止められないと思います(笑)。

自分の「好き」を、無理のない範囲で広げていく

――日本では、年齢を重ねてから未経験の職業に就くことに対して後ろ向きというか、そもそも、そうした人材を受け入れる間口が狭いように思います。アメリカと日本で、そうした「年齢の壁」に対する捉え方の違いを感じることはありますか?

久保:私は50歳で新しい職に就きましたが、履歴書には年齢を書く欄がありませんでした。このことが象徴するように、アメリカは年齢ではなく、その人自身を見る傾向があることは確かだと思います。

大事なのは、その人がこれまで何をしてきて、どんな知識やスキルを持っていて、それをどう社会に提供できるのか。もちろん、年齢をまったく考慮しないとは言いませんが、大きなハンデになることはないように感じます。周囲を見ていても、私と同じくらいの年齢で学校に通い始める人もいますし、子育てをしながら弁護士を目指している人もいますから。

もちろん、私自身も実際に幼稚園で仕事を始めるまでは不安もありました。でも、杞憂でしたね。私は「教育」という分野では新人ですが、2人の子どもを育ててきた経験があります。例えば、親御さんから子育てで不安に思うことを相談されたときも、自信を持って経験を伝えることができるんです。その意味では、50歳で幼稚園の先生になって、かえってよかったと思えます。

――現在の久保さんの目標は、日本でモンテッソーリ教育の考えにもとづいた、バイリンガルやトリリンガルの幼稚園を作ることだそうですね。そのために、今は一つひとつ経験を積み重ねている最中、というところでしょうか?

久保:そうですね。その夢はますます大きく膨らむばかりですが、今は勉強の日々。本当に、毎日のように目からウロコが落ちる出来事ばかりなんです。終わりが全く見えないほど学ぶべきことはたくさんありますが、今は一つでも多くの経験を積み、機が熟した時にまたチャレンジしたいと思っています。

ユネスコ「世界寺子屋運動」の広報特使として、2019年にカンボジアを訪問した際の様子

――では最後に、やりたいことがあっても胸に秘めたまま、なかなか一歩を踏み出せない人に対してメッセージをいただけますか?

久保:やはり、一度きりの人生ですから、後悔がないようチャレンジはした方がいいと思います。ただ、いきなり大きく何かを変えるのは難しいでしょうから、まずは自分が好きなこと、興味があることを無理のない範囲でやってみて、少しずつ世界を広げていくのがいいかもしれません。

――久保さんご自身も、空いた時間で興味のあった教育のことを学び始めた結果、「幼稚園の先生になる」という道が開けました。

久保:そうですね。最初から大きなことをしよう、何かを達成しようとは考えなくていいと思います。自分の「好き」を軸に少しずつ何かを積み重ねていけば、その先に新しい目標や夢ができるかもしれません。そして、機が熟したタイミングで思い切ってチャレンジしてみると、良い道が開けるのかなと思いますね。

取材・構成:榎並紀行(やじろべえ)

編集:はてな編集部

<久保純子さん新刊情報>

タイトル:『プリンセス・スノーとユニコーン』

絵:ジェニー・レン

訳:久保純子

価格:1,430円(税込)

発売日:10月23日発行予定

出版社:文化出版局

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