人生の終わりを迎えようとする時、自分のやりたいことをまっとうして悔いなくこの世を去りたいものだ。しかし、老いや重い病があるために、その想いをあきらめざるを得ない場合もある。
そうした課題を解決したいと立ち上がったのが、看護師として活躍してきた前田和哉さん。
2018年に株式会社ハレを設立し、大切な家族の結婚式や大好きな土地への旅行など、看護師が付き添うことで医療を必要とする人たちの願いを叶える、「かなえるナース」の事業を開始。時に、その人の「人生最後となる夢」に立会い、実現を支えている。
前田さんが「かなえるナース」を始めたのは、救命救急の看護師、地域の訪問看護師として人々の死に直面してきた経験が大きい。
これまでの数多くの看取りや現在の「かなえるナース」の現場で感じた、「自分らしく、幸せな死の迎え方」について率直に伺った。
――前田さんが「かなえるナース」を始めようと思ったきっかけについてお聞かせください。
前田
この事業を始めようと思ったのは、これまでの病院での看護師経験と地域の訪問看護師としての経験が大きく影響しています。
病院では救急科の集中治療室(ICU)で5年間働いていたんですが、750床ある大きな総合病院だったので、ひっきりなしに救急車で患者さんが運ばれ、しかも生死にかかわる重篤な状態であることがほとんど……。もちろん治療がうまく行って退院できる方もいましたが、一方で治療の施しようがなく、病室でそのまま時を過ごし、最期を迎える方も少なくありませんでした。
病院というところは、「病気を治す」ことが目的なので、基本的に患者さんが病院内で自由に過ごすことは許されません。起床や就寝、食事、検温・血圧測定の時間は一様に決められ、好きなものを食べることもできない。特にICUの患者さんは病室から出て外の空気を吸うことさえも制限されていました。
体調悪化のリスクを避けるためには仕方ないのかもしれませんが、もはや終末期にさしかかり、その先の治療ができない、あるいは本人が治療を望んでいないのであれば、その人の自由にさせてあげてもいいのではないかと思うようになったんです。
――最後ぐらい本人の好きにさせてあげたらどうか? と。
前田
そうです。多少のリスクはあったとしても、人生の最期ぐらい食べたいものを食べたいし、行きたいところに行きたいじゃないですか。「自分らしく死ぬためには、病院に居ちゃいけない」というのは、病院で働いてみて一番わかったことでした。
患者さんが自分らしく過ごせる場ってどこだろう? と考えた時、やっぱり「自宅」なんじゃないかと思うようになって。それに僕自身、患者さんとたくさんお話したり、もっと近くでその方の人生に触れたいと思うようになり、訪問看護師に転身することにしたんです。
――訪問看護師になってみて、病院との違いを感じましたか?
前田
自宅での看護になるので、患者さんの自由度もおのずと高くなりますし、看護師自身もあまりキチキチせずに患者さんの望みやその人なりの生き方に寄り添うことができるので、その柔軟さは僕の性格に合っていると感じました。
相手の暮らしの中に飛び込む訪問看護の現場は、病院の常識では考えられない世界が広がっていましたね。
――現場での思い出深いエピソードはありますか?
前田
末期がんを患っていたひとり暮らしのおじいさんがいたんですが、かなり体力が衰えていて、ごはんがのどを通らない状態でした。でも、大好きなビールだけは飲めるというので、医師と相談して本人の希望に沿うことにしたんです。
訪問時に毎回、「ビールを取ってくれ」と言うので、近くに置いておいたほうがいいなと、100均で買ったペン立てをベッドの柵にくくりつけてビール置きを作ったり(笑)。水分自体もだんだんむせるようになってきたので、「よし、ビールにとろみ剤を入れよう!」と試みたところ、猛烈に発砲! どうやらとろみ剤と炭酸って相性が悪いみたいで、ブクブクとビールが泡立ち、床にこぼれてすっからかんになってしまったんです。
2人で大笑いし、もう看護師と患者さんというより、おじいちゃんと孫みたいな間柄になっていて、こういう「人対人」の看護っていいなと思いましたね。本人は毎日大好きなビールを味わって満足気でしたし、穏やかな表情で息を引き取られたのが印象的でした。
――不謹慎かもしれませんが、心温まるエピソードですね。
前田
僕自身も多くの看取りの場面に立会わせてもらいましたが、ご自身のやりたいことをまっとうされて、「こういう最期って素敵だなぁ」と思うことも度々ありました。
でも一方で、限界を感じる場面もあって。担当の患者さんで末期がんを患っていた弁護士さんがいたのですが、伺う度に「箱根に行きたい」と言っていたんですね。ご家族がいらっしゃらなかったので、「自分が連れて行けたらいいのに」と思っていましたが、介護保険や医療保険内での訪問看護の場合、1時間以上入ることができず、しかも外出の同行はNGとのこと。結局、旅に行けないまま、容態が急変して、亡くなられてしまいました。本人の望みを叶えてあげたいのに職務上、限界がある。自分の中でもどかしさを感じるようになりました。
――そうした想いが、「かなえるナース」の事業の立ち上げにつながるわけですね。
前田
はい、この出来事は自分の心が動くきっかけとなりましたね。また、ちょうどそのころにプライベートでも転機がありまして。当時付き合っていた彼女のお母さんが、末期がんに侵されていることがわかったんです。お母さんの状態や飲んでいる薬から、余命わずかだとわかった僕は、急きょ彼女にプロポーズ。末っ子である彼女の結婚を義母は心から待ち望んでいたので、式は間に合わなくとも、記念写真なら撮れると思い、「フォトウェディング」をプレゼントすることにしたんです。
身体はしんどい状態でしたが、黒留袖に着替え、メイクもウィッグも綺麗に仕上げてもらって。義母は本当にうれしそうで急に元気が出てきたのか、和装だけで帰るはずが、僕たち2人の洋装も見たいと言い、長い時間楽しんでいました。
ただ、こうして義母が安心して外出できたのは僕も妻も現役の看護師で万が一の時のケアができたからではないか、と。看護師がサポートすることで、重い病のためにあきらめかけていたことも叶えられる。この出来事も「かなえるナース」をスタートする原動力となりました。
――事業を始めてから、実際にどんな方たちの願いを叶えましたか?
前田
初めての依頼は、「お父さんと一緒にバージンロードを歩きたい」という娘さんからのものでした。すでにお父さんは末期がんを患っており、余命いくばくもない状況……。でも、娘さんは「1カ月後に結婚式をするから、絶対生きてね!」とお父さんを励まし、それによってお父さんもみるみる生きる気力が湧いたようでした。
そして無事に迎えた結婚式当日。血圧が下がる恐れがあるので、本来はベッドで横になった状態で移動しないといけないのですが、「やっぱりバージンロードは天井じゃなくて、前を向いて娘さんと進んでいただきたい!」と、ちょっとずつ時間をかけてベッドの角度を上げ、座った状態に。本番では堂々とバージンロードを進まれていました。それが冒頭の写真です。
お父さんも娘さんの晴れ姿を見てよほどうれしかったのか、「乾杯までいたい!」と言い出して、シャンパンまで飲まれていました(笑)。それまでほぼ寝たきり状態でしたので、奇跡と言ってもいいほどです。ご本人も「やり遂げた」という想いがあったのでしょう、次第に眠っている時間が増えていき、数週間後に亡くなられました。
――そうでしたか。でも、人は喜びや生きがいを感じると、病を超えるのかもしれませんね。
前田
本当そうだと思います。皆さん、病気を忘れて生き生きしていますもんね。大切な家族の晴れ姿を一目見たい、お祝いに駆けつけたいという想いは生きるパワーになります。社名を「株式会社ハレ」にしたのは、老いや重い病があっても「人生の喜び(慶び)=ハレの日」を味わっていただきたいという想いからでした。
実はサポートする側の看護師にとっても、「人生の喜び」につながっていると感じていて。病が日に日に進行していく患者さんを目の前に、看護師は時に無力感にさいなまれることもあります。看護の現場では、なかなか「おめでとう」と言える瞬間がないので、「かなえるナース」の仕事を通じて、看護師自身の喜び・やりがいにつなげたいと思っています。
――サポートする側もされる側も喜びを味わえるって素敵です。今年から「かなえるシェフ」という新しいサービスを始められたそうですね。
前田
利用者さまの「家に帰りたい」という願いにこたえるべく、病院からの一時帰宅をサポートしているのですが、その際にご家族の方が一番困っていたのが「食事」だったんです。せっかく家に帰ってきたのだから、大好物のごはんで食卓を囲みたいのに、飲み込む力が弱くなっていてなかなか食べられない。本人も家族も「食の時間」を楽しめないという状況を何とかしたいと思っていました。
そんな時に、あるご高齢の女性の退院後のサポートすることになりまして。認知症を患い、飲み込みが厳しい状態だったのですが、ご本人から「家に帰ったらすき焼きを食べたい」と度々耳にしていたんです。「こうなったら自宅にシェフを呼んで、食べやすいすき焼きをつくってもらおう!」と思い、ご家族に提案。当日は出張シェフのアイデアで、甘酒に漬け込んで酵素で柔らかくしたお肉を十分に煮込んでお出ししたところ、「おいしい、おいしい」と完食してくれました。
普段はペースト食を食べられているのですが、家族で一緒に食事をとると「自分も同じものが食べたい」と毎回喧嘩になるため、別々に食事をとっていたらしいのです。だからこそ、家族で同じものを食べられる喜びを皆さんかみしめていました。当のご本人は僕たちスタッフの顔は忘れる時がありますが、すき焼きの味は覚えているみたいで(笑)。シェフがご家族に作り方をお伝えしたので、きっと家族で食卓を囲む機会も増えるのではないでしょうか。
――食がもたらす喜びは、計り知れないですものね。
前田
病院に入院していると、誤嚥のリスクから食事が制限され、胃ろうを勧められることも少なくありません。でも、食べることが好きな人にとって、それは生きる喜びを奪われてしまうようなもの。最期まで「おいしく食べたい」という望みを叶えるための食のサービスの開発にも力を入れていきたいと考えています。
――前田さんのお話を伺っていると、病院で最期を迎えるのは果たして幸せなのだろうか? と考えてしまいますね。
前田
極端な言い方で誤解を与えてしまったかもしれませんが、僕自身は決して病院で過ごすことを否定しているわけではないんです。これまでの訪問看護の経験で、最期いよいよという時には病院に行かれたほうがいい方もいました。
それは、本人がなんとしてでも病気を治したい、少しでも長く生きたいという想いのある方。そして、家族が長い間自宅で看病されていて、心身ともに限界に来ている方です。特に後者の場合は、家族で看取りまで行うのはあまりにも酷なので、「いよいよという時は、病院に行きましょうか」と促すこともあります。すると、病院にいる間、家族はそれまで張り詰めていた緊張が解けて、フッと楽になるんですよね。そこまで行くと、家族も「やり切った」という気持ちがあるので、悔いなく見送ることができるんです。
――なるほど。患者さん本人や家族が最期、病院に行くのか? もっと言うと、どこでどのように死を迎えるのか? 主体的に選ぶことが大切なのかもしれませんね。
前田
おっしゃる通りです。本来なら、一人一人が自分自身はどういう死を迎えたら幸せなのか? 助かる見込みがない時に、延命措置をするのか? それとも治療はせず、最期の時を悔いなく過ごすのか? 前もって考えておくこと、そして家族に意思表示しておくことは、家族への愛だと思うのです。やっぱり死に直面した時、一番困るのは残された家族ですから。
逆に、家族の側からも「(親あるいは配偶者に)どういう最期を迎えてほしいのか?」、意思表示をすることも僕は大事だと思っていて。たとえば、子どもって親に苦しい死に方をしてほしくなくて、悔いなく幸せにあの世に行ってほしいと思っているところがあるじゃないですか。「かなえるナース」が娘さんや息子さんからの依頼が多いのは、少しでも親の笑顔を増やしたい、心に刻まれるような最高の思い出をつくりたいからなのです。
「お父さんと一緒にバージンロードを歩きたい」「お母さんが好きだった温泉に連れて行ってあげたい」――。安全な場所から外に出ていくことによって、命を縮めるリスクも確かにあります。それって、子どもの側のエゴなのかもしれないけど、親はきっとその気持ちがうれしいし、こたえたいと思うものなんじゃないかと。
気持ちにこたえることで、残された全身の力が振り絞られ、命が輝き出す。少なくとも、僕がかかわった利用者さんたちはその美しい姿を見せてくれました。
編集・ライター:伯耆原良子
撮影:佐々木睦
日経ホーム出版社(現・日経BP社)にて編集記者を経験した後、2001年に独立。企業のトップから学者、職人、芸能人まで1500人以上に人生ストーリーをインタビュー。働く人の悩みに寄り添いたいと産業カウンセラーやコーチングの資格も取得。12年に渡る、両親の遠距離介護・看取りの経験もある。介護を終え、夫とふたりで、東京・熱海の2拠点ライフを実践中。自分らしい【生き方】と【死に方】を探求して発信。
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