50代になっても物事を新しい角度で見られるのは面白い。怒髪天・増子直純さんに聞く人生後半戦の楽しみ方

年齢を重ねると何かと消極的になってしまい、「これから楽しいことができるのだろうか」と不安に思ってしまう人もいるのではないでしょうか。

しかし、50代に突入しても、仕事でもプライベートでも新しいチャレンジをして楽しんでいる方がいます。

今回お話を伺ったのは、結成38年目を迎えたロックバンド「怒髪天」のボーカリスト、増子直純さん。メンバー全員が音楽一本で食べられるようになったのは40歳を過ぎてからという遅咲きのキャリアながら、2014年には初の武道館公演を成功させるなど、第一線でパワフルに活動を続けています。

現在55歳の増子さんは、50歳で俳優に初挑戦するなど、50代になってから音楽以外にも活動の幅を広げてきました。

趣味でも怪獣「ヘドラ」のソフビ(ソフトビニール製)人形のコレクターとして知られ、コレクションの展示会やトークライブを行うなど精力的に活動。合間を縫って毎日プレイするほどの無類のゲーム好きでもあります。

「体が動く限りはバンドを続けたい」と話す増子さんに、その原動力や年齢を重ねても好奇心旺盛であり続ける秘訣などについて伺いました。(※取材はオンラインで実施しました)

今回のtayoriniなる人
増子直純
増子直純 1966年生まれ、札幌市出身。ロックバンド「怒髪天」のボーカリスト。一度見たら忘れられないエモーショナルなライブスタイルと、その真逆をいく流暢なMCが混在するステージは圧巻。その気さくなキャラクターで「兄ィ」の愛称で親しまれている。過去に「ファミ通」で連載コーナーを持つほどゲームへの造詣も深く、生粋のヘドラコレクターでもある。楽曲提供、TVCM、映像/舞台作品出演も積極的に行うなどマルチに活躍中。

全部が「伏線」。好きだったことは何一つ無駄じゃなかった

──怒髪天の活動がここまで長く続いてきた理由はどんなところにあるんでしょうか?

増子直純さん(以下、増子)

一番の理由は楽しいっていうことだね。それが原動力でもある。実はこの間、今年初めてライブに向けてのリハーサルに入ったんだけど、俺だけじゃなくメンバーもみんなそれを楽しみにしていて。練習してるだけで楽しいって、なかなかないことだと思うよ。仕事ではあるんだけれど、それ以上に楽しいという方が何より大きい。

──その感覚は、結成からずっと変わらずにあるものですか?

増子

ずっと変わらないね。高校でバンドを始めて、その頃からゲームも好きで、おもちゃも好きで。結局、今もバンドの練習をしてライブをやって、おもちゃを買って、ゲームをしてる毎日。40年ぐらいずっと変わってないんだよ。

──バンド活動だけでなく、「ヘドラ」などおもちゃへの愛をいろんなところで語っていたり、それがお仕事につながっていたりしていますよね。

増子

やっぱり「好き」を突き詰めていくと、いろんなところとつながりもできて、一緒に面白いものを作ろうという話にもなるからね。だから俺が監修したヘドラのソフビを出すこともできた。

今考えると、小さな頃に好きだったこと・やっていたことが何一つ無駄なことじゃなかったなって思うよ。全部が「伏線」だったのかなと。

──10代のときに夢中になったことが人生の中でずっと続いているわけですね。

増子

親に「やめなさい!」って言われるようなものばかりだよね。もともとは全部怒られたもんだよ。「そんなおもちゃばっかり買って!」とか「ゲームばっかりしてるんじゃない!」とか。バンドだって「いい加減にしなさいよ、近所の目があるでしょ」って言われていたんだから。それがまさかずっと残るとはね(笑)。

働いてみて感じた「戦うべき敵は大人じゃない」

──バンドを始めて20代で上京した頃は、音楽で食べていくということ、バンドを仕事にするということについては、どんなふうに考えていましたか?

増子

いやもう、全然考えてなかったね。「怒髪天」っていう名前を見ても分かるように、世の中にかみついてナンボのハードコアパンクバンドだったので。さんざん暴れて、好き勝手言った後に「じゃあお代をお願いします」っていうのも変な話だし、それで食うなんてまったく考えていなかった。もともと札幌にいるつもりだったしね。

ただ、友達のバンドがみんな東京に行って、地元に誰もいなくなっちゃうし、東京が面白いって言うから東京に出てきて。周りのバンドは「音楽で食べていきたい」って思ってたけれど、俺はそういうふうには考えなかった。

それよりも、似合いもしない衣装を着せられたり、曲調を変えられたり、やりたくもないことをさせられたりするのが嫌だった。だったら働きながらバンドをやっていこうと思っていたね。

──30代のときにはバンド活動を休止し、さまざまなお仕事をしていた期間もありました。その経験は増子さんにとってどんなものだったのでしょうか?

増子

活動休止してからの3年間は、包丁の実演販売をやったり、雑貨屋の店長をやったりして働いていた時期で。それまではいわゆる「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ(30歳以上を信じるな)」みたいなパンクロックの考え方に毒されていたんだよね。「大人は社会の歯車だ」「大人を信じるな」って思ってた。

でも実際に働いてみたら、実演販売で穴あき包丁を買ってくれたお母さんが「すごい良かったよ」って言って、次の日におにぎりを持ってきてくれたり、一緒に仕事をする仲間とつながりができたりして。あぁ、戦うべき敵はそこ(大人)じゃないんだなって感じた。それが一番大きかったかな。

あとは自分の働いたお金で好きなものを買えるっていうのも、大人ならではだよね。それこそ「最高!」ですよ(笑)。

──怒髪天の代表曲「オトナノススメ」(2009年)が生まれたのは増子さんが40代になってからですが、これはどういうふうにできた曲なんでしょうか?

増子

もともとパンクバンドとして「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ」というお題目を歌っていたことに対しての、自分なりのアンサーソングという感じだね。「それは違うぞ」ということは誰も歌ってなかったし、自分自身そのお題目によって変に構えちゃったり苦しんだりもした。そこはちゃんと自分にオチをつけた方がいいなと思った。

もちろん楽しいことばかりじゃないし、大変だけれど、やっぱり大人はいいよ。もちろん義務も責任も伴ってくるけれど、何より自由だから。そう思ったことをちゃんと曲にしておかなきゃなと思った。

──この時期には他にも「酒燃料爆進曲」(2007年)や「労働CALLING」(2009年)のような中年男性としての生きざまを歌う曲も生まれています。40代になって増子さんの発想や考え方にどんな変化が生まれたんでしょうか?

増子

もうオッサンになったんだなって思った。そうなったら、ここからは「オッサンのロックをやろう」と。やっぱりロックというのはリアルであることが信条なので、いい年こいて、いつまでも青春時代の淡い恋の歌とか歌ってられない。

オッサンの日常生活って、そもそもロックが持っていたイメージとは乖離したものだから、そのコントラストが面白いんじゃないかというのもあったね。

ファンと一緒に年齢を重ねて、人生を歩んでいく

──2014年には怒髪天が結成30周年を迎えて、初の武道館公演を成功させました。それ以降、キャリアのある遅咲きのロックバンドが武道館でのライブを実現させるというケースが増えてきたようにも思いますが、そういった潮流についてはどんなふうに感じていますか?

増子

昔、欧米のライブを映像で見ると、演奏してるのも盛り上がってるのもオッサンだったりしたんだよ。ああいう状況は日本にはなかったので、うらやましいと思っていたんだけど、ようやくそうなってきたのかなって思うね。

アメリカのブルースとかカントリーと同じように、日本のロックでも、60歳、70歳になってもライブに来るようなお客さんがいっぱいいる。日本のロックがちょっとずつ成熟してきて、お客さんも同じように成長して年を重ねて、お互いにそこを支える層が育ってきたのかなって思うね。

──お客さんと一緒に年を重ねていくという感覚があるんですね。

増子

よくライブのMCで言うんだけど、ライブの場ではみんなが俺を見に来てくれるわけだから俺が主役だけれど、例えば、見に来てくれたお客さんがやっているラーメン屋さんやパン屋さんに俺が行ったら、今度はその人が主役で俺がお客さんなんだよね。

ライブのときに俺がステージに立っているのと同じように、その人がお店というステージに立っている。そんなふうに思ってるね。自分ができないことをやっている全ての人をリスペクトしている。

──今おっしゃった話は、すごく怒髪天のあり方を象徴しているように思います。華やかなロックスター像を体現するというよりは、生活に近いところにある。だからこそファンにとっても人生を一緒に歩んでいくような存在になるのではないかと思うんですが。

増子

そうだね。ここ何年か役者仕事もやるようになったんだけれど、映画やドラマや舞台をやらせてもらって思うのは、演じることとバンドは対極にあるということ。やっぱりバンドは演じてちゃダメなんだよね。自分の生活や実像と離れるのは良くないと思う。格好悪いところも含めて地続きであるべきだと俺は思う。

──ファンやリスナーの中には同世代の方々も多いと思いますが、そういう人たちに向けて伝えることはどのように変わってきましたか?

増子

例えば、地元でライブをやると、中学とか高校の同級生がたくさん来てくれる。そういう友達と一緒に飲みに行って「俺、こう思うんだよね」みたいな話をしているのと同じ感覚かな。変に若い世代に向けて物分かりのいい人になりたいとも思ってもいないし。

今の時代は大人がちゃんとしなきゃいけないことがたくさんある。本当はバカみたいに楽しく「酒飲んで最高!」みたいな曲ばっかり歌っていられる世の中だったらいいんだけど、どうしてもそうじゃないからね。

考えなきゃいけないことは多いし、危機感を持ちながら暮らすのはこういうことだよというのを提示していきたいという思いはある。ただ、シリアスなことを伝えるときこそユーモアは大事だと思うね。

今、弱っているのは自分だけじゃない。焦る必要はない

──2021年8月発表の新曲「ジャカジャーン!ブンブン!ドンドコ!イェー!」も、ユーモラスなタイトルでありながら、実はシリアスなことを歌っている曲だと思います。

増子

この曲は芯の部分に閉塞感があって重いテーマの曲だから。それだけにパッケージは楽しくしたいというのがあったんだよね。擬音は世界基準だし、それによってとっつきやすいものにしたかった。

──コロナ禍の状況においては、人と会えなかったり、できないことが増えたりして、不安な日々を過ごしたりしている人たちがたくさんいると思います。そういった人たちに向けては、どんなことを伝えたいという思いがありますか?

増子

これがなぐさめになるかどうか分かんないけど、弱気になったり困ったりしているのは自分ひとりだけじゃないからね。世界中で足止めを食らっているから、焦る必要はない。雨が降っていると思えば、家にいれば濡れないわけだから。

やっぱり大事なのは、工夫してとにかく生き延びるということ。ヤケを起こしてもしょうがないし、やれることは楽しんで全力でやろう。だけど、やっちゃダメなことは今やるべきじゃない。

これまでは気合と根性で乗り越えられてきたけれど、コロナは目に見えないし、それが通用しない相手だからね。俺が好きな仮面ライダーとかウルトラマンにも、必殺技が使えない回がある。今はきっとそれなんだよ。だけど、今を乗り越えた先ではさらに強くなるのは間違いないから。

それと、あんまり前向きにしようとしなくてもいいと思うよ。嫌なものは嫌だと思って、くさくさするのもいいと思う。

70歳まで怒髪天を続けたい。メンバーをいたわるようになった

──増子さんがこの先について考えていることについても聞かせてください。まず、怒髪天をずっと続けていくということは考えてらっしゃいますか?

増子

そうだね。物理的にできなくなるまではバンドはやっていきたい。ただ、今年で56歳になるし、体のメンテナンスはちゃんとしていかないといけないと思うよ。メンタルは強くなっても体が強くなるわけじゃないから。「体に気をつけろよ」っていうのは同世代にも言わなきゃいけないね。

──何歳まで続けたいというイメージはありますか?

増子

永ちゃん(矢沢永吉さん)を見てたら、ちゃんとやってれば70歳まではいけるんだなって思うよね。もちろん永ちゃんは超人だし、われわれ全員がYAZAWAになれるわけじゃないかもしれないけれど。でも、とりあえず同じ時代に生きている人間として、生物的にあそこまで行けるんだなっていうのが分かったね。

──バンドメンバーとの関係性についてはどうでしょうか? 年を重ねたことで仲間との関係はどう変わっていきましたか?

増子

俺はここ10年ぐらいで優しくなったかな。もともとはかなり厳しかったんだけど、40歳も過ぎ、50歳も過ぎたら、俺がいちいち言うことじゃないなって思うようになった。人生も後半に入ってきて、「大丈夫か?」ってお互いにいたわるようになった。仲はすごくいいよ。

──最初に「楽しいということが何よりの原動力」とおっしゃいましたが、そうやって楽しいことを一緒に続ける仲間がずっといるということはとても大きいですね。

増子

そう。だから正直、草野球チームとそんなに変わらないと思うよ。練習してうまくなって「よーし、やった! 勝った!」っていうのと変わらない。バンドには勝ち負けはないけど、曲が完成したりライブをやったりすると達成感も大きいからね。そんなにもうかる商売じゃないし、やっぱり本当に楽しくないと続かないんだよね。仲良くないとやってられないよ。

「できないこと」だって面白い、ポジティブに楽しんでみる

──これから新しくチャレンジしたいことはありますか?

増子

そりゃもう、まずはいい曲を作っていいライブをする。それをもっと自分の中で追求していくのが一番の命題だし、生きがいではあるね。

音楽以外だと、「ヘドラ」とかのソフビを原型から全部自分で作ってみたいというのはあるかな。道具も買ったし、絵を描いたりもしたい。できそうなんだけどなかなか時間がないんだよ。なにせゲームをしちゃってるもんで(笑)。ゲームは面白いねぇ。まだ進化の過程というか、どんどんびっくりするような新しいものが出てくるから。

──50代になっても増子さんはどんどん新しいチャレンジをしていると思うんですが、一般的には50、60代になると変化を恐れて、なかなか新しいことに踏み出せない人もいると思います。そういう人たちに対してどんなアドバイスがありますか?

増子

世界には面白いものがいっぱいあるからね。映画とか小説だけじゃなく、リアルな世の中にもそれがたくさん散らばってる。それを見過ごして、知らないのはもったいないよ。

人に出会うこともそうで、若い頃は全然そりが合わなくて気に食わないと思ってたのに、50歳を過ぎてから「こいつ、いい奴だな」って思うようになることもある。そうやって物事を新しい角度で見られるようになるのは面白いよ。

あとは、「できないことを楽しむ」というのもある。できないことはダメじゃないし、これからできる可能性がある。

例えば、役者の仕事をやるとバンドと違ってOKラインが自分の中にあるわけじゃないから、どうしたってうまくできない。怒られることだってある。でも、それだって面白いんだよ。それを楽しめるようになれば、できるようになったときの達成感も出てくる。

ゲームも同じだね。最初は絶対にできないだろうと思ってたことが、最終的にはめちゃめちゃうまくなってたりする。できないことをポジティブに楽しんで、面白がってみるというのが大事だと思うね。

取材・構成:柴那典
編集:はてな編集部

2022/04/11

還暦を過ぎて友達が増えた。永ちゃん一筋30年の矢沢ファンは、老後もファンであり続ける

関連サイト

50代の資産運用・iDeCoとNISA

業界最大級の老人ホーム検索サイト | LIFULL介護

おすすめの関連記事

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniをフォローして
最新情報を受け取る

ほっとな話題

最新情報を受け取る

介護が不安な、あなたのたよりに

tayoriniフォローする

週間ランキング

ページトップへ