介護は「親だから」じゃなく「好きだから」やれただけ。大事なのは人生の軸を持つことー犬山紙子さん

いつかふりかかってくるであろう、介護。まだ具体的なプランは考えていないけれど、「自分が当事者になるかもしれない」と不安を覚えることもあるはずです。介護と仕事との両立をどうしたらいいのか戦々恐々としている方も多いのではないでしょうか。

今回は、20代からお母さまの介護をしている、犬山紙子さんにお話を伺いました。結婚後も、妊娠前まで毎月実家のある仙台と東京を行き来しながら介護を続けていた犬山さんは、新卒入社した会社を辞める選択をした「介護離職」の経験者でもあります。「自分のキャリアと、親の介護、どうバランスをとればいいの?」など、介護の疑問をぶつけてみました。

今回のtayoriniなる人
犬山紙子さん
犬山紙子さん 1981年生まれ。コラムニスト、イラストエッセイスト。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス)でデビュー。2017年に『私、子ども欲しいかもしれない。: 妊娠・出産・育児の“どうしよう”をとことん考えてみました』(平凡社)を発売。2017年1月に第一子を出産。

仕事と介護の両立のため、漫画家を目指す

ーー犬山さんは、20代から介護を続けているそうですね。当時、お母さまはどんな状態だったのでしょうか。

犬山

私が20歳のとき、母が難病のシャイ・ドレーガー症候群(自律神経系の症状を主要症状とする神経変性疾患の一つ)を発症し、その頃から祖母や叔母と一緒に母の介護をしていました。ゆるやかに進行していく病気でしたが、やがて車椅子になり、長い車椅子生活で母も太ってしまって。だんだんと介護するのも大変になり、祖母の力では任せられない状態になりました。この頃には大学を卒業して就職していたのですが、もう無理だろうと思い、私が会社を辞めて在宅で介護することにしました。

ーー会社を辞めることに抵抗や戸惑いはなかったですか?

犬山

辞めるときはなかったです。仙台の出版社に新卒入社して、あこがれだった編集者の仕事に就けたのは幸せですが、徹夜続きで体がもたない状態で。いろいろと模索していくうちに、もうひとつの夢だった漫画家を目指すことにしたんです。漫画や文章を書く仕事だったら、自宅で母を介護しながら両立できるんじゃないかなと。環境を変えようと思って、1年半ほどで退職しました。

ーー漫画家を目指しながらの介護生活。実際に始められてみてどうでしたか。

犬山

「私ひとりで何でもできる」と思っていたんですけど、実際やってみると半年くらいでダメになっちゃいました。当時弟が海外留学中で、姉は東京と、きょうだいバラバラに住んでいたんですが、すぐSOSを出しました。毎日介護の生活だったので「クリスマスくらい私も遊びたい」と、泣きながら姉に電話をしたのを覚えています。それを聞いた姉は、すぐ帰って来てくれました。

ーーそれくらい追い詰められていたんですね……。周囲に訴えたことで、状況は好転しましたか?

犬山

行政にも相談し、ケアマネジャー(介護支援専門員)の担当さんを変えてもらいました。新しい担当さんがとても親身になってくれる方で、一気に改善しましたね。要介護認定を受けるときに必要な調査をケアマネジャーさんが行うのですが、この介護度の重さによってヘルパーさんが来てくれる時間の長さが決まるんです。認定を受け直したら、ヘルパーさんが来てくれる時間が長くなりました。そのおかげで、ヘルパーさんに自宅に来てもらっている間、数時間執筆作業ができるくらいになりました。

ひとりきりで介護をしようとせず、とにかく「人」を頼る

ーー犬山さんは、とにかく仕事が大好きなイメージがあります。介護のために仕事を辞めて、キャリアにブランクができるうちに恐怖が襲ってくることはありませんでしたか。

犬山

編集者として働いている間にたくさんの人と出会えて、いろんな生き方があることが分かったので、怖くなかったです。フリーランスの方が性に合っているな、とも思っていました。ただ、退職後に自分の仕事がうまくいくまでの葛藤はありました。自宅で介護をしながら漫画や文章を書いてはいたものの、最初はただの「夢を追いかけている状態」で、いわば仕事ではなかったので。

「本当に私は本を出せるのか?」と思い悩んだこともあったんですが、当時はmixiとブログの全盛期。ネット上で感想をくれる人がいたから、作品作りを頑張れたんです。SNSのおかげで、承認欲求は満たされていたように思います。

ーーSNSが気分転換になっていたんですね。

犬山

あとは、ストレス発散のために、きょうだい3人で相談して、仙台と東京をそれぞれ行き来するローテーションを組んでいました。姉が住んでいた東京のアパートをそのまま借り続けて、1カ月のうち、1週間は東京で思いっきり遊ぶ。これが結構よかったですね。

ーー最初は犬山さんがひとりで自宅介護をしていたとのことですが、その後3人で分担することになったきっかけは。

犬山

介護をはじめてから数年後、母が脳出血で倒れてしまい、寝たきりで喋ることもできず、医療行為が必要になりました。そのときに改めてきょうだい3人で相談して、施設介護ではなく、みんなで在宅介護することに決めました。若かったから、無鉄砲さもあったと思います。

ーー絆が固いんですね。ひとりっ子で、相談できる家族がいない場合はどうしたらいいでしょうか?

犬山

大切なのは、ひとりきりで介護しようとせず、他人をしっかり頼ること。特に、真面目で人に頼れないタイプの方が、精神的に追い詰められてしまう。自覚するより前に、他の人に判断してもらった方がいいですね。心身ともに大きな不調が出る前に、きちんとサポートを受けないとダメです。育児も同じですけど、自分の時間が完全になくなると、精神的にも負荷がかかってしまいます。

ーー介護中、犬山さんご自身が精神的にとくにつらかったことは。

犬山

自分の弱みを見せられる相手がいなかったことですね。姉も弟も介護の苦しさを抱えているんだと思うと、家で発散することができなくて。「頑張っている自分を認めてほしい」「人に甘えたい」という気持ちを、当時の彼氏にぶつけていました。メンタルクリニックなどで適切なカウンセリングを受けていたら、また違ったと思います。

最近はメンタルケアの大切さがやっと認知されてきたけれど、当時は「自分は大丈夫」と思っていました。うつではなかったけど、人への攻撃性も高まっていたし、今振り返るとおかしかったです。

ーーカウンセリングは金銭的にも時間的にも負担がかかり、ハードルが高いと感じている人はどうしたらいいでしょうか。

犬山

無自覚のまま心が傷ついている人もいます。まずは、周囲の人に寄り添ってもらうことですね。友達と、お互いの話を否定せずに会話する時間を持つことも重要です。ただ、根本的に介護は誰かに頼ることが大切。まずは行政をフル活用してください。

自己犠牲はNG。「自分の人生」を軸に考える

ーーお母さまは現在も仙台のご自宅で過ごされているとのこと。犬山さんは、寝たきりで会話ができなくなったお母さまとどうコミュニケーションをとっているのでしょうか。

犬山

一緒にラジオを聴いたり、テレビを観たりしています。意識ははっきりしているので「お母さんの好きな韓国ドラマ流すよ」みたいな感じで話しかけています。母は喋れないので、身体が痛くても言えない。それでもいつも笑顔でいてくれて。シャイ・ドレーガー症候群と診断されてから、もう17年ずっと頑張ってくれています。

ーー親子関係に苦しんでいる方も多いのですが、いわゆる「毒親」の場合、介護はどうしたらいいでしょうか。

犬山

私の場合は家族と仲がよく、きょうだいもいたので在宅介護を選択しましたが、これはラッキーだっただけだと思います。「お母さんだからやらなきゃ」ではなくて、母が大好きだからやっていけた。親だからといって、「自分が必ず介護しなきゃ」と考えなくてもいいと思いますよ。

ーー割り切りたくても、罪悪感で潰されてしまうケースもありそうです。

犬山

一緒にいてつらくなる相手だったら、自分の人生もとてもつらくなってしまう。やっぱり、介護は苦しいこともたくさんありますから。だからこそ、本当に好きな人じゃないとお世話もできないですよ。愛情論を出すと、全部自分を責めることになっちゃう。割り切りも必要だと思います。直接介護できなくても、稼ぎで貢献することも介護のひとつだと思いますし。在宅介護ではなく、施設介護を選択してもいいと思います。

ーーリモートワークや休職を認める企業が増えてきたものの、介護の場合は会社を辞めざるを得ないケースがあります。とはいえ、生活のために収入も欲しいし、そのためにも仕事は続けたい……。

犬山

「自分の人生」という軸をきちんと持っておくことが大事。介護が終わったとしても、自分の人生は続いていきます。仕事を諦めた結果自分の人生が苦しくなるようなら、生きていくためにも、できることなら辞めない方がいい。ただ、個人レベルでは難しいことで、これは社会の問題ですよね。

ーー今は過渡期ですよね。子どもの数も減って、昔のような「子どもが親の面倒を見る」という仕組みは維持できなくなってきたように感じます。

犬山

行政サービスをフル活用して、社会から孤立しないことが本当に大切だと実感しています。事務手続きが苦手な人も、ケアマネジャーさんを頼って、きちんと質問すればいい。自己犠牲ではなく「自分の人生を大切にする」。みんな、親の介護をするために生まれてきたわけじゃないですから。無理にしなくてもいい。あとは、とにかく友達を大事にすること。「この人を助けたいし、この人なら頼れる」という相手をきちんと作っておくことが大切です。

ーー将来、もしも犬山さんが介護される側になった際には、どういうふうに生活したいですか。

犬山

なるべく今のうちに稼いで、子どもには頼らないようにしたいです。もし病気になったとしてもフルで楽しめるように、予後は、友達と共生できたらいいな。自分の人生の面倒は、自分で責任を持ちたいですね。どうなるかは分からないし、あくまで理想だけど、実現したいです。

取材・構成:小沢あや

撮影:小野奈那子

編集:はてな編集部

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